8セーブ目(18)
吹奏楽部の練習は午後一時までだったらしい。月照達が旧校舎の見える西門に到着した時には、さすがにもう演奏は聞こえなかった。
月照達も予定と違って午後一時より随分早く出発し、いつもよりかなり速いペースで歩いたのだが、突然意気消沈した双子を宥めるなど途中でタイムロスもそれなりにあった。だから到着までに掛かった時間は結局普段と大差なかった。
「そろそろブラバンの連中が出てくるんじゃないか?」
月照がそれに気付いたのは、校内に入る入らないと双子相手に言い合いを始めてから数分後の事だった。
「「あ、そうだね――って、話を逸らすな~!」」
双子はそれでも噛みついてきた。
だが月照の「校則違反を大勢に目撃されたいのか?」という一言で、不満そうな顔はしていたが一応黙った。制服じゃないと違反だという事はちゃんと認識している様で何よりだ。
月照だってそこまで校則を厳格に守るつもりはないが、しかし事旧校舎においては前科者だ。校則違反を犯した上で迂闊に近付いたら、学校から何を言われるか分かったものではない。
「まあ、ここから見た限りは何もいないし今日は諦めろ」
更にありがたい事に、園香の姿も見えなかった。
「「む~……」」
双子はまだまだ不満丸出しで頬を膨らませているが……。
そうこうしている内に、楽器らしき大きな荷物を担いだ生徒達が数名歩いてくるのが見えた。
「「隠れよう!」」
その生徒達を見付けた双子が声を揃えて言い、なぜか近くの電柱へと駆けて行った。
「いや何でだよ? 敷地に入らなきゃ問題ねえよ……」
文句を言いつつも双子に付き合い、月照は二人の後を追って電柱に近付いた。双子は既にその裏側に回って身を潜めている。
ぶっちゃけそんな所に三人なんて隠れようがない。というか、仮に一人だったとしても相手が複数人なのだから完全に身を隠すなんて無理だ。
「「みっちゃんは別の所に隠れて! ここは定員一杯だから!」」
「………………」
力尽くで引き摺りだしてやろうかとも思ったが、それも馬鹿馬鹿しいので二人を放置し堂々と校門の方に戻る事にした。
「「(ああ~! みっちゃんのばほ~!!)」」
双子が小声で文句を言っているが、今は知り合いだと思われたくないので無視を決め込んだ。
しばらくして四人の生徒が校門から出てきた。全員女子だ。
左右に分かれて一旦立ち止まり、互いに名残惜しそうに雑談を交わしている。月照が棒立ちしている側には一人、残りは反対側に立っていて、それが各人の帰る方向だと分かった。
「さて、んじゃそろそろ帰ろっか」
「そだね。じゃあ、また明日!」
「ばいばーい」
「うん……明日」
誰かの一言を切っ掛けに向こう側の三人が元気良く、月照側の女子が控えめな声でお互いに別れの挨拶をし、しかしそれでもまだ未練があるのか全員手を振りながらも後ろ向きに歩き始めた。
仲が良さそうで何よりだが、こっち側の女子は月照の存在に全く気付いていないらしく、長い髪をゆったり揺らしながらどんどん衝突コースを進んでいる。残りの三人が何も忠告しようとしないのは、月照がそちらを見ているので避けてくれるものだと勝手に思っているのだろう。
とはいえ変に意固地になってここに居座り本当にぶつかったら、「故意に女子の身体に接触する変態」のレッテルを貼られかねない。面倒でも避けるしかない。
月照が道を空けようと数歩移動すると同時、その女子生徒がやっと進行方向に向き直――ろうとしたのだが、途中で電柱の方を見てびくっとなり、月照の手前一メートルで立ち止まって固まった。結局月照には背中を向けたままだ。
「……え? 夜野? 何してんの……?」
(知り合い? てかあいつらの方が先に見付かんのかよ……)
反応から察するに月照はまだ見付かっていないはずだ。どうやら隠れん坊は月照の勝ちの様だ。
いやまあ、そもそも双子がなんの目的で隠れたのかさっぱり分からないのでそんな勝敗はどうでもいいのだが……。
「「……よ、よく気が付いたね、秋口さん」」
諦めたのか、双子は電柱の陰から出てきた。
反対側に帰っていった女子達の方から笑い声が聞こえて来たので、きっと彼女達も双子に気付いていたのだろう。
「……あ、うん……」
秋口と呼ばれた女子生徒は一瞬そちらを見たが、彼女達が前を向いて歩き出したので双子に向き直った。
月照からは顔が全く見えなかったが、狼狽と羞恥は声から簡単に読み取れた。
(……ん? 秋口?)
双子の呼び方に、月照は少し違和感を感じた。
あの二人が同級生の名前を素直に名字で呼ぶのは珍しく、大抵は変な渾名を勝手に付けて呼んでいる。なんなら一部の上級生にまで堂々とそれを行う太々しさだ。
ほぼ初対面ならともかく、もう入学から一ヶ月ほど経過しているこの時期にそんな呼び方をするとなると、滅多に顔を合わさない相手か、或いは馬が合わず渾名を付けなかった相手かのどちらかだ。
(『先輩』じゃなくて『さん』付けで呼んでるって事は、多分同学年だよな?)
この人懐っこい双子がクラスメイトの人間と一ヶ月掛けても馴染めない可能性はかなり低い。となると、双子とは違うクラスの人間かもしれない。
(うち……じゃねえよな?)
月照は記憶を漁ってみたが、自分のクラスには該当する女子はいない……と、思う。
まあなんとなく中学の時の同じクラスにそんな名字の女子がいた気がするが、気のせいと言われればそれを信じてしまう程度には記憶に残っていない。
「ええと……。それで、そんな所で何してるの?」
動揺を隠しきれない様子の秋口が、双子に向かって至極当然な疑問を投げかけた。
(ん? この声……?)
月照はその、どこか少し冷たい空気を含んだ声に首を傾げた。最近どこかで聞いた声の気がする。
(――ってまあ、そりゃそうか)
月照の高校には一学年当たり三クラスしかない。双子と顔見知りなら、どこかで声を聞いていてもおかしくはないだろう。
(それとも本当に中学の時の奴とか? ――って、んな訳ねえか)
そんな前からの知り合いなら双子が渾名を付けない訳がない。三人共声に戸惑いはあるが、険がある様には思えないので、まさか馬が合わない相手だから渾名が無いパターンではあるまい。
「「え、ええと……潜入ミッション?」」
「どうして疑問形?」
首を傾げる双子に、同じく首を傾げながら聞き返す秋口。
どうやら彼女は双子の扱いにあまり慣れていないらしい。やはり互いに名前と顔は知っていても、それほど仲が良い訳では無さそうだ。
「「任務内容を知られる訳にはいかないから?」」
「そ、そう……」
会話が噛み合わないせいか、秋口はそのまま黙ってしまった。
しばらくお互いに黙ったまま時が流れたが、その空気に耐えられなくなったのか秋口が口を開いた。
「きょ、今日は……その、あいつは一緒じゃないんだ?」
「「あいつ?」」
「あ、いや……。えと……咜魔寺……」
(えっ!? 俺!?)
落ち着かない様子で髪を弄ったりもじもじし始めた秋口の背後で、月照は声を殺したまま驚いた。
全然知らない女子のつもりだったが、向こうはこっちの名前まで知っているらしい。
となると、どこかにもっと強い接点があるのかも知れない。
(いやいや待て待て。大体俺に、ブラバンやってる女子の知り合いなんて――……あ!)
一人だけ心当たりがあった。
月照の中で色々と繋がっていく。
「ほ、ほら! いつも一緒にいるのに、今日はほら、いないみたいだから……! 会いたいとか声を聞きたいとかそういうんじゃなくて!」
首を傾げて何も言わない双子に気不味くなったのか、秋口は少し早口になって「違う」と言いたげに両手をパタパタ振った。
対する双子は変わらずキョトンとしたままで、ゆっくりと月照を指差した。
「「…………後ろにいるよ?」」
「――……へ?」
間の抜けた声を出し、秋口は固まった。どうにも言葉の意味が理解できなかったらしい。
「「さっきからずっと、あなたの後ろにいるよ」」
「…………っ!?」
ようやく理解したのか、彼女は息を呑むとゆっくり後ろを振り返り――。
「いや、ホラーじゃねえんだから……」
月照はその長い「溜め」に我慢できずつい突っ込んでしまった。
秋口は突然至近距離から掛けられた声に驚き、ビクリと肩を強張らせながら一気に残りを回転して月照を視界に捉え――。
「…………――っひやぁぁぁぁぁっ!?」
ワンテンポ遅れてから、手に持っていた鞄を空へと放り投げ悲鳴を上げた。
「うおぅっ!?」
「「ひゃわっ!?」」
その様子に月照も双子もカウンターでびっくりさせられた。
「――って、鞄!」
一番早く我に返った月照は、降ってきた鞄の落下点にスライディング気味に飛び込みナイスキャッチした。その拍子にザリッという嫌な感触が左足の膝辺りから伝わってきた。
冷静さを失っていたので慌てて受け止めたが、楽器ケースではなく学校指定の学生鞄だった。まあよくよく考えれば当たり前だ。楽器ケースは肩に掛けているのだから、わざわざ持ち替えてまで投げるはずもない。
手に持っていたが故に投げ捨てられた鞄も、中身は殆ど入っておらずかなり軽い。これなら落下しても問題無かったかも知れない。
一方、アスファルトに擦りつけられた月照の膝は、怪我こそしなかったがズボンには穴が開いていた。
(あ~あ……。まあ安物だし古いのだから別に良いか……それより――)
それほど目立つ大きさではなかったので、月照は直ぐに気持ちを切り替え、手にした鞄を秋口に差し出して彼女の顔を確認した。
(……やっぱこいつか)
やはり、秋口とは先日音楽室で霊障に巻き込まれたあの女子生徒だった。今日はいつもの様に髪を纏めていなかったので、顔を見るまで確信できなかった。
彼女はしばらく月照の顔と膝と差し出された自分の鞄を忙しくローテーションで見てから。
「え? 何で!? てか何っ!?」
まだまだ一人マイペースに驚き続けた。鞄も受け取ろうとしない。
(……まあいいか。それより偶然とはいえ良くやった、あほ姉妹!)
狼狽える秋口に手を伸ばしたままチラリと双子の方を見た。おかげで彼女の名前が分かったので、心の中でだけ素直に感謝しておく。
(最悪本人に聞くしかなかったからなぁ……)
ボッチが長かったせいか、月照は「友達に聞く」という発想が出てこなかった様だ。
ちなみに、名字を聞いても顔と一致せず、クラスメイトなのに別のクラスの人間だと決め付け、中学からの知り合いではないと断定していた事は、月照の中ではもう無かった事になっている。
(てか、なんでこいつら渾名付けてねえんだ?)
少し疑問が残るが、このままずっと鞄を差し出した姿勢では手がだるくなる。
「いや鞄……。てかお前、こっちだっけ?」
「あ、うん。ありがとう……。あ、知らなかった? 私の家も山側だから……。小学校は別だったけど、咜魔寺の家からそんなに遠くない」
ようやく鞄を受け取ってくれた秋口の頬は妙に赤くなっていた。
(奇声を上げながら放り投げたら、そりゃ恥ずかしいか)
それにしてもモジモジし過ぎな気もしたが、月照なりに納得できそうな答えはそれ位しか浮かばなかった。
「ああ、そっか。そういや、この前俺の家に寄り道してたもんな」
「う、うん……凄い歓迎されてびっくりした」
「……いや、あれは忘れろ」
今度は月照の頬が赤くなる番だった。
あの時手を振っていた相手は別にいたのだが、わざわざ説明するのもどうかと思う。そもそも下手に説明すると、秋口まで親しい女友達判定されてこんがりウェルダンにされてしまうかも知れない。
「「むうぅぅ~……」」
二人で向き合い赤くなっていると、双子が唸り声を上げながら割り込んできた。
「行くよみっちゃん!」
「今日は私達と『デート!』なんだから!」
「「『無関係な人!』にいつまでも構ってないで、ほらっ!」」
所々強調して言いながら、月照の左右の手にそれぞれの手を伸ばしてきた。
「いや、ここが目的地って話だったのにどこに行くんだよ?」
油断していたので反応が遅れたが、それでも月照は何とか咄嗟に両手を挙げてそれを躱した。
「「むぅぅ~……」」
「む~……」
いつもの様にふてくされて双子が唸りだしたのだが、なにやらいつもと異なる唸り声が混ざっていた。
「ええと……秋口?」
「えぁっ!?」
月照に怪訝な表情で声を掛けられ、秋口は変な声を漏らした。
「どうした?」
「あ、ううん、なんでもない……」
秋口は俯きながら、明らかに何かありそうに呟いた。
「いや、なんか言いたい事あったら――」
遠慮せずに言え、と伝える前に、秋口が月照を上目遣いで見て小さく口を開いた。
「――事も無い……かも?」
「……ああ、うん」
なら言え、と言いそうになったが、名前も覚えていなかったただの顔見知り程度の相手にそれはちょっと高圧的過ぎるので言葉を飲み込んだ。
それでも何を躊躇しているのか、秋口はしばらくの間何かを考える様な素振りをしていた。
しびれを切らした双子が、月照の手を引こうと今度はゆっくり手を伸ばしてきた。
それに気付いた月照がまた避けようとタイミングを計っていると、秋口は急に慌てた様な大声を出した。
「マイミ!」
「はあっ!? え?」
意味が分からず月照は固まった。双子もびっくりしたらしく動きを止めている。
(マイミ……って言ったよな? え? 何だ? なんかの魔法か?)
相手の行動を一ターン停止させる効果なら確かにあった。
いやまあ、本当にそれが目的だったらびっくりだが……。
ただ、言葉の響きはどこかの回復系魔法と一文字違いだ。
だが碌に会話した事もない相手にいきなり設定不明な魔法をぶちかます奴は中二病患者にもなかなかいない。ましてやこんな真面目そうな女子がそんな事をしたのなら、しばらくはクラスの話題を独占してしまうだろう。
(違うよな……? いや、この反応はマジなのか!?)
秋口は肩を竦めて顔を伏せてしまった。おかげで表情は見えなくなったが、耳まで紅潮しているのはよく分かった。ぷしゅ~、という音が聞こえてきそうだ。
「お、おい……?」
「ま、舞美……。秋口じゃなくて……」
しばらく経って月照が声を掛けると、ようやく耳だけは肌色に戻ってきた秋口がもう一度その言葉を口にした。
どうやらそれが人名――彼女の名前なのだと、月照もようやく気付いた。
(――って、いやこいつ秋口じゃなかったのかよっ!?)
目茶苦茶ナチュラルに秋口呼びしてしまった。
(くそ、このあほ姉妹ぃぃ~っ!)
名字っぽかったが渾名だったのだろうか。夏が終わった頃に何かやらかしたとか、そんな理由で付けられたのだろうか。
月照は気不味さと逆恨みで双子を睨んだ。
しばらく二人を睨んでいると、双子はその視線の意味に気付いたのか、少し慌てた様子になった。
「「違うよ!? 違わないから!」」
支離滅裂な日本語だったが、月照にはちゃんとその意味が通じた。
「……いやお前、秋口だよな……?」
だから舞美と自称した女子に念を押す様に確認した。双子を信じるのも怖いが、もう引くに引けないと覚悟を決めた。もし間違えていたらこんな高圧的な聞き方は失礼極まりないのだが、双子もうんうんと頷いているので大丈夫なはずだ。大丈夫という事にしよう。
(……もし間違えてたら、後で一人三チョップだ)
それでもちょっと心配が残った……。
「あ、うん。それは勿論秋口だけど、そうじゃなくて!」
良かった、秋口だった。
いや良くもない。彼女と意思疎通が困難になっている。
「いや、そうじゃなかったらお前は一体何口なんだよ?」
「だからそう言うのじゃないってば!」
もう少し頭が良さそうな印象だったのだが、どうにも今の彼女は要領を得ない。
「「みっちゃん、もういいから行こ!」」
さっきからずっと落ち着きのない双子が口を開いた。
月照も正直面倒臭くなってきたのでそろそろ解放されたい。
(あ、そうか。このままこの流れでここを立ち去れば、旧校舎に行く事もなくなって花押先輩に会わなくて済むな)
名案だった。
だから言った。
「ここには何もいなかったし、もういいか」
それっぽい説得力を持たせる為に、旧校舎に視線を向けながら。
だが――。
『……――いるよ』
月照は確かにその声を聞いた。
『さっきから、ずっと――……』
背筋が凍り付き、表情が強張ったのが自分でも分かる。
『君の後ろに、いるよ――……』
声が出ない。振り返る事もできない。
石になった様に身体が固まり、指一本動かない。
旧校舎に顔を向けたまま、じっとりと嫌な汗が噴き出して頬を伝うのを感じ、こんな時でも正常に働く汗腺を疎ましく思った。
(……――ホ)
紛れもない悪霊の存在を肌で感じながら、月照は心の中で強く叫ぶ。
(ホラーかよ!)
『こんにちは、たまたま君。今日も会えるなんてちょっと嬉しいかな』
言わずと知れた悪霊――園香は、屈託のない笑みを浮かべながら月照の正面へと回り込んだのだった。




