4セーブ目(7)
月照と勉は音楽室までやってきたが、案の定鍵が掛かっていて入る事ができなかった。
ここは防音の為に他教室の様なドア窓がないので、中の様子は全く分からない。
と言っても防音のはずの扉越しに中の音が丸聞こえになるのは一年生の間でも既に有名なので、これだけしんと静まり返っているのなら今は中に誰もいないのだろう。
(まあ物音立てない様にコッソリ隠れてる奴がいたら別だろうが……)
その場合はすぐにでも通報した方が良さそうだ。
「しゃあねえ、俺が鍵借りてくっから」
「え? そんな簡単に借りられるんですか?」
「ああ。職員室に大谷がいたらな。あ、知ってっか? 英語の。あいつ結構良い奴で、俺の我が儘色々聞いてくれるんだ」
英語の大谷教諭と言えば、月照のクラスも受け持っている若い女性教師の事だろう。担任ではないので滅多に会話する事はないが、一応一度だけ二人きりで会話した事がある。
(日直で宿題のノート集めた時ちょっと話したけど……あれは良い人だから我が儘聞いているんじゃない気がする……)
月照がクラス全員のノートを渡しに職員室を訪ねた時、顔を見るなり青ざめながら目線を全く合わせようとせず、やたらと「ごめんなさい」を連呼していた。去り際には「今度から女子に任せて良いから。男女平等だし、重くても女子にさせて! むしろ女子がするべきだから! いやお願いします、本当に!」と懇願された記憶がある。
(……つとむん先輩、俺より見た目怖いもんな)
言葉遣いもか弱い女性からすればかなり怖いだろう。
「じゃあ、ちょっと待ってろ」
「あ、ちょっと!」
勉は止める間もなく駆けだし、そのまま渡り廊下へと走り去っていった。
「ブラバンの連中来たらどうすんだよ……」
もう少ししたら昼食を終えた吹奏楽部が練習しに集まるはずだ。そうなったら中に入って調べるなんてできない。
いや、それ以前に部員が先に鍵を借りている可能性すらある。
(てか俺、ブラバンに顔見られたくねえぞ……)
先日園香のせいでとんでもなく恥ずかしい目に遭わされた事を思い出した。
今の自分は、果たして演劇部員扱いか意味不明な事を叫ぶ頭のおかしい奴扱いか……。
いずれにしても、部員の誰にも会わない道を選ぶ事こそが正しいだろう。
「よし、逃げよう」
後で勉に怒られたら、「それらしい霊を見たから追いかけた」とでも言っておけば良いだろう。
念の為勉と鉢合わせない様に三階渡り廊下は使わず先に階段で降りようとして――。
「あ……」
その階段を上がってきた女子が声を漏らした。
「うえっ!?」
月照も変な声が出た。
切れ長でも愛嬌を残した目元が印象的で、長い髪を後ろで簡単に一纏めにしただけの飾り気のない髪型、しかしそれが妙に様になっているこの女子は、絶対にどこかで見た事がある。
というか毎日教室で見かけている。
「たま――あ、えと……」
女子が何か言おうとして、しかし意外な所で出会った混乱のせいか口籠もった。
そのまま少し俯いて、上目遣いというより睨む様な鋭い視線を向けてきた。
「お、おう」
月照も何と言って良いか分からず、とりあえず挨拶っぽく声を掛けた。
名前は覚えていないが、間違い無くクラスメイトだ。
(いや、そう言えばこのちょっとガンを飛ばす様な視線……)
中学の時、丁度「あの騒動」で三つの派閥ができた頃だろうか。生暖かい視線の中に混じって幾つか鋭い殺気めいた視線があった。
その内一つ、一番頻繁にしつこい位じっと向けられていた視線が丁度こんな感じだった。
感じだったというか、この髪型と顔立ちは間違い無い。あの視線の主だ。睨む視線の中で唯一の女子だったから顔を覚えている。
いや、それだけではなく、少なくとも去年と一昨年も同じクラスだった気がする。
「あ、その……何か用?」
その女子が、睨みながら吐き捨てる様に言った。月照に食って掛かりたい衝動でも抑えているのか、左の二の腕を握る右手には妙に力が入っていて、締められている左手の方も落ち着き無く前髪を弄くっている。
「あ、いや……」
中学から一緒だった事を思い出してしまったせいで、「名前なんだっけ?」なんて余計に聞けない。
ここはすっとぼけてとっとと立ち去る方が良さそうだ。
「別になんでもない。たまたま通っただけだ」
「そ、そう……」
「ああ。じゃあな」
短く挨拶して横をすり抜け、階段を下り始めた時だった。
「あ、あのさ!」
彼女が後ろから声を掛けてきた。
一瞬無視して行ってしまおうかと思ったが、月照は呼び止められた理由が気になって立ち止まった。
「あ……その……」
しかし振り返ると、女子はちょっと驚いた表情を見せてそっぽを向き、また口籠もった。
「なんだ? 用がないなら帰るけど?」
吹奏楽部員やつとむん先輩が来る前に立ち去りたいのだ。つい相手してしまったが、こんな足止めは遠慮したい。
「あ、その……えと……」
言い淀む女子にちょっとイライラしてきた。
(くそ、嫌味か文句でも言ってとっとと立ち去ろう)
これ以上は付き合ってられないと、月照が口を開いたその時。
「わ、私、吹奏楽部なんだけど……」
「――……ぅぎゃぁん」
開いた口から今まで出した事のない声が漏れた。
「え? なに!?」
あまりに奇天烈な声だったせいで女子が慌てた様子で聞き返してきたが、知らんぷりをして口を閉じた。
「あ、それで、その……」
女子はありがたい事にそれ以上の追及はせず、話を続けた。
「前の休み、なんで学校来てたの?」
「――……ぅぎゃぁぁん」
全然ありがたくなかった。もう一回変な声が出た。
(目茶苦茶見られてんじゃねえか!)
「外で一人で叫んでたり、階段のとこで騒いでたり……。あれ、何?」
(――……ぅぎゃぁぉぉーん!)
更に進化した変な声を心の中で叫んだ月照は、何も言わずここから立ち去るべきか何か弁明すべきか瞬時にシミュレートする。
「いや、人違いじゃねえか?」
「それは絶対にない」
一瞬で否定された。
「わ、私、嘘吐かれたら傷付くから。人を傷付ける嘘は吐かないんでしょ?」
(どっから聞かれてたんだよ!?)
多分、そういう意味じゃない事を理解した上で言っている。
そうなると、あの時園香が教えてくれるより結構前からいた可能性が高い。もしかしたら踊り場に着いた直後から見られていたのかも知れない。
(畜生、穴があったら入りたいってのはこの事か!)
今更悔やんでもどうしようもないのだが、あの時の自分と園香を殴りたい。
「あ、大丈夫! 内緒――他の人には、その……秘密にしておく、から……」
女子は途中からなにやら少しもじもじし始め、最後は月照から完全に顔を背けた。
もしかしたら彼女の中で、月照は危ない人寄りなのかもしれない。
(むしろ中学の時からずっとそんな目付きだったな……。なら尚更、本当の事は言えないな)
かといって、嘘も釘を刺された。
「……別にお前に言う義理はない」
だから隠し通す事にした。
「……へえ、やっぱり人に言えない事なんだ。『殺す』とか言ってたし、通報――」
「霊の相手してました。『殺す』云々言ってたのは霊です。俺じゃ無いです」
五秒で自白させられた。
まあ中学が同じなら霊の話をしても大丈夫だろう。どうせ元々変な奴だと思われているはずだし、先日の件と合わせてもうこれ以上彼女からの評価が下がる事はないだろう。
「……あ、そう、なんだ……」
どう受け取ったのかは分からないが、女子は少し寂しそうな表情で俯いた。
秘密にすると言っていたのに、ふざけた答えが返ってきた事が悲しかったのだろうか。
(つっても完全に事実なんだけどな……)
しかしこれはどう弁明しても、信じない人間はとことんまで信じない。加美華の様に疑いようのない体験を自分でしてみないと、どんな言葉を投げかけても全く相手に届かないだろう。
「…………」
「………………」
そのままお互いに俯いて沈黙してしまった。
気不味いのでとっとと立ち去りたいのだが、ここで「それじゃ」なんて気楽に声を掛けては相手にはますます不誠実な対応と受け取られるかもしれない。
この女子の性格は知らないが、なんとなく気が強そうな気がする。
となると、こちらがあまりに不誠実な態度を取ってしまうと、相手も負けじと不誠実に「秘密」を暴露しかねない。
(うわぁ……めんどくせ……)
月照が下を向いたまま対処に困っていると、彼女が先に沈黙を破った。
「あ、あの……私、部室の忘れ物取りに来ただけだからすぐ帰らないと」
「あ、ああ……」
月照は助かったと安堵した。
「じゃ……」
「ああ、じゃあ――ん?」
そして背中を向けた女子に別れの挨拶をしようとして、しかし彼女の言葉に色々と疑問点が沸いた。一瞬だけ声を掛けるべきか迷ったが、好奇心が勝った。
「ちょっと待て!」
「はいっ!? え、何?」
予想外だったのか、彼女は月照の鋭い声に大袈裟に驚いて慌てて振り返った。
「鍵、持ってんのか?」
「あ、うん。当たり前」
そうなると、やはり勉は空振りの様だ。
しかしそれならそれで、少し不自然な事がある。
「今日、お前部活しないのか?」
彼女は忘れ物を取りに来ただけだからすぐ帰ると言った。
そんな彼女が鍵を持ってきては、後から音楽室を使う部員達が勉同様彼女と入れ違いになって迷惑を掛ける可能性がある。
それは入部したばかりの新入生にはなかなかに度胸が必要で、とてもこの真面目そうな女子には似合わない思慮不足な行動だ。
「今日と明日はここじゃなくて、余所の学校で合同練習。でも相手の学校は土曜休みだから、昼一から部活始まってるし急がないと駄目だから――」
なるほど、と月照は納得した。
まあ自分で月照を呼び止めて要らぬ時間を掛けた癖に、今は一刻も早く立ち去りたいという態度を取られるとちょっとイラッと来るが。
「多分みんな、もう門で待ってるから」
「あ、ああ。呼び止めて悪かったな」
ちょっと釈然としないものの、これ以上彼女と話していて敵対心を持たれても損しかしない。
他の吹奏楽部員と鉢合わせる可能性が無くなったので急いで逃げる必要はもうないが、彼女の後ろ姿を眺めている必要もない。
月照はとっとと階段を下りようとし――。
「あ、旦那。毎度」
下から階段を上ってきたいつもの生首に声を掛けられた。今日は一匹だけの様だ。
いつも通り小さく手を上げて挨拶を返し、そのまま階段を下りようとする。
「あ、そうだ旦那! ここは危ないですぜ!」
だが、今日に限って挨拶だけではなく何やら不穏な言葉を使われた。
危ないと言われては流石に無視できない。
さっきの女子もまだそこの廊下を音楽室の方に向かって歩いているし、勉だっていつ戻ってくるのか分からない。
「(どうした? 何が危ないんだ生首一号)」
やむを得ず、月照は小声で生首に問いかけた。
「なまく……ってまあいいや。旦那、あんた変な霊に目ぇ付けられてますぜ」
「(ますぜって……)」
「こいつぁあっしらが逆恨み女って呼んでる頭のいかれた奴で、執念深いったらねぇんでさぁ」
「(でさぁ、って……お前、何時代のどこ出身の霊だよ?)」
いつもは言葉を殆ど交わさないので気にならなかったが、こいつの言葉遣いは妙に時代劇っぽい。
「へ? この口調で分かりやすでしょうが、勿論昭和に隣の県で生まれ育った身でさぁ」
隣の県の人に聞かれたら数珠で首を絞められそうな発言だ。
(てかこいつ、その喋りと見た目で『戦国時代に首を切られた武士』とかじゃねえのかよ!)
「そんな事より、旦那はこの先の音楽室には行かねぇ方がいい。あいつは物を動かせるんで、旦那も油断してたら大怪我しますぜ」
「(ああ、知ってる……って、お前そいつの事詳しいのか?)」
「いや、それなりに知ってるってだけですけどね。あっしらがここに来る前からずっといる、戦前か戦中頃の霊でさぁ。ここが小学校だった頃の卒業生とかじゃないですかい? なんで新校舎にいるのかは分かりやせんが」
なるほど、あの着物の着こなしはやはり毎日着ていたかららしい。
「(いつ、どこに現れるか分かるか?)」
しかし優先的に知りたいのは彼女の背景ではなく出現条件だ。
「え? ええ、そりゃあまあ。真夜中か、人が数時間音楽室にいなかった時でさぁ」
「(なんか、ゴキブリみたいな奴だな)」
「おいおい旦那ぁ。間違ってもあいつに聞こえる所でそんな事いっちゃあ駄目ですぜ」
確かに……。ゴキ扱いされては普通の人でも激情に駆られるかもしれない。
しかしそれはともかく――。
「なあ……もしかして今って、その条件を満た――」
月照が悪い予感に駆られて、潜めていた声を戻したその時。
「ひぃっ!?」
ガタン!
息を呑む様な悲鳴と、机を蹴倒した様な大きな音が音楽室から聞こえて来た。




