3セーブ目(10)
「なんか長い道のりだったねぇ」
園香が音楽室の扉を内側から開け、月照に笑顔を向けた。案の定掛けられていた鍵を、旧校舎と同じ要領で開けたのだ。
「ほぼ全部先輩のせいですけどね……」
「なんか言った~?」
「言いましたよ~」
月照は恥ずかしい事を言ってしまった照れと恥ずかしい思いをした悔しさで、さっきから投げ遣りな対応だ。
「正直なのはいいけど、時には思い遣りも必要だと思うんだ、私」
「心配しなくても先輩は美人です。ちゃんと悪霊です。これは褒めてますよ~」
全く心の籠もってない言い方をしながら、月照は園香の脇をすり抜けて音楽室に入った。
「そう? じゃあ照れよっかな?」
「どうぞご自由に」
「冷たいなぁ……。急に別人のようだね」
(あんたにだけは言われたくない!)
園香をぞんざいに扱いながら音楽室を見回すが、霊なんて何処にもいない。
「いませんね」
「うん、いないね」
園香も周囲を見回して同意した。
「先輩、その霊は人がいない時はずっとここにいるんですか?」
「私が調べたのは夜とか休み時間、あとは放課後位だけど、絶対にいる訳じゃなかったよ。それ以外は調べてないからもっと分かんない。授業中は私が音楽の時以外来ないし、確認できないから。サボりは良くないし」
(いやあんた、授業受ける必要無いだろうが……)
条件付きで現れる霊というのは結構いる。初めて会った時の桐子や住職がその例だが、肝心のその条件が時間なのか天候なのか人の気配なのか分からないと、月照にも見付ける事はできない。
「なんか、そいつを見かけた時の共通点とかあります?」
「あ、そういえば休み時間はお昼以外見た事無いかも? お昼もなかなか見かけないけど。あと、放課後は偶にいるかな? 夜はいつもいるよ」
「夜、ですか……」
夜なら確実に会えるとしても、深夜の学校に忍び込む訳にはいかないだろう。見付かったり監視カメラに映像が残っては、旧校舎の件と合わせて停学になりかねない。
「そういえば休日は? 見かけた日あります?」
「休日は今日以外で一回しか見に来てないけど、その時はいたよ」
条件が全く分からない。
「放課後や休みの日にちょくちょく寄ってみるしか無さそうですね。ブラバンがいない時に何度か見てみましょう」
森林の安全の為にも本当は早く解決したいのだが、こればかりは焦っても仕方がない。彼に直接音楽室に近付かない様言っておこう。
「君、芸術の選択科目は音楽?」
「え? いや、書道ですけど」
「じゃあ音楽室来る事は無いし、裏庭に近付かなければ良いだけか」
園香が妙に満足顔で一人頷いている。
「えぇと、一体どういう……?」
「どういうって、勿論君の安全の為だよ。三階から花瓶投げつけられたら嫌でしょ?」
「え? いやいや、森林の安全確保は必要ですけど、なんで俺?」
「ん?」
「え?」
二人で頭上に「?」を飛ばしながらしばしの間首を傾げあう。
「……モリバヤシ君が何者か知らないけど、多分その人は何やってもここの幽霊には相手にされないと思うよ」
「へ?」
ようやく話を進めた園香の言葉に、月照の首の角度が五度増えた。
「だって彼女が狙ってるの、君の命だから」
「……へ?」
「狙われてるの、君」
「はぁぅあ!?」
変な声が出た。
「なんで俺!?」
「だって君、つとむんと彼女の二人っきりの時間邪魔した上に彼を追い払ったでしょ? その逆恨みだよ」
「じゃ、じゃあなんで森林に花瓶投げたんですか?」
「君に投げたんだよ。ただノーコンなだけ」
「ノーコンて……」
投げるというかほぼ真下に落とす作業だったはずだが、月照から五メートルくらい後方を歩いていた森林を掠めたなんて、ノーコンの一言で済ませていい下手くそさじゃない気がする。
「てか、なんでそんな詳しいんですか?」
「投げた時にびっくりして聞いたから」
「じゃあその時本人に『殺したい気持ち』聞けよ!」
「言ったでしょ、『会話』は無理だって。尋ねても耳に入らないみたいで、じっと君を見ながら独り言を言ってたの。あの晩の恨みがどうだとか、絶対に殺すって。君の姿が見えなくなるまで、ずっと窓から見下ろしてブツブツ言い続けてた」
「……普通に会話を試みた事は?」
「それっきり無いよ。だって怖いもん。殺人鬼だよ、相手」
(そうだけども!)
興奮して雑な言葉遣いも混じってしまった月照だが、淡々と言い返す園香に言い負かされて項垂れた。
「はぁ……そもそも二人きりの時間て何です?」
「あの子にとっては、肝試しの時につとむんと過ごした時間はそういう時間だったみたい。私もいたけど、あの子の中ではいなかった事になってるみたいだね」
その抽象的な説明だけでも月照には充分だった。
「あ~……いますね、確かに。そんな恋愛脳の霊」
「え、よくいるの!?」
「よくはいませんけど……霊って大体自分に都合の良い様にしか物事を解釈しないから、その手の奴は二人っきりになったまま相手がじっとしていると、『相手は私と一緒に居たいんだ』って解釈して、一人勝手に盛り上がるんです」
「うわあ……それは痛いね。かなりストーカー気質な感じがするし」
「はい、大抵そのまま相手に取り憑きます。今回みたいに見える様になるならまだマシですけど、見えないままだと相手は大変です」
「そっか……相手の生気を吸ったりするんだね」
「いえ、それは見えるかどうかは関係無いです」
「え? じゃあ見えない方が厄介な理由って何?」
月照は言うべきかどうか迷った。これを知ってしまうと、生者は日常生活に支障を来しかねない。
しかし霊の園香は生活なんて関係無いだろうと、月照は話す事にした。
「実は……」
「実は……?」
「風呂とかトイレとか秘蔵の本とか、知らないうちに全部見られてます」
「………………ああ、うん」
何やら園香の瞳から光が消えてブラック化している気がするが、襲ってこないので気が付かなかった事にしておこう。
しかし園香の反応が微妙でも、これを気にしてしまうと生活し辛くなるのは間違い無い。風呂、トイレでずっと周囲が気になるし、秘蔵の本は他者に見られたくないから秘蔵なのだ。
そして厄介なのが、この手のストーカー幽霊は相手の事を全て知りたいとか考えて、それら本人が一番隠したい事をこそ覗こうとするのだ。
月照もストーカー幽霊に取り憑かれた時に、箪笥や机の引き出しに頭を突っ込んで中を探っている現場を見た事がある。
見る度に容赦なく左右のフックをボディに叩き込んだり、背後から投げっぱなしジャーマンで家の外にぶん投げたり、大きく持ち上げてからアトミックドロップで悶絶させたりしてしているうちに追い払えたが、本気で鬱陶しかった。
それを見えない人がされたらと思うと、同情を禁じ得ない。
「あの、さ……」
園香が元の状態になって問いかけてきた。
「それ、相手が見えなければ気にならないんじゃないかな?」
「でも、知った時のショックは半端ないですよ」
「そ、そうだけど……」
「それに見えなくても気になるでしょ? 大抵の奴は心霊現象の話聞いた後、風呂とかで後ろが気になって仕方ないって聞いた事ありますよ」
「(それは多分、君と違う感情で気にしてると思うよ……)」
園香は小さく呆れた様に呟いてから、少し間を置いて上目遣いに月照を見詰めた。
「ねえ……」
囁く様に言いながら、少し月照に身体を寄せてくる。
何度も見たので少し慣れたかと思ったが、そんな事は無かった。平常心を心がけてもやはり心臓が高鳴る。
「君の秘蔵の本って、どんなの……?」
「持ってません!」
即答した。真偽は月照と母親にしか分からない。
「ええ~。お姉さんに教えてよぉ」
「本当に持ってませんから」
「あ、じゃあビデオとか?」
「ビデオって……せめてDVDでしょ」
「悪かったわねぇぇぇぇ! 時代遅れな幽霊でぇぇぇぇ!」
「うわぁぁぁぁぁ!?」
なんでこのタイミングでブラック化するのか……。
「私のぉ、時代はぁぁぁぁ! ビデオだったのよぉぉぉぉ!」
「わ、分かりました! VHSって奴ですよね! 昭和万歳! 磁気テープ最高!」
何を言っているのか自分でも訳が分からないがとりあえずテンションで誤魔化してみると、園香は無事元に戻った。
ただし、可愛い唇を尖らせている。
「……私の家はβマックスだったもん」
「え? べーた、何?」
「べぇぇぇたぁぁぁぁ、知らないのぉぉぉぉぉ!?」
「ぎゃああああ!? って、もういい加減にしてくれぇぇ!」
掴みかかられそうになった月照は、全てを投げ出し逃げ出した。
音楽室の鍵はきっと、冷静になった園香が何とかしてくれるだろう。
「もう、なんで置いていくかなぁ……」
自分の教室に戻ると、月照の鞄の上に園香が座っていた。
体重がないので潰れる事は無いが、あまり良い気分はしない。
「鞄なら今取りに来ましたよ」
一度家に帰りかけて、途中で鞄が教室に起きっぱなしだった事を思い出して取りに戻ってきたのだ。
「私だよ」
「それは花押先輩だから置いてったんです」
「ええ~……酷いなあ、もう」
(なんでこれではブラック化しねえんだよ!)
ビデオ規格の方が置いてきぼりよりも重大なトリガーらしい。ブラック化の基準が全く分からない。
「ちゃんと音楽室鍵掛けてきました?」
「それは勿論。もう帰るの?」
「はい。元の目的は果たしましたし、これ以上いても仕方ないですから」
「ふーん。じゃ、帰ろっか」
園香は鞄から降りてそれを月照に手渡し、当たり前の様に横に立った。
「……いやいやいや。おかしいから!」
一瞬ノリツッコミをするべきか迷ったが、面倒なので普通に突っ込んだ。
「一緒に帰ろうよ」
後ろで手を組み可愛い笑顔でにこやかに誘われても、流石にこれは譲れない。
「理由が無いです。そもそも先輩の家はここじゃないんですか?」
「私は死んでるんだから根無し草だよ。まあ学校に住んでるけど」
「じゃあここじゃん!」
「いいの! 今日は君の家に行きたい気分なんだから! それに逃げても家の場所知ってるから勝手に行くけど、いいの?」
「知ってるって……」
いつ調べたのか一瞬疑問に思ったが、彼女なら好き勝手に学校の機密を調べられる。もし今は嘘を吐いているだけだとしても、その気になれば学生名簿くらいすぐに確認できるだろう。
(これは断っても無駄か……)
「言っとくけど私は悪霊だからね。一緒に帰ってくれなかったら、『ピンポンダッシュ』ならぬ『ピンポンして玄関に呼び出した隙に壁抜けして部屋に忍び込む』とか、平気でやっちゃうよ?」
「長いな!?」
語呂も最悪だった。
「それにほら、和尚さんと話してた魔除けの何か。あれ、効果があるかどうか試してあげるよ」
「え、あ……」
それはありがたい。
あのお札の効果次第では園香が消滅、とかなるかも知れないが、過去に夜中に霊が騒いだ事もあるのでそこまでの効果は無いだろう。
「どうしてそこまで家に来たいんですか?」
「ん? だって……」
「だって?」
「君の秘蔵の本、探さないと」
「無いっつってんでしょうが!」
お札の効果が絶大でありますように、と月照は心の中で密かに祈った。
これはきっと、現在進行形で悪霊に取り憑かれているのだろう。
「あはは、冗談冗談。単純に個人的興味だよ。それに変身無しでお話しできるって凄く楽だし、楽しいから。連休は私、合宿不参加で会えないし。平日は人目が多いし、今日くらいしかゆっくりできないもん」
「はあ……」
気持ちは分からなくもないので適当な相槌を打ったが、園香はそれをOKと受け取ったらしい。
「取り敢えず今夜一晩よろしくね」
「お札の効果調べたら帰って下さいよ?」
「君の寝込み襲わないと効果分からないよ!」
面倒な霊に目を付けられた。
(てか、今『取り敢えず』って言ったな!?)
入り浸る気満々だ。
これはもう、難易度は高そうだが説得するしかない。
「あのですね、先輩……」
「本当は和尚さんに君の事頼まれたんだ」
「……え?」
予想外の人物が出てきた。
「君の身の安全はあの人の念願と直結してるんでしょ? 私だって少しは事情知ってるから、それ位推理できるよ」
「……はい」
そこを突かれるともう何も言えない。彼女を迎え入れるしかないだろう。
「もう先に言っちゃうけど、私は和尚さんの最後の切り札でもあるの。だから御神体の場所も一応教えといて欲しいし、それがちゃんと私に持ち出せるのかも確認しておきたいの」
「あ、ああ……なるほど……」
物を持ち運べる園香なら、自分が成仏する覚悟さえあれば御神体をいつでも埋める事ができる。
(もしかして坊さんにちょっと余裕があるのって、切り札あるからか?)
まあもし仮にそうだとしても、園香ではあまりアテになりそうもない。御神体があんな経緯で月照の元に来たのは、園香に全く成仏する気がないからだろう。
切り札というより最後の手段といった感じだ。
そうなると、やはり月照頼みだろう。あの余裕は彼の人間性と考えるのが自然だ。
「(色々、借りばっかりだな)」
ボソリと呟いて気持ちを切り替えた。
「ん?」
小首を傾げる園香に、今度は迷いなく声をかける。
「いえ、帰りましょうか」
「あ……」
すると園香は、なぜか驚いた様な不思議な表情を見せた。
「どうかしましたか?」
自分から執拗に誘っておいて、今更何を驚いているのか。
気にはなったが、月照は霊の深い部分にはあまり関わらない様に心掛けている。
「ううん、よろしく!」
大きな声で返事をした園香の瞳は微かに潤んでいた。
だが月照は気付かない振りをして歩き始めた。
その帰り道、園香は一度もブラック化する事は無かった。
それどころかずっと上機嫌で興奮気味に、町並みの変遷など月照が知らないこの町の過去の話を一人饒舌に語り続けていた。
双子相手の様な煩わしさもちょっと感じたが、月照は彼女のしたい様にさせた。
――誰かと一緒に楽しく下校する。
それが……そんなありふれた簡単な事が、きっと彼女にとってとても特別な事なのだろうから。




