8セーブ目(8)
月照はトイレの中で便座に腰掛けながら「ふう」と小さく息を吐いた。
便意はないのでズボンも穿いたままだ。
(なんかあいつら、最近雰囲気おかしいよな……)
そう双子に責任があるかの様に決めつけてみても、おかしくなったのは自分の方かもしれないという疑念が浮かんでくる。
どうも最近、双子の事を変に意識してしまうからだ。
今まではどれだけ強く抱き付かれても鬱陶しいとか、ちょっと気不味いとか、その程度しか感じていなかった。
だがここ数日、二人の身体のどこが触れているのかをどうしても意識してしまうし、今なんて手で胸を触ったかもしれないと考えただけで、何と言うかこう、悪い事をしてしまった様な気持ちになった。
まあ双子は「悪い」とか「反省しろ」とか言っていたので、二人にとって月照が悪い事をしたのは間違い無いだろう。
(でもほぼあいつらの自業自得だろ……)
しかしどう考えても自分には責任が無いはずだ。触ってしまったのだってわざわざ蛍が乗っかってきてそこで暴れたからだ。もっと言えば、その時に目を開けられない状態にしたからだ。
だから自分は悪くない。反省すべきは双子の日頃の行動だ。
月照はそう結論付けた。
(――ってか、そもそもいつも引っ付かれてるんだから慌てる事ねえじゃねえか)
そう自分に言い聞かせてみる。
手で鷲掴みにしたのは初めてかも知れないが、腕や身体に胸を押し付けられるのは日常茶飯事だ。大した事無いと割り切ってしまった方がいい。
今後もあの二人は気軽に身体を押し付けてくるだろうから、そうしないと精神が持たない。
(それにしても、まずったかな……?)
変に意識して慌ててしまったのは失態だった。二人共きょとんとしていたので内心の葛藤には気付いていないとは思うが……。
そもそも、連休初日のデートで園香が身体を執拗に密着させてきた事が原因だろう。
彼女のせいで、女子との身体の接触を極端に意識してしまう様になった気がする。
今なら美人とは言い難い優や幸、或いはあの音楽室の幽霊相手でも意識してしまうかも知れない。それは何だかとても屈辱的な気がする。
(そういや、河内山先輩も原因の一端か?)
高校入学後、双子を除けば瑠璃が一番最初に月照に抱き付いて来た人間だ。今では慣れてきて最初の頃よりも余裕を持って抱き付かれる事ができるが、それでもやはり異性として意識しているのは間違い無い。
他には加美華にも昨日抱き付かれ、どぎまぎさせられた。彼女の場合は普段身体に触れる行動が極端に少ないので、全く冷静に対処できなかった。
(いやいや、一番過激なのはやっぱ包丁女か?)
下着姿の胸に顔を埋めさせられたのは衝撃的だった。
(……なんか最近、女との接触多くねえか?)
どうにもあまり深く考えると、どんどんと容疑者が増えていきそうで怖い。
というか、自分が最低野郎な気がしてきて怖い。
(――てか、落ち着く為にここに来たんであって落ち込む為じゃねえ!)
月照は心の中で一喝した。
細かいシチュエーションを一つずつ思い出すよりも、もっと根本的な原因探しをするべきだろう。
そうなると、双子だけが抱き付いてきた頃と一体何が変わったか検証するのが良さそうだ。
(共通点って言えば……全員年上って事か)
月照はどちらかと言えば年上好きだった。
ちなみに見た目が綺麗なら幾つ上でも構わないが、どれだけ可愛くても同い年から下は今のところ恋愛対象として見ていない。
これには双子の日頃の子供の様な行いが影響しているのか、或いは小学生の頃に街角で出会った偽口裂け女への恋心が影響しているのか、はたまたその両方なのか、月照本人にだって分かるはずがない。
(……ってか、タメならともかく一個下なら中学生だし当然か)
なぜか高校生になってからは中学生が子供っぽく見える様になった。自分が中学生の間は一つ下の学年をそこまで子供と思っていなかった気がするが、高校受験が自分の感性を変えたのだろうか。
特に道端で偶に見かける中学入りたての連中は、桐子よりももっとずっと子供丸出しで、公共の場でも大声を出したり歌いながら歩いていたりする。
(……いやまあ、桐子は目茶苦茶年上なんだけどな)
百歳以上年上の可愛いらしい幼女が、果たして好みのタイプの女性に入るのか……。
月照のアイデンティティーの天敵だった。
(いやそうじゃなくて――)
そもそも年下がどれだけ子供っぽいかを考察していた訳ではなかった。
(そうそう、あほ姉妹の事だった。あいつら確かに顔とかは凄え良いけど、そこらの中学生より更に格段にガキなんだよなぁ……――)
と、そこまで考えて、月照はハッとなった。
(――ってか、そもそもあいつらはそういうんじゃねえし!)
消臭剤を見詰めながら慌てて心の中で取り繕う。「そういう」が「どういう」ものかは敢えて掘り下げない。
(やっぱこう、もう少し理知的で落ち着いた感じの方が良いんだよ! そりゃ可愛いは正義であいつらは可愛いけど……――ってだから違う!)
何がどう違うのかは言語化不可能だが、とにかくトイレットペーパーを睨み付けて全力で否定した。
(――いや違うってのは別にあいつらが可愛い事を否定してるんじゃなくてだな……こう、何と言うか、こう……とにかく違うんだ! 知性とかなんかそんな感じのとこが!)
そして直ぐにまた頭の中で言い訳やら説明をぐだぐだと始めた。
誰に対してそんな事をしているのかは自分でも分からないが、取り敢えず睨んでいるトイレットペーパーに対してではない事は間違い無い。
(いや、そう! それだ!)
視線を備え付けのタオルに移して、月照は「この世に存在していない何か」を相手に心の中で話し掛け続ける。
(知性というか、理知的で落ち着いた感じってなるとやっぱ年上なんだよ!)
月照の中で、ようやく何かに納得できたらしい。
そのまま勢いに乗って記憶を漁り、最近会った年上女性の顔を思い出していく。
真っ先に思い浮かんだのは、この件の戦犯と言える園香だ。
外見は百点満点で間違い無い。いや、或いはそれを超えてくるかもしれない。
(……でもまあ、悪霊なんだけどな)
霊である事は月照自身あまり気にしていないのだが、しかしそれでも全く問題が無い訳では無い。
なのに彼女は無類の悪戯好き――つまり性格の面で問題が多く、更に突然のブラック化には毎度色んな意味で肝を冷やしているし世話を焼かされている。
(理知的……?)
果たして先程求めた条件を園香は満たしているのだろうか……。
まあ、時々大人びているので完全に的外れな訳ではない……と思いたい。
ただ、落ち着いているかと言われると……。
(むしろもっと落ち着いてくれ……)
特にテレビゲームを見た時は酷かった。
まあそれが気にならない位の愛嬌もあった。
顔の造作が美しい事だけが理由でそう感じたのではない。初対面の頃のあの不自然な笑顔をあまり見せなくなった今の方が、ずっと魅力的に感じるのがその証拠だ。
きっと彼女に対して親しみを覚えているのだろう。
ただ――……。
(……まあ、年上だからって全員が全員大人びてる訳ねえか)
彼女は昭和の人間なのでかなり年上なのだが、そんな事実を敢えて記憶の彼方に封じ込め、月照はそう結論付けた。
次に思い浮かんだのは加美華だ。
外見は、双子や園香が身近にいるせいでちょっと損をしている気がする。
ただそれは相手が悪いだけだし、今は見た目ではなく無く年上女性の理知的で落ち着いた魅力の話をしているので、彼女が選考対象外になる事は絶対に無い。
とは言え条件が「年上」だけだと、霊を入れたら物凄い数の候補が挙がってきてしまう。
園香を真っ先に思い浮かべておいてなんだが、やはり霊は対象外にしよう。そうすれば桐子を「魅力的な年上女性」に入れるかどうか悩まなくて済む。
しかしそれでもまだ候補を絞りきれない。
(てかこれだと母さんやあいつらのおばちゃんとか近所のおばちゃん婆さん達、ついでに学校の女教師や多丸先輩達まで入っちまうな……)
月照は範囲を恋愛対象に成り得るかどうかまで狭める事にした。
さらりと優、幸の二人を弾いているのが、実に面食いの月照らしい。
それはともかく、そういう縛りになれば最近の加美華は間違い無く対象に入ってくる。
(だって先輩、最近なんかこう――……)
出会った時と比べて快活な雰囲気になったのは、桐子の件が円満解決したからだと理解できる。きっと元々ああいう性格だったのだろう。
しかし最近、そこから更に見た目の印象も変わった気がする。
だからといって一体どこがそんなに変わったのかと聞かれると、月照には全然分からないのだが……。
まあ一人暮らしも今年かららしいので、きっと環境の影響が大きいのだろうと勝手に納得している。
(生まれて初めて親元を離れた生活をしながら霊に取り憑かれて怪しい部活を始めたら、なんか大きな変化があっても仕方ないか……)
…………。
(大丈夫か、先輩……?)
一纏めにするとかなり大変な環境の気がしてきた。
まあ彼女に取り憑いているのは桐子だし問題無いだろう。一人暮らしは大変そうだが、一緒に下校している限りはストレスを感じているどころか浮かれている様な印象を受けるので、苦労はして無いと思いたい。
(あの怪しい部活は悪影響与えてそうだが……)
残るはオカルト研究部だが、しかし加美華の変化は悪い変化とは思えない。彼女を魅力的に感じる事が多くなったからだ。
しかしあの早口で落ち着かない空気を纏う優が部長で、その姉の幸が常にイラッとさせるのがオカルト研究部だ。ストレスが凄いだろうに、プラスに転ぶなんて事があるのだろうか。
(――いや、無いな)
もしも、「オカルト研究部に入ったら、人見知りで悪霊に怯えていた私もたったの一ヶ月でこんなに綺麗で明るくなれました!」なんて事があったら、それは月照が知る限り一番のオカルトだ。よくある雑誌広告の「開運の石がどうたらこうたら」の方がよっぽど起こり得るだろう。
(じゃあ何か他に原因あるのか?)
他に彼女が今までと違う事を始めたのが原因だとしたら、月照達と一緒に下校する様になった事位しか思い当たらない。
(――って、駄目だ駄目だ! それじゃあ俺のおかげで先輩に良い影響が出てるみたいじゃねえか! そんな気持ち悪い自惚れ野郎、友達の縁を切られちまう!)
月照の中では「双子にはそんな良い影響を与えられない」という事は確定しているらしい。
(そもそも、先輩が理想の年上女性かどうかって話だよな!)
そもそもとしてはもっと別の話だったが、そこまで戻るにはまだ何も自分の気持ちの整理ができていない。今戻っても、多分同じ様に迷走するだけだ。
(とにかく、先輩は一番大切な友達だ)
月照は天井の少し暗めの照明を見上げて心を落ち着かせ、加美華の姿を思い浮かべた。
優しくて気が回り、「ふふふ」と上品に笑う姿はまさに年上女性ならではといった感じがする。
ちょっぴりドジで失敗するのは通常なら減点対象だが、肝心な場面で確実に言葉を噛む安定感はチャームポイントと言っても良いかもしれない。
元々初対面ではそこまで可愛いとは思わなかったが、何時の頃からか時々ドキッとさせられる様になった。
可愛さとは顔の造りだけではないのかも知れない。少なくとも彼女には彼女の、彼女らしい魅力があると断言できる。
(責任感も強い気がするし、やっぱり年上代表か?)
それに桐子限定とはいえ霊の話を共有できる唯一の生きた女性で、何より彼女がいなければ今でも霊感はただの邪魔な物としか考えられなかっただろう。本当にありがたい先輩だ。
(でもかみかみ先輩、自分が失敗したら気絶したり攻撃してくるんだよな……)
……ただし気絶癖や暴力癖で面倒が掛かり過ぎる人物だった。まあ暴力癖は主に月照が彼女の失敗を弄った時に発揮されるので、ほぼ月照が悪いのだが。
(…………次だな)
これ以上考えると彼女の魅力よりも失敗の数々を思い出してしまいそうなので、月照はとっとと次の候補に切り替える事にした。
次の人物も直ぐに思い浮かんだ。瑠璃だ。
ボーイッシュというか男性と間違えそうな外見だが、かなり整った顔立ちの美形だ。見た目は文句なく合格だろう。
それに加美華以上に気遣いができて頭の回転が速く、高校生とは思えない冷静な判断と落ち着いた雰囲気は頼り甲斐がある。
それに月照が怪我をした時もかなり真剣に心配してくれた。双子に爪の垢でも煎じて飲ませたい位だ。
これぞ正に、月照が理想とする年上女性の魅力、その完成形ではないだろうか。
(……抱き付いて来なかったらなぁ)
所構わず密着したがる特殊性癖で全て台無しになっているが。
(それに、なんか最近は色々挙動不審な事も多いんだよなぁ)
理由はよく分からないが、抱き付いて来たかと思えば加美華に呼びかけられた瞬間突き飛ばす様に離れたり、そうかと思えば他の生徒には相手が本気で嫌がるまでいつまでも抱き付いていたりと、行動に一貫性が無い。
いや、実は一貫性が全く無い訳ではないと月照も気付いているのだが、それは認めたくない。
(……俺に対してだけなんだよな、突然離れるの……。もしかして――)
自分が嫌われているから、癖でつい抱き付いてから慌てて突き飛ばしているのではないか、などという想像は、現実であって欲しくない。
(河内山先輩は保留、って事で……)
相手がどれだけ理想的であっても、もし相手に嫌われているのであれば、理想として語れば語っただけ虚しく辛くなってくるだけだ。
(ま、まあ、まだ嫌われてると決まった訳じゃないけどな! 全然そんな可能性、低いだろうからな!)
数十歳年上の男性教師にも平気で抱き付いたという瑠璃が、月照に対してのみ時折手を繋ぐ事さえ躊躇うという事実は、統計上の一時的な偏りに違いない。
そんな結論を一応出して、彼女についてはこれ以上の考察を止めた。
次は誰かと記憶を漁るが、もう生きた人間の年上女性が全然浮かんでこない。
(霊なら包丁女とかもいたんだけどな……)
下腹辺りがだらしなくなり始めていた気もするが、魅惑的な格好で熱烈に追いかけてきてくれた女性だ。おかげで一生忘れられないだろう程の、かなり刺激的な体験をさせて貰った。
早い話が、完全にトラウマになった。
凄く柔らかかったあの感触だけを思い出そうとしても、最近はどうしてもセットで死の恐怖まで思い出してしまう。
(柔らか……)
しかし今日、その部分は双子によって上書きされていた。
真綿の様な沈み込む柔らかさの包丁女に対して、双子のものはゴム鞠の様な確かな反発力が――。
(――って、それを忘れる為にここに来たんだよ!)
トイレットペーパーを指差しながら自分に強く言い聞かせ、思考を無理矢理元に戻した。
(……てか、思ったよりあんま出会って無いな)
ちょっと少な過ぎる気もするが、対象外にした相手もかなりの数いるので、多分友達が少ないという事にはならないはずだ。例えばオカルト研究部の残りの女子部員も年上なのだが、全く会話した事がないので今回は選考対象外だった。
「……そろそろ戻るか」
更にしばらく悩んでも誰も思い浮かばず、段々と自分がどれだけくだらない事を考察していたのかに気付いてきた。
しかしそんな訳の分からない事を色々と考えていたおかげで、月照は本来の目的通りすっかり落ち着く事ができた。
もう大丈夫だからと、別に用を足した訳ではないが水を流そうとする。
(まあ、これ以上は恋愛対象に成り得る年上女性の知り合いもいな――)
ギン!!
「(ひっ!?)」
その瞬間、何故か急に何かに凄い眼光で睨まれた気がして背筋に悪寒が走った。
(な、なんだ!? 霊? 霊障か? ……じゃないな。もっととてつもない何かだ)
とんでもない何かを忘れている気がする。もし思い出せなかったら命に関わるかもしれない、という恐ろしい強迫観念が襲ってきた。
月照はその正体が何なのか、この狭い場所で何かを見落としていないか必死に周囲を探した。
だがトイレはいつもと何も変わらない。
(いや……もしかしてそうじゃない、のか?)
もしかしたら「探す」のは物質的なものでは無いのかもしれない。
月照は記憶や思考的な物が原因だと考え、先程まで何を考えていたのか、そして何を忘れているのか、必死になって記憶を炙り出す。
(思考ったって、年上女性の事位しか……あっ!)
その瞬間、あの刺し殺す様な眼光の気配と年上女性という言葉が繋がった。
追い込まれた末に思い出したのは、食堂のお姉さんだった。
顔立ちはまずまずでスタイルもそこそこ、正確な年齢は知らないが外見的にはお姉さんと呼んでも違和感は感じない。食堂で働いているのだから料理の腕はきっと確かだろう。
ここまでなら普通の年上女性だ。
――が。
怖い。とにかく怖い。
(いや、でも考えようによっては……)
道路にひっくり返らせても怒鳴る訳でもなく、最小限の言葉で不満を漏らすだけだったあの対応は大人の対応という奴ではないだろうか。
言葉数が少ないのも、理知的な感じがしなくも――。
(……いや、やっぱ怖えだけだな)
それらが余計怖さを際立たせていた。
(でもまあ、良かった……)
彼女を思い出したおかげなのか、何とか死の強迫観念からは逃れられた。
(いや良くねえよ! 俺、高校入ってから命の危険多過ぎねえか!?)
思い出してみると、なかなかにハードな高校生活だった。
(そもそも全部あほ姉妹のせいじゃねえか……)
切っ掛けは全て、双子がオカルト研究部に月照を引き込もうとした事だと思う。
だから肝試しに参加する事になって包丁女に目を付けられて追い回された。
肝試し中の出来事が切っ掛けで、音楽室の幽霊に殺意を向けられた。
それを目撃した園香が音楽室の幽霊と月照に強い関心を寄せて、ブラック化して襲ってきた。
オカルト研究部員の勉にその幽霊と会う手伝いをさせられて音楽室で死闘(?)を繰り広げる事になったり、その過程で食堂のお姉さんに目撃されて心臓が縮み上がる様な眼力を喰らった。
園香とのデートもオカルト研究部の合宿計画が原因で、彼女を見送ったから食堂のお姉さんに家バレしたし殺害予告らしき発言をされてしまった。
こうして纏めてみると、やはり何もかも全て双子が元凶の様な気がしてきた。
(……まあ、今更別に良いけどな)
しかしそれが無ければどうなっていたのかは想像に難くない。
きっと今でも登下校時に包丁女に怯えていただろうし、頼れる住職に出会う事も無かっただろう。園香の様な美少女と仲良くする事も無く、オカルト研究部員とも友達になる事は無かった。
それに――。
加美華と出会えなかった。
彼女に桐子の霊障を相談されなければ、自分の忌むべき能力が人助けに使える事なんて全く想像もしないまま高校生活を終えていただろう。もしかしたら一生気付かなかったかも知れない。
それに加美華も霊障を最後まで体験してしまい、精神的におかしくなっていたかも知れない。
(ま、あれだ。人間万事、万事――……なんとかかんとかって奴だな、うん)
故事成語の「人間万事塞翁が馬」と言おうとしたが、自分の曾爺さんの名前すら知らないのに、親戚でも何でもない外国の大昔の爺さんの名前なんて覚えているはずがない。どうせ自分の思考の中だけの問題なので、忘れていようが知らなかろうが問題ないので気にしない。
要は、双子の起こすトラブルも何かの役に立っているかも知れない、と言う事を認識できたからそれで良いのだ。
(つっても、やっぱ当分は引っ付いてくんの止めて欲しいけどな)
豊満な膨らみの、あの素晴らしい感触は下半身に悪い。
だが双子相手にだけは、絶対にそんな気分にはなってはいけない。
それはいつもの気分的な勝ち負けとかの話ではなく、ずっと守っていたとても大切な何かを壊す様な、超えてはいけない一線の気がするのだ。
(はあ……いつまでも悩んでても仕方ないか。よし、気持ちを切り替えて、っと)
思考が堂々巡りを始めそうだと気付いた月照は、取り敢えず表情筋を動かして笑顔を作った。
ニヤニヤとした嫌らしい顔になっている自覚はあるが、こういう時は頭で納得するよりも筋肉に物を言わせた方が切り替えが早い。
だから直ぐに行動すべきだと、水を流してトイレから出た。
「「あ、みっちゃん」」
すると目の前の廊下に、双子が少し心配そうに立っていた。
「うお!? なんでこんな所にいるんだよ」
別にトイレの中を覗ける様にはなっていないし、女子と違って音を聞かれても何とも思わない。だが静かにトイレの外で待ち伏せされるのはあまり気分が良いものではない。
「「だってみっちゃん、全然帰ってこないし……」」
双子は揃って気不味そうに俯いた。
何か言いにくい事があるのだろうか、と考えを巡らせたが、この二人が口に出すのを躊躇う事なんて全然思い付かない。
「私達がしがみついた途端だったから」
「なんか怒らせたのかなって思って……」
「だから念の為様子を見に来たんだけど」
「自分の部屋に戻ったりせずに」
「本当にトイレに入ってたから」
「もしかしてって、心配になったの……」
(こいつら……)
弱々しく見上げてくる双子にはいつもの様な図々しさ等は一切感じられず、本当に月照の事を心配しているのだと分かった。
その様子に月照の目頭が少し熱くなったが、双子はそんな些細な変化には気付かずに続ける。
「「大きい方の中でも特に大きい特大の奴、出たの……?」」
「何の心配だぁっ! そもそもでっかい方じゃ――」
条件反射で突っ込んで、更に名誉の為に否定しようとしたが、そこでふと気付いてしまった。
月照は双子に両側から(胸を強く押し当てる様に)抱き締められて、慌ててトイレに駆け込んだ。
そして双子が心配になる位長い間出てこなかったが、出てきたらニヤニヤと気持ち悪い笑顔を浮かべながらどこかすっきりしていたのだ。
それが大きい用を足していたので無ければ、思春期男子がトイレという誰にも見られない密室で一体何をしてすっきりしたと言うのだろうか……。
(い、いやいや! こいつらに限って、そんな事に頭が回るはずが……)
無い、とは思うが、確証も無い。
万が一の可能性がある以上、特大説を否定するのは自分を更に不利な状況に追い込みかねない。
屈辱的だが、今は堪え忍ぶ時だった。
「……単に腹が痛くなっただけだ」
ぐぐぐ、と両拳を握り締めながらそう伝えた。
しかしその嘘を聞いた双子は笑うでも弄るでも無く心配顔で、小首を傾げて下から見上げてきた。
「「大丈夫?」」
「――っ!?」
ドキッとして、月照は一瞬言葉を失った。
なぜそんな風に心臓が跳ねたのか分からない。
更なる余計な心配を掛けたせいか、それとも――。
「あ、ああ……。もうすっきりした」
顔が熱くなって双子を正視できなくなった月照は、言葉とは裏腹なモヤモヤした気持ちになりながら足早に居間へと向かったのだった。




