1セーブ目(6)
翌朝。
二日連続の寝不足でも丁寧に礼を言ってくれた加美華とは対照的に、充分に熟睡した双子はひたすら元気でハイテンションに月照を糾弾してきた。
皆で朝食を食べ登校の準備をした三十分の間にも、一緒に登校する五分足らずの間にも、昼休みを含む全ての休み時間でも、寝不足解消の為に寝ようとする月照の元に「昨日はなんで起こしてくれなかったんだよ!」「なんで学食にも行かないの!?」等々文句を言いに来たので、結局一睡もできなかった。
やかましく我が儘に昨夜の話を聞き出そうとする双子に、諦めてきちんと話したのは結局最後の休み時間だった。
そんな眠い一日の授業がやっと終わり、放課後。
少しでも早く帰ってできるだけ長く仮眠を取ろうと考えていた月照だったが、今日に限ってホームルームが長引いた。
隣の教室から椅子の音が聞こえてきた時に諦めていたが、案の定ホームルーム終了後、担任と入れ違いに双子が教室に入ってきた。
「「みっちゃん、一緒に帰ろ~」」
クラスの注目を存分に集めながらやってきた双子に、月照は言葉ではなく鞄に荷物を仕舞い込む事で答えた。もう今日はいつもの様に反発する元気もないし、折角直った双子の機嫌を自ら悪くする事もないだろう。
「あれ? そういえば、お前等部活は?」
しかしふと、二人は既にオカルト研究部に入部届けを出しているはずだと思い出した。
「あ、今は仮入部期間だから、別に出なくても全く問題無いんだよ」
「趣味全開の部活だから、正式に入部してからも顔出さなくて問題無いみたいだけどね」
灯と蛍としては、どうやら月照と一緒にいる事を優先させたいらしい。
この分だと、月照が入部しなかったら、部から強制招集が掛からない限りほぼ毎日サボりそうだ。
「お前等、自分達で決めて入った部活なんだから、もう少し真面目に──」
と、荷物を仕舞い終えた月照が立ち上がった時、戸口でクラスメイトの一人がこちらを指差しているのに気付いた。傍で示されるがままこちらを見ていた女生徒と目が合う。
リボンの色は三年生の物だ。男子並みの身長に中性的な整った顔立ちとスレンダーな体型で、可愛いとか綺麗というよりも格好いいと表現した方がしっくりくる。もし髪型があと少し短くてパンツルックの私服だったなら、きっと月照は彼女を男子と見間違えていただろう。
「なあ、あれってもしかして……」
「あ、うん……」
「よく覚えてないけど、多分オカルト研究部の先輩……」
小声で問いかけた月照に、灯と蛍は首を傾げながら答えた。
一瞬双子が月照を勧誘する為に呼んだのかと勘ぐったが、どうやら双子にも心当たりはないらしい。今の今まで帰る気満々だった様子からも、この先輩が予想外にやってきたのは間違い無いだろう。
月照がどう対応しようかと迷う間も与えずに、その先輩は月照達を手招きした。学年が違うと少し教室に入りにくいのだろう。
仕方なく廊下に出ると、遠巻きにクラスメイト達の注目を集めているのが分かった。
(諦めよう……どうせ同じ中学の奴等は俺の昔を色々知ってるし、今更目立たない様に取り繕っても無駄だ……)
そう思いながらも露骨に嫌そうな顔になる月照だった。
「あー……帰るところを済まないが、少し良いかな?」
その表情をどう受け取ったのか、先輩が少し視線を逸らしながら声を掛けてきた。外見通りの凛々しいハキハキした声だ。
「「は、はい」」
不機嫌な顔のまま黙っている月照の代わりに、双子が戸惑いながらも返事を返した。
すると先輩は、逸らしていた視線を月照へと戻した。
「君が、咜魔寺月照君だね?」
そして有無を言わさず月照の手を握った。
「済まないが、少し顔を貸して欲しい」
そのまま一方的にその手を引いて、廊下を歩き始める。
「「「──へ?」」」
当事者どころか野次馬達までが唖然とする中、先輩は早歩きで月照だけを引っ張っていく。
「ちょ、ちょっと待って下さい、先輩!?」
「河内山瑠璃、オカルト研究部の副部長をやっている。三年だ」
転けそうになりながら月照が声を掛けると、先輩はそう短く自己紹介をした。
「いや、そうじゃなくて、何の用なのか聞いてんです!」
月照は体勢を整えて瑠璃の手を引っ張り返した。
いや、本当は振り解こうとしたのだが、結構しっかりと握り締められていて離れなかったのだ。
「ん? ああ、君があの場所での立ち話を嫌がっている様に思ったので移動したのだが、もうこうなったらとりあえず部室まで行こう」
「何がどう『こうなったら』なんですか!」
反論虚しく、再び強く引っ張られよろけながら付いて行く。
(この先輩、結構力強い……)
もしかしたらそこらの男子よりも強いかもしれない。
「「ちょ、ちょっと先輩! どうしたんですか!?」」
後ろから双子が走ってきた。呆気にとられて固まっていたのがようやく動けた様だ。
「ん? ああ、丁度良い。君達も一緒に来たまえ」
瑠璃はそう言うと痛いくらいに強く手を握り締めて、歩くペースを速めたのだった。
初めて入ったその部屋は、生徒数の減少に伴って殆ど使用されなくなったB棟と呼ばれる渡り廊下の先にある校舎、一階の一番奥にある部屋だった。
この部屋が部室らしい。
どうやら元々小会議室か何かだったらしく、長机が二つひっつけて置いてあり、パイプ椅子がその周りに十脚用意されている。後は窓際にキャスター付きのホワイトボードが置かれてあるくらいで、オカルト研究部とは思えない明るい雰囲気の清潔な小部屋だ。
魔方陣とか呪いの人形とか怪しげな魔術の本とか、そんなおかしな物はどこにも見当たらない。
「……先輩?」
おかしな物は無かったが、ここにいるのがおかしい人はいた。
部屋の奥にある窓の横に、なぜか加美華が申し訳なさそうに立っていたのだ。
月照が首を傾げながらも声を掛けると、加美華は何か言いたげな仕草を見せ半歩だけ踏み出したが、そこで動きを止めて足を戻した。
この不安げな表情から察するに、彼女も半ば強引に連れてこられたのだろう。人見知りの加美華にはかなり不安な状況に違いない。
そしてその加美華のすぐ横には、加美華と同じ色のリボンを付けた女子がいる。
痩せぎすで背の低い──おそらく小柄な灯や蛍よりも更に五センチは低いのに、少し猫背気味なので余計に小さく見える。ぼさぼさなロングヘアで、顔が不健康に痩けていて体調が悪いのかと心配になるくらい青白い肌をしている。
「あ!? え、ええっと!? はい、先輩だよ! あ、わ、私部長! あっ、そう、名前だよね! 私の名前、名前は……ええと……あ、優! 多丸優! よ、よろしく! 二年だから!」
月照の「先輩」という呼びかけを自分の事と勘違いしたらしいその女生徒──優は、そんな心配を吹き飛ばすくらい元気一杯なハキハキした声で、勢いよく自己紹介してきた。
「じゃあこっちも自己紹介いたそう」
と背後からの声に振り返ると、いつの間にか女生徒が入り口に立って逃げ場を塞いでいた。
身長は女子としては普通くらいだが体重は平均の倍ぐらいありそうで、顔立ちもポッチャリを越えてしまった感がある。髪型は顔の丸さが分かり易いショートカット……いや、ベリーショートだ。これでもし彼女の頬の肉が張りを無くして垂れていたなら、どこかのおばちゃんが制服を着て入り込んでいると思っただろう。リボンや上靴の色から、彼女は三年生らしい。
「あっしは自称陰陽師の山伏志願、見習い坊主の多丸幸こと洗礼名クリスチーヌでおじゃる。よろしゅうに」
言いながら、月照に向かって頭を小さく下げた。
その表情は笑顔というよりにやけ顔だ。
「各務先輩、なんでこんな所にいるんですか?」
「「「えっ!?」」」
幸の自己紹介を完全スルーして加美華へと向き直った月照に、周囲から驚きの声が漏れた。
が、月照は全く意に介さない。
いや、確かに優と幸が同じ姓なのが気にはなったが、幸の様に出落ちでネタをゴリ押ししてくるタイプは、こうやってスルーするのが一番の対処法だと過去の心霊体験から学んでいる。
「はは。なかなか大物だな、君は」
瑠璃がそう言いながら、いきなり月照の肩に手を回してきた。
本当に女性らしさを感じない、クラスに一人はいる馴れ馴れし過ぎる男子の様だ。
密着して腕に当たる瑠璃の胸の感触を踏まえても尚そんな感想を持ってしまい、もしや女装趣味の男ではないかと疑ってしまったが、あまりに失礼なので考えるのを止めた。
だから胸はなくとも初対面の女性として扱おうと思うが、そうするとこんな風に密着されている状況を処理できなくて困惑する。
「あ、あの──」
「先輩、近いです!」
「用件! 用件をお願いします!」
月照が何とか対応しようとした時、灯と蛍が左右から二人を引っ張って力尽くで引き離した。
今回ばかりは双子の行動力がありがたい。
そのまま腕に抱きついて離さなかった灯は鬱陶しいので、無理矢理腕を引っこ抜いて一睨みしておいたが……。
「いや、それより我が輩は無視でありんすか!?」
「早く帰りたいんで、手短にお願いします」
幸が空気を読まずにキャラがブレブレな自己主張をしてきたおかげで、月照はいつものペースを取り戻した。
きつい返しに、入り口付近で大きな身体を小さく丸めてしゃがみ込んでしまった幸には少し気の毒な気もしたが、自業自得だとそのまま無視を決め込んだ。
「え、えーっと……お姉ちゃんの事はまあ、仕方ないので置いておきます」
優が幸をちらりと見て言った。
あまりに似ていないのでただの同姓かもと思ったが、どうやらやはり姉妹だったらしい。
しかし姉妹でこんな真逆の体型になるなど、一体多丸家の食卓にはどんな風景が広がっているのだろうか?
いや、もしかしたら家庭の事情で血の繋がらない姉妹なのかもしれない。あまり深く考えない様にしよう。
「で、何の用ですか? わざわざ人をこんな所まで連れてきて」
月照は好奇心を抑えて、とっとと話を進めることにした。
「あう!? 私もあなたが来るなんて知らなかったけど!? 瑠璃先輩があなたの顔だけでも早く確認したいからって、挨拶に行ったのは知ってるけど……」
部長だからと優に話しかけたが、彼女も事態を把握していないらしい。
「いや、さっきも言った様に、君が目立たない為にこの場所を選んだだけだ。期待の新人が入ったと聞いて、居ても立ってもいられなくってね。新人全員が揃い挨拶に丁度いいので、彼女達にも来て貰ったが」
瑠璃が月照の肩を軽く叩きながら、双子や加美華に視線を向けつつ言った。
どうやら会話する時は相手の体に触れないと落ち着かないらしい。
「済まなかったな、咤魔寺月照君。これからよろしく頼む」
「頼まれません。俺は野球部が第一志望の体育会系部活予定です」
瑠璃に勝手に握手させられそうになった右手を上に挙げて避けながら、月照はきっぱりとそう言った。
「「「……え?」」」
オカルト研究部の三人が驚くが、月照は素知らぬ顔で続ける。
「この双子が何を言ったかは知りませんが、俺は──」
「いや待ってくれ。入部届けはきちんと提出されているぞ?」
しかしそれを遮った瑠璃が目で優に合図すると、優が部屋の隅に置いてあった鞄をごそごそ漁って一枚の紙を取り出した。
「ん?」
よく見ると、どうやら入部届けのコピーらしい。
そこには、しっかりと月照の名前が書き込まれていた。
「──……おい……」
ドスの効いた声を出しながら双子を睨む。
「ま、待って! 出してない!」
「というか、あれの存在忘れてた!」
灯と蛍が慌てて否定する。
「ならなんで! ──……っ」
怒鳴りそうになったが、既の所で思いとどまった。
この二人はこんなその場凌ぎの嘘はつかない。月照が激怒しても関係なく、真っ向から正々堂々自分の我が儘を通すはずだ。
「え? どういう事?」
優が蛍に話しかけた。
「あ、いえ、それを書いたのは確かに私なんですが、提出はしてないはずなんです……」
「え? だって、各務さんが……」
そこで全員の視線が加美華へと移った。
「ひぅっ!?」
「あっ……」
加美華が息を呑むと同時に、月照が小さく声を漏らした。
そういえば昨日あの騒ぎの中で、最終的に入部届を手にしたのは加美華だった。
という事は、加美華が入部届けを提出したという事だ。
なるほど、そういえば双子は休み時間の度に月照を訪ねてきていたので、職員室にあれを提出する暇なんて無かった。今のポカンとした顔の理由もそれで説明が付く。
「……先輩、どういう事ですか?」
月照の声が、再びドスの効いた低いものになった。
場の全員が視線を泳がせ、加美華は床を見たまま小刻みに震えだした。ちょっと迫力が有り過ぎたかも知れない。
「各務先輩、怒ってますから教えて下さい。俺はここに入らない、ってこいつらと揉めてたの見てましたよね? 俺に強引な頼み事をしておいて、それを聞いてあげたらこの仕打ちってどういう事ですか?」
声だけはいつもの調子に戻したが、不快感をはっきり言葉で伝えた。
加美華はしばらくの間俯いて震えながら「うぅ……」と呻いていたが、突然顔を上げてうるんだ瞳を向けながら大声を出した。
「ご、ごめんさい! ぅ多丸さん──の妹さんが昨日の件ででって教室に来て、それで私、妹さんよく知りゃなかったし、眠からかったったから、なんか頭が真っ白になって、何とかその場を誤魔化しょうとして──…………」
そして尻窄みに声が小さくなり、途中で途切れた。
これはどうやら、加美華が暴走しただけでは無さそうだ。
「……どうなったんですか?」
月照は共犯と思しき優へと視線を移した。
「ほげっ!? あ、あの、いや、その……ええと、ええとですね……」
優はダラダラと冷や汗を掻きながら、幸と瑠璃に目で助けを求める。
「なるほど、あんたが出したんだな?」
それを見逃さず、月照は強い口調で言った。
「あ、いや!? その、ええと……」
この期に及んで言い訳を考える優にイラッとした月照は、顔の高さで拳を強く握り締めた。
「しっかり口を開いて説明するか、歯を食いしばって黙るか、どっちか選べ」
さっきよりも三割増しでドスが効いた声だ。
他の部員二人にぷいと視線を逸らされた優は、血色の悪い顔色を更に青ざめて、涙を流しながら「い、言います!」と返事を返すのが精一杯だった。
説明を聞いてみれば何の事はない。
要するに、昨日部室の前に行った加美華に詳しい話を聞こうと、優が話しかけたのだ。
しかしクラス替えから間がなく、まだクラスメイトの大半をよく知らない加美華は、人見知りでテンパった上に寝不足で頭が上手く回らず、オカルト研究部の部長だと聞いて連想ゲーム的につい月照の入部届けを見せてしまった。
それが双子から聞いていた霊感抜群期待の新入生の物だと知った優は、勘違いして勝手に受け取ってしまったのだ。
次の休み時間に加美華がそれを取り戻そうと頑張って優を訪ねたが、優はたどたどしいのに早口で押しの強い一方的な喋りで、部活をしていない加美華にも入部届けを書かせて、そのまま顧問の教師の所まで持って行ってしまった。
「ご、ごめんなさい……」
「いえ、先輩のせいでは無いですから」
深々と下げられた加美華の頭を、月照は優しく起こした。
加美華はここ二日で五、六時間程しか寝ていないはずだし、それ以前からも毎晩夜中に起きていた。
同じく寝不足で苦しんでいる月照には、今回の加美華の失態を責めるなんてできない。
だからその分、怒りは優に向けられた……のだが。
「ご、ごめ、ごめんな、なさ……うえーん……」
こんな風に泣かれてしまっては、さすがにそのまま怒りをぶつける訳にもいかない。
「……まあ、多丸先輩には色々言いたい事もありますが、とりあえず先生に事情を説明して俺の入部を取り消して貰って下さい」
「う、うん、ごめ、ごめんなさい。私ってドジ、ドジだから……」
姉の幸が背中を撫でて慰めているが、優は全く泣き止まずにひたすら平謝りしている。
もうどう見ても月照の方が悪者だ。
「「みっちゃん、いくらなんでも……」」
「うるさい! 俺は被害者だろ!?」
双子にそう反論するが、罪悪感があるのも確かだ。
「みっちゃん、本当にそれで良いの?」
「このまま辞めたら、みっちゃんの事だから何年も引き摺ると思うな」
灯と蛍が心配そうに言ってきた。
今回は完全にこちらが被害者なのだが、双子の言う通り、将来ずっと後悔しそうな自分が悔しい。
「……って、そもそも今回の件は蛍が余計な事したのが原因じゃねーか! 何他人事みたいな顔して勝手な事言ってんだ!」
よく考えれば、あの改竄がなければこんな事にはならなかったはずだ。結局今も昔も騒動の元は全て双子だった。
「ああ。それじゃあこういうのはどうだろう?」
双子にチョップを入れようとしたところに、瑠璃が突然肩を組んできた。
何がどう「それじゃあ」なのか分からないが、聞き返すよりこの密着状態から逃れるのが先だ。
月照が腕からするりと抜けると瑠璃はつまらなさそうな顔をしたが、すぐに表情を戻した。
「我々は今週の土曜夜に、新人勧誘と新入生歓迎会の意味を兼ねたイベントとして、学校七不思議巡りを企画しているんだ。君達もそれに参加して、興味を持ったら改めて入部すればいい。一応それなりに準備を必要とするイベントだからね。その我々の労力をお詫びとして受け取って貰えないだろうか?」
なるほど、話の筋が通っているかどうかは分からないが、しかししっかりとした形で詫びを入れるというのであれば、少なくともお互いに禍根を残す事はないだろう。
月照は少し考えてから首を縦に振った。
同じく成り行きで入部させられた加美華も、月照がそれでいいならと参加を決定した。
双子は変な顔をしていたが、口を挟む事は無かった。
「それじゃあ、詳細は週末にでも」
瑠璃のその言葉で、月照はようやく解放された。