8セーブ目(2)
蛍は、朝の七時に起きてデートに向けて準備を始めていた。
準備と言っても別に化粧をする訳ではないし、特別な髪型に変える訳でもない。ただいつもと違う服にしようと思っただけだ。
しかしずっと一緒にいる幼馴染み相手に「いつもと違う服」と言っても、そう簡単に見付かる訳がない。
幼少期より、お互いの自宅から海水浴場やスキー場まで、様々な所で一緒に遊んでいるのだ。持っている服は全部見られていると言っても過言ではない。
いや、むしろ新しい服を手に入れたら真っ先に彼に見せていた。
勿論自慢する為ではなく彼の気を引く為だが、彼が褒めてくれた事は一度もない。
中学に入ってから――特に二年生頃からは、中々相手をしてくれない中でも何とか機会を見付けて見せびらかしに行ったが、露骨に視線を逸らしてまともには見てくれなかった。まあそれでも一応、眼前に立った以上は視界に入ったはずだし、会話すら避ける様に顔を背けていてもちらちらと盗み見る様に視線を向けてくれていた気がする。
ともかく、それが理由でどの服にするか迷っている内にどんどんと時間が過ぎ去って、煮詰まったところでついさっき月照に急かされてしまったのだ。
いやまあこちらが勝手に急いだだけなのだが、本人の顔を見たら服装よりも一緒に居る事を優先したくなったのだから仕方がない。
どうせこれ以上考えていても結論なんて出ないのだから、着替え易い服にとっとと着替えて一刻も早く彼に会わないと勿体ない。
(あ、この服なら見た目も可愛いし良いかも)
それでも少しでもマシな格好をする為に、部屋中に散らかした服の中から昔お気に入りだった服を手に取った。これは中学に入学したばかりの頃に買って貰ったもので、身長はその頃から殆ど伸びていないのでまだ着られるはずだ。
蛍は寝間着を脱いで、それを頭からずぼっと勢いよく着る――。
ぎゅう……。
「…………」
――つもりだったが、途中で大きな出っ張りに引っ掛かり、どうやっても裾を下まで下ろせなかった。
これは無理をすれば破れかねない。
破れないにしても、長時間着ていると圧迫され過ぎて肋骨か胸骨が折れそうだ。
中学入学以来、身長は伸びないのに体重はどんどん増えていった。
その質量分増えた膨らみが、三年前のお気に入りの服をただの布切れに変えてしまった……。
「それ、中二の頃にはもう入らなかったよ」
服が途中で引っ掛かったまま前が見えない蛍に、灯が声を掛けた。
「そう言えばそうだったね……」
しんみりと思い出している場合ではない。
最近の服の中から次の候補を探す。
「みっちゃん家で遊ぶなら、部屋着でも良さそうだけど……」
「そうかな?」
灯に言われて、蛍はベッドの隅でくちゃくちゃになっている服を手に取った。
結構縒れているが、一番リラックスできる格好だし、月照には何度も見られているから大丈夫な気もする。
「「……でも、これじゃデートじゃ無くていつも通り遊ぶだけだよね」」
声を揃えて呟きながら、ベッドの隅の元の場所にそれを投げた。
家で遊ぶにしても、デートと銘打っている以上きちんと相手に見て貰う格好をした方が良い。わざわざだらしない所を見て貰う必要なんて無い。
「やっぱり、普段見せない服が良いけど……」
「みっちゃんが滅多に見ないで、今でも着られる服って言うと……」
「「スクール水着?」」
水泳の授業は男女別だし、プールや海に遊びに行く時は普通の水着を用意しているので、恐らく月照も殆ど見た事がないはずだ。
「……多分、家に入れてくれないよね」
「明日の予定もキャンセルされかねないと思う……」
だが、然しもの双子もそれは駄目だという程度の常識は持ち合わせていた様だ。
「……やっぱり、最初に悩んでた余所行きにしようかな?」
蛍が目の前、唯一きちんと型崩れを気にした置き方をしている服を手に取った。
「でも、みっちゃん相手にそんな余所余所しい格好……」
「うん……」
何か壁というか距離ができそうで嫌だった。
それにもし「気合い入れ過ぎ」と茶化されたらと思うと、恥ずかしくてそんな格好できなくなった。
だから起きてから三時間も掛かって尚、決めかねている。
しかも今はもう、彼の自宅で遊ぶと聞いてしまった。それに何より明日はもっとちゃんとデートらしくする、と言って貰ったのだ。ならばこの服は、少なくとも今日着るべきではない。
「「――って、駄目駄目! 早くしないと!」
どんな服が一番バランスが良いのか、組み合わせで上手く纏まるのか、等々いつの間にかまた色々と考え始めている自分達に気付いた。
月照に貰った猶予は二十分だが、残り時間はもう少ない。
「みっちゃん、先にデートした二人には遅刻しない様に早起きしてたけど」
「私達相手でも……ちゃんと早起きしてくれたんだ」
二人向き合って同じ服を手に取りながら頬を染める。
もう選ぶのは止めて、普段の休日に近所を出歩く時に着る服にした。胸が苦しくない様にゆったりとした服なので、腰が細い双子には余計に腹周りの生地が浮いてブカブカになってしまう。
そのままだと脇の高さでスカートを穿いている様な気分になって落ち着かないので、同年代の女子にダサいと言われながらも裾をズボンの中に入れる様にしている。
制服は、中学でもそうだったがスカートに入れる様に学校で指導されるので目立たない。
しかし私服だとやはり目立つらしい。
今時全然見かけなくなったスタイルだからなのか、擦れ違い様に見ず知らずの人に二度見される事もしばしばだ。
しかしその人達には奇妙な共通点があった。
皆揃って二度見の後に、メロンや西瓜やドッジボールの話題を始めるのだ。
まあ今は向かいの家で遊ぶだけなので、そんな人に会う事もないだろう。
「でも結局こんな格好じゃ、一緒に居られる時間が減っただけで勿体なかったね」
「うん。そもそも私達がこんなにお洒落で悩むなんて驚きだよ」
「でもおかげでみっちゃんに気を使って貰えたし、明日はもっとデートっぽくしてくれるみたいだし!」
「結果的には良いスタートになったよね」
「「……どうせあのままじゃ、いつまでも服決まらなかったし」」
実は加美華の財布の話が出た時にした推察は、現在進行形の自分達の事だった。
しかしあの月照がそんな事に気付くなんて有り得ないので、堂々と他人事の様に話したのだ。
ちょっとはこの気苦労に気付いて欲しい気もするが……。
((みっちゃんにそんな事を望んでも……ってまた余計な事考えてた。今はとにかく、早く準備しないと!))
二人で全く同じ事を思考しながら、双子は共に自分の分の服を素早く着た。
それからお互いに向き合って相手の髪型を確認し、少し乱れている所にブラシを入れ合った。
鏡を見るよりもこの方が確実で早い。
「「よし!」」
互いに相手の出来映えに満足し、ドタドタと部屋を飛び出して行った。
「「ごめんね、待った?」」
月照がインターホンに呼ばれてドアを開けると、目の前に立っていた双子がそんな事を聞いてきた。
「……さっき別れ際に言われた台詞が、既に『待て』って意味だったんだが?」
ついでに言えば、「迎えに来て」と言っておきながら自分達の方から押しかけてきた。
「「む~。そこは定番通り『全然。今来たところだよ』でしょ!」」
「来たのはお前等だろうが!」
「「でもみっちゃんが出てきたのは今でしょ!」」
「じゃあ聞かなくても答え決まってんじゃねえか!」
「「お邪魔しま~す」」
双子は月照の突っ込みを完全に無視して、招き入れる前に靴を脱いで家に上がった。
「会話を成立させろ!」
後ろから大声を出すが、勿論そんな事では止まらない。
「今日はどっち? みっちゃんの部屋?」
「それともゲームの部屋?」
廊下を進みながら声を掛けてくる。
が、どう考えても既に月照の部屋にロックオンしている動きだ。
まあ月照も双子がノンストップでそこに向かう事は予想していたので、部屋はちゃんと片付け終えている。
「うわーい。みっちゃんの部屋、久しぶり!」
「私は毎日入ってたけどね!」
勝手に部屋に入ったらしい双子の声が聞こえて来た。
そう言えば、蛍は本当に久しぶりに部屋に入れた気がする。
いや、二人共「入れた」のではなく「勝手に入った」のだが……。
毎朝遠慮しない灯はともかく、中学の頃は双子を避けていたので、蛍が部屋に入ったのは小学校以来かも知れない。
まあ避けていても結構な頻度で家まで遊びに来ていたのだが……。
それでも極力外に出る様にしていたし、雨の日などはテレビゲームをしていた。それにいくらこの双子が無遠慮と言っても、流石に招かれてもいないのに勝手に部屋にまで上がり込む様な真似はしなかった。
だから月照か母親の美月が許可した時にしか部屋まで入ってないはずだ。
まあ月照も理由なく双子を追い返したりたら母親に怒られるので、もしかしたら何度か部屋に入れて遊んだ可能性はあるが、記憶には残っていない。ただあの頃は部屋に誰も入れたく無かったので、母親にも「勝手に入るな」と言って掃除も自分でしていたからその可能性も低いと思う。
どうして誰も入れたくなかったのか、理由は特に無い……と思う。
ただなんとなくそう思ってしまっただけだろう。
(……いや、自室だけじゃ無かったな)
中学時代は自分から周り全てを遠ざけようとしていた時期だ。自分の城とも言える自室を自分だけの聖域にしたい感情があったのだろう。
まあその聖域も、中学二年生から三年生の掛けての「あの頃」には何度も侵略者の脅威にさらされていたのだが。
(毎日突撃して来やがったからな……)
双子は大義名分を得たとばかりに、毎日の様に家に押しかけて来た。
……のみならず、居間で会うと伝えても無理矢理月照の部屋に押し入ろうと襲撃してくるのだ。
最初は部屋のドアを押さえて防衛していたが、悪ノリしてエスカレートしていく双子にいつか破られそうだと判断し、後半は部屋の前で力尽くで防ぎ止めるという攻防の日々を繰り広げた。
何度か灯に突破されドアを開けられた事はあるのだが、その時は背後からの容赦無いチョップで動きを止め、たんこぶできたての頭部を鷲掴みにして廊下を引き摺って居間まで連れて行った。
どこかで一瞬遠慮する蛍と違い、全くの無遠慮な灯を止める事はそれ程に困難だったのだ。
ちなみに灯を鷲掴みにしている間蛍は完全にフリーになるのだが、灯を移送すると自動的に蛍も自分の足で付いて来た。何か彼女達の中でそんなルールでもあったのだろうか。
そう言えば一度だけ、灯を止めている間に蛍に抜かれた事があった。
しかしその時も確か、蛍はそれがゴールだと言わんばかりに部屋のドアを開けただけだった。
月照が近付くまでに数秒かかったが、彼女は中に入らずちょっと寂しげな表情をしていた。
それが月照に対する遠慮なのか、少しだけ早く生まれた姉に対する遠慮なのか、或いは何かもっと別の意図があったのか、月照には分かるはずもない。
ただ一つ月照に分かっているのは、そんな激しい防衛の歴史を踏みにじる様に、高校に入ってからの灯は問答無用で寝ている間に侵入する様になった事だけだ。
「お前等、家も部屋も好き勝手に入ってんじゃねえよ……」
どうせ無駄だからと月照も大声で注意するのを諦めて愚痴の様に呟きながら、冷蔵庫のジュースでも持って行ってやろうと一人台所へと向かった。
『『え? 何か言った?』』
双子が声を揃えて聞いてきたが、声の雰囲気からして二人共もう既に部屋の戸を閉めて、占領完了したものとして振る舞っている様だ。
のんびりしていたら乗っ取られてしまいそうだ。あの双子の事だから、園香以上に無遠慮に部屋を漁りかねない。
(――って、やべえ! 御神体!)
包丁女の話は瑠璃達にも話したのでオカルト研究部全員が知っているだろうが、住職の件は誰にも、双子にさえ話していない。
だから当然御神体の事なんて桐子と園香以外の誰も知らない。
彼女達が他に話していたら別だが、園香は他言するつもりなら月照が入学するよりも前に誰かにその存在を教えて、とっくの昔に上の広場に埋めさせていたはずだ。桐子は絶対に成仏したくないと強く宣言しているのだから、自分を強制的に成仏させかねない物の事を加美華に話す可能性は低いだろう。
そんな誰も知らない秘密のアイテムを、如何にも大切そうに机の引き出しの奥底に仕舞い込んでいるのだ。
あれを見られたら説明がかなり面倒だろう。
それに困った事に、あれは刃物だ。
小刀やペーパーナイフの様な物と言うにはあまりにも精巧で美しく、年期が入っている。ついでに言えば布で包んでお菓子の空き缶に入れ厳重に保管しているので、そんな日用品だという言い訳は通用しないだろう。
双子の事だから、発見したら絶対に根掘り葉掘り聞き出そうとするに違いない。
下手に誤魔化して弄り回されて、住職が言っていた「御神体が穢れる」という事態になっては、とてもじゃないが責任が取れない。
しかし上手く誤魔化せる自信もないし、本当の事を伝えるのも嫌だ。
御神体を埋めるかどうか、それは誰にも口を挟まれたくない。
特に、桐子の事をよく知りもしない人間には――。
そうとなれば、見付かる前に対処するしかないだろう。
月照は台所には寄らず、踵を返して慌てて自室へと向かった。
「おい、俺の部屋に俺の許可無く勝手に入るな!」
飛び込むと同時に大声を出すと、双子は押し入れに突っ込んでいた頭をこちらに向けて「しまった」という顔をした。
(良かった、机は触ってないな)
いや良くない。家捜しされているには違いない。
「てめえら、人の部屋を何だと思ってんだ!」
なるべく怒らない、と頑張っていた月照だったが、ついに我慢できずに伝家の宝刀のチョップを繰り出したのだった。
昨日辺りから殆ど痛まなくなっていたが、右手の怪我は治った訳ではない。
だが痛まなかったせいで、月照も怪我の事を忘れていた。
――結果。
三人で部屋の中をのたうち回って痛みに悶えた。
「……みっちゃんは、もうちょっと手加減を覚えるべきだと思う」
「……むしろみっちゃんは、そろそろ暴行罪で捕まるべきだと思う」
双子が俯せにダウンしたまま訴えかけてきた。
「……うるせえ、お前等こそもうちょっと常識とか遠慮とかを覚えろ」
部屋の隅で、右手の邪神を封じ込める様な姿勢のまま月照が反論した。
お互い、口を開く余裕が出てくる程度には回復した様だ。
「「分かった。ちょっとだけなら覚える」」
「いや、ちょっとじゃなくてかなり覚えてくれ……」
言葉の選択を間違えていた様だ。
「じゃあみっちゃんがかなり手加減を覚えて」
「暴行罪でかなり懲役を受けたら」
「「私達もかなり覚えるね」」
「手遅れじゃねえか!」
双子が常識を身に着けてくれたら暴力は必要無くなるが、暴力で捕まるまでは非常識で過ごすつもりらしい。
これはもう、警察にバレない様に暴力を振るう計画を練るしかない。
昔の人は言った。「バレなきゃ犯罪じゃない」と。
(いやまあ、やった時点で犯罪だけどな)
罪を犯すのが犯罪なのであって、バレるかバレないかは裁かれたり責任を取らされる事態になるかどうかの問題だ。だから完全犯罪なんて言葉がある。
(つまり、『バレなきゃ良い』は正しいって事だな)
少なくとも倫理的には全然正しくない……。
「てかみっちゃん!」
月照の思考が危ない方向に進み出した時、灯が身体を起こして開けっ放しの押し入れを指差した。
「あれ! 押し入れの中!」
蛍も同じモーションで起き上がって同じ場所を指差した。
「「『あれ』、まだ置いてあったんだ!」」
そして嬉しそうに声を揃えた。
双子の示す「あれ」が何か、月照にはすぐに分かった。
ずっと押し入れに仕舞い込んでいた、秘蔵のアナログゲームだ。
秘蔵と言っても園香の言う様な意味のものではなく、双子と遊ぶ時にしか使った事がない、大昔に三人で作った双六だ。
まさに子供の手作り感満載で、色々と手元にある物を用いて思い付きで作り上げた。
厚紙にマジックを使ってフリーハンドでマス目を書いた盤、当時サイコロが無かったのでトランプを使って出目を決めるオリジナリティー、そして駒がマッチョな人型をした消えない消しゴムだ。その消しゴム人形も、父親のお古でたまたまその時目に入っただけのものだ。
それにこれを作ったのは小学校低学年の頃なので、殆ど全部の文字が平仮名で書かれているし、マスの内容もバランスなんて全く考えられていない、やたらとスタートに戻されたり休まされる、酷く理不尽な物だ。
だからこそ、ただの双六なのに長時間遊べたのだが。
そう言えば、小学校の頃は月照の部屋で遊ぶ時はまずこれを一回遊んでから、という暗黙のルールができていた。
「……しゃーねえな。じゃあまずそれすっか」
邪神の封印を終えた月照が立ち上がると、双子は「うん!」と元気良く答えた。
全然面白くないゲームと分かっているのに、月照はそれを取り出し準備する間、なぜか気分が高揚するのを感じていた。




