8セーブ目(20)
他人のノートを勝手に見るのは止めましょう。
例え床に落ちていたとしても、表紙に名前が書いてあるので、中を見なくても持ち主は分かりますよね。
だから、中を見る必要性なんて全くありません。
(いやもう、マジで止めろよこん畜生!)
月照は動きを止めたままプルプルと小刻みに震えていた。
というか、そもそもあのノートはトップシークレットだったので、気付かない内に人目に付く所に落としていたなんて事は有り得ないはずだ。
(――って事は、こいつ勝手に俺の机漁ったのか……?)
真面目で気難しそうな外見に騙されていたが、舞美はもしかしたらかなりやばい奴なのかも知れない。
「で、でもそれは『禁断の書・煉獄編』に記された真実の歴史だから!」
当の舞美は押され気味でもまだ双子と舌戦を繰り広げていた。
(いやそれ、俺が一ページ目に書いてたタイトルじゃねえか!)
間違い無い。舞美は月照の机を漁って、禁断の書――もとい、黒歴史ノートを勝手に覗き見ていたのだ。
(こ、こいつ……)
よくよく思い返してみれば、彼女の行動には少し不自然なところがあった。
例えば校舎裏や階段の踊り場で園香と会話していたところを目撃されたが、あれは舞美目線だと月照が一人で何か喚き散らしながら暴れていた様にしか見えなかったはずだ。
普通ならそんな相手には近付こうとも思わないし、話しかけようなんて絶対に考えない。
しかし彼女は、敬遠するどころか音楽室の事件直前――つまり心霊体験前に、廊下で月照に事情を聞いてきたのだ。中学の時霊感否定派だったはずの彼女が。
好奇心が勝っただけ、という可能性も無くはないが、しかし中学時代から先日まで全く会話した事の無い月照に、奇行の直後というタイミングで話しかけるだろうか。
単純に奇行が気になったのなら、それこそ中学の時の方が今よりも何倍も話しかける機会があったはずだ。なんせあの頃は生者との会話よりも霊との会話の方が多かったのだ。霊感を信じていないなら尚の事、彼女には月照がずっと奇行に走り続けている様に見えたに違いない。
近寄り難い空気を出していたから、というのも違うだろう。月照の隙を窺って机を漁り、あのノートを見付けて熟読し、内容を理解して暗記までしていたのだ。絶対にバレない自信のあるプロのスパイか天才ストーカーでも無い限り、バレた時のリスクが頭に浮かんで「それなら普通に話しかけた方がマシだ」となるだろう。常識的な人間なら、誰も奇行が目立つ人間の怒りなんて買いたくない。
なのに机を漁り、更に寄りにも寄ってあのタイミングで突然話しかけてきたという事は、おそらく彼女は外見の様な理知的なタイプではなくかなり衝動的な、それも双子レベルの後先を考えないタイプの可能性がある。もしかしたら奇行レベルでは月照とタメを張れるかも知れない。
(……いや別に俺、そんなに奇行に走ってねえけどな!)
一人で色々推察する内に自分もやばい奴に思えてきた月照は、無意味と分かりつつも内心で自己弁護を行った。
ちなみにその言い方だと少しは奇行に走っていたと認めた事になるのだが、それに気付いて「いや、そもそも奇行なんてしてねえし!」とこれまた無意味な自分への訂正を行ってしまい、どんどん思考の収拾が付かなくなってきた。
「「……禁断の書・煉獄編って……」」
と、月照が無駄な脳の運動をしている内に、何やら女子三人の口論の雰囲気が変わっていた。
慌ててそちらに意識を戻すと、双子が首を傾げて少し何かを考えている。
しばらくして、双子は得心が行ったとばかりに手を打った。
「あ、思い出した!」
「それって、確かみっちゃんのノートだ!」
「「難しい漢字一杯使ってて、あの頃は『みっちゃんすご~い』位にしか考えてなかったけど」」
(お前等も見てたんかい!)
まあこいつらなら勝手に見ていそうだとは思っていた。後でチョップしておこう。
(それはともかく、今は秋口をどうすべきか……)
こっちはチョップする訳にもいかないし……などと考えていると、横から視線を感じた。
ちらりと横目で見ると、園香がにんまりこちらを見ていた。
(く、くそがぁぁぁぁ!!)
月照は両手を大きく振りかぶった。
後ではなく今だ。今こそ動かなければならない。今すぐチョップで三人共黙らせないと、きっと取り返しが付かなくなる。
月照は双子に背後から忍び寄り、両手を振り降ろ――。
「あ、よかった! 秋口さん、まだいたわね!」
――そうとした丁度その時、校門の向こうから女性の声が聞こえてきた。月照の位置からは死角になっている。
「秋口さんって、こっち方向、だったのね。間に合って、良かったわ」
少し息を切らせながら、その女性は小走りに駆け寄ってきた。
「あ、は、はい。なんでしょう? 大谷先生」
舞美はいつの間にかいつもの澄まし顔になっていて、何事も無かったかの様に、校門から出てきたその女性――英語教師の大谷に応えた。
「ごめんなさい、お話中に――って、きゃあ!?」
大谷は双子をちらりと見て、その後ろで両手を振り上げている月照に気付いて口元を押さえながら悲鳴を上げた。
(や、やべえ!?)
月照は慌てて両手を背中に隠し双子から離れた。
このまま教師の面前で双子の頭頂部にチョップをぶち込む訳にはいかない。
「あ、ああ、ええと……」
その不自然な動きをどう捉えたのか、大谷は目を泳がせた。バタフライ並みに豪快だ。
「あ、ど、どうも……」
下手な言い訳は藪蛇なので、月照はそのまま両手を左右の後ろポケットに突っ込んで無理矢理誤魔化そうとする。
「先生……?」
舞美が怪訝そうに大谷に声を掛けると、彼女はハッと我に返った。
「あ、ああ、そうでした……。え、ええと、ですね……」
何やら物凄く言いにくそうにしながら、ちらちらと月照を見ている。
(……ああ、あの件か)
その挙動不審っぷりで月照は気付いた。
担任でも吹奏楽部の顧問でもない大谷が、放送での呼び出しもせずわざわざ自分の足で舞美を探していたのだ。しかもこの様子だと、舞美が今日学校に来ている事を知って慌てて今日中に話をしようと考えたのだろう。
つまり、他の生徒にはできるだけ知られたくない内容の話だという事だ。更に月照がいると話せない内容となると、ほぼ間違い無く音楽室での一件だろう。
(やっぱ、まだ俺の事疑ってんのか……)
あの時一応納得して貰えたのだが、月照のいない時に詳細を聞き出したかったのだろう。
人助けをしたのにとんでもない冤罪を着せられてなかなか信頼して貰えないのは正直かなり腹が立つが、ここで邪魔をして大谷の心象を更に悪くするのは悪手中の悪手だ。悪い事は何もしていないので、今は感情を押し殺して堂々と被害者の口から自分の無罪を証言して貰うべきだろう。
「ええと……なんか邪魔だったら、俺どっか行きますけど?」
頑張ってそう気を利かせたつもりだったが、声にはどこかトゲが残ってしまった。
「(ひぇっ!?)」
大谷は小さく悲鳴を上げた。
月照本人は気付いていなかったが、両手を後ろポケットに入れたままで、ついでに堂々とする為に踏ん反り返る位に胸を張っていたのだ。客観的に見てこれほど高圧的な態度はなかなか無い。
元々臆病な大谷にとっては結構な威圧感だった。
……の、だが。
(ちょ、ちょっと咜魔寺君!? どうしてそんなに私に腰を突き出してくるの!?)
目を合わせられずに俯こうとした大谷は、視界に入ったある一点に意識が向いてしまい、そこを凝視しながら頬を染めた。
(ま、待って駄目駄目駄目、駄目よ咜魔寺君! こんな白昼の往来では駄目! 後で生徒指導室に連れて行ってあげるから今は我慢しなさい!)」
最後の方は声が出ていたが気付かず、大谷は「ふぅ」と息を吐いて続けた。
「押さえないと駄目よね……。でも……ふ、ふへへ……」
勿論本人は今も声が出ている事に気付いていない。
そして月照は、大谷が普段から自分に怯えていて声が小さかったり言葉が途切れる事を理解している。
(は? え? さい、ふ……? 押さえて……? ――って、ああ。後ろのポケットに財布入れてて、落ちそうだから押さえたと思われたのか。中身空だから持ってきてねえのに)
だから今回も違和感を感じず、「財布、押さえないと駄目よね」と言ったのだと解釈した。
しかしそんな月照とは逆に、大谷に大きな違和感を感じていた者が一人。
悲鳴を上げたあたりからずっと一点をロックオンしている大谷の視線の先、それに気付いたのは園香だった。
瞬く間に園香の瞳から光が消え、両手を大谷に向けて突き出しながら低く呟く。
『なに、この人ぉぉぉ……?』
ゆらりと月照の横をすり抜け、吸い込まれる様に大谷との距離を詰めていく。
(んなぁっ!?)
幽鬼の如くゆらゆら進むその姿に驚いて声を漏らしかけた月照に少し反応して立ち止まるも、大谷とその視線の先をもう一度交互に見比べて確認し、園香は悲鳴に近い甲高い声で叫んだ。
『なんでぇぇぇぇ、ずぅぅっと見てるのぉぉぉぉ!? そこはたまたま君のたm――……って何言わせるんだよ!? はしたないよ!』
――が、口を突いて出そうになった言葉に顔を真っ赤にしながら向こうを向いて屈み込んでしまった。
『た、た……君が、悪いんだよ! 変な名前だから!』
乙女の恥じらいを見せているが、その変な渾名を勝手に付けて今まで散々何の躊躇いもなく口にしていた事実はどう消化されているのか気になる所だ。
(び、びっくりした……。前置き無しにいきなりブラック化して勝手に元に戻るとか、さっぱり意味が分かんねえし本当にやりたい放題かよ……。そして俺の名前は変じゃねえ!)
一方危うくブラック化に反応して止めに入るところだった月照は、勝手に自爆して隅っこに移動した園香への無視継続を決め込んで大谷へと意識を戻した。気が付くと、間にいた双子は気を利かせたらしくいつの間にか大谷の後ろに移動して舞美と並んでこっちを見ていた。
「えっと……先生? 俺、今財布は――」
「あ、た、たまった!?」
大谷は月照に話しかけられると慌てた様子でそう被せて来た。視線はまだ月照のズボンの真ん中辺りだ。
本人的には、「あ、咜魔寺君、少し待ってて。今は秋口さんと大切な話があるから」と言いたかったのだが、妄想でトリップしていたので慌ててしまいそこしか声にならなかった。
一方、月照は。
(は? え? 『暖まった』? いやでも……財布の事、だよな? 『あ、貯まった』とか? ――って、それはどっちでも同じ意味か)
懐が暖まったか聞きたかったのかも知れないと判断した。
なぜ大谷が財布を話題にしているのか疑問に思いながらも、彼女なりに怖い男子生徒と会話する努力をしているのだと自分を納得させた。
(――つってもなあ……)
先日の遊園地での出費で大袈裟ではなく素寒貧と言って良い危機的状況なので、懐の痛みは甚大だ。ここまで金欠だと下手に見栄を張っても却って恥ずかしい気がする。
だから堂々と本当の事を伝えた。
「いえ、貯まってません。むしろ出し過ぎて痛い位です……」
「あ、ちが……え?」
大谷は何か言いかけたが、少し驚いた様に一度月照の顔を見た。
それからゆっくりと視線を下に降ろし、園香が「はしたない」と口籠もった部分で再び停止させた。
今も意味深に突き出されているそこを見詰めながら、大谷は赤かった頬を更に真っ赤にした。
「そ、そう……? そんなに出したんだ……。あ、相手は? 一人で?」
相手と言われて一瞬何の事か分からなくなった月照だったが、もしかしたら先日の加美華とのデートをどこかで目撃されていたのかも知れないと思い至った。なるほど、それなら財布の話をチョイスしてもおかしくはない。
「えと……いや、俺一人です」
デートで金を出したのは自分だけで相手は一円も出してない。
「そ、そうなんだ。へ、へえぇ……」
どこか嬉しそうに呟いた後、大谷はにやけた顔を月照の耳元まで寄せて双子や舞美に聞こえない様に小声で囁いた。
「(一人でしないで、今度貯まったら私に相談してね。内緒で沢山出してあげるから)」
「……へ?」
金が貯まったら自分で支払えるのに、どうしてその時になってから奢ると言い出したのだろう。月照は話の流れが理解できなくなった。
いや、そもそも大谷に払って貰う理由が無い。
「うふ、ふへへへ――……はっ!? そ、それよりも、どうしてこの顔ぶれで!?」
大谷は赤かった顔を突然青く切り替えて、後ろから不思議そうに見詰めている双子達にも視線を送った。
(なんか、さっきから話の脈絡が無さ過ぎて無理矢理話題作ってるっつうよりも何にも考えて無い気がしてきたな……)
さすがに月照もちょっと心配になってきた。
そもそも舞美に用事があったのだから、無理に月照に話しかけるよりも彼女一人を連れ出して用件を伝えた方が余程話が早い。冷静な判断ができなくなる位月照を恐れているのだろうか。
(そ、それは不味い……――って、いや待て、もしかして!?)
もしかしたら、ここにいる女子全員との不純異性交遊を疑われたのだろうか。
(げ……。じゃあ、秋口の聞き取りを遣り直すのって、もしかして俺が各務先輩とデートしてんのを見られたのが原因か?)
加美華とデートしていて今も女子に囲まれいたら、女性関係が乱れていると勘違いされてもおかしくはない。
という事はさっきの「自分が支払う」と言うのも、「監視するから女子と二人きりになるな」という意味だろうか。
「ぐ、偶然会っただけです!」
月照は慌てて無罪を主張しようとした。
――その時。
「へえ……偶然、ねえ……。なら仕方ないわね」
背後から別の女性の声が聞こえた。
月照はギクリ、と身体を強張らせた。
いや、そんな生易しいものではない。これは正真正銘本物の金縛りだ。
(ば、馬鹿な……なぜ気付かなかった……!?)
さっきまでの、ただ驚いて固まっただけの金縛りとはまるで違う。
文字通り全く身動きができない。指一本どころか汗腺さえも働きを止めて呼吸が乱れ、身体が芯まで凍えていく感覚に包まれる。
「でも、こんな女の子だらけで……」
カラララと自転車後輪のラチェット機構を動作させながら片足で地面を蹴って、その女性は月照の横に進み出てきた。
(こ……殺される……!)
顔どころか眼球すらも動かせず姿を確認できなかったが、月照にはその女性が誰なのか分かっていた。
いや、最初に声を聞いた瞬間に本能が教えてくれた。
「何か揉め事?」
月照に優しげな微笑みを向けそう問い掛けてきたのは、食堂のお姉さんだった。
一度は「まさか本当に殺したりはしないだろう」とも考えたが、この殺気を再び受けてみてそんな甘い考えは吹き飛んだ。この人ならやりかねない。
(やべえやべえやべえ!)
どうやって切り抜けようか、逃げるべきか戦うべきか、等々必死に思考を巡らせようと努力したが、全て「やべえ」に押し退けられて何も考えられない。
「(本当にもう……。気を付けないと刺されるって言っといたでしょ?)」
お姉さんは自転車から降りて月照に優しく耳打ちした。
(さ、刺されっ!? え、もしかして俺もう刺されてんのか!? どこだ? 脇腹!? 背中!? まさか首かっ!?)
死の恐怖が全身を駆け巡るが、しかし身体からは何の返事もない。痛みも痒みも暑さも寒さも。
(ま、まさか……俺、もう死んでるんじゃ……)
月照は命を諦めた。
「あら。貴方こそ、うちの生徒に何か御用ですか?」
大谷がスッと眼を細め、値踏みする様にお姉さんを見詰めて言った。
「ああ、いいえ~。たまたま通りかかっただけですけど、この子の知り合いなもので~」
お姉さんが今まで聞いた事のない高めの猫撫で声で答えて優しげに微笑んだ。但し目は除く。
園香が何故か「たまたま」の部分に反応してビクリと肩を振るわせたが、そんな事を気にする余裕が今の月照にあるはずもない。
「あらまあ、男子高校生と? 一体どういったご関係で?」
大谷も負けじと口の端だけで笑みを浮かべた。
「あら、ここの先生みたいな事を仰ってましたけど、私の事をご存じないんですか? 今度是非、食堂をご利用してみて下さいね~」
「あらまあ。もしかして食堂の『おばさん』でしたか~?」
バサバサバサッ! パリンッ!
周辺にいた鳥が一斉に飛び立ち、どこからかガラスの割れる音が聞こえて来た。
(ひぃぃぃ!? 誰か、誰か助けてくれ!!)
月照は自分が死んだかどうか悩んでいた事さえも忘れ、ただ救いを求めた。
しかし誰も手を差し伸べてくれない。
というか、当事者二名を除いた三人――いや、園香も入れて四人全員、いつの間にかガタガタ震えながらもじりじりと後退りしている。完全に月照を見捨てたムーブだった。
(いや先輩は逃げる必要ねえだろうが!)
執念で視線を向けて目で訴えかけると、園香は青い顔をこっちに向けて「無理無理無理!」と言わんばかりに首をぎこちなく横に振りながら校門をすり抜けて行った。
(畜生、便利な体質(?)しやがって! てかそもそもなんでいきなり殺気立ってんだよこの二人! マジでどうしてこうなったぁぁぁっ!?)
月照の魂の絶叫は、しかし誰にも届く事はなかった。




