8セーブ目(14)
「いつもの公園」では、移動中の雰囲気を引き摺って三人共口数が減っていた。デートと言うよりも罰ゲームの様な空気で、そんな中で数十分も同じ所にいるのは最早苦行だった。
だから結局正午よりもかなり早い時間に限界が来て、午後一時にまた玄関前に集合する約束をして一旦別れ、それぞれの家で昼食を摂る事になった。
昼から何をして遊ぶかなんて全く思い浮かばなかった月照は、もう午後は集まらなくてもいいんじゃないかと思ってそう伝えたが、それは双子が許してくれなかった。
仕方がないので、自宅で母親の用意してくれた昼食を電子レンジで温めながら、午後の予定をどうすべきか色々と考えを巡らしてみた。
しかし皿を並べ終わっても何も思い浮かばなかった。
当たり前だ。
金も無い、目的地も無い、家で遊びたくない月照と、落ち着きが無い、運動したくない、家で遊びたい双子とが、お互いになんの下準備も計画も用意していないのだ。これで楽しいデートの予定を即興で立てるなんて、余程遊び慣れた人間でもない限りは不可能だろう。
「はあ……」
無意識に溜息が出た。人生の直近約二十パーセントという長きに渡るボッチ生活をしていた月照には、こんな状況難易度が高過ぎる。
とはいえあの午前の空気がこの後も待っているのかと思うと……。
これでは折角母親が作り置いてくれたご飯も不味くなるというものだ。
ぱくぱくもぐもぐぱくぱくもぐもぐ、ごくん。ぱくもぐぱくもぐごくん。
……いやまあ、実際にはいつも通り箸が止まらない程美味しいが。
でも気分は余り良くない。
双子の気持ちを全く考えずに上の広場の下見に無理矢理付き合わせて、しかも結局何も得られなかったのだ。
これには然しもの月照でも、罪悪感で食欲が無くなって当然だろう。
ぱくぱくもぐもぐぱくぱくもぐもぐ、ごくん。ぱくもぐぱくもぐごくん。
……ま、まあ、腹が減って目の前に美味い飯があれば、食欲が無くても食べたくなるのは生き物の必然だ。月照だって結構歩き回ったのだから、心と違って身体は栄養を欲していても不自然ではない。
だがそれでも心の重さが箸の重さとなって伸し掛かり、その進みをどんどん遅くしていく。
ぱくぱくもぐもぐぱくぱくもぐもぐ、ごくん。ぱくもぐぱくもぐごくん。
…………まあいいか。
結局いつもよりも早いペースで完食してしまった月照は、あれこれ考えるのが面倒になって皿洗いに集中したのだった。
思考放棄しても問題解決するはずもなく……。
かなり早い時間に皿洗いさえも終わって、する事が何も無くなった月照は、待ち合わせまでの空き時間を午後の散歩コース検討に費やしていた。
とは言えどうせ無理だろうと諦め気味だが……。
それでも午前の二の舞は避けたいのも本心だ。もうこれ以上嫌な空気の中、父親の秘密をちらつかされてストレスで髪の毛を責められるのは勘弁だった。
しかし心はそう願っていても、頭は集中してくれない。
集中できない状態で良いアイデアなんて浮かぶはずもなく、結果として消化吸収に全てを捧げる時間になっていた。
(そろそろか? ――って、まだこれでも早いな)
本来なら無策なままの現状に焦りを覚えるべきなのだろうが、今は早く待ち合わせ時間になって欲しいとまで思う始末だ。
そんな風に三十秒毎に掛け時計を確認する作業に没頭していると、突然玄関の方から暢気な電子音が聞こえて来た。電話だ。
余程思考が鈍っていたのか、月照は最初の数コールを「ああ、なんか電話掛かってきてんな……」と聞き流していた。
「――って、やべえ!」
我に返って、ドダダダ! とけたたましい足音をさせながら電話まで全力ダッシュし、受話器に飛び付いた。
「は、はいもしもしっ!」
帰宅した時に留守番電話の設定を解除していて良かった。もしそのままだったら、我に返る前に相手の録音が終わってしまうくらいには呆けていた。
『ああ? なんだいるじゃねえか』
電話の相手はゴロツキの様な声でゴロツキの様な喋り方をし、名乗る事も無くこちらの名を確認する事も無かった。
これは間違い無く、かなり質の悪いゴロツキだろう。
「……いたら悪いか、クソ親父」
だから月照は迷わず悪態をついた。
『お前……久しぶりにパパからの電話なのに、なにをそ――』
「なにが『パパ』だ! 気持ちわりい!」
色々言われる前に遮ると、父親は嬉しそうに笑った。
『はっはっは。照れるな照れるな』
「『照れる』って単語の意味を今すぐそのスマホで調べろ!」
『自然な流れで電話を切らせようとするな! だが残念だったな。今旅館の電話使ってるからスマホは空いてるんだよ』
「ちっ……」
『いやお前、番号見てないのかよ? 俺の番号じゃなかっただろ』
「……ああ、そういやそうだった。だから出たんだった」
慌てて出たのでナンバーディスプレイなんて見てなかっただけだが、なんか悔しいのでそう言っておく。
『お前……父さんだって泣きたくなる事あるんだぞ……』
「うるせえ、じゃあ今泣け」
『メェェェェェ~』
「山羊か!」
『羊だ!』
「分かるか!」
『はっはっは。まあそんな事より、母さんは今いないみたいだな。二人で元気にやってるか?』
「気になるなら偶には帰ってこい」
『ああ、それなんだが今月は一回帰れそうだ』
「なんで本当に帰ってくるんだよ!」
『タクシーで、かな』
「そういう意味じゃ――って金持ちか!」
『はっはっは。そうそう、父さんは優秀だからな。かなり金持ちになったぞ。昨日も山で山菜、川で魚取って、その川の水使って自炊してた位だ』
「無一文の生活スタイルじゃねえか! 母さん泣かせる気か!」
『ちょっ、おま!? そこで母さん出すのは卑怯だろ!』
「まさかタクシー代も、家に着いてから母さんに出させる気だったのか!?」
『そんな訳あるか! ちゃんと夜に乗って、途中の墓地付近でシートを濡らしてこっそりバレない様に降りるつもりだ!』
「無賃乗車にしても悪質過ぎるだろ! ドライブレコーダーでモロバレして指名手配されちまえ!」
『馬鹿め、指名手配ってのは警察に身元がバレてるって事だ。つまり自宅もバレてるから、警察は一度絶対に家に来る。だが果たしてその時、警官はお前の悪人面を見て誤認逮捕せずにいられるかな?』
「ぶっ飛ばすぞ、このハ――……」
売り言葉に買い言葉の勢いだった月照だが、たった一文字、「ゲ」が出てこずに言葉を切った。
『あん? どうかしたか?』
父親は当然ながら、急に黙り込んだ息子を訝しんでいる。
「…………」
しかし月照は黙ったままだった。
脳裏に浮かぶ父の姿は、ごわごわと言っても過言ではない癖っ毛だ。だが思い起こせば、彼はいつも同じ髪型をしていなかっただろうか。散髪に行っているのを見た事はあっただろうか。
過去の記憶を漁っても答えは見付からなかった。
(あいつらぁ……)
完全に双子のせいだ。
あの二人の思わせぶりな言葉のせいで余計な疑念が脳裏を過ぎってしまう。もし本当だったなら……そう考えてしまい、その言葉を口にできなくなった。
本人相手なのだから、人としてそれが当たり前だろう。
まあよっぽどストレスが溜まっていたならそれくらい言ってのける者もいるかもしれないが……。
例えば政治家位にまでなれば、自動車運転中の秘書にこの言葉で怒鳴りつけた上、イカれているとしか思えない替え歌を歌いながら理不尽に暴力を振るったりする猛者も現れるかも知れない。
だが月照は政治家じゃない。言葉遣いや態度は悪くとも、性根は到って健全な高校生だ。
『お、おいおい、本当にどうした? 急にハゲしい動悸が起こって呼吸しヅラいとかじゃねえよな?』
(本人は躊躇無しかっ!)
気にしだしたらNGワードが耳に付いて仕方がない月照だった……。
『おい、何とか言え! それとも何か言いにくい事でもあるのか?』
(あるんだよ!)
そう心で叫ぶが、口に出して伝える訳にもいかない。
しかしこれ以上黙っていても無駄な心配を掛けるだけだし、埒も明かない。NGワードを聞く度にびくびくする生活もしたくない。。
(そうだな……折角本人がいるんだ、はっきりさせよう)
月照は決心した。
父親の秘密を暴くという、咜魔寺家最大のタブーを犯す決心を。
「……親父――……」
『お、おお、無事か。何だ? どうした?』
「…………親父のか――……会社! 昔働いてたっつう会社は、なんで潰れたんだ?」
――が、簡単に揺らいだ。
(い、いきなりそんな事を聞いたら、家族でも流石に失礼極まりないからな。順番ってもんがあるよな……)
そう自分に言い聞かせる。
『いきなり何言ってんだ、お前?』
「あ、ああ、いやっ、さっきあいつらとたまたまそんな話してて、それで昼からも会う予定だから、丁度良いし詳しく知りたいって思っただけだ」
『あいつらって、夜野さんとこの娘さんか?』
「ああ、そうだけど」
『なんだ、母さんも言ってたけど、最近なかなか良い感じなのか?』
「うるせえ! いいから親父のせいで会社潰れた話をしろ!」
なんだか良くない方向に脱線しそうなので、月照は慌てて話題を戻した。
……いやまあ、本題には戻っていないのだが。
『なんで俺のせいなんだよ! それとも父さんが倒産させたとか言って欲しいのか!?』
「どんな下らねえダジャレだ!」
『お前が誘導したんだろうが!』
「勝手に導かれるな! 蛍光灯見た蛾か!? パトリオットでも誘導性能もっと低いわ!」
『勝手に迎撃ミサイルと性能比較するな! せめて中学生の『前世がアトランティスの王女だった奴と聖騎士が現世で導かれて出会う』って話の、運命の誘導性能とで比較しろ!』
「ほぼ百パーじゃねえか! あれ因果逆転で、出会ってから運命が決定してんだぞ!」
『だからお前の誘導率がほぼ百パーって話だろうが!』
「どんな理屈だよ!? そもそもアトランティスって王族一体何万人いたんだよ!? 全国の中学校でその話聞くぞ!」
『知るか! それ言ったら大陸最強の聖騎士も、毎年何千何万って数がこの国だけでも転生してくるんだぞ! 一々把握できるか!』
「全米ナンバーワンヒットも真っ青だな……」
『何の最強でどうやって最強って分かったんだろうな?』
「そりゃ、毎年大陸を上げて最強決定戦やってたんだろ」
『でも最強名乗る奴の人数考えたら、剣とか槍とか魔法だけじゃ絶対足りねえだろ。早食い部門とか指相撲部門とかメンコ部門とかおはじき部門とか、その他色々最強決定戦やってた事にならねえか?』
「メンコ最強の聖騎士と、生まれ変わってまで結ばれたい王女っているか……?」
他にもきっと、ゴム跳びで伝説を残した聖騎士とか押し入れ収納無双の聖騎士とかいたりするのだろうか。
そう考えると、アトランティスの謎を解き明かしたい気分になってきた。
『そんなもん、本人の気持ち次第だ。それが真実の愛ってもんだ』
「愛社精神全く無くて会社潰した親父が愛を語るな!」
『だから俺のせいじゃねえっての! 愛社精神は無かったが』
「無いんじゃねえか!」
『無くて当たり前だ!』
「威張んな!」
『いや、威張るっていうか、今思い出してもあの会社が酷くて、ブチ切れてんだよ。事ある毎に宴会宴会騒ぎやがって……。お前だって俺が下戸って知ってんだろ?』
「げこ? 親父って蛙の妖怪だったのか……?」
『自分の語彙不足で実の父親を妖怪両生類に仕立て上げんな! ……ったく、下戸も知らねえのかよ。じゃあ上戸は知ってっか?』
「じょうご……? あの、液体を瓶とか口の狭い入れ物に移す時に――」
『その漏斗じゃねえ! 酒飲みの話で、笑い上戸とか泣き上戸とか言うだろ! あれの逆で、下戸ってのは酒飲めねえ奴の事だ』
「ああ、なるほど。外道とか下郎が訛った言葉じゃないんだな」
『そうそう、俺は外道で下郎だからそれが訛って――ってお前、いい加減にしろよ!』
「結構ノリノリじゃねえか」
『あんま調子に乗ってっと、土産にハブ酒の酒抜きとか買って帰んぞ……』
「ただの瓶詰めのハブじゃねえか! 抜くならせめてハブの方を抜けよ!」
『お前、未成年の癖に酒飲む気か!?』
「飲むか! てか親父もいつの間に沖縄行ったんだよ!? 聞いてねえぞ!」
『行ってねえけど、今の時代ネット通販でなんとでもなるだろ。てかお前、自分から聞きたがった癖になんで会社の話聞こうとしねえんだよ!』
「……そりゃ、親父の話の吸引力がドライヤー並みだからだろ」
吸うどころか吐き出すイメージらしい。確かに直ぐに脱線するので、本題が「ドライヤーの前の塵の如し」状態だ。
……じゃなかった、月照の本題は会社の倒産理由ではなく父親の癖っ毛に隠された秘密だった。このままではいつまで経っても本題に近付く事もできない。
『おう、じゃあ勝手に熱く吐き出してやる!』
父親は変なスイッチでも入ったのか、本題に切り替える隙を与えてくれなかった。そのまま強い口調で勝手に喋り始める。
『あの会社は春先の宴会を、新入社員歓迎会と昇進祝いと転属祝いの三回にわざわざ分けてやる様な会社でな。社員は全員強制参加、なんなら親の葬式より優先しろって言われる程だった』
「いや、長くなるなら聞きたくねえよ!」
本題に入る為に無理矢理この話題を終わらせようとしたが、終わってくれそうにない。
『だが俺ははっきり物を言う男だ。下戸だから飲めねえって先輩共に言ってやった!』
「いや、あのな……」
『それでもビールは酒に入らないとか、とんでも理論で何度も何度も無理に飲まされた。俺はブチ切れそうになりながらも何とかギリギリの所で我慢していた。しかしある年の忘年会の日、奴等は遂に俺に焼酎を飲ませやがった!』
「いやだからもう良いって!」
『そしたら会社が潰れた』
「なんでやねん!」
あまりに予想に反した唐突な終わり方に、つい関西弁で突っ込みを入れてしまった。
あれほど終わらせたかった話なのに、これでは何があったのか気になって仕方がない。
『こんな遠距離通話で長話できるか!』
もっともな意見だった。もうかなり手遅れな気もするが……。
『まあいい、暇だからスマホの充電終わったらメールで詳細を送ってやる。もう切るから、後でちゃんと俺への冤罪を詫びろよ』
「えっ!? いや、ちょっ――」
月照は慌てて制止の声を掛けた。そのおかげか、通話はまだ繋がっている様だ。
本題に入る為の足がかりみたいな話題に過ぎないのに、このまま電話を切られたら午後もずっともやもやしっぱなしだし、ついでに今使った時間全てが人生の無駄遣いになってしまいそうな気がする。なんならその上無意味な謝罪要求までされてしまった。
もやもや気分だけでもかなりのストレスなのに……。
モウコンな状況、いっそ現実トウヒして何も聞かなかった事にすべきか……。
いや無理だ。今もNGワードがカタカナになって脳内に浮かんできて鬱陶しい。このままではノイローゼになりそうだ。
追い込まれた月照は、形振り構っていられないと、慌てて本題を切り出した。
「お、親父! それよりもその癖っ毛の事なんだが――」
『――ガチャ、プツ。ツーツーツー……』
「………………」
――切られた。まるでこちらの質問を遮る様に……。
受話器を耳に当てたまま、月照はしばし呆然とし――。
「お、親父ぃぃぃぃぃっ!!」
数分後、我に返って膝から崩れ落ち、慟哭したのだった。




