3セーブ目(12)
夕食、入浴を済ませた頃には、二人の言葉数が大分減っていた。
あれだけ元気に余計な事ばかりしていた園香も、夕食時に月照の目の届かないところで再び勝手をした際にガン無視されて以降、入浴時の隙にも悪戯をしなかった。構って貰えないのが一番効いたらしい。
昼からの長い時間、暇つぶしに本棚の漫画をかなりの量読み漁っていた園香だが、ページ捲りに一々霊障を起こすのも結構疲れると言って風呂上がりの月照にページを捲るよう我が儘を言い出した。
月照も昨日の内に宿題を全部片付けていたので時間を持て余しているのだが、一冊の漫画を二人で読む状況はどう考えても園香との物理的な距離が近過ぎて実行不可能と判断し断った。
別に霊相手に照れた訳では無い。至近距離でブラック化されたら危険だから回避しただけだ。
断じて、園香からなんかいい香りがする事とか無防備に制服の胸元に隙間ができる事とかを意識した訳ではない。
断じて……。
そんな月照の心の葛藤など気付きもしない園香は、それからずっと不貞腐れてゴロゴロしている。
とはいえ、月照も完全に手持ち無沙汰だ。
月照の部屋にはテレビが無いので二人でテレビゲームをして遊ぶという訳にもいかず、かといってテレビのある居間には母親の目があるので一緒にプレイはできない。
だからといって園香に月照が一人遊んでいるのをじっと見てろなんて言える訳もなく、言ったところで彼女に実行できるとも思えない。
アナログゲームはトランプ位しか持ってないのでテレビゲームと違ってすぐ飽きるだろうし、途中から漫画同様月照にどのカードをどうしてくれと頼みそうなので最初から考慮していない。
スマートフォンのアプリケーションソフトやオンラインのゲームで遊ぶ事も考えたが、それらは基本的に一人用に作られている。ついでに霊の園香には実体化しない限りタッチパネル操作はできないだろうし、月照はタッチペンを持っていないので結局自分一人で遊ぶだけになる。
そこに園香が興味を持って覗き込んできたら……。
漫画よりも画面が小さいのに、できる訳が無い。
全く状況を打開できない月照は唯一残された用事、つまり「布団を敷く」に取りかかり、二分もかからず終わってしまった。
これでいよいよ本格的に、寝る以外のする事が無くなってしまった。
とはいえ時刻は高校生にとってはまだまだ宵の口、午後九時前だ。
(昼間はまだマシだったんだけどな……)
園香が読んだ漫画の感想を言い合い、去年のオカルト研究部の話を聞いて呆れたり、音楽室の幽霊の情報を再確認したりと、色々会話も弾んでいた。
だがよくよく考えれば友達と遊ぶ事に慣れていない月照に、午後一時頃から今までの長時間を楽しく過ごすなんてそもそも無理があった。
(仕方ない、ほんとに寝るか……)
月照が諦めて枕の位置を直した時、園香が久しぶりに口を開いた。
「ええと……たまたま君はいつも、こんなに寝るの早いの?」
「いえ、十一時位が目安ですけど……」
なんだろう、女子と二人きりの部屋で布団が一枚だけのこの状況で話しかけられると、思い出してはいけないあの時の記憶が湧き上がってくる。
(違う違う違う、今回の相手は霊だ! かみかみ先輩じゃない!)
自分に言い聞かせて無理矢理動悸を押さえる。
「じゃあ、もう少しだけ……時間、あるんだよね?」
「え?」
いつもの様ににこにこしていた園香が、急に表情を曇らせた。
「昔話……聞いてくれるかな?」
時々酷く抜けている月照でも、その言葉の意味はすぐに理解できた。
「……はい」
だから居住まいを正して、真剣に園香に向き合った。
「私は元々、海辺の町に住んでいたの。ここよりももっとずっと都会で、工場がいっぱいあって――」
ゆっくりと悲しげに、園香は言葉を紡ぎ始めた。
生まれた時から身体が弱かった園香は、小学校の頃は毎年、止まらない咳で一年の半分近く学校を休んでいた。その頃は詰め込み教育でまだ毎週土曜にも授業があったので、休んだ日数は凄い事になっていた。
原因は海辺の工業地帯から出る排ガスなどの汚染物質だ。当時は少しマシになってきたとはいえ、まだまだ光化学スモッグが頻発していた時代だった。
医者に「ここにいる限り治らない。空気の良い所に引っ越すことを勧める」と言われ、中学に上がるタイミングでこの町に引っ越してきた。
金銭の都合が付くまではどうしようもないからと、引っ越すまで少し時間が掛かったのだ。
それでもかなりの無理をしたので、引っ越してきたのは良いが家計に全く余裕が無く、食べるだけで精一杯だった。
衣服は古くなっても繕って使い続け、靴は穴が開いても底が擦り切れるまで履き続けた。
しかし当時としてはそれは特別珍しい事では無い。
大量消費社会は始まっていても、戦後何も無い時代に幼少期を過ごした人々が親だった時代だ。物を大切にする文化はまだまだ充分残っていた。
母親が自宅で洋裁をするのも当たり前で、生地から洋服を作る母親も珍しくなかった。
残念ながら園香の母親はそこまで器用ではなかったので、家計を助ける為にパートタイムで働く事を選んだのだが……。
贅沢品は引っ越しを決意する前に奮発して購入したビデオデッキ位で、それも新しいテープは買えなくなった。古いテープには知り合いにビデオカメラを借りて撮影した園香の小学校時代の姿が映っているので、テレビ放送を録画する役目は果たせなかった。
だが中学生と言えば、思春期になって新しい物に興味を持ったり異性が気になり始め、お洒落がしたくなる年頃なのも事実だ。
だから学友達は皆、余所行きとして少なくとも二、三着は良い服を持っていた。裕福な家庭の子なら、全てがどこに着ていっても恥ずかしくない服だった。
同じ学校で制服以外まともな服を持っていなかったのは、園香を含めても数える程だろう。
そんな貧しい生活が始まった園香だったが、苦しかった咳は明らかに改善し、休む日数は激減した。普段着が少々みすぼらしくても、家族でどこかに出掛けたりできなくても、あの呼吸すらまともにできずこの世にいるのか地獄にいるのか分からない様な苦しみから解放された事が何より嬉しかった。
しかしそんな園香に新たな問題が起こった。
視力が急に悪くなったのだ。
成長期に急激に視力が低下するのは良くある事なのでそれは仕方がないのだが、彼女の家にはファッション性に優れた高価な眼鏡フレームを買えるだけの余裕が無かった。
だから彼女の眼鏡は、まるでおじさんが掛けている様な飾り気のない無骨な安物フレームになった。
勿論家庭事情を理解していた園香は、当初そんな事を気になんてしなかった。
しかし、周囲がそれを許さなかった。
幼少期から天使の様だと比喩される愛らしく整った顔立ちをしていた園香は、中学入学時から本人の与り知らぬ所で周囲の注目を集めていた。
学校一の美人とまで噂されていた彼女は男子全員の注目の的だったが、同時にそれは想い人の心を奪われた女子の嫉妬の対象でもあった。
そんな園香が、突然不似合いで不細工な眼鏡を掛けて登校してきたのだ。
しかも今でこそ眼鏡はファッションアイテムになり「属性」とまで評価されているが、当時は「眼鏡女子は魅力が無い」「眼鏡を掛けている女はパス」なんて言われる事もある時代だ。
普段から園香を快く思っていなかった女子達が、そんな大きな隙を見逃す訳がなかった。
更に不運な事に、園香の普段着や靴の具合についても丁度同じ頃にそんな女子に見付かってしまった。
「後はもう、一々言わなくても分かると思う。学年関係無く、年下からも……」
園香はブラック化こそしていないが、している時よりも暗く濁った瞳をしていた。
「…………」
月照は掛ける言葉が思い付かなかった。
「中学三年間、高校で一年半……それが私の限界だった……」
当時のこの町は今よりも人口――特に学生人口は倍ぐらい多かったはずだ。
だから受け皿の高校も今より多かったかもしれないが、一校当たりの生徒数もかなり多かっただろう。
話を聞いた限りでは彼女の家庭の経済状況で通える高校なんて公立高校だけだし、交通費も惜しむとなると、月照の通う地元の市立高校一択と言っても過言ではない。
そうなれば、中学での苛めがそのまま高校に引き継がれる事になる。
上や下の学年なら、学校が違う間に恋人を作って園香への興味を無くす者もいたかも知れない。だが同学年の者は続けるだろうし、高校に入ってから同じ理由で新たに参加する者も現れるだろう。
「あーあ……私も馬鹿だったよね」
この町では、高校生にもなって陰湿な苛めをする奴なんてほぼ皆無だ。だから月照は小学校、中学校と奇行が目立っても苛められる事はなかった。
勿論月照自身の他人よりも鍛えていた身体のおかげもあるだろうが、それだけが理由ではない。
小学校、中学校の道徳の授業で、苛めが如何に卑劣で人道から外れた行為なのかを徹底的に叩き込むからだ。
「教師なんて、アテにならないって、中学で分かってたはず、なのに……」
園香の声が震えて途切れ途切れになった。
「先輩……」
何とかそれだけを絞り出したが、月照には何もできない。
森林の様に酷い陰口を言う奴は絶えないが、それをSNSに流すような卑劣な事件は今のところ一件も確認されていない。
悪口を本人に聞かれたから開き直って直接手を出す、なんて奴も噂すら聞いた事がない。
それは教師のみならず、市の教育委員会も含めて現在まで全力で手を付くし監視を怠っていないからだ。
「あと、ちょっと、で……。ちょっと、我慢、すれば、良かったぁぁぁ……」
園香が月照の胸に飛び込み、顔を埋めた。
「卒業、待ってたら、きっと、きっとぉぉぉぉ……」
教育関係者が本気になった切っ掛けが、一人の女子高生の自殺だった。
数十人も名指しで、何枚もの便箋に憎悪と無念を綴った遺書には、名も知らぬ者が更にまだ関与していたと記されていた。
その規模と、集団である事を利用した陰湿な手口。
その女子高生を醜いものの代表格や人外のバケモノとして扱い、近付く男子にはゲテモノ好きのレッテルを貼って、それでも近付く者には痴漢や強姦の噂を流して学校沙汰にして。
そこまでして、彼女を孤立無援にした。
大人がそれに気付かない様に、作戦会議を行い連携を取り役割分担をして。
彼女を追い込む為だけの組織が作られていた。
いつの間にか、嫉妬だけではない集団心理が働いていたのだろう。
しかしその狡猾で残酷な手口は、どんな言い訳をしても許されるものではない。
暴力は、足を引っかけたとか軽く突き飛ばしたとか、じゃれ合いで済まされる程度で押さえられていた。
彼女の持ち物も、衣服や鞄、教科書、ノートといった目立つものだけは全くの無傷だった。
しかしそれ以外は、もう使える物が残らない位酷い状況だった。
筆箱の中身、鉛筆は剪定鋏で一センチずつに細かく切り折られ、消しゴムは丸ごと一個わざわざ鉛筆を消して、その黒い消しカスを丸めて入れられていた。
靴の中には自転車のチェーンで黒く汚れた油が入れられ、水泳の授業の後に制服に着替えようとすれば下着の両胸や股間に穴が開けてあった。
「私、お父さんと、お母さん、にぃ……あんな顔、あんなぁぁぁぁ!」
その事が克明に書かれた遺書が世間に公表され、同時に家族が何年も、何度も、学校に繰り返し掛け合っていた事が発覚した。
丁度その何年か前にカルト教団と全面戦争をしていた事もあって、この町は全国的に知名度があった。
結果、日本中がどう反応したかは語るまでもない。
その反動が熱心過ぎる道徳教育だ。
本当に熱心過ぎて当初は体罰上等の教育方針だったが、事件が事件、時代が時代だった事もあり、それらはむしろ好意的に容認されていた。
(中学の時おばさんが言ってた話、実話だったんだな……)
双子の母親は地元出身だ。
彼女はこの事件の時もう社会人だったので、その時の事は事情も含めてはっきり覚えていた。
人格を否定され、人間である事も否定され、家族の思いまで踏み躙られて、一体どれだけ悔しかったのだろうと語ってくれた。
被害者の名前は流石に覚えていなかったが、今となっては調べるまでもない。
「逃げ、られたと……楽になった、って、思ったぁぁぁ……!」
月照は無意識に園香の頭を撫でていた。
「でも、でもぉぉぉ! 一周忌、でぇ、家、帰ったら、あんな、まだぁぁぁ!」
「先輩……」
苛めていた連中は、間違いなく園香の家庭の経済状況を理解した上で行っていた。
自分の為に仕事を変え家を変え、苦しい生活に耐えながら自分を育ててくれていた両親を、更に経済的に追い込もうとするそいつらに対する園香の怨念は、多分自分自身を傷付けられるよりもずっと大きなものだ。
殺意すらも生温い負の感情が生まれていてもおかしくない。
「毎年、毎年! 十三回忌、でも……ずっと、ずっと泣い、てて……」
なのに。
「ごめんなさい、ごめんなさぁぁぁぃぃぃ!」
彼女は謝った。
相手への恨み事ではなく。
先立った自らの過ちを、両親に。




