4セーブ目(3)
金曜日のオカルト研究部の活動は、「部員全員ひたすら無言で座って時間を潰す」だった。
と言っても勿論それを目的にしている訳ではなく、結果的にそうなっているだけだ。
旅行中止のダメージで放心している、という以外にも実は理由がある。
明後日からの旅行が保護者不在でおじゃんになった事は一応顧問に報告したが、「だからどうした」と言われて終わりで、やはり引率を引き受けては貰えなかった。
当然他のイベント事を今から計画できる訳もなく、ゴールデンウィークは各自好きに過ごすしかない。しかもその各自の予定は、当たり前だが全員がほぼ空白のままだ。
だから誰かを誘えば確実に遊びに行けるのだが、部員全員が揃っているこの場でそんな事をする勇者はいない。
異性を誘うと変に勘ぐられるし、同性を誘うと別の部員が「俺も私も」と便乗してくるのは目に見えている。
だって全員暇だから……。
ただでさえこんな癖の強い部にいる人間だ。自宅で遊ぶにしてもどこかに行くにしても、余計な人間に付いて来られては迷惑でしかない。お互いをよく知るからこそ、牽制し合って身動きが取れなくなっているのだ。
まだもう一日、明日の土曜日もあるので少し時間的、精神的に余裕がある事も、この静まりかえった部室を生み出す要因となっている。
この沈黙の時間が、更に各人の葛藤を強くしていた。
例えば瑠璃は、何かそれっぽい理由を付けてとっとと今日の部活を終わらせようとしている。
なんせこの後加美華のアパートに行って、二人っきりで昨日のメッセージの件で話をする事になっているのだ。部活が早く終わればそれだけ彼女の部屋に長くいられるのだから今すぐにでも無理矢理締めたいが、彼女と一緒に帰るところを見られたらと思うと強引には終わらせられない。だからずっと切っ掛けを待っている。
加美華も同じく、月照とのデートの事で頭が一杯だ。
自分の分だけでなく園香の分も気になって仕方がないのだが、今この場で問い詰める訳にもいかない。
部長の優は自分の失態で皆を落胆させた事の責任を感じていて、昨日も散々謝ったが今日も謝るべきか、それともこれ以上謝ると却って神経を逆撫でする事にならないかとずっと自問自答している。
その姉の幸は……特に何も考えていないというか、誰かが何かを発言した時にどんなキャラで対応しようか、というどうでもいい事を考えている。自分から口火を切るつもりはないらしい。
双子は双子で、ずっとアイコンタクトでお互いの意見を交換している様だ。
もはや完全にテレパシーの領域なので、部活としてこの沈黙を打開できる話題性を十二分に秘めているのだが、当人達がその凄さに気付いていない上に他の人間には気付きようが無く、何の発展性もない。
珍しく二日連続で部室に来た園香は相変わらずで、意地の悪い事を言う為に誰かが隙を見せないか窺っている。
他の部員達もそれぞれが色々と考えているのだが、気軽に誘うつもりだった者もその機を逸して空気に飲まれてしまった。
はっきり言って、これ以上は部室にいる意味が無い。
しかし全員が集まってしまって、それに部活開始からまだ三十分も経っていない。ここで終了の決断をするという思い切った行動は、この場の誰にもできなかった。
そんな中、それ以上に思い切った行動を取った者がいた。
「な、なあ、花押……」
勉だ。
この沈黙を破って女子に話しかける彼の剛胆さに、一部の部員は尊敬の念さえ抱いた。
「お前、その…………」
勉が明後日の方を向いて頬を掻きつつ、言い淀みながらも何とか続ける。
「え、と、だな……。その……日曜、暇か?」
「ううん、先約あるよ」
対する園香は滑らか且つ早口で即答だった。
勉は首を不自然な方向に向けたまま一瞬固まってしまった。
動きがあればそれに便乗しようとしていた部員達も、何も言えずに様子を見守る。
「……じゃ、じゃあ、月曜は?」
今度は園香をしっかりと見ながら、勉は表情を硬くして尋ねた。
部員が彼の勇者っぷりに感動する。
「今のところ予定は全然ないけど、暇じゃないよ」
(((――鬼かこいつ!?)))
他のオカルト研究部員の心が一つになった瞬間だった。
「じゃ、じゃあ火曜日!」
(((――こっちは英雄か!?)))
勉が部内で勇者をも越えた存在になった瞬間だった。
「火曜は多分暇かな?」
(((そこで急に折れるのかよ!?)))
「じゃ、じゃあ!」
(((よし、行け!)))
「まあ、暇潰しに一人で出掛けるつもりだよ」
「「「なんでだよ!?」」」
周囲の部員が我慢しきれず一斉に声を上げた。
「流石に、一人で出掛ける位なら岸島君に付き合ってやったらどうだ?」
瑠璃が園香を諭す様に声を掛け、他の部員が一斉に頷く。空気を読まないはずの双子すら頷いているのだから、園香の言動の突飛さは部内一と言っても過言ではないだろう。
「え? どうして?」
だが真顔で聞き返す園香に、瑠璃はそれ以上何も言えなくなった。
「お、俺が一緒に出掛けたいからだ!」
しかし勉はまだ折れていなかった。
英雄さえも超えて行こうとする勉に、部員全員が心の中でエールを送っている。
(頑張れ! それで、いっそ日曜から全部無理矢理予定書き換えさせちゃえ!)
特に加美華は熱烈だ。エールと言うより呪詛や怨念に近いが……。
まあ私情が大部分を占めているから仕方無いが、ここまで胸の内を晒した勉に幸せになって欲しいと応援している気持ちも本物だ。
テレビなどで偶に耳にする、衆人環視の中でのサプライズプロポーズみたいなものだ。成功すれば周囲の人々が拍手を送るというのは、逆に言えば成功する瞬間までは全員応援し成功を願っているのだ。
そして、テレビでは失敗など一度も――……。
「私は別に、一緒に出掛けたくないよ?」
………………………………。
まあ、テレビは成功した時しか話題にしないものだから……。
部員達はそう自分に言い聞かせ、目の前で起こった惨劇から目を背けたのだった。
勉が悪霊に不幸のどん底に落とされた直後、瑠璃と優が慌てて場を纏め、そのまま本日の部活は終了となった。
茫然自失で魂を抜かれた状態の勉から逃げる様に、全員が慌ただしくその場を立ち去って行く。
元凶の園香はいつも通りマイペースに、その最後尾で部室を出ようとした。
「――待ってくれ、花押!」
その背中を、勉が大声で呼び止めた。
こ、こいつ、まだ戦えるのか! と部員全員が衝撃を受けて廊下で立ち止まったが、肝心の園香だけ無視して行こうとした。
しかしその一つ前を歩いていた幸が珍しく機転を利かせ、園香を力尽くで回れ右させて部室へと押し戻した。
「……ん? なに?」
そのままドアまで閉められては、園香もこれ以上の無視はできなかった。
「お、俺は、その……」
勉は少し言い淀んだが、やがて決心して園香の目を真っ向から見据えた。
「お前が好きだ!」
ざわ、と部室の外で大勢の動揺する気配が伝わってくるが、そんな事覚悟の上だ。
やんちゃ三昧だった勉はあまり成績がよろしくない。それでも進学を目指しているので、今年の夏からは受験の事を本格的に考えなければならない。それなら目一杯気兼ねなく遊べるのはあと僅かな間だけだ。
だから、何としてもこのゴールデンウィークを好きな人と過ごしたかった。
赤っ恥を晒そうが何だろうが、形振り構わず園香に恋人になって欲しかった。
彼女はその容姿だけでなく、少々意地悪な性格さえも可愛いと思わせる魅力がある。
今までは幸い彼女の周りに男の気配は無かったが、これからもそうだとは限らない。夏休みになってしまうと、園香を他の男に取られてしまう気がしてならない。
勉はその危機感から、一年間ずっと溜め込んでいた想いを吐き出した。
「最初は一目惚れだった! でも一年一緒にいて、お前の悪戯好きの所とかも、声とか、笑顔とか、そんなところが色々全部! な、なんか良いって思う様になって……だから、その…………」
勢い任せで何も言葉を用意していなかったので、自分でも何を言っているのか分からなくなって黙ってしまった。
彼は園香がいなければ、オカルト研究部どころか部活なんてしなかっただろう。
ぶっちゃけオカルトには全く興味が無かった。園香目当てで入って、彼女に少しでも良い格好をする為に、彼女が不参加の心霊スポットでも大袈裟な位男らしさをアピールした。
今年の新人歓迎イベントでは酷い目に遭ったが、本人はその時の無様な姿を園香に見られていたとは思ってもいないので、その後彼女がそれをネタに今までよりも多く話しかけてくれるのが嬉しかった。
おかげで距離が近くなったと確信し、そして今、自分の気持ちをぶつけたのだ。
「……ええと、ね?」
園香は勉が黙ったので、自分の番とばかりに口を開いた。
「君は、霊を見たり触ったりできるのかな?」
「……は?」
返事が返ってくると思っていた勉は、ポカンとなって眉を寄せた。
「い、一応、見た事はある!」
それでも思考を凝らし記憶を探り、トラウマに抗いながらあの恐怖の日を思い出して答えた。
「その幽霊に、愛の告白をされたら嬉しいかな?」
「ひぃっ!?」
想像しただけで身の毛がよだち小さな悲鳴を上げてしまったが、気を強く持ってなんとか会話を続ける。
「お、お前がいるから、俺は他の誰に告白されても嬉しくない!」
咄嗟にしては我ながら良い返しだと内心ドヤった勉に、しかし園香はまるで心の動いた様子無く返す。
「じゃあ、私がいなかったら嬉しいの?」
「嬉しい訳あるか!」
トラウマを植え付けられたのに、告白されても喜べる要素なんてどこにもない。
「あ、あんな怖――気持ち悪いもん、近くにいると思っただけでぞっとするぜ!」
この期に及んでもまだ見栄を張り、彼女に臆病者と思われたくない一心で勉は「怖い」という言葉を避けた。
代わりに選んだその言葉が、彼女にとってどんな意味を持つかも知らずに。
「『気持ち悪い』……か。そうだよね……」
園香は自虐的に笑った。
「霊なんて、『気持ち悪い』よね……」
「か、花押……?」
呼びかけを無視して、園香は振り返ってドアを開けた。
「「「――っ!?」」」
バタバタバタ!
外で聞き耳を立てていた部員達が蜘蛛の子を散らす様に走り去っていった。
それを見届け部室を去ろうとする園香に、勉が大慌てで声を掛けた。
「ま、待ってくれ! 返事、今じゃ無くてもいいから――」
「君の事、好きになれない」
「あ……」
振り返ろうともしない園香に、勉は自分が完全に振られた事を悟った。駆け引きとか押せばどうにかなるとか、そんな気配をまるで感じさせない、完全な拒絶だった。
「答えなんて、ずっと前――出会う前から出てる」
何も言えなくなった勉は呆然と園香の背を見送っている。
「それに――……」
去り際の彼女がなんと言ったのか、聞き取れなかった。
取り残された勉はしばらく立ち竦んでいたが、やがてグイッと強く涙を拭い前を見た。
いつまでもこうしていても仕方がない。
すっぱり諦めるなんて無理だが、女々しい真似をしていたら嫌われるだけだ。せめてこれからも友達でいられる様に、いつも通りに彼女に接しよう。
勉は部室の隅に置いていた鞄を持って立ち上がり、なぜか力が入らない足でフラフラしながらも何とか部室を出た。
「あ……」
廊下に出ると、瑠璃と加美華の二人と鉢合わせた。
「あ、ああ。戸締まりに戻ったんだ」
瑠璃は手に持った鍵を見せながらそう言った。加美華が一緒なのを追及されたら困るので、間髪入れずに続ける。
「その顔を見るに、結果は……。まあ、あまり気にするな。彼女は彼女なりに色々考えがあるのだろう」
勉にとっては「一目で分かる位しょぼくれた顔をしている」と言われた様なものだ。
同時に、瑠璃のその言い回しでふと気付いた。
園香は返事を言う前にドアを開け、この出歯亀達を追い払ってくれたのだ。
(あの状況でも俺を気遣ってくれたのか……)
そう思うと胸が熱くなってくる。
「やっぱ諦められるか!」
勉は強く声に出し、瑠璃と加美華を驚かせた。
(くそ、俺らしくもねえ。こんな簡単に諦める方が、よっぽど女々しいじゃねえか!)
自分の顔面を全力で殴り倒したい気持ちになったが、振られた直後に女子二人の前でいきなりそんな事をしたら精神病院に連れて行かれそうなので我慢する。
「ふむ。どうやら心配なさそうだが、あまりしつこくするなよ? 部からストーカーを出す訳にはいかんからな」
いつの間にか勉の手を握り締めていた瑠璃が、割と本気の表情で言った。
「いや、俺そこまでろくでなしじゃねえっすよ!」
どん引きしている加美華が目に入って慌てて言い返す。ちなみに勉は、瑠璃に触れられるのはもう慣れっこだ。
「まあいい、戸締まりをするから君はもう帰れ。早めに眠って頭の中をすっきりさせてから、明日冷静にどうするか考えればいい」
どこか失恋した者の扱いに慣れている様な瑠璃に怪訝な顔をして、しかし勉は瑠璃ほど都合のいい相談相手はいないと気付いた。
「先輩、あいつなんであんな変な事言ったんすか?」
「え? 霊がどうこう、という奴か?」
盗み聞きしていた事を隠そうともしない瑠璃に苦笑いしながら、勉は「そうっす」と頷いた。
瑠璃はふむ、と日頃の園香の事を思い出す。
彼女とはあまり会話した記憶がない。
元々幽霊部員なので部活でもそれ程会話する機会がないし、その僅かな機会に何度か触れたが何をしている時でも「楽しんでいる」という感情ばかりで、正直何を考えているのかよく分からない。
だから瑠璃は園香の事が苦手だった。
「花押君は掴み所が無いのと、人を困らせるのが好きという事以外、私もよく分からないからな……。こうやって君や私達を混乱させるのが目的だったのかもしれない」
「……そうなんすかね?」
「何か気になる事がある様だな。彼女がドアを開けてから、何かあったのか?」
「ええと……あの直後に振られたんすけど、『答えは出会う前から出てる』って言われたんす」
「それは……」
瑠璃は思い付いた答えを言うべきかどうか少し悩んだが、勉の真剣な視線に負けて正直に伝える事にした。
「根本的に嫌いなタイプなんじゃないか?」
園香は人を困らせたりちょっと怒らせたりする事はあるが、暴力などは嫌うタイプだと思う。だから素行に問題があって中学の頃は喧嘩三昧だったらしい勉の事は生理的に受け付けない可能性がある。
「うご……ぐ……」
なにやらバトル漫画でモブキャラがボディーに一撃貰った様な呻き声を漏らし、勉が頽れた。
「あ、あの……」
その様子を見かねて、加美華が横から声を掛けた。
人見知りなのでまだ勉相手に会話するのは慣れていないが、堂々と告白して自分の思いを伝えた彼の勇気には羨望したからだ。
まあそれ以外にも、彼に頑張って園香と結ばれて欲しい理由があるのだが。
「幽霊の事、岸島君あまり興味ないですよね?」
「え? あ、いや、まあ……そこそこ?」
本音は加美華の言う通りでも、一応オカルト研究部員なので、勉は微妙な表現で誤魔化した。
「あの言葉は、幽霊とかオカルトが大好きな人がタイプ、って取れると思うんです。それこそ霊とデートする様な人……が……」
そう言いながら、加美華は自分の言葉で気付かされた。
(こ、これが急に月照君に近付こうとした理由!?)
確かに月照は霊相手でも優しく接しているし、その気になればデートどころか男女の関係の行き着く所まで行けるだろう。
(ど、どうしよう……あの人と月照君、なんか結構打ち解けてたし……。ええい、やっぱり早く自分の相談したい! 人の相談に乗ってる場合じゃ――……ううん、でもこの人の相談に乗って上手くいけば私の問題解決するんだし、これはこれで重要?)
自分の思考で忙しくなって、加美華は黙り込んだ。
「つまり、俺が霊と付き合う位オカルトにどっぷりハマれば、チャンスがあるって事か?」
勉はそんな加美華の様子を少し不審に思いながらも、彼女が言わんとした内容を理解した。
「ふぁっ!? ふぁい!」
変な声で慌てながら返事をする加美華の姿に余計不信感を募らせるが、しかし彼女の解釈が正しい様な気がする。
というか、瑠璃の言う様に過去の素行が原因で生理的に無理なんだとしたら、受験勉強を始めるまでの短期間ではどうしようもない。だからこっちの可能性に全てを掛けるしかない。
となれば、取るべき行動は一つ。
――音楽室の霊ともう一度会って仲良くなる。
「できるかぁぁっ!」
全身から変な汗が一斉に噴き出すのを感じながら、天井に向かって叫んだ。
トラウマになっているのにそんな事、難易度がどうとかいうレベルの話ではない。ショック療法が過ぎる。
「だ、大丈夫か? とりあえず、さっきも言ったが今日はもう帰って休め」
瑠璃が肩を叩くと、勉は素直に頭を下げてフラフラと歩いて行った。
「大丈夫、ではなさそうですね……」
「まあ、彼なら何とかする……と信じよう」
そのあまりに頼りない後ろ姿に、二人とも迂闊なアドバイスをした事を少し後悔していた。




