1セーブ目(7)
帰り道では、やはり昨夜の事が話題になった。
月照は眠いので、はしゃぐ双子の相手を加美華に押しつけていた。
本当はオカルト研究部に押しつけて先に帰ろうと思っていたのだが、仮入部期間中は新入部員立ち入り禁止にしてイベントの準備をするらしい。部室に男子部員が一人もいなかったのも、それに必要な物の買い出しに出掛けていたからだそうだ。
だから仕方がないと諦めて、双子と加美華と一緒に帰る事にしたら、加美華が月照の疲れた様子に気付いて、校門辺りから双子の質問に代わりに答えてくれる様になったのだ。
加美華は昼休みに少し寝たらしいので、アパートに着くまでは遠慮無く厚意に甘える事にした。
「だから、今夜は私も姿を見る事ができるんですよ」
加美華はあれほど怖がっていた霊との遭遇を、今では待ち遠しく楽しみにしている。
「今日も来るんだよね」
「楽しみだね。どんな子かな?」
灯と蛍も楽しみにしていて、当たり前の様に今夜も加美華の部屋に泊まろうとしていた。
それを察して、月照と加美華は互いの顔を見た。
「あ~……。いや、ちょっと都合で、あいつの相手は俺達二人だけでないと駄目なんだ」
はしゃいでいる双子の期待を裏切るのは面倒――もといちょっと可哀相だったが、あの少女の霊との約束なので仕方がない。
月照は案の定うるさく抗議を始めた双子に、休み時間に足りていなかった詳細な事情を説明する事にした。
「「………………」」
聞き終わった双子はしばらく口を閉ざしていたが、その表情は残念と言うよりも驚きであり、徐々に怒りへと変わっていった。
「「みっちゃん!」」
「悪気はなかったんだって。てかお前等が寝てたのが悪いんだから怒んなよ」
昨夜は途中から双子の存在を完全に忘れていた。これについては謝るしかない。
「「そうじゃなくて!」」
「──え?」
だが双子の怒りはそこではないらしい。二人揃って首を振った。
「「今夜、みっちゃんは先輩の部屋に二人っきりで泊まるんだよ!?」」
「「──……あ」」
双子の指摘に、月照と加美華の目が点になった。
そしてお互いの顔を、ぎぎぎ、とぎこちなく首を動かして見つめ合う。
「──い、いや、すんません! マジで俺、気が回ってなくて!」
「──あ、あの! わ、わ私、ええと、あうぅ……」
数秒後、申し合わせていたかの様に二人同時に手をブンブン振りながら取り乱す。
だが後の祭りだ。
邪気を感じない少女とはいえ、正体が今ひとつ分からない霊が相手なのだ。約束を反故にすると、どんな祟りが起こるか分かったものではない。
例えば加美華があの少女に取り憑かれて、事故や病気などで命を落としたり、幻覚などで発狂したりする可能性だってあるのだ。
双子にどれだけ文句を言われようと、男女二人っきりで一夜を過ごす事に倫理的な問題があろうと、約束を破るのはあまりにも危険すぎる。
月照、加美華、少女の三人で会うと決めたのだから、双子を入れる訳にも加美華が抜ける訳にもいかない。約束を取り付けた張本人の月照が抜けるなんて以ての外だ。
だからといって一度意識してしまうと、そんな簡単に割り切れるものではない。
こんな風に、お互いに目が合うとあまりにも気まずい。
「「みっちゃん……実は昨日も私達が寝てる間に、先輩に変な事してたりとか……」」
「するかっ!」
その態度を不審に思った双子が声を揃えて聞いてきたが、びっくりして言葉が出なくなった加美華とは対照的に、月照はすかさず言い返した。
まったく何を言い出してくれるのか……。
おかげで加美華との間の空気が一層気まずい物になってしまった。
「「じゃあ、今日こそするんだ……」」
「だからするかっての! 大体ちっこい女の子の霊も一緒なんだから、そんな事できる訳無いだろうが!」
「「じゃあ、先輩と二人っきりならするんだ……」」
「だからしねえよ!」
腹の底から声を出して、力一杯否定する。
「そ、そうですよね……私なんて、全力で拒否したくなるくらい女っぽくなくて不細工ですもんね。必死になるくらい嫌ですよね。……同じ部屋に二人っきりでいるなんて拷問ですよね」
加美華が背中をみせて俯いた。
「ちょっ!? いやそうじゃなくって! てか先輩だって、俺に変な事されたら嫌でしょ!?」
「…………」
慌てて取り繕うが、加美華は何も答えず地面を見つめたまま、微妙にぷるぷる震え始めた。
表情は分からないが、ちょっと肩が怒っている様にも見える。
「……ええと、先輩?」
黙ったままの加美華に双子も茶化すのを止め、月照に目で助けを求めてきた。
だったら最初からするなと言いたいが、月照も少し心配に思い彼女の肩に手を伸ばした。
と、その手が届く直前、彼女は勢いよく振り返った。
「へ、変な事なんてしゃられったら、し、舌を噛んぅっ──!?」
そして、口を押さえながら涙目になった。
「──つぅぅ……う~~……」
「……もしかして、舌、噛みました?」
月照の問いに、加美華は「う~~」と唸りながらコクンと頷いた。
「……かみかみ先輩、って呼んで良いですか?」
「うーー!」
加美華のグーパンチは、月照の想像よりも遙かに威力があった。
隣の部屋で待つ、外で待つ、などと色々アイデアを出していた双子だが、隣の部屋の住人は一時ビジネスホテルに避難しているだけだし、他の殆どの部屋も契約上まだ人に貸し出されたままなので使えない。
空き部屋も人が抜けたばかりなので、敷金払い戻し分の見積もりなどの為に部屋を保存しておかないといけないらしく、どうしても使う事ができなかった。
かといって高校生が深夜に外をちょろちょろする訳にもいかない。
月照も、昨夜少女と約束するまでは時間の直前にやってくればいい、と結構軽く考えていた。
しかしよくよく考えると、深夜に一人で歩いているところを万が一警察の見回りに鉢合わせでもしたら、場合によっては補導されて間に合わなくなる。
約束していなかったなら加美華一人で会ってももう問題無いと思うが、してしまった以上月照は絶対に居るべきで、無駄なリスクは排除するべきだ。
しばらく色々話し合ったが、結局どうしようもないので、月照がそれほど遅くない時間に普通に加美華の部屋を訪れる事になった。
それでもしつこく最後まで食い下がっていた双子も、加美華の命に関わる可能性を示唆すると、さすがに大人しく引き下がった。
まあその代わり加美華が青ざめていたが、敢えて見ないフリをしておいた。
月照は準備をする為に一度家に帰った。
寝具は置きっぱなしなので昨日よりも時間に余裕がある。だからしっかりと夕食を食べ、入浴も済ましてから加美華の家に行った。
加美華も時間に余裕があるから長湯をしたらしく、アパートの前で桶を持って歩いている所に偶然出くわした。
「あ……ごめんなさい、待たせました?」
「あ、いえ、今来たところです」
声を掛けてきた加美華に正直にそう答えると、なぜか加美華は湯上がりで赤らんでいた頬を更に赤く染めて固まった。
「先輩?」
「な、何でもありやせんから!」
そんな時代劇を思い出させる噛み方をして、加美華は部屋へと駆け上がっていった。
月照も遅れて付いて行き、律儀に戸口で待っていた加美華と一緒に部屋に入った。
狭い部屋には、なぜか布団が敷いてあった。
いや、確かに今朝は双子が騒いだので片付ける暇がなく、敷いたままにして出掛けた。
だから双子と加美華が使った二つの布団が乱れたまま放置されていたのなら、加美華が無精しただけだと思っただろう。
しかし敷いてある布団は加美華の一つだけで、きちんと綺麗に敷き直されているのだ。更に月照の持ってきた布団と寝袋は丁寧に折り畳まれ、部屋の隅に置かれている。
「……先輩?」
「ああ、あなたが凄く寝不足みたいだったから、時間まで仮眠を取れるようにと思って。ゆっくりして……いた、だこうと……じ、準備しててただけですっし!」
加美華は最初はいつもと同じ調子だったが、途中でボンと音が聞こえそうな勢いで顔を真っ赤にすると、最後は持っていた桶を叩き付ける様に玄関の床に置きながら怒鳴り気味に言った。
どうやら自分が色々と間違えた事に気付いた様だ。
しかし素直にそれを認めて今から月照の布団を敷き直すなんて真似は、勝ち気な加美華にはできないらしい。
真っ赤になったまま布団の横に正座をして、「ど、どうぞ!」と勧めてきた。
いつも自分が使っている寝具を異性に勧めるのはさぞや恥ずかしいだろう。少なくとも勧められた月照は気恥ずかしさで思考が滞っている。
「……あ、は、はい。では……」
気が付けば、布団を挟んで加美華の向かい側に正座していた。
「あ、う、あ~……」
加美華は頭から湯気が出そうだ。
「…………」
月照も、何も言葉が出てこない。
気まずい……何を話せばいいのか全く分からない。
そもそも湯上がりの若い男女が、一組だけ布団が敷かれた狭いアパートの一室に二人っきりでいるのだ。これで変な空気にならない訳がない。
お互いに意識し過ぎだと分かっていても、どうすれば良いのかなんて分からない。
「……ええと、じゃあご厚意に甘えて寝ますね」
気まずさに耐えかねた月照は、無理矢理気軽な口調で言った。
「は、はいぃっ!?」
加美華がビクリと飛び跳ね、なぜか右手で敬礼をしながら頷いた。
「せ、先輩も寝ておいた方が良いんじゃないですか? どうせあの子が来たら目が覚めるんですから」
「え? ええぇぇぇっ!? い、一緒にですかっ!?」
「ち、違います! もう一つ布団を敷いて、普通に寝れば良いんです!」
もうお互いに何を言っているのかあまりよく分かっていない。加美華は「あ、そうですね」と答え月照の布団をすぐ隣に敷くと、「じゃ、じゃあ」とその布団に潜り込んでしまった。
「あ、は、はい! じゃあ俺も!」
だから月照も半分訳が分からないまま、空いている目の前の布団に潜り込んだ。
「お、お休みんさい!」
それを布団の中からじっと見ていた加美華は、一度身体を起こして電気を消して、月照に背中を向けて再び横になった。
「お、お休みんさい!」
月照も声を裏返しながら加美華に背中を向け、布団に頭まで潜り込んだ。
(うぐっ!?)
すると鼻腔に、仄かに甘酸っぱい香りが漂ってきた。いつもの嗅ぎ慣れた布団の臭いとは全然違い、妙に落ち着かない香りだ。
それはそうだ。
加美華は畳んであった月照の布団を敷いてそこに入ったのだから、これは当然ながら加美華の布団だ。つまりこの香りは布団に染みついた彼女の体臭だ。
逆を言えば、彼女が今寝ている布団には自分の体臭が染みついているのだ。
(う、うおぁぁぁぁぁぁぁぁ!? なんでこうなったぁぁぁぁ!?)
昨夜双子が使っていた時には全く気にもならなかったのだが、なぜか今日は耐え難い。気まずさに羞恥心まで押し寄せてきて、いくら寝不足でも全然眠れそうにない。
だからといって今から加美華に「やっぱり布団を替えてくれ」なんて、もっと恥ずかしくて言える訳がない。
月照は布団の中で固まったまま身悶えるという、前人未踏の体験をしたのだった。
「なんでー!?」
どすん、と腹に響いた衝撃と子供特有の甲高い声に、月照は文字通り叩き起こされた。
「おかしいでしょ! なんで二人してぐーぐー寝てるの!? なんで待ってないの!?」
「う……ごぉ、ぉぉぉ……」
耳元で叫ぶ霊の少女に反論したくても、腹への一撃で息が詰まって声が出せない。
どうやら布団の上から腹に飛び乗ってきた様だが、その時に着いた両手が綺麗に鳩尾に入ったらしい。下腹部に喰らったヒッププレスも、寝ていて弛緩した筋肉諸共に内臓が潰されたかと錯覚するほど痛い──いや熱い……のか? 苦しくてよく分からない。
どうやらいつの間にか眠ってしまった様だ。日付が変わるあたりまでは二人とも無言のまま、ずっと息を潜めて起きていたのだが……。
少女の霊障は階段を上る時に寝ている家人を起こす効果があるはずなのだが、どういうわけか全く気付かずに熟睡していた。
暗がりにうっすら見える加美華の布団も元のままなので、どうやら彼女も寝入ってしまっている様だ。規則正しい穏やかな呼吸音が聞こえるので間違い無い。
「来いって自分で言ったくせに!」
そんな加美華の寝息とは正反対にけたたましく叫びながら、少女はバンバンと鳩尾に追い打ちの平手を連打してきた。
「ぐぼっ!? かっ……!? ──っ!?」
こいつは起こしたいのか、倒したいのか……。
(おらぁ!)
とにかくこれ以上喰らってはまずいと、月照は心の中で気合いを入れ力任せに体を捻って起き上がり、少女をひっくり返した。
「きゃあ!? ……──あははははは!」
ひっくり返された少女は、転がったまま楽しそうに笑い始めた。
「──かっ、はぁ……、はぁ……。お前は俺を殺す気か!」
ようやく呼吸ができる様になり、少女に枕を投げつける。しかし当然ながら霊である少女には全く無意味で、枕は少女の身体をすり抜け飛んでいった。
ぼす。
「むきゃん!?」
運悪くそれが顔面に直撃し、加美華が奇声を上げながら飛び起きた。
「ごごごめんならい! 次はもっと上手にしやすからぶたないで!」
「「………………」」
一体どんな夢を見ていたのだろう?
少女と二人、無言で加美華を見ていると、彼女はすぐには状況を理解できなかったらしい。
キョロキョロと辺りを見てから月照を見付け、軽く首を傾げてからもう一度布団に潜り込んだ。
「──って、寝るな先輩!」
月照は慌てて部屋の電気を点け、加美華の布団に近付いた。
「うー……? あと五秒……」
……それ位なら待ってあげてもいい。
「──って私、寝てました!?」
きっちり五秒後、加美華はがばっと身体を起こした。
まさか自力で起きるとは思わなかった月照と少女は、意表を突かれて声が出なかった。
「──って誰!?」
その少女に気付いた加美華は、慌てて枕元の眼鏡を掛けた。
「──って、どうして枕が二つ!?」
さっき投げた枕が、偶然加美華の枕の真横に綺麗に並んでいた。
加美華はちらりと月照を見ると、耳まで真っ赤になった。
「あ、あ、あ……」
何か言いたい様だが、声にならないみたいだ。
「ああ、済みません先輩。実は先輩が寝てる間に色々と……えっと、なんて言うか……ちょっと言いにくいんですけど……その……」
月照は状況を説明しようと口を開いたが、寝ている加美華に枕をぶつけたとはちょっと言い辛い。上手く誤魔化そうと頭を巡らせるが、なかなか言葉が出てこない。
「ぅえっ!? えええ!? え? えええええええ!?」
するとどうした事か、加美華は深夜なのに大声を出し、自分の両肩を抱きながら月照を覗き込む様に顔を近付けてきた。
「……マ、マジデスカ?」
いきなりのアップと加美華らしからぬ口調にも驚かされたが、首まで真っ赤になっているのにも驚かされた。
(これ、血管破れたりしないよな……?)
月照は一瞬本気で心配になったが、加美華の表情がなぜか微妙ににやけていて嬉しそうなので、そこまで心配するほどの事ではないだろうと判断した。
「え、ええと……はい。済みません、先輩が寝ている間に、ちょっとやっちゃいまして……」
「──っ!?」
ひゅう、と小さく息を呑んだかと思うと、加美華はぱたりと倒れてしまった。
「「………………」」
月照と少女は、しばし呆然とその様子を見つめていたが、
「って、やっぱこれ大丈夫じゃねえ!?」
すぐに我に返って、慌てて加美華の介抱にかかった。
五分ほどで再び目を覚ました加美華に大丈夫かと声を掛けてみたが、ジト目で頬を膨らましながら睨まれただけで返事をしてくれなかった。
まだ顔は真っ赤なままだったが今度こそ大丈夫そうだったので、月照は本題を進める事にして、少女の霊がいつの間にか部屋に入っていた事を伝えた。
加美華は話を聞きながらどうして目覚めなかったのかやはり疑問に思った様だが、理由なんて月照にも「寝不足だったから」以外思い付かない。当の少女に至っては、初っ端からその疑問を叫びながら攻撃してきたのだから知っているはずがないだろう。
だから分からない事はあまり気にせず、少女と自己紹介を交わした。
服装からかなり昔の霊だとは思っていたが、少女──巻島桐子は明治時代の人間だった。
外見は七、八歳くらいに見えたが、実は十歳だという事も分かった。栄養の行き届いた現在と明治期の子供の成育の差だろう。
このアパートに現れた理由は、本人曰く「そこに階段があったから」という、曖昧というか理由にならないものだった。まあおそらくは、気が付いたらここの住人を脅かしてしまう悪霊になっていた、という事なのだろう。
しかし自分の死因ははっきり覚えていて、「石段から転げ落ちたから」との事だ。
どこの石段かは覚えていなかったが、段数を数えながら上っていたところ、着物の裾が邪魔で上手く足が上がらず転んでしまい、そのまま下まで転がり落ちて死んでしまった事は覚えていた。
だから桐子は特定の誰かに恨みを持っている訳ではなく、かといって不特定な誰かを呪って憂さ晴らしをしたかった訳でもない。
「自分が死んだのは自分のせいだって知ってる……でも死にたくなかったんだから成仏なんてしない!」
桐子は涙を浮かべながら、月照達に強く言った。
「だって成仏が幸せなんて誰が決めたの!? 私はもっと遊びたいの! なのに誰も居ないし、遊んでた場所無くなっちゃうし、折角誰か居ても相手してくれないし!」
「落ち着けって。今は相手して貰えてるんだし」
泣きながら興奮し始めた桐子の頭を撫でながら、月照は続ける。
「なんかの拍子に悪霊化──霊障が変わるっていうのは割とよくあるって親父が言ってた。お前が悪霊化したのも、多分成仏しないまま長く独りでこの世にいた事と、遊び場所が無くなった事のストレスが原因だと思う。だからそんな風に興奮すると、また変な霊障引き起こすぞ」
「……うん」
桐子は素直に頷いて涙を拭い、それから月照と加美華に向けて明るい笑顔を見せた。いつの間にか顔色が戻った加美華が、「ほ~」と小さく声を漏らすくらい可愛らしい笑顔だ。
その二人を見ていた月照は、どうして今夜自分達が目を覚まさなかったのか、なんとなく分かった気がした。
同時に一つの確信を得た。
「先輩、こいつはもう悪霊じゃ無くなったみたいですけど、どうします?」
そもそも悪霊かただの霊かは、生者にとって迷惑かどうかでしかない。
そして桐子はきっと、今後しばらくは人を困らせたりしない。
なぜなら彼女は寂しかっただけなのだから。
百年以上もの長い間、誰にも相手にされず独りで過ごしたのだ。通常なら余程の怨念でも無い限り途中で成仏してしまうのだが、彼女はその幼さ故に孤独に耐えきれず、誰かに甘えたいという怨念に似た感情を抱いてしまったのだろう。
それが元の遊び場を失った事で不安定になり、たまたま目に入ったこのアパートの階段に取り憑き「階段を上る事で自分を生者に認識させる」霊障を引き起こしてしまったのだろう。
その結果が、皮肉な事に「アパートの住人を次々と追い出す悪霊」という訳だ。
しかし彼女は月照と出会い、加美華と出会った。
さっき試したところ、残念ながら加美華と桐子はお互いに触れる事はできなかったが、それでもちゃんと会話はできた。桐子のガス抜きには充分だろう。
後は桐子が満足して成仏してしまえば、この事件は円満解決だ。
ただ、その為には加美華が桐子の相手をしなければならない。まさか今後ずっと、桐子の成仏まで月照がこのアパートに住む訳にはいかないからだ。
「あ、はい。私や他の人をもう怯えさせないのなら、無理に除霊なんてしなくて良いと思います。それにこれだけ可愛い子ですし、大家さんもきっと許してくれますよね」
「え? じゃあ……」
加美華もその辺りは理解できているのか、触れない桐子の頬に手を伸ばしにこりと微笑んだ。
「私はもう大丈夫です。一人暮らしよりも楽しそうですし、夜中に起こされない限り問題ありませんよ」
やはり駄目だ。そう都合良くは解決できないらしい。
桐子は百年を過ごしたとはいえ子供なのだ。自分の思い通りにならない事があれば癇癪を起こしてもおかしくない。
そして彼女が現れるのは丑三つ時、深夜二時過ぎだ。その時間に相手できないとなると、寂しさから再び悪霊化してしまう可能性がある。
だからといって一人暮らしの加美華が毎日夜更かししていては、学業が疎かになる。
「参ったな……」
月照は思わず声を漏らした。
「え? 何がですか?」
「いや、桐子を満足させるにはできるだけ毎日相手した方がいいんですけど、こいつは深夜にしか出ないわけですから……」
月照が加美華にそう説明すると、桐子がムッとした表情になった。
「私そんなに我が儘じゃないから毎日なんて別にいいし! それに明日からはもっと早い時間に来るし!」
それは訪問時間を早めてでも毎日相手して欲しいという事だろうに、子供らしい背伸びした強がりが可愛らしくて月照の頬が少し緩んだ。
「そっか。丑三つ時じゃなくても大丈夫なら、先輩が起きてる時間帯に来る様にしろよ」
本当にそんな事が可能なのかどうかは、明日にならなければ分からない。
「うん!」
だが元気よく頷いた桐子に、月照も加美華も一応の安心を得る事ができたのだった。