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れいしょういっぱい  作者: 叢雲ひつじ
1セーブ目
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 微妙な表情のままだった加美華は、しばらくすると神妙な面持ちに戻り「他に頼る当てもないので、自分に降りかかっている霊障を何とかして下さい」と双子を味方に付けて頼み込んできた。

 月照は除霊などできないので、「とりあえず相談に乗るだけ」と(あいまいに返事をして、加美華の置かれている状況を説明して貰う事になった。

 加美華の実家はこの高校から結構遠く、通学時間や交通費を考慮して、今年から学校に近くて家賃の安いアパートで一人暮らしを始めたらしい。

 家賃が安い理由は年季の入ったボロアパートだからというだけでなく、いわゆる(いわ)く付き物件だったからなのだが、元々幽霊など信じていなかった加美華とその両親は、他に良い物件が無かった事もあり大家の説明を聞き流して入居を決めてしまった。

 学校の至近に位置して、学生割引の交通費よりも家賃の方が安いのだから、みすぼらしい外観を気にしなければこれ以上の物件なんて見付かる訳がない。

 「人見知りなのに、一人暮しを始めたんですか?」と月照が聞くと、「人見知りだったら大人しく親離れせずに生きないといけにゃーんですか!?」と強く反論された。あまりの剣幕に、噛んだ事をそのままスルーしたほどだ。

 どうやら彼女は、丁寧な口調やおどおどした態度とは裏腹に、結構アグレッシブな性格の様だ。

 それはともかく、加美華のアパートはすぐ近くなので、学校でだらだら説明するよりも現場を見た方が早いという話になり、そのまま四人で一緒に行く事になった。

 校門を出て徒歩三分、軽い雑談を交える間に着いた加美華のアパートは、月照の予想を超えるボロさだった。

 まるで昭和のドラマから抜け出てきたかの様な木造二階建て長屋方式のアパートで、部屋は各階に五室、外から見ても六畳間一室だけの間取りだと分かる大きさだ。

 壁もかなり傷んでいて、修繕の為か何ヶ所も外側から板が打ち付けてある。二階の通路部分は外付けの錆びた鉄骨に鉄板を貼り付けただけの簡単な物で、そこに通じる階段も工事現場を連想させる無骨な赤錆塗装の鉄骨製だ。この階段だけ新しいのは、きっと一度壊れて作り直したからだろう。

 現在の消防法や建築基準法を満たしているとは到底思えない、地震や台風どころかくしゃみ一つで倒壊しそうなアパートだった。

「……ここに住む度胸があれば、霊なんて怖くないだろうに」

「私もそう思ってましたけど住んだら霊がったんです!」

 思わず漏れた月照の呟きに、加美華が噛み付きそうな勢いで噛みながら抗議してきた。

「ど、どういう事……です?」

 意味不明になった加美華の言葉に、月照は当然ながらそう聞き返した。

「あ、そうですね。確かに本題とも少しは関係がありますし、そこから説明します」

「あ、はい……」

 急に元のお淑やかな丁寧口調に戻った加美華は、きっと霊のせいで情緒不安定になっているのだろう。月照はそう自分を納得させた。

「ええと……ですね──」

 加美華は眼鏡の位置を直しながら、ゆっくりと説明を始めた。



 加美華もその家族も、元々は誰も霊の存在なんて信じていなかった。

 だから不動産屋から「去年の秋頃から霊が出ると噂になって、二階に住む人が毎月入れ替わっている」と言う曰くの説明をされても、誰も気にせず聞き流した。

 一家が重視したのは加美華が安全に一人暮らしできるかどうかと予算、つまり治安と家賃の二つだけだった。

 そして家賃は前述の通り圧倒的に安く、また学校に近いこのアパート付近では警察のパトロールがほぼ毎日頻繁に行われており、これ以上ないくらい安心できる物件だった。

 だから、たった一室だけ空いていたその部屋に即決で飛びついた。

 新しい生活に緊張しながら、加美華は春休みの間に引っ越して一人暮らしを始めた。


 それから数日、学校が始まる直前に事件が起こった。

 二階の一番端、階段を上ってすぐの部屋に住んでいた男性が、夜中に突然狂った様に大騒ぎして、そのまま部屋を飛び出して行ったのだ。

 その男性は翌日の昼に一度だけ部屋に戻って荷物を纏めると、二度と戻っては来なかった。

 引っ越し屋が来た時にも立ち会ったのは大家だけで、本人は姿を見せなかったのだ。

『ああ、またですか……』

 引っ越し屋と大家がそんな会話をしているのが耳に入ってきたが、人見知りな性格の加美華は、何があったのかアパートの誰にも聞けなかった。


 それから更に数日後──

 今度はその隣の部屋に住んでいた女性が、寝間着姿のまま向かいにある大家の家に駆け込むという事件が起こった。

 普通なら事件でも何でもない、ただだしなみのだらしない人の話として終わってしまうだろうが、これが起こったのは深夜二時過ぎだ。

 しかもその女性はインターホンを鳴らす事もできない程錯乱(さくらん)して、声も出せずにただひたすらドアを叩いて家人を叩き起こし、腰砕けになってう様に家に入ったのだ。どう考えても異常事態だった。

 そのドアを叩く音で目が覚め、外に様子を見に行った加美華はそれを目撃している。

 女性の様子は、まるで殺人鬼に追われて殺されかけているのかというくらい取り乱していて、見ているだけでも恐怖を覚える尋常ではないものだった。

 その時、女性の隣の部屋──加美華の二つ横の部屋に住む男性も、同じ様に様子を見に外に出てきていた。

 そちらを見た拍子に目が合ったので軽く会釈をすると、男性が呆然とした様子で独り言の様に呟き始めた。

「声は聞こえなかったけど、足音は聞こえたんだ……階段を上ってくる、足音は……」

 男性を無視して部屋に入る訳にも行かず、加美華は冷たい春の夜風に耐えながらそれを聞いていた。

「前に出て行った人も、階段を数える女の子の声と足音が聞こえたって言ってて……」

 加美華はそこに至ってようやく、この男性が何かに怯えているのだと気付いた。そしてすぐに、不動産屋や大家が言っていた霊の存在に思い至った。

 だがそんなもの、いるはずがない!

 加美華は自分の常識をこそ信じ、周りの人々の話なんて全くの大嘘かただの夢だと決めつけた。

 きっと誰かが立てたデタラメな噂を、思い込みの激しい人が勝手に信じ込んで、夢で見て慌てて出て行ったのがきっかけだ。

 それを見た人が集団催眠の様に次々と、些細な事を霊の仕業だと思い込んで騒いでいるのだろう。

 加美華はカチカチと奥歯が鳴り身体が小刻みに震える中そう結論を出して、冷える身体を両手で強く擦って暖め始めた。

 そんな加美華の「早く部屋に帰らせて」アピールに気付かず、男性は続ける。

「一日目は階段を上がるだけ。二日目は部屋の扉の前に立って中に声を掛けてきて……」

「あの──」

 加美華は背中が一層冷えてきたと感じ、男性の話を切ろうとした。

 だがその前に、

「三日目、扉をすり抜けて中に入って来たんだそうだ……」

 男性は掠れた声を出しながら顔を覆い、フラフラと自分の部屋に入っていった。

 加美華はぶるりと強く身体を震わせ、放心気味に男性が部屋に入る様を見送っていたが、ふと我に返って自分も急いで部屋に入り布団に潜り込んだ。

 身体が冷えすぎたのか、その夜はなかなか寝付けなかった。


 その翌日──

 いつも通りの時間に眠ったが、深夜二時過ぎにふと目が覚めた。

 特に尿意も無いし、何か物音がした訳でもない。

 何をきっかけに目を覚ましたのか全く分からなかったが、しかし時間が時間なので気にせず寝直そうと思い、布団の中で目を閉じて寝返りを打った。

 そのまましばらく眠気の再来を待っていると……。

 カン、カン、という金属の響く音が部屋の外から聞こえてきた。随分ゆっくりだが、誰かが階段を上る足音だろう。

 一瞬頭の中を色々とゴチャゴチャした考えがよぎったが、すぐに誰かが外出から帰ってきたんだろうと無視を決め込んだ。

 カン、カンという音は十二回続き、十三回目にガシャという金属製の泥落としを踏んだ音に変わった。

 このアパートの階段は十三段で、十三段目は通路と同じ高さの踊り場になっている。泥落としはそこに敷かれている。

 後は階段ほど響かない、通路を歩くコツコツともコンコンとも聞こえる硬い金属の音が聞こえてくる──はずだ。

 なのに加美華はその夜、それ以上の物音を聞く事なく再びの眠りへとついたのだった。


 翌朝、いつもよりも少し寝坊したので慌てて学校に行こうと部屋を飛び出すと、偶然にも同じタイミングでドアを開けた人物がいた。

 一昨日の晩に不気味な話をしていた男性だ。

 加美華は小さく頭を下げながら横をすり抜けた。

 その時。

「──俺にも声が聞こえたよ」

 男性が小さな声でそう呟いたのが聞こえた。

 加美華は気味が悪くなり、足早に階段を下りてそのまま学校へと向かった。

 そしてその夜。

 加美華はまた、不自然にも深夜に目が覚めた。

 しばらくすると、またカン、カン、と、一段ずつゆっくりと階段を上がる音が聞こえてきた。

 どうやら近所に悪質な悪戯をする奴がいるらしい。

 そう考えた加美華は、一切無視を決め込んで無理矢理寝る事にした。

 その夜は意識を失う直前に、コツコツという小さな硬い音を聞いた気がした。


 翌朝、加美華が学校に行くのを待っていたかの様に、例の男性が通路に立っていた。

 加美華がまた小さく会釈だけをして通り過ぎようとすると、男性が「ごめん」と言って道を塞いだ。

「あの……何か?」

 不機嫌を隠さずにそう訪ねて男性をよく見ると、彼は真っ青な顔をしていた。救急車を呼んだ方がいいと思うほどだ。

「女の子の声と足音が、階段を上ってきたんだ……あまりに前出て行った人から聞いていた通りだったから、きっと悪戯だと思って窓からこっそり外を覗いて見ていたんだけど──」

 しかし男性は加美華の心配を余所に、昨夜の足音の話をし始めた。

「ガシャっていう、あの踊り場の所の音、確かに聞こえたのに!」

 そして加美華の両肩を強く掴んで、泣きそうな顔で続けた。

「誰も、何も無いんだ! 全く姿が見えないのに、通路を歩く足音だけ聞こえてきたんだ!」

「あ、あのっ!? 放して下さい!」

 加美華は身の危険を感じ、男性を突き飛ばして走り出した。

 彼は明らかに正気ではなかった。学校から帰ったら大家に相談しよう、そう決めて登校した。

 決心通り学校帰りに直接大家の実家に寄ると、大家は「そうか」と苦虫を噛み潰した様な顔で言い、

「彼はもう出てったから、そっちの心配はいらないよ」

 と続けた。

 早くも表札の名前が剥がされた彼の部屋の前を通りながら、加美華は小さく呟いた。

「ばっかみたい……誰かが階段の下に隠れて、下の階から棒かなんか足音の真似してただけに決まってるでしょ」

 普段なら絶対にしない、乱暴な口調だった。


 ──その夜、深夜に。

『だ、誰だ!?』

 カン、カン、という音が聞こえ始めると同時に、隣人の男性が悲鳴の様な(すい)()の声を上げた。

『無視すんな! 段数なんて一々数えなくても十三段だ! それより返事しろよ!』

 今夜もなぜか目覚めていた加美華は、布団に頭まで潜ったまま、ああこの人も騙されているんだな、いい年した男が霊なんて在りもしないしょうもない嘘に怯えて情けないと、そんな風に馬鹿にしていた。

 霊なんている訳がない。うるさいから布団に潜って音を聞こえにくくしているだけだ。

 加美華は十三段目のガシャ、という音と隣人の悲鳴を聞きながら、布団に頭まで潜っている自分に対してそんな言い訳をしていた。


 その次の日──つまり一昨日、隣人はしばらくビジネスホテルに泊まるからと言って契約は残したまま部屋を出て行った。

 買い物帰りに会った大家と雑談がてら、二階の住人が一人になってしまった事をどう考えているのか聞いてみると、「契約は基本月単位なので何人かはそのまま住んでる事になっている。ただの外泊だから加美華一人になった訳ではない」というべんが返ってきた。

 さすがにそれは無理があると言い返したら、大家は「こんなに短期間に何人も立て続けに出て行く事は今まで無かった」と本音を漏らした。

「誰かが嫌がらせしているんじゃないかと思ってたけど、ウチの家からホームビデオ使って一晩撮影しても何にも写ってないし、本当に何かあるんじゃないかって思えてきたよ」

 別れ際に大家が言ったその言葉にも、加美華は「霊なんている訳無いじゃないですか」と強気で返した。



「──で、昨夜ついに先輩がその声を聞く番になった、と……」

 話す内に青ざめてきた加美華を見ていられなくて、月照はそう割り込んだ。

 加美華は俯いたまま、消え入りそうな声で「はい」と答えた。

 学校でも見た、あの冷や汗混じりの蒼白な顔だ。

 正体の分からないものに対する本能的な恐怖。

 程度には個人差があるが、霊の存在を完全に否定する人の中には、その恐怖から逃れる為の自己暗示として強い否定を周囲にぶつける者もいる。自分の周囲からその手の話題を遠ざけることによって、霊という概念そのものを近付けさせない為だ。

 それは時として無意識に行われる。加美華もきっとそんなタイプだったのだろう。

 恐怖心を消す為に無意識に掛けた自己暗示。

 その効果によって恐怖を忘れてしまい、あろう事か自らを恐怖の対象の前まで進み出させてしまった。

 その結果、暗示を破られるほどの厳然とした霊障に直面し、押さえ込まれていた恐怖心が火山の噴火の様に一気に噴き出してしまったのだろう。

 加美華は涙こそ(こら)えているが、まさに絶望に打ち(ひし)がれているという表現こそが的確な状態で、焦点のぼやけた視線を地面に向け黙っている。

 自分の信じてきた、信じたかった常識を、自分が最も恐れている形で打ち破られたのだ。

 その心中は本人にも表現できない悲惨なものだろう。

 月照は次に掛ける言葉を考えるのに、少し時間が掛かってしまった。

「ええと……という事は、そいつはターゲットの人が出て行ったらとっとと次の人に狙いを変更するって事ですよね?」

 それでも何とか考えて捻り出した言葉だったが、ターゲットという表現が引っ掛かったのか、加美華は一瞬肩をびくり振るわせてから小さく頷いた。

 やはり双子と違ってどうにも調子が狂う。

 先輩なのに丁寧語で話しかけてくるのもきっとその一因だろうが、女性の扱いなんて知らない月照には難易度が高過ぎる。

 そもそも月照はこの歳にしてぼっち歴三年だ。双子という例外がいたが、彼女達は言動が一般人と比べて極めて例外的で、全く参考にならない。

 そんな自分には女子に気を遣うなど無理と諦め、月照はいつもの調子で話す事にした。

「となると、今夜は部屋の前まで来る日ですか……じゃあ──」

「「お泊まり会だー!」」

 明日の深夜に対応しましょう、そう言おうとした月照を突き飛ばしながら、双子が左右から加美華の両腕に抱き付いた。こういう時の双子の立ち位置は癖で決まっているらしく、右腕に灯、左腕に蛍だ。

「──え? 一緒にいてくれるんですか?」

 加美華は意外そうに双子を見て、最後に月照に視線を向けた。

「……いや、男の俺が──」

「「四人で寝られるかな?」」

「女の人の部屋に泊まるなんて──」

「「狭いならみんなでみっちゃんに抱き付いて寝ちゃえ!」」

「──俺の貞操が危ないんでやめときます」

 双子のせいで、言おうとしていた事が妙な方向にずれてしまった。

 本当は事件が起こる深夜二時頃に訪ねるつもりだと言いたかったのだが、全く以て邪魔な奴等だ。

「──嫌っ!」

 しかし月照の言葉を聞いた加美華は、意外な事に双子を振り払って月照に(すが)り付いてきた。

「なっ!? な、なんすか!?」

「あ、あなたしか、私にはあなたしかいないんです! 見捨てないで下さい!」

「ちょ、止めてください。別に見捨てるとかじゃ──!?」

 慌てて引き剥がそうとした月照は、彼女の肩越しにちらりと見えたあるものに背筋が凍った。

「………………」

 アパート一階の住人らしき女性が、ドアを開けこちらを見ていたのだ。

 月照は現実逃避したかったが、その住人と目が合ってしまったのでそれも叶わない。

 この状況──女の子が複数いて、その内一人が抱き付いて「捨てないで」と懇願しているこの状況は、もしかしなくても極悪な誤解を招くだろう。

「お願い、何でもするから行かないで!」

 そして涙声の加美華が叫ぶ。

 バタン。

 住人は無言のままドアを閉めた。

「うわぁぁぁ!? ちょっと先輩、マジで止めて! 後生ですから!」

 月照の叫びも涙声になっていたのは言うまでもない。


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