1セーブ目(3)
双子が加美華達に話した内容は、月照が霊と会話したり触ったりできるという事だけだったらしい。
だからむしろ加美華の方が、月照が具体的にどんな事ができるのか、霊相手に何をやってきたのかと聞いてきた。
月照が手を貸す気になった事に安心したのか、それとも他に縋るものが無いので必死なだけなのか、加美華は会った時よりも調子よく話をしている。人見知りと言っていたが、それも話をする内にどうやら徐々に慣れてきたらしい。
しかしお祓いをしろと言われても、月照は別に念力で霊を追い払ったりありがたいお経で成仏させたりなんてできない。どうしてもやれと言われれば、直接ぶん殴って追い払うくらいしか方法がないだろう。
「いや……俺も除霊なんて無理ですよ。俺のはただの霊感なんで、昔から人より霊障とか霊体験に遭い易いってだけだと思います」
だから月照は正直にそう言った。
過度の期待を持たせて何の力にもなれなかったら、加美華は今度こそきっと絶望してしまうだろう。
彼女を助けたいのは事実だが、だからといって今だけの為に無責任な嘘を吐くのは、多分逆効果だ。
「そう、なんですか……では、今まで具体的にはどんな体験をしたんですか?」
加美華は少し声の張りを失ったが、それでも月照に期待している様だ。
その期待の度合いが分からないので、月照は素直に頭に浮かんだ過去の体験を語る事にした。
「ええと……すぐに思い出せる中で一番古いのは確か、幼稚園の頃に家族と出かけた花火大会の帰り道ですね」
「何があったんですか?」
しかしここでふと、月照に悪戯心――もとい、サービス精神が沸いてきた。
(そうだ、どうせ霊体験を話すなら、きちんと怪談っぽく話そう)
夕暮れにはまだ時間があり、校庭などからは今も部活動をしている生徒の声が時折聞こえてくる。一年生はまだ参加していないが、二、三年生は今日も頑張っているらしい。
「車だったんですけど、夏だからジュースを結構飲んでたんです。でも窓を開けてたせいで夜風で結構冷え込んで……で、偶然見付けた寂れた無人のパーキングエリアで止めて貰って、トイレに駆け込んだんです」
さっきまではそんな窓の外には負けないしっかりとしたものだった月照の声が、徐々に小さく強張った物に変わっていった。
「そ、それでどうなったんですか?」
つられて加美華の声も強張った。
「そこは入り口というか、外のしか電気が点いてなくて奥は真っ暗だったんです。節電なんでしょうね」
「あ、自分で入り口辺りにあるスイッチを入れろって事ですね」
相槌を打った加美華は、教室の電気のスイッチへと視線を向けた。
ちょっと話をするだけの予定だったので少し暗くても問題ないとスイッチを入れなかったのだが、改めて意識するとやはりどこか不気味な薄暗さだった。
「ええ。で、親父がスイッチを探している間、俺は早く入りたくて奥をじっと見ていたんですが、そこにふと違和感があったんです」
「い、違和感?」
「整然と並べられた便器の水道管とは明らかに異なる場所に二つ、並んで浮いている光があったんです。何かの反射光みたいなんですが、蛇口の様な綺麗な反射じゃなくて、もっと澱んだ感じの……。壁のタイルにしては光の角度──つまり高さがあまりにも低い。その光は俺の眼の高さくらいにあったんです。当時幼稚園児だった、小さな身長の俺の……。だから俺は何となく気になって、『あれ何だろう?』ってそこを凝視してたんです」
「そ、それで……?」
「しばらくすると、その二つの光がゆらりと揺れてこちらに近付いてきたんです。二つ平行に飛んできたので虫でもないだろうから、俺は『妙だな、変だな?』って、目を離さずにじっと見てました」
「(ゴクリ……)」
「丁度その時、親父が電気のスイッチを見付けたと言って、明かりを点けたんです。で、蛍光灯がチカチカと明滅し始め、その光に照らされたのは──」
「(ひっ……)」
「こちらに向かって物凄い勢いで飛んでくる生首だったんです!」
「きゃあああああああああああ!」
仄暗い教室に、加美華の絹を裂く様な悲鳴が木霊した。
その声の大きさに少々面食らったが、月照としてはおおよそ期待通りの反応が返ってきたので満足だ。
いくら日常的に霊が見えるとはいえ──いや、霊が当たり前に見えるからこそ、こういう時に選ぶ話題は特に印象深い、記憶に残るほどの特別な話なのだ。
だから話を聞いた人がちゃんと反応してくれると、少し嬉しくなってしまう。
これが双子相手だと、霊の話をせびるくせに反応が「へ~」程度なので、話す方としては全く面白くない。
「「あ、その話覚えてるよ。確かその生首が横をすり抜けて外に出ようとしてたのに、みっちゃんは咄嗟に捕まえちゃったんだよね」」
そう、こんな風に二人揃ってただの思い出話程度に扱われるのだ。
「で、おじさんにばっちいから捨てなさいって怒られて──」
「みっちゃん、ポイ捨てせずにちゃんとトイレ据え置きのゴミ箱に捨てたんだよ」
灯と蛍が、にこやかにこの話の結末を加美華に伝えた。
「──……え? え、ええと……」
折角良い具合に怖がってくれていた加美華なのに、双子のせいで月照に微妙な顔を向けてきた。
彼女はきっと、ゴミ箱の中で今の自分と同じ表情をしている生首の姿を想像しているに違いない。
まあ実際、そんな感じの表情だった記憶があるが……。
しかし事実はどうあれ、月照としてはこれでは面白くない。
くそ、と心で舌打ちをして、次の記憶を探る。
「他には、そうですね……」
色々と思い出されるのだが、こういうのはポピュラーな怪談話にされる程度のものの方が、一般人にとってはきっと恐ろしいはずだ。
「小学校低学年の頃、あれも夏場でした。風呂上がりにアイスを欲張って二つも食べて、その後腹具合が悪くなったんですが、それほど酷くなかったんで気にせずそのまま布団に入って寝たんです」
「あ……はい」
加美華はまた元の緊張した面持ちに戻り、月照の話に聞き入った。
「しかしやっぱり回復しなかったらしくて、夜中に腹を下してしまったんです。勿論漏らしはしませんでしたが、腹を押さえて大急ぎでトイレに入ったんです」
「は、はい……」
「ウチも当然洋式なんですが、母親が几帳面なんで、使ったらいつも蓋を閉めてるんです。で、その時もいつもの様に閉まってたんで、俺は急いでその蓋を開けようとしたんですが──」
「(まさか!?)」
「蓋が独りでに開いて、中から手が伸びてきたんです!」
「いやぁっ!」
よし、また良い感じの反応が返ってきた!
「さすがの俺も、あの時は狼狽えましたね」
月照は満足しながら、双子に邪魔をされる前に話を纏めた。
「そ、そう……でしょうね……」
加美華は少し青ざめている。ちょっとやり過ぎたかも知れない。
「「で、その後どうなったの? 漏らしたの?」」
この双子は……。
余韻に浸る間もなく、そんな事を聞いてきた。
「誰が漏らすか! 確かに急いでるのに邪魔されて狼狽えたけど、手が少し引っ込んだ隙に便座に陣取って、圧縮ガス式拡散メガ粒子砲で撃退して無事だったんだよ!」
そういえばあの時、窮地からの開放感に浸ってしまって出し切る頃にはすっかり忘れていたが、あの手は一体どうなったのだろう? 確認せずに流してしまった。
(ん?)
「……………………」
月照が視線を感じてそちらを見ると、加美華がまたさっきの微妙な表情をしていた。
(くっ……あほ姉妹め……!)
双子のせいでまた台無しだ。
「え、ええと、他にも高学年の時には、誰も居ないはずの放課後の学校のトイレで、個室からすすり泣く声が聞こえてきた時。あの時はさすがに俺も後で青ざめました」
「「トイレの話ばっかりだね?」」
「………………」
双子に言われて月照は黙り込んだ。加美華はずっと微妙な表情のままだ。
「と、当然トイレ以外でも色々あんぞ!」
そう言い返して次の記憶検索に入る。
そもそもこのトイレの声の話は、生きた人間はいないと思い込んでいただけで本当は誰かが紙が無くて泣いていたのかも知れない、と後から気になって青ざめただけだった。これは霊の話でも何でもない、ただの雑談だった。
少し頭に血が上っていたのかも知れない。
ここは双子にも話した事がない、とっておきを出そう。
「例えばあれだ。走り屋がうるさい、あの山向こうの何とか峠!」
動揺が残っていたので咄嗟に名前が出てこなかったが、深夜の騒音と言えばこの辺りの人なら誰でも分かる峠道がある。
月照は走り屋と言ったが、要するに自動車でドリフトしながら坂道を下って遊んでいる連中だ。
連中が夜中にわざわざタイヤを無駄にすり減らしてまで毎日出し続ける騒音に、近所の人がいい加減何人かブチ切れて警察に通報した事がある。物凄い剣幕でがなり立てる通報が立て続けに十数件もあったらしく、さしもの警察も重い腰を上げて大捕物を行ったのだ。
その話はあっという間に広がり、今ではこの町の誰もが知っている。
もっとも、その連中は道路交通法違反の罰金だけで済んだのであまり懲りていないらしく、今でも毎週末は同じ峠で走り続けているのだが、それはまた別の話だ。
「そうだな、これは俺の人生の中で最も恐ろしい体験だった……」
微妙状態を維持している加美華をリセットする為、月照は敢えてそう言った。
だが嘘ではない。
あの峠での出来事は月照の脳裏に今でもくっきりと焼き付いたトラウマで、全く洒落にならない、命の危険を感じた出来事だったのだから。
月照がちらりと加美華の様子を見ると、表情が無くなり肩を小さくすぼめていた。どうやら既に恐怖を感じているらしい。
それはそうだろう。双子が台無しにしなければ、今までの話だって充分怖がっていたのだ。
その月照の話の中でも特に怖い話だと言われては、怪談への耐性を失っている今の加美華にとっては、一体どれ程の恐怖なのか想像もできない。
「……あれは確か中一の時、大捕物の少し前──」
加美華をこれ以上怖がらせていいものか少し悩んだが、ここで話を止めると加美華が勝手な妄想を膨らませ、恐怖で寝付けないなど却って悪影響が出るかもしれない。
それになにより、このままでは月照の沽券に関わる。
月照は加美華ではなく双子の方に向かって話し始めた。
「親父が『うるさいから走り屋達の顔と車のナンバー調べてやる』って言って、夜に峠に行こうとしたんだ。で、俺も中学に上がって強くなったつもりでいたから、親父一人じゃ危ないし付いて行くって言って、連れてって貰ったんだ」
「「一年の頃って、まだ小っちゃかったのに」」
黙って聞け、と声を荒げそうになるが、我慢して続ける。
「しばらくして峠に着いたが、麓には誰もいなかった。多分上にいるんだろうと、親父は走り屋達を探して峠を登り始めたんだ。山頂に続く道をしばらく進むと、中腹よりもちょっと上に、トラックが何台も止まれそうな広い場所があって、そこに走り屋達が屯していたんだ」
「山頂から降りてきてるんじゃないんだ?」
「あそこの山頂って、確か展望公園になってたよね?」
灯と蛍が別々の質問をしてきたが、答えはどちらもイエスなので月照は一度だけ頷いた。
「親父も同じ事を疑問に思って、走り屋に話しかけたんだ。騒音で迷惑な奴等だけど、実際に会ってみると普通の車好きの兄ちゃんって感じで、やばそうには見えなかったから。で、その連中が口を揃えて言ったんだ……」
月照は一旦言葉を切って、横目で加美華を確認した。両手が肩の高さまで上がっているので、もしかしたら霊の登場場面に合わせて耳を塞ぐつもりかもしれない。
「あそこはやばいのが出るから、絶対に夜行っちゃいけない、って」
案の定、加美華の手が少し動いたが、ここはなんとか堪えた様だ。
というか、聞いてから耳を塞いでも間に合わない気がするが、教えてあげるべきだろうか?
(まあいいか)
月照はとりあえずほっとく事にした。
「それを聞いた親父は、真顔で言ったんだ。『やべ、オシッコしたいからあそこの便所行こうと思ってたのに』って……」
「「真顔、だったんだ……」」
「ああ。真顔で言って、俺を乗せたまま走り屋達が止めるのも聞かず山頂に登って、しっかり用を足した」
「「……ねえ、結局トイレの──」」
「違う! そこでは何も出てこなかった!」
双子に反論すると、横で加美華が安堵の溜息を吐いているのが聞こえた。
「問題はその帰り道だ。エンジンも普通に掛かったし、車は普通に走り出した。ただ、下りの急勾配と急カーブが続く所に差し掛かった時──」
月照は少し身震いした。話しながら当時を思い出し、恐怖が蘇ってきたのだ。
「俺の身体が急にシートに押さえ付けられ、身動きが取れなくなったんだ」
「「お~……」」
珍しく双子が真剣な顔で聞いている。
「何が起こったのかはすぐに分かった。車内に生えた無数の手が、俺の──いや、俺と親父の身体をシートに押さえ付けていたんだ」
「(ひぅっ!?)」
加美華の小さな悲鳴が聞こえた。
両手は耳に当てられているが、なぜか中指と薬指の間に隙間がある。ホラー映画を指の隙間から見るというのはありがちだが、怪談を指の隙間から聞くというのはなかなかに新しい。
(まあ、聞きたいみたいだし大丈夫か)
月照は構わず続ける事にした。
「親父を押さえる手は、よく見ると右足をアクセルに押さえ付けていて、左足もブレーキが踏めない様に床に押さえ付けられていた」
「「そ、それって危ないよ?」」
「ああ、幸い押さえ付けられていても親父の両手は自由でハンドルは普通に使えたから、何とか最初のコーナーを曲がる事ができた。でもすぐに新たな異変が起こったんだ」
「「な、何かな?」」
「バン、という音と共に俺の目の前のフロントガラスに、長い髪の血みどろの女が張り付いたんだ。勿論轢いたわけじゃない。文字通り、突然降って湧いたんだ。そいつはやがて『助けて、助けて!』って俺に向かって悲壮な声で何度も懇願し始めてきた!」
「きゃああああああああああああああ!!」
加美華の絶叫が響き渡るが、月照は続ける。真の恐怖はここからだったのだから。
「親父はそいつをガラスに貼り付けたまま、何度もカーブを綺麗に曲がった。しかし勾配はドンドンきつくなり、エンジンブレーキなんて全く効くわけがない。そもそもオートマ車のギアなんて、非常時に咄嗟に変えようなんて思い付かない」
「「ス、スピードが勝手に上がるって事?」」
「ああ。スピードはドンドン上がり、カーブの度にタイヤからキキキィ、って嫌な音が聞こえたが、親父の集中力とテクニックの方が勝っていた」
「「でも凄い距離あるんでしょ? どうやって無事だったの?」」
「無事なもんか!」
双子の言葉に、月照の声は裏返った。
「無事じゃねえよ……あの時……」
その月照の様子に、双子も口を挟めなくなった。加美華など既に震え上がり、悲鳴すら上げられなくなっている。
「あの時、親父は言ったんだ……。『面白え』って……」
「「……え?」」
「親父はあの時、不敵に笑ってアクセルを思いっ切り踏み込んだんだ! フロントガラスの女がどれだけ必死に助けを求めて泣いて謝りながら止める様に頼み込んでも、無視してガンガン加速しながら急ハンドルを切って! 足下の手がアクセルを必死に押し戻そうとしているのを力尽くで踏みつけて! 押さえ付けていた霊の手を振り解いた左足は、ブレーキに伸びてきた手を悉く踏みつぶした!」
「「「……へ?」」」
双子に加美華の声も重なった。
「走り屋が半分ちょっとの距離で満足する峠道を、山頂からサイドブレーキだけで、殆どアクセルベタ踏みのままで、一気に下まで走り抜けたんだぞ! 途中で走り屋の車を並ぶ間もなく追い越してぶっちぎって! 麓に着く頃にはフロントガラスの女なんてとっくにどっかすっ飛んでってて、後から降りてきた走り屋連中が興奮しながら『峠の鬼神』ってあだ名付けて、『レコードタイムを今までの半分まで縮めた』って大騒ぎだったんだ!」
「「「………………」」」
「助手席にいた俺の恐怖が分かるか!? シートに押さえ付けてくれる手がどれだけありがたかったか! あの手が無かったら途中で何度も頭を横手にぶつけてたろうな! あいつら俺を守る為に必死になって頑張ってくれて、俺、その手を必死で握ってたけど、麓で車が止まった時にはそのまま握手したよ。あれほど感謝と感動した事は無かったぞ!」
興奮しながら一気にそうまくし立てた月照は、ふう、とそこで一息吐いた。
「……しかしよっぽど堪えたのか、あれ以来夜中に山頂まで行っても誰も霊に遭わなくなったんだそうだ」
「「あ、うん……」」
「それは……はい……」
あれ? と月照は三人の反応に違和感を覚えた。
おかしい。双子はともかく加美華まで、これほどの恐ろしい体験なのに怖がってない。途中までは間違い無く怖がっていたはずなのだが。
「……俺の話、怖かったよな?」
しかし月照の問いに返ってきたのは、三人の微妙な表情だった。