4セーブ目(4)
「先輩、もうここで話しませんか? 誰も戻ってこないでしょうし」
勉の姿が見えなくなってから加美華が口を開いた。
さっきの考えが頭から離れなくて、すぐにでも相談を始めたくてしょうがないのだ。
「えっ!?」
瑠璃は驚きの声を漏らして、手に持っていた部室の鍵を落とした。
「そんなに驚かなくても……。私の部屋だと壁が薄くて隣の部屋に聞こえますし、先輩の家は少し遠いんでしょう?」
「と、隣の住人は行方不明じゃなかったのか!?」
瑠璃は慌てて食い下がった。
折角加美華の部屋に行くチャンスなのだ。そう簡単には引き下がれない。
「そ、そんな大袈裟な事にはなってません! ホテル暮らしだっただけで、先週から帰ってきてます。ただ――……」
加美華はそこで一旦言葉を切った。
「ただ、どうした?」
「私のせいで、またすぐ出て行くかも知れません……」
視線を逸らしながら申し訳なさそうに言った。
一人暮らしの加美華が、誰も尋ねてきた気配が無いのに毎日誰かと何時間も話しているのだ。しかもどう考えても電話とは思えない内容も混じっている。
桐子の霊障で逃げ出した隣人にとっては、さぞ様々な憶測が思い浮かんでいる事だろう。
今日通路で会って挨拶した時に泣きそうというか哀れむ様な複雑な表情を見せて走り去られてしまったので気付いたのだが、あの人の中で自分がどうなっているのか考えたくない。
まあ「霊に取り憑かれて見えない何かと話している」とか何とか、勝手に決めつけられているだろう事だけは容易に想像が付くが……。
(……あれっ? それって事実なんじゃ……?)
客観的に見れば何も間違えていなかった。
「な、なにやら色々抱えている様だな」
頭を抱えて悩み始めた加美華を見て、瑠璃もついに諦めた。隣人との揉め事になれば、加美華の残りの学生生活に悪影響が出る。
「それじゃあとりあえず、本題を解決しよう」
瑠璃は落とした鍵を拾い、加美華と共に部室に入ってドアを閉めた。
(今日の所は二人っきりでいられるだけで満足しておくか)
瑠璃はいつもの自分の席に座って、加美華が席に着くのを待った。
カチャリ。
「え?」
加美華が念の為に内側から鍵を掛けた音に驚き、思わず声を漏らした。
「え?」
その声に驚いて、加美華も声を漏らした。
「あ、いや。鍵を掛けるとは思わなくてな」
「あ、そうですか? でも優さんとか、いきなりドアを開けて入って来そうじゃないですか」
確かに加美華の言う通り、優や幸は無意味に部室に戻って来そうな気もする。一応「鍵を掛けてくる」と伝えているので、その可能性は低いはずだが。
「わ、分かった。そこまでする内容なら、外まで聞こえない様小声で話すか」
言って、瑠璃はさりげなく隣の席の椅子を引いた。
密室で二人っきり。誰にも邪魔されず、これから加美華と膝をつき合わせ顔を寄せ合って内緒話をすると思うと、心臓がバクバクと激しく音を立て始めた。
「は、はい」
加美華は小声でそう答えて、瑠璃の向かいの席に座った。
「…………声、届きにくくないか?」
会議机二つ分先では手も届かない。
「大丈夫です」
本当に小声でも大丈夫だった。
(くぅぅぅぅ……!)
心の中で血の涙を流すが、ここは我慢するしかない。
「あ、あの……それで、ですね――」
乙女心が空振って失敗ばかりの瑠璃だったが、しかし加美華の相談が始まるといつもの様に凛とした雰囲気で真剣に話を聞き始めた。
(これ以上格好悪い所は見せられない!)
そう本人は気合いを入れていたが、肝心の加美華は昨日の事を思い出して頭が沸騰しそうになっているので、瑠璃の様子にまで気を回す余裕なんて無かった。
月照が暇を持て余して意味を理解せず加美華を遊びに誘った事。
同席していた園香が横槍で先にデートする事。
園香が月照の自宅に行った事があるらしい事。
つい「私の月照君」と口走ってしまった事――だけは秘密にしておいたが、加美華は茹で上がりそうな位真っ赤になり噛みまくりながらも順序立てて説明した。
やっと正確な状況を理解できた瑠璃は、何とも言えずにただ脱力していた。
これで助言する事なんて、一つしかない。
「君は人のデートを気にするより、まず自分のデートについて詳細をきちんと詰めておかないと後悔するぞ」
園香が予定を決めた時に、残りを加美華自身がうやむやにしてしまったのだ。放って置くと「毎日デートできる」と言っていた園香が月照の予定を先に全部食い散らかす可能性が大きい。園香にそういう所があるのは、この一年間でなんとなく理解できている。
加美華は今ようやくそれに気付いたらしく、急におろおろ慌てだした。
「いや、落ち着け。連絡先は分かるんだろう?」
「あ、はい! そうでした! 最近一緒に帰る機会が増えたので、連絡先を交換できたんです!」
慌ててスマートフォンを取り出しながら、加美華は嬉しそうにそう言った。
「しかも月照君から聞いてくれたんです、私の番号!」
(か、かわ、可愛ぁぁ……!!)
嬉々としてそれを見せつける加美華の無邪気な笑顔に萌え死にしそうだ。
「あ、ああ。それは何よりだ」
ちょっと意識が飛び掛けたが、何とか正気を保った瑠璃が助言を続ける。
「一応明日もあるが、今日中に連絡しないと多分後悔するぞ。こういうのは早い内に思い切って行動しないと、時間が経つ程なんとなく話し辛くなるものだ」
「そ、そうなんですね……。追い込まれた方が勇気が出そうなんですが……」
「いや……」
瑠璃はそこまで踏み込むべきが少し迷ったが、ここははっきり言っておかないと彼女はきっと予想通りの失敗をするだろう。
「君は、デートから逃げ出したい気持ちがどこかにあるはずだ。誰でも緊張する事はしたくないからな。だからギリギリまで連絡を取れなかった場合、その気持ちに負けて、何かしらの言い訳を自分にして諦めてしまう公算が高い」
「あ……そ、そうですね……」
身体に触れずとも正確に自分の性格を見抜いてアドバイスする瑠璃に驚かされた加美華は、呟く様に同意してスマートフォンの登録内容から月照の携帯番号を表示した。
後はタップすれば彼に電話できる。
「………………」
――のだが、そのまま固まってしまった。
(やれやれ……。まあこれも予想通りだがな)
瑠璃も今すぐできるとは思ってなかった。それにもしできたところで、頭の中を整理してない状態では加美華はきっとに支離滅裂な事を言って月照を困惑させていただろう。
だから加美華が固まっている間に、鞄の中から筆記用具を取り出して話すべき内容を全部書き殴り始めた。
瑠璃は元々字がかなり綺麗なので、殴り書きでも美しく読みやすい。
数分後、カンニングペーパーができあがって加美華に伝えようとしたその時だった。
節電の為に消えていた加美華のスマートフォンの画面が光り、音楽が流れ出した。
「ひゃわあ!?」
そこに表示された名前を見て、加美華は思わずスマートフォンを投げてしまった。
「うお!?」
飛んできたそれをナイスキャッチした瑠璃は、画面を見て納得した。
「向こうから掛けてきたな。丁度良い、向こうの話を聞き終えたらこのメモを参考にこちらの話をすればいい」
「……は、はい」
お互いに立ち上がって手を伸ばし、スマートフォンとメモを受け取ると、加美華はゴクリと唾を飲み込んでから震える手で画面をタップした。
「も、もしもし……?」
ついでに声まで震えていた。
『あ、もしもし? 咜魔寺です。先輩、今日は一緒に帰らないんですか?』
瑠璃にも聞こえる程度には音漏れしていた。瑠璃はちょっと気が引けたが、加美華がトンデモミスをしない様にそのまま聞き耳を立てて内容を聞く。
『昨日の話、帰り道でしようと思ってたんですけど、一緒に帰れないなら電話で良いですか?』
「い、一緒に帰ります!」
「(ちょおっ!?)」
この子は時々予測できないくらい思い切った行動に出る。これでは助言できないし、一緒に帰るとなると絶対にあの双子もいるはずだ。
『みっちゃん、かみかみ先輩どうするって?』
『あんまり待つなら置いて帰る? それとももっと走ってくる?』
――というか、いた。電話の向こうの会話が聞こえて来た。
『お前等、電話中なんだから少し静かにしろ! 俺も着替えの時間あんだから急かす必要ねえだろ!』
(彼は彼で、あの双子の前で堂々と各務君をデートに誘う気か!? 自ら修羅場を生成していく阿修羅スタイルか!? それとも羅刹でも目指しているのか!?)
月照の行動もなかなかに予測が難しい。
『じゃあ、俺今から着替えてきますんで、校門で』
「は、はい。では」
嬉しそうににこにこしながら、加美華は電話を切った。
「ふう……えへへ」
切った後でもまだにこにこしている。
「『えへへ』じゃない!」
「はいっ!?」
瑠璃に叱られ、加美華が我に返った。
「咜魔寺君から帰りを誘われて嬉しいのは分かるが、大丈夫なのか!? あの夜野姉妹の前でデートの打ち合わせなんて、無謀としか思えないぞ!?」
「――っ!!?」
加美華はようやく事態の重大さに気が付いたらしい。さっきのにこにこが嘘の様に、困った顔でおろおろし始めた。
「はあ……。仕方ない、私も同行しよう。あの二人が邪魔をしそうになったら、できるだけ救援に入ろう」
「あ、ありがとうございます!」
瑠璃の提案に、加美華は素直に感謝している。
(ふ、ふふ。修羅場は厄介そうだが、これで各務君と一緒に帰る事ができる。それに上手くいけば、デート対策と称してそのまま彼女の部屋に寄る事も――)
その瑠璃が、危ない陰謀を張り巡らせているとも知らずに……。
――と大袈裟に言うほど瑠璃は人の道を踏み外したりはしてないが、ただあのイベント以降少しずつ加美華に対する感情がおかしくなっているのも事実だ。
メンタルが女だと今でも自信を持って言えるのに女である加美華に対して特別な感情を抱いている事。
人の数倍スキンシップを行う瑠璃にとって、一番触りたい加美華に限って緊張して全く触れない事。
それら二律背反のジレンマが産むストレスは、瑠璃の精神を徐々に蝕んでいる。
その結果、触り心地が良くて簡単に触らせてくれる相手へのスキンシップを無意識に増量する事で、何とか自分を保っている状態だった。
まあその相手が月照なので、知らず知らずの内に余計に自分自身を追い込んでいるのだが……。
「月照君は着替えるのが早いので、そろそろ校門まで移動しましょうか」
加美華は瑠璃の事を信頼しきっている。
「あ、ああ。そうだな」
だからこそ、瑠璃は加美華への想いを隠し通さなければならないと思っている。
どれだけ胸が苦しくなろうとも、彼女を裏切る行為だけは絶対にする訳にはいかない。これは意地だ。
だから彼女の部屋で二人きりになっても、万が一彼女から誘惑されたとしても、絶対に一線は越えない。
(でもまあ、部屋で二人っきりで遊んでいる時にじゃれ合って身体のあちこち触ったり抱き締めたりとか、まあそれ位は普通の女子同士なら常識の範囲だな!)
ただし、その一線はかなり攻めた所に引かれていた。




