8セーブ目(9)
それから幾つもソフトを変えながら、三人で夕方までテレビゲームを楽しんだ。
双六を楽しんだ時には時間を長く感じたが、今度は逆に時間を妙に短く感じてしまった。
どちらも三人共同じ様にはしゃいで楽しんでいたはずなのだが、人の感覚とは当てにならないものだ。
「さて、そろそろ母さん帰ってくるし、今日はもう終わりだな」
テレビゲームのキリが良いところでそう切り出し、月照は電源を切って立ち上がった。
このタイミングを逃してしまうと、母親が帰ってきて「晩ご飯を食べてから帰ったら?」と言う流れになりかねない。
更に「ついでに風呂に入って行く?」とか「いっそもう着替えとってきて泊まっていきなさい」みたいな流れに繋がる可能性まである。
まあ今まで実際にそんな濁流みたいな混沌とした事態になった事は一度もないのだが、夜野家大好きなあの母親ならそんな流れになっても不思議ではないのだ。
「「ええ~……もうちょっと位はいいと思うよ」」
そんな月照の心配なんて知ったこっちゃ無いと言わんばかりに、双子は唇を尖らせて不満を露わにした。
「お前等がどう思っても、母さんが帰ってくるという事実は変わらない」
「「うう~……」」
二人で項垂れて小さく唸っているが、騙されてはいけない。これは元気を無くしたのではなく、きっと言い訳を探そうと頭の中で屁理屈をこねているだけだ。
「「みっちゃんのばほ~!」」
しかし何も思い浮かばなかったらしい。
「『ばほ』はやめろ。なんかムカつく」
月照が腕組みをして威圧しながらクレームを入れたが、双子はそれには何も返さずキョロキョロと部屋の中を見回し始めた。
「なんだ? ここなら毎日見てるだろ」
毎朝呼びに来た時に、隣の部屋で月照が食事を終えるのを待っている。一緒にテーブルに着いている事の方が多いが、こっちでテレビを見ている事も偶にある。どっちにしろ丸見えだ。
「ううん、そうじゃなくて――」
「何かこう、丁度良い物を探してるだけだから」
「丁度良い物?」
月照が首を傾げると、灯がニヤリと不敵に笑った。
「うん、何か時間を稼げないかって」
「お前、今から散らかす気か!?」
ひっくり返しても問題無い物を床に撒き散らし、それを自分達でのんびり片付けて時間を稼ぐつもりなのだろう。いわゆるマッチポンプだ。
「或いは手頃なペンを探してるんだよ」
蛍は壁の白い部分を眺めながら言った。
「やって良い事と悪い事があるだろうが!」
「油性なら『消す』って理由で毎日通えるね」
灯が蛍に親指を立てた。
「いや、『いいね』じゃなくて『アウト』の方だからな!? てかお前等だって、そこまでしたら俺の母さんでも怒るって分かるだろ」
余所の家の子ではあっても、親同士の信頼が厚いので両家共相手の子供を自分の子供同然に叱って躾けてきた。流石に壁への落書きは一発出入り禁止になりかねない暴挙だ。
「そんな事言うなら」
「どうすればもっと一緒に遊べるか」
「「みっちゃんが考えろ!」」
「いや帰れって意見を述べた本人がそれ考えたら頭おかしいだろ!」
「「いつから自分の頭がまともだと思っていた?」」
「お前等、こっちじゃなくてお互いの顔を見ながら今の台詞もう一回言え!」
「「いつから自分の頭がまともだと思っていた?」」
「言うんかい!」
迷わず言い合った双子はしばらく首を傾げていたが、直ぐに月照に向かって頬を膨らませた。
「むう……これだと私達がまともじゃないみたいじゃないか!」
「みっちゃんは人でなしだね!」
「「やっぱり頭がまともじゃない!」」
「それもお互いの顔を見ながら言え!」
「「やっぱり頭がまともじゃない!」」
「だから言うんかい!」
双子は「あはは」と声を揃えて笑い出した。
月照も一緒に声を出して笑いそうになったが、しかし双子の無邪気な笑顔を見た瞬間、なぜか声が上手く出せずに口を開けたまま止まってしまった。
(な、なんか……)
眩しいというか、光っている様に錯覚してしまった。
だから驚いて笑いが止まってしまったのだ。
不自然に止まった月照に気付いた双子が、不思議そうな顔で見詰めてきた。
その視線を受け止めきれず、月照は背中を向けて歩き出した。
「「えっ!?」」
すると双子は声を上げならが慌てて立ち上がった。
「みっちゃん、怒ったの!?」
「ごめん、悪ふざけが過ぎたね!」
そして前に回り込み、慌てて謝罪をした。
「いや、別に怒っては……」
ただ困惑しただけだ。
だから少しだけ二人を視界から外し、冷静になろうとしたのだが――。
「「頭がまともじゃないのはみっちゃんだけだもんね!」」
ごずっ!
一瞬で沸点を超えられて、殆ど本能的にチョップが出た。
そして、居間でも三人揃って床を転げ回ったのだった。
それからもなんだかんだと無意味な会話で無為に時間を無駄にし続ける事数十分。
流石に月照も、この遣り取りそのものが時間稼ぎだと気付いた。
とはいえひたすら話しかけてくる人間を黙らせて帰宅させるのは難しい。
黙らせるだけならチョップでも可能だが、怒らないと決めていた今日のデートで既に数発のチョップをぶちかましている。これ以上はもう、暴力ではなく双子の自主性に任せたい。
「おい、本当にもうそろそろ――」
月照は既に何度目かも分からなくなった帰宅勧告を行おうとしたが、灯が途中で割り込んできた。
「そうだ、いっそみっちゃんがウチに晩も食べにくれば良いんだよ!」
すると蛍も、名案だとばかりにポンと手を打った。
「それならおばさんにも迷惑掛けないし、良いアイデアだと思うよ!」
そしてその手を、今から引っ張って行くぞと言わんばかりに月照に突き出した。
「……それはお前等のおばさんに迷惑掛かるだろうが」
確かに自主的に帰ろうとしているけれども……。
思っていたのと違う。
「おい、本当に今日はもう終わりだから帰れ」
我慢の限界とばかりに強く言い放ったが、双子は口を揃えて「え~……けちぃっ!」と一歩も退かなかった。
どこら辺がケチなのか分からないが、とにかくこれ以上我が儘に付き合えない。駄目だという意思表示を込めて手で「しっしっ!」と追い払った。
「あっ!」
すると、蛍が少し大きな声を出した。
何か不味い事をしたのかと、強気だった月照が動きを止めて蛍の次の言葉を待つと。
「私、お手洗い寄ってく!」
「いや、自分の家に帰ってからにしろよ……二分も掛からんだろ」
明かな時間稼ぎなのだが、止める前に蛍はトイレへと駆け込んでいった。
「あ、じゃあ次私ね!」
当然、灯も便乗してくる。
「だから家に帰ってからしろよ。なんなら蛍置いて帰れば、待たなくても直ぐできるだろ」
「そんな薄情な事ができるか~!」
正論を言ったところで、やはり灯に通じるはずもなかった。
蛍はトイレで五分以上粘っていた。
その態度にいい加減しびれを切らした月照は、ついに最後の切り札を切る事にした。
「お前等、これ以上居残ったら明日は中止だからな」
「「それだけは駄目!」」
トイレの中の蛍も灯と一緒に慌てた声を出した。
「うぅぅ……みっちゃんが冷たいよぉ……」
ようやく観念して蛍が出てきた。
「お前、まさか他人ん家で特大のしてたんじゃないだろうな?」
「し、してないよ!? なんて事言うの!」
月照が自分の時に言われた事をそのまま言い返すと、蛍は真っ赤になって否定した。
「そもそもお前等、俺がいくら言っても――」
月照が双子にちょっと小言を言って追い返そうとした、その時――。
「次、私の番!」
バタン!
本当に我慢していた様な勢いで、灯がトイレに駆け込んだ。
「「…………」」
月照と蛍、二人で絶句した。
説教から逃げるにしても、まさかそんな挑発的な場所を選ぶとは思いもしなかった。
蛍でさえも、今の灯の行動には驚いている。流石にここまで月照がブチギレる可能性が高い行動に出るとは予想できていなかったのだろう。
「あーちゃん、ずるい! 自分だけ籠城するなんて!」
……違った。蛍は単に姉に見捨てられた事にショックを受けただけだった。
本当に本気で怒るべきだと月照が決心したその時。
「ただいま~」
ちょっとのんびりした声と共に、玄関のドアが開いた。
母親の美月が帰ってきたのだ。
トイレに続く廊下は玄関から丸見えなので、入ってくるなり月照と蛍の姿を見付けた美月は一瞬驚いた顔をしたが、直ぐににっこりと笑顔になった。
「ただいま。それと、蛍ちゃんいらっしゃい」
「お帰り」
「はわ!? お、お帰りなさい! お邪魔してます!」
月照に「ほら間に合わなかった」とばかりに軽く睨まれた蛍は、少し吃りながら頭を下げて挨拶した。
その頭を上げながら、月照に助けを求める様な視線を送る。
本当に求めているのは助けではなく許しなのだが、月照は敢えてそれを無視して母親との会話を優先した。
「まあ、こいつらはこれから帰るとこだけどな。もう一人がトイレから出てきたら帰るから、持て成さなくていいよ」
「あら、そう、他にも誰か来てたのね? 良かったぁ、お母さんのいない間に蛍ちゃんと二人っきりになって何してたのか、ちょっと気になっちゃったから。二人っきりになるのはお母さんのいる時にしてね」
「母さんがいたら二人っきりじゃなくなるだろ!」
いつものノリの冗談だが、月照は頬が熱くなるのを感じていた。含みを持たせた言い方に、さっきの鷲掴みを想起してしまったのだ。
「あはは、それもそうね。お母さん晩ご飯の支度するから、あんたが見送ってあげなさい。蛍ちゃんもごめんね、お構いなしで」
「分かってるよ……」
月照がいつも通りのつっけんどんな返事で誤魔化す横で、蛍は誤魔化すどころか誤解されそうな位顔を真っ赤にしながら再び頭を下げた。
「ああ、いえ! 大丈夫です、ありがとうございます!」
美月はそれを見て少しにやつきながら月照を見たが、月照はそっぽを向いた。
「じゃあ、失礼するわね」
幸いな事にそれだけ言い残して美月は直ぐに台所へと去っていった。そっぽを向いたままの月照の頬の色は遅れて蛍と同じ位赤くなったが、間一髪で見咎められる事は無かった。
「…………」
「…………」
しかしそれでも美月の残した爪痕は深い。
どれだけ子供っぽくても、蛍ももう高校生だ。どうやら美月が言わんとした事の内容くらい、ちゃんと理解できていたらしい。
おかげで二人はそのまま互いに目を合わす事ができなくなり、背中を向けたままじっとしているしか無かった。
五分を超える気不味い時間を過ごし、頬の熱が下がっても振り向くきっかけが無い。
台所から美月のご機嫌そうな鼻歌が聞こえてきたが、その程度では話題にするには弱いだろう。
「お待たせ~……――ってあれ? 何かあったの?」
と、その時、きっちり蛍と同じ時間だけ中で粘っていた灯がトイレから出てきた。
どうやら美月の声が聞こえていなかったらしく、事情を全く察していないで脳天気に首を傾げている。
月照と蛍は同時に動き、灯の左右の手を二人でそれぞれ握り締めた。
「「ありがとう!」」
「はっ? えっ?」
二人の突然の礼に、灯は訳も分からぬまま立ち尽くすしかなかった。
双子との別れ際に、翌朝は九時に家の前で集合する事と、明日は町内を散歩する「お散歩デート」をメインにする事を約束した。
理由は、今日は月照の日課の走り込みが全然できなかったからだ。
しかしこれを言い出したのは、月照ではなく双子の方だった。
月照は夜に軽くでも走っておくつもりだったので、双子がこんな事を言い出すのは全くの予想外だった。まさかあの二人がそんな事に気を回すなんて、一体誰が想像できようか。
(……やっぱ、俺じゃなくてあいつらが変わったのか?)
晩ご飯の野菜炒めを咀嚼しながら、月照はその時の様子を反芻していた。
二人共、いつもの我を通す時のドヤ顔ではなく、ちょっと申し訳なさそうな表情をしていたのが印象的だった。
もしかしたらあの二人は、最後に帰宅を渋ったのが月照の時間を奪ったと思っているのかも知れない。
確かになんだかんだで一時間近くは居座っていた。その時間をランニングに回せば、今日のノルマは既に達成できていただろう。
(まああれが原因で、しなくてもいい気不味い思いしたんだ。ちょっとは反省して当然か……)
時間を潰された事よりも、変な空気になった事の方が月照にはダメージが大きかった。
あの双子相手に美月が言う様な関係になる訳がないのに、あれではまるで自分でも心のどこかでその可能性を考えていたみたいではないか。
(……やっぱ、俺も変わったのか?)
双子だけでも自分だけでもなく、どちらも少しずつ変化しているのかも知れない。
(分っかんねぇ……)
月照は面倒になって思考停止し、味噌汁を啜った。
美月がたった四十分で作ってくれた晩ご飯は、相変わらず月照の口にぴったりと合う味付けだ。
いやむしろ月照の口の方が母の味に合う様に調整済みなのか。
要するに。
(美味い)
向かいの家で食べた昼食も決して不味い訳ではなかったが、母の味というのはどこか心が落ち着く分美味しく感じるのだろう。
(……いや、あほ姉妹は弁当盗み食いした時、うちの母さんの方が美味いって言ってたな)
…………。
(おばさん、お昼は御馳走様でした。ちゃんと美味しかったです)
失礼な事を思い出してしまったので、心の中できちんとお礼を言い直しておく。
「そう言えば、お昼どうしたの?」
まるで月照の心の声が聞こえたかの様に美月が聞いてきた。
「え? あ、ああ。向かいで御馳走になった。揚げ物祭りだった」
ちょっと驚かされたが、月照は素直に答えた。
「あら、そうだったの……え? 祭り?」
「色んな具材入れた揚げ物を、中身が分からない様に出してくれた」
「ああ、そういうのね。面白いわね、うちでも今度してみる?」
「良いけど……カレールーとご飯は入れるなよ」
「はい? え? ルー?」
美月は頭上に「?」を浮かべて眉根を寄せている。
「……何でもない」
「ふーん? 今度お向かいさんに会ったらお礼しないとね」
「ん。俺はちゃんと言っといたから、後は任せた」
「もう。私からより、自分で何か持っていった方が喜んでくれるわよ」
「そんな訳無いだろ」
「大丈夫よ。『結納』って書いた袋とかなら、絶対に夜野さん大喜びしてくれるから」
「『ゆいのう』? なんだそれ?」
「あ、知らないのね。じゃあお母さんが熨斗とか全部用意してあげるから、明日持って行きなさい」
美月はにやにやとした表情になった。
「何か嫌な予感がするから絶対に嫌だ!」
「ええ~……? もう、勘の鋭い子ね」
「やっぱ変な事企んでたのかよ!」
「企むなんて酷いわね。息子の将来を考えていたのよ」
「将来よりも今んところ今の方が大切なんだよ!」
「はいはい、喋ってばかりじゃなくてちゃんと食べなさい。良く噛んでね」
「――ったく、誰のせいで……」
ブツブツと呟きながら残りをちゃんと完食した月照は、自室に戻ってなんとなく気になり「結納」の意味を調べた。
台所で片付け中の母親に怒鳴り込んだのは言うまでもない。




