5セーブ目(7)
どこでどうして何のスイッチが入ったのか、園香はやたらと月照に密着したがった。
持ってきた座布団を月照の膝に掛けて枕にしようとしたり、ピタリと真横に座って体を預けてきたり、寝っ転がって足を月照の太股に乗せたりと、まさにやりたい放題だった。
しかし最初はドギマギしてそれとなく姿勢を変えて逃れようとしていた月照も、四時間も色々な体勢で触れてこられていればさすがに少しは慣れてきた。今では肩に撓垂れ掛かって体重を乗せられたままでも、心拍数はたかだか八十程度だ。
……スポーツをしている高校生の平均から見て、充分動悸が続いていると言えた。
「ねえ、次はさっきの女の子のゲームしてみてよ」
「はあぁっ!?」
折角落ち着いてきた心拍数がまた百を超えた。
恋人みたいなスキンシップをしながら恋愛シミュレーションゲームで二次元女子を攻略してくれとは、新手の寝取られプレイなのかそれとも恥ずかしがる月照を見たいだけの羞恥プレイなのか……。
いずれにしてもちょっとハイレベル過ぎて理解できない。
「一人用ゲームですから先輩がして下さい。俺がやっても仕方ないでしょ」
言いながら、件のゲームソフトを園香の手の届かない後ろの方に置いた。
「あ、こら!」
午後はずっとぐーたらごろごろだらけていたくせに、園香は意外なほど俊敏にそのソフトを取りに立ち上がって移動した。
「ほら、やろうよ!」
何を考えているのか、彼女は膝立ちになって背後から寄り掛かってきた。そのまま顎を肩に乗せ、持っていたゲームを月照の顔の前に差し出しながらぐいぐいと体を押しつけてくる。
「うっふぉ!?」
変な声が出て、月照の動きが完全に止まった。
よく双子に背中に飛び付かれているので風船の様な大きな感触には慣れていたが、この軟式テニスボールの様な感触は初体験だ。確かな弾力と柔軟性が共存したぷにぷに感は、至上ともいえる心地良さを――。
ジリリリリン!
「――っ!?」
その時、突然ベルの音が鳴り響いた。
月照は心拍数がゼロまで落ちたかと錯覚する位びっくしりしてから、これが母親の着信音だと気付いて自分のスマートフォンをどこに置いたのか思い出す。
さっき食事の時に使ったテーブルの上だ。
「先輩、ちょっと離れて」
色々と窮地に立たされていたので渡りに船とばかりに立ち上がると、園香は意外と素直に離れた。
背中の感触が消えたのはかなり名残惜しいが、限界が近かったので――いや、斜め上に超えてトリップ気味だったので、素直に助かったと考える事にした。
ただし、男の子の諸事情により不自然な前屈みの姿勢でテーブルまで移動する事になったが……。
園香にどう思われたのか少し気になるが、それよりも先に電話だ。一応画面を確認してから電話に出た。
「もしもし、母さん?」
『もしもし? ごめんね、今日お仕事で問題があって、結構遅くなりそうなの。晩ご飯自分で食べられる?』
「あ、うん。まあご飯炊いて何か適当に食べる」
『冷凍食品の餃子とか缶詰とかあるから。足りないなら適当にお総菜買って何か食べてね』
「分かった」
『あ、ちゃんとお昼も食べた?』
「うん」
『そう、じゃあ切るわね』
「うん、じゃ……」
素っ気なく応えて、月照は電話を切った。
親の声の効果は存外大きいらしく、直立できる位には落ち着いた。
「……別人みたいだったよ?」
正座して待っていた園香が声をかけてきた。
「ほっといて下さい!」
ちょっと照れ臭い。
「それで、晩ご飯までにおばさん帰ってこないの?」
園香は内容を盗み聞いていた様だ。
「ええ、まあ……」
「良くあるの?」
「いえ、普段は残業あっても余裕で間に合うんですけど、今連休シフトでいつもよりも人手が足りないらしくて、元からご飯直前まで予定入ってたんです」
「ふーん……。ところで、私を連れ込んでる事は内緒だったの?」
園香がにやにやといやらしい笑みを浮かべた。
「うぇっ!? べ、別に内緒にした訳じゃないですけど……」
「でも家の人が朝から夕方までいないから、私を家に連れ込んだんだよね」
「そ、れは……まあ……。でも変な意味はないですよ!」
「あはは、分かってるよ」
楽しそうに笑っているところを見ると、どうやら気兼ねなく二人でゲームをする為だったと理解している様だ。わざわざその言い回しをするところが園香らしい。
「大体、俺の母親は霊感が完全にゼロっていう珍しい体質ですから、先輩の事見えないですし」
「あはは、変身してなかったら紹介もできないし、そのままゲームしたらコントローラーが宙に浮いてる様に見えるもんね」
園香はコントローラーを手に取って上下に動かした。まるで「今度それで驚かせてやろう」と言わんばかりだ。
「あ、いえ……」
しかし月照は知っている。
「俺の母親、霊感が無さ過ぎて霊障の影響を全く受けないんです」
「へ? どういう事?」
「つまり、例え変身してたとしても先輩の姿が見えないんです」
「……へ?」
園香の目が点になり、手からコントローラーが零れ落ちた。
少しの間ぽかんと開いたまま止まっていた口が、慌てて動き出した。
「え? だって、変身したら物理的に存在してる様なものだよ? 物とかも動かせるし、お昼だってご飯食べて――」
「いや、多分無理です。母さんに認識されたら、どんな霊障も無条件で解除されます」
「何それ、特殊能力か何か!?」
自らの天敵の存在を知り、園香が青ざめて立ち上がった。どうやら月照の言う事を全く疑っていないらしい。
そういえば、園香は人の発言が本気かどうかを見抜くのは得意だった。
「そうですね、親父もそんな認識でしたし……」
「でもにわかには信じがたいよ……今まで、何か凄い前例とかあるの?」
「俺が知ってるだけでもそこそこ……」
「た、例えば?」
「例えば、そうですね……」
月照は過去の記憶を引っ張り出した。
「あれはある冬の日の事です。俺は母さんと一緒に、激安で有名なタイムセールの為に、ちょっと離れた所にあるスーパーに――」
「ちょっと待って! 待って、それ前に聞いた奴だよね!? なんでその話出てきたの!?」
園香にとってその話は先日グロッキーにされたばかりの黒歴史だ。
「え? いや、前に言った通り霊の声が留守電に入ってたんですけど、荷物を冷蔵庫に入れなかった事を母さんに怒られたんで、留守電の内容と家に居た霊の話をしたんです。でも母さんが留守電を確認した時にはただの無言電話になってて、その後俺だけで聞いてももう何も入ってませんでした」
「あ、なるほど。そういう事かぁ……」
園香は安堵の溜息を漏らした。どうやらこれ以上傷口を穿り返されずに済んだ様だ。
「――って、ちょっと待って! それ凄いよね!?」
だがすぐに驚愕した。
「ええ。機械に記録されたデータ――言わば物理現象でさえ、霊の声だったから無かった事にされたんです。だから多分昼間の料理も、見つかった時点で先輩はもう触る事もできなくなります。さすがに食べた分は胃の中でしょうけど……」
「作った料理が無くなったりとかは……?」
「いや、さすがにそこまでは無い、と思いますよ……。でも変に色々挑戦とかは止めてください。親父でも説明がつかないから考えるのを止めた位なんで、もしかしたら霊本体が消滅しかねないですし、先輩は本当に気をつけてくださいね」
「う、うん……」
下手な怪談話よりも園香には効いたらしい。ちょこちょこと歩み寄ってきて、おどおどしながら月照の腕に抱きついてきた。
そこで、月照はある事に気が付いた。
(げっ!? そういやこのベタベタスイッチの入った先輩と、この後もまだ何時間も二人っきりなのかよっ!?)
時刻はようやく夕方と言える時間帯になったところだ。予定通りなら、そろそろ帰って貰うつもりの時間だった。
わざわざ「先に食べろ」と電話してきたという事は、ちょっと遅くなる程度ではなく完全に夜になると言う意味だろう。
(くそ、聞かれない様に向こうで出たら良かった……)
後悔してももう遅い。園香は既にそれ位の時間まで居座るつもりになっているはずだ。
(――にしても、本当に今日の先輩どういうつもりだ?)
園香の意図はさっぱり分からないが、このままだと変な気分になりそうなのは分かる。
いやまあ、前傾姿勢に追い込まれる程度には既に変な気分だったとも言えるが……。
とにかく、いくらデートと呼称していても、こんな本物の恋人同士でもなかなかしないバカップル並みのスキンシップをされては、ムッツリ系思春期高校男子の理性なんてすぐに限界がやってくる。
ましてあの年増――もとい女盛りな包丁女の胸でも数日間感触が忘れられなかった月照には、この美少女にこれ以上密着されて自制できる自信なんて全く無い。
「つ、続きしましょう」
ゲームの、と明確にしなかったのは、もしかしたら密着の続きをしたいスケベ心が力を強めているからかも知れない。
だがまだまだ理性が勝っている。
月照は彼女から離れた所に座った。
「そんな所だとゲームの交換できないよ? ほら、もっとこっちに来てよ」
悪魔――じゃなかった、悪霊が手招きしている。
まあ彼女は彼女で、さっきの話で心細くなっているのだろうが……。
「……ギャルゲーをしないなら」
「もう……。仕方ないなぁ、そんなに嫌ならいいよ。別のゲームでいいから早くこっち来て」
とりあえず最悪の羞恥プレイは回避できたが、自分の真横の床をぽんぽんと叩いている園香に、まだまだ危機的状況の続く月照だった。
逆転の発想。
素直に園香のすぐ横、密着する位置に自ら座る事で、彼女が背後から抱き付いたり月照の足を枕代わりにするのを防ぐ事ができた。
肩や上腕部、膝の接触は免れないが、逆に言えばそこだけなので徐々に慣れてきた。
おかげでそこそこゲームに集中していた様で、気が付けばそろそろ外が薄暗くなってくる時間だった。
母親の帰宅までは、多分まだ一時間以上掛かるだろう。
しかし晩ご飯を食べないといけないのと、あまり園香を母親に近付けたくないのとで、月照はそろそろ締めようと考えて園香に声を掛けた。
「あの、そろそろ――」
「あ、そのゲーム!」
しかしそれを園香が遮った。彼女の視線の先には、わざわざ避けておいたゾンビゲームがある。
「……げ」
小さく声を漏らすが、しかしよく考えれば丁度良いかもしれない。これは一人用だ。
今後の悪戯のアイデアに使われるのは困るが、思い出した以上絶対にやりたがるのは明白で、そこはもう諦めるしかないだろう。
だから夕食を準備して食べる間、一人でプレイしていて貰おう。
1P側のコントローラーを園香に渡し、ソフトを起動させた。
「あ、じゃあこれ準備しますんで、先輩は遊んでて下さい。俺はご飯炊かないと」
「む、駄目! そんな事言うなら逃げられない様にここに座るから!」
言うが早いか、園香はひょいと月照の真ん前、胡座をかいた足の上に座った。
「(ひょあぁぁぁぁぅぅぅぃっ!?)」
声にならない悲鳴が月照の喉から漏れ出た。
「ふふ、ずっと狙ってたんだよ」
しかも園香は座椅子扱いで、月照にもたれ掛かって全体重を預けてきた。
「ヴアアアァァァ……」
ゲームよりも先に月照がゾンビの様な声を出して固まってしまった。
電話以降落ち着いていたある一部分も固まってしまった。思いっ切り園香の腰に当たってる。
「ちょっと、たまたま君? その声なんか怖いよ?」
目の前十五センチの距離で園香が振り返り、こちらを見詰めてきた。まだ月照の緊急事態には気付いていない様だ。
(ひ、人が折角ずっと意識しない様にして我慢してたのに! このど悪霊めがっ!)
「あ、あれ……? だ、大丈夫?」
月照の様子がおかしい事に気付いたらしい。
園香は月照の顔を見やすい様にと身体の向きを九十度変えて少し上体を反らし、バランスを崩さない様に月照の背中に両手を回して抱き付いた。
「「………………」」
そのまま二人共無言でしばらく見つめ合う。
ぎゅうう……。
園香の両腕に力が入り、体を密着させてきた。
「大丈夫な訳あるかぁぁぁ!」
「きゃあっ!?」
月照はその手を振り切る様に後ろにぶっ倒れた。
だが体重を支える為にしっかりと抱き付いていたのだ。そんな程度では振り切れず、園香は引っ張られて月照の上に覆い被さる様に倒れた。
「あっ……」
混乱状態で色々とおかしくなっていた月照だが、園香の本気で驚いた声を聞いて少し冷静さを取り戻した。
このまま暴れるのは不味い。
「た、たまたま君……?」
胸に半分顔を埋めたまま、至近距離から上目遣いで心配そうに声を掛けてきた。
無意識に彼女の背中に両手を回しそうになっていたので、慌ててその手を床に下ろした。
そのまま深呼吸三回。
その胸の動きを楽しむ様に、園香は胸に顔を全部埋めた。
「……あー、先輩」
「ん~? 何?」
もう一度首を擡げた彼女の幸せそうな表情に心臓が破裂しそうだ。
「ええと……退いてください」
「……? やだよ」
キョトンとしている。
うん、可愛い。
(これは無理だっちゃ! これ以上はあかんて! どぎゃんすっとよかと!?)
混乱のあまり統一性の無い方言で思考を巡らせたおかげか、なぜか少し冷静になってきた。
「……あの、今自分がどんな状態か理解できてます?」
「ん……?」
小首を傾げてよく分からない、といった感じの姿がまた可愛い。
(……やっぱ抱き締めてやろうか!?)
なんだか流されて「ガバーッ!」と行ってもいい気がしてきた。
(――ってそんな事できるか!)
それはそれで勇気が出ないのだが……。
それに彼女の甘え方のこの感じは――……。
「だから、今、自分がどんな体勢で、何をしているのか、客観的に確認してみて下さい……」
「え? あ、うん……」
園香は月照の胸にわざわざ顔を埋め直して、「ん~?」と唸りながら考え始めた。
「――…………ふえ?」
三十秒位経っただろうか。
変な声を漏らして、ゆっくりと身体を起こした。
「――――…………ん?」
更に十秒位月照の顔を見詰め、ついでに自分の腹部に当たる月照の不自然な出っ張りにも視線を移し――。
「――っ!? ひゃぁっ!?」
小さく悲鳴を上げて飛び退いた。
だが足に力が入らないのか、腰砕けにしゃがみ込んでしまった。真っ赤になった顔もすぐに両手で隠した。
月照としてもその場所だけは確認して欲しくなかった……。一緒に真っ赤になってしまう。
だがおかげで説明の必要は無くなった様だ。
「あ、れ……? 私もしかして、結構……はしたない事してた?」
指の間から目だけ覗かせて問い掛ける園香に、月照はコクン、と無言で頷いた。
「(きゃぁぁぁぁっ!! 言っといてよぉぉぉ……!)」
床に伏せて小声で悲鳴を上げている。
やはり月照が思った通り、園香は自分の身体の女性的な部分についてまるで意識していなかった様だ。
思い返せば、以前教室で思いっ切り胸を鷲掴みした時にも無関心だった。
彼女にとってのスキンシップは、親愛や無条件の信頼、安心感といった感情の表現、要するに「小さな子供が親に甘える」という行動と同じだったのだろう。
年齢不相応な理由は色々と推測できる。
彼女が思春期になってそういった事を本格的に意識し始める丁度その時期に、その対象になるはずの相手を揃って皆「敵」として認識していたのだ。だから彼女は異性に触れられる事そのものを忌避していて、そういった女性的な部位だけを特別に考える価値観が薄れていったのだろう。
そして更に、霊として生きた(?)時間が長過ぎて、人と触れる事そのものが無くなってしまった。
だからいつの間にか、身体のどこでも同じ様に思ってしまったのだろう。
実体化を覚えてからはどうしていたのかはよく分からない。
月照に簡単に触れさせた事を考えると、既に男子に触られるのも平気になっていたのかも知れないし、ただ単に月照が本当に霊に触れられるのかを確認したい好奇心が勝っただけかもしれない。
いずれにしても、園香は今の今まで自分の胸部も臀部も、掌と同じ程度としか意識していなかったのだ。
そして痛みなどと同様に、殆どの感覚は霊の思い込み次第――即ち、どこを触られても握手と変わらない感触と気分だったのだろう。
(はぁ……。そりゃ本人は気付かないよな。てか実体化してても思い込み次第とか、俺も思わねえよ)
実体化できる霊なんて滅多にいないので、月照も詳しくは知らなかった。
しかしそうだとすると、実体化中の園香に気付かれない様に後ろから近付き肩を叩いても、彼女には気付かれないはずだ。
(………………)
月照にちょっとした好奇心が沸いてきた。
ちょん。
「ひゃん!?」
背中を指先で軽く突くと、園香がびっくりして飛び起きた。
「……な、何かな?」
「あ、いえ……」
ドキッとする変な声を出されて上手く言い訳が出てこなかったが、実験の結果、どうやら感覚はあるらしい事が分かった。
どうにも原理や法則がよく分からなくなってきた。ただ、意識しなければ触られていても何ともない事だけはさっきまでの園香の様子から間違いない。
「……うう~、恥ずかしいよぉ……」
園香はまた自分の顔を両手で覆った。今度は伏せなかったが……。
「私、ずっとたまたま君におっぱい擦りつけてたのぉ……?」
「う、あ、いや……」
はっきり口にされるとこっちの方が恥ずかしい。
「これじゃあ秘蔵の本とかビデオ探すまでもなく、私がたまたま君の秘蔵の悪霊だよぉ……」
「人聞きの悪い事言わないで下さい!」
このままこの話題を続けると夕飯どころではなくなってしまう。もう手っ取り早く話題を変えてしまおう。
「とにかく、俺は飯準備します! 母さんと約束してるんで米は炊かないと駄目ですし、何か喰っとかないと心配掛けますし」
「あ、うん……。そうだね、私もこのゲームして、心を洗濯するよ」
ゾンビゲームで綺麗になる心とは一体……。
しかしさすがの園香も状況が状況だけに素直に乗ってくれた。
月照は一通り操作方法を説明してから、台所へと向かったのだった。




