3セーブ目(8)
月照の教室には鞄がいくつか置いてあったが、今は誰もいなかった。
この時間帯にしている部活の部員なら、きっと正午少し前――後一時間半くらいは戻ってこないだろう。
月照も鞄を自分の机の上に置き、口を開く。
「それで、一体何がどうなって殺す殺さないの相談をしようと思ったんですか?」
「殺す」という単語を聞かせて良いものか迷ったが、言わないと話が進まないので月照は素直に尋ねた。ブラック化したらまたその場を取り繕おう。
「人を殺す相談じゃなくって、人を殺しても構わないと思う心理を聞きたかったの」
「へ? 心理――って言われても、俺はさっきも言った様にそんな事考えませんから……」
そもそもさっき、自分で地面に「絶対ぶっ殺す」とか書いていた気がするが……。
見ていない事にしたので、月照はその事実を敢えて記憶の奥へと押し込んだ。
「うん、それはよく分かった。それに凄く怖かったし、泣かされちゃったから……」
(いや、怖かったのはこっちだから……泣かせたのは悪かったけど)
正当防衛のつもりだが、ちょっと――いやかなり気不味い。彼女が笑顔なのが救いだ。
「実は、私にも分からないの。私も機嫌が悪くて人を傷付けてしまった事があるんだけど……」
「え?」
「でも殺すなんてできない。相手に怪我をさせた時だって、かすり傷だったけど凄く後悔した。平手で顔を叩いたり、爪を立てて引っ掻いたり、そんな事しかできなかったのに」
「先輩……」
何があったのかは知らない。彼女が話してくれないのなら、詳細は聞くべきではない気がする。
ただ――。
笑いながら話されると、全然後悔も反省もしている様には聞こえない……。
(いや、分かってる。分かってるんだけども!)
笑顔じゃないとブラック化するので笑顔で語るしかないのだが、この内容はブラック化してでももう少し深刻に話した方がいい気がする。
「それに機嫌だってすぐに治るから、何日もイライラするなんて分かんないよ……。私じゃ、あそこまで執念深くはなれない……」
にっこり。
「え、ええと……一体誰が、そんな風に執念深く殺意を?」
「つとむんの幽霊さん」
「つと、え?」
なんかもう、可愛い笑顔とほのぼのした名前のせいで、おどろおどろしい話題が頭に入ってこない。
「つとむんの幽霊さん。……え? なんで? 聞いてなかったのぉぉぉっ!? 相談聞くって、言ってたのにぃぃぃ?」
「ぐおぁっ!?」
ブラック化した園香に顔を近付けられて思いっきり仰け反った
「き、聞いてたけど、聞いてましたけども!」
これは心臓に悪い。突然のブラック化より、やはりずっとブラックの方がまだマシだ。そういう霊なら過去いくらでも相手してきた。
「とりあえず無理に笑顔作らないで! 普通、普通でいいですから!」
後ろにひっくり返るのをなんとか耐えながら、月照は園香を押し返した。
「普通? 私いつも通りだけど?」
にっこり。
(うわぁ……これ面倒な奴だ)
何十年かこんな生活をしているうちに、すぐに笑顔になる癖が付いてしまったのだろう。これは自覚がないのですぐには直りそうもない。
仕方が無いので、月照はそのまま話を進めることにした。
「で、つとむんってイベントの時音楽室にいた男の先輩の事なんですよね?」
「うん」
となると、その幽霊さんとは肝試しの時に天井からぶら下がってた霊の事だろう。ベートーベン先輩改めつとむん先輩は何度か部室で会った程度だが、それ以外に思い当たる霊はいない。
「……って、あれ? 先輩、霊感無いから霊見えないって言ってませんでしたっけ?」
「あの子は、夜の音楽室に入ってきた相手に徐々に見えるようになるみたい。つとむんもそれで、ぼんやりした人影が見えてたそうだよ」
「……あぁ~……」
それは可哀想な事をした。トラウマになったのも仕方が無い。
「私もその場で君が来るの待ってたんだけど、あの子はなかなか怖かったよ。つとむんは見てみぬ振りしてたのに、まあ君の――……っ、君、の……ぶふ、ふふ、くっ……」
またつとむん先輩の不幸を思い出し笑いしている。そこまでツボる程には取り乱していなかったと思うのだが、園香の感性はよく分からない。
「はう、う、ふぅ……。あぁ~苦しい。お腹痛い、死にそ」
(霊って呼吸困難で死にかけるのか……)
月照にとっても新しい発見だった。
「それはともかく、その次の日に音楽室を一晩調べてみたら、もうくっきりはっきり見えたの」
園香はテンションを戻しながら、目元の涙を拭った。
「てか先輩、あのイベント最後の『がおー』ってのは?」
「あ、あれは私のアドリブ。音楽室出てからしばらく君の後付けてたけど、なんか一人でブツクサ言いながら中空を見てフラフラ歩いてたから、もしかして怖がるかなって最後だけ先回りしたの。文化祭かなんかの時の備品と思うよ、あの着ぐるみ」
(み、見られてたのか……)
月照の霊感は霊がどこにいるかを感じ取る様な便利なものではないので、相手が隠れて尾行してきたら気が付かない。
「あ、話を戻すけど、その音楽室の娘は私にもしっかり見えるの」
「あ、はい。それで会話したりとかは?」
「ううん、それは少なくとも一晩どころか何日か一緒に居て試してみたけど無理みたい。多分普通の人には見えるだけで、彼女とのコミュニケーションは無理なんだと思う。まあ毎日通ってた訳じゃないけど」
「それで、『殺したいと思う』とかって話は?」
「うん……。その人、音楽室から裏庭にいた人に向かって花瓶を投げたの」
「なっ!?」
そんな危ない事をする霊がこの学校にいるなんて――。
と言いそうになったが、月照には引っ掛かるものがあった。
「花瓶……を、裏庭に……?」
そういえば先日、クラスメイトの森林を裏庭に呼び出した時に降ってきた花瓶。
今思えば、あれは確かに三階の音楽室から霊が落としていた。
「そうだよ。だから最初はその現場で相談しようとしたんだよ。君、あの時あそこにいたよね」
やはり。
そして園香の言葉が正しければ、その霊は執念深く殺意を抱いている。
となると、あれはたまたま下を通りがかった人間が狙われたのではなく、森林だから命を狙われた、という事だ。
理由は分からないが、月照にとって数少ない話し相手が命を狙われている。
その事実に、ふつふつと怒りの様な感情が湧き上がってくる。
「それじゃあ、先輩は俺にそいつを懲らしめて欲しい、って事ですね?」
幸い森林はあれ以降裏庭には近付こうとしていないようだが、もし何か用事ができて行ってしまったら……。
いや、よく考えたら裏庭だけでなく音楽室に行くのも危ないのではないだろうか。
早い内にその霊をぶん殴った方が良さそうだ。
「うん。あ、違う。懲らしめるべきとは思うけど、私はそんなお願いしたい訳じゃないし……」
「え? でも相談ってその事じゃ……?」
「違うよ? だからさっきも言った様に――」
園香の瞳からふっと光が消え――。
「私には彼女の気持ちが分からないからぁぁぁ、教えてって言ってるのぉぉぉ! なんで何度も言わせるのぉぉぉ!?」
「いやいやいや! 分かってます、先読みし過ぎただけですから! ちゃんと聞いてますから!」
もうやだ、この先輩。
こうなったらとっとと音楽室に乗り込んで、件の女幽霊をぶちのめそう。それから本人に問い質せば全て解決だ。
「――って、今音楽室行ってもブラバンが練習中か。しばらくここで時間潰しましょうか」
先程とは異なり、金管楽器が斑ながらも音楽を奏でている。
「部活中とか授業中は大人しいみたいだよ」
相変わらずの早変わりで、園香は笑顔になって音の聞こえる方に視線を向けた。
「え? もしかして、普段から結構監視してるんですか?」
月照も釣られてそっちを見ながら問いかけた。
「そりゃ私だって人が殺された学校なんて気持ち悪くて住んでたくないから、事故起こされないように見張ってるよ。和尚さんにも頼まれたし」
(ええと……幽霊が居ても見えない幽霊が、幽霊がいるかもしれない場所は気持ち悪いから居たくないって事なんだよな? で、幽霊である坊さんの指示で幽霊を見張っている、と……)
園香の価値観を理解するのは諦めよう。
とりあえず、物体に干渉できる能力を持つ彼女が見張っているのであれば、最低限の安全性は確保できている可能性が高い。
「あの花瓶以外、どんな事をしようとしてましたか?」
とはいえ園香はブラック化したら自分を制御できないところがある。相手の手の内くらいは知っておきたい。
「何も無いかな。大勢人がいる時は姿も見せないし、一先ず安全だと思う」
なるほど、園香なりに色々探って出した結論なのだろうが、霊が見当たらなかったというだけで安全と考えるのは早計に過ぎる。
なぜ消えているのか、本当に消えているのか。隠れたのか、どこかに移動しているだけなのか。
そのあたりの事が分からなければ、部活中だから絶対安全とは限らない。
「はあ……やっぱり放置もできませんし、ブラバンが帰ったら行ってみましょうか」
鍵を掛けられても園香がいれば問題無いし、ゆっくりできそうだ。
「えー……。する事無いのは暇だから、私はやだな」
しかしその園香は、形の良い唇を尖らせてちょっと不満そうだ。
「暇って言っても……上手い時間の潰し方なんて思いつきませんよ」
「あ、そうだ! 音楽室でポルターガイスト派手に起こせば、吹奏楽部の子達全員逃げ出すんじゃないかな?」
「後で坊さんに怒られませんか?」
「あ、うん……」
園香の瞳から光が消え完全に笑顔ではなくなった。
――が、ブラック化はしていない様だ。どうやらあの住職の「説法」が心に刻まれているらしい。彼の存在は園香の抑止に効果覿面の様だ。
園香はそのまましばらく言葉に詰まっていたが、やがて楽しそうに口を開いた。
「じゃあさ、暇潰しに君が何か面白い話してよ。心霊体験。今後仕事の参考になるし、私は音楽室の監視優先で部室で話あんまり聞けてないし」
(悪霊行為を仕事にしないでくれ……)
しかしこんなところはやはりオカルト研究部部員と言うべきなのか。
まあ彼女はあまり部活に顔を出さない幽霊部員らしいが。
(しかし面白い話か……双子にはいつも怖い話ばっか要求されてっから、なんか新鮮だな)
とはいえ霊には大抵酷い目に遭わされている――というか現在進行形でそうなのだが、とにかく面白いと思える様な話はなかなか思い浮かばない。
桐子と出会った事以外は――。
(でも、桐子の事を話したって別にこの先輩には何の役にも立たないよな……)
学校で夜な夜な階段の段数を数えていても、セキュリティーが無人化して宿直の先生どころか警備員すらいないこの学校ではあまりに虚し過ぎる行為だ。
(てか、本当にそんな事されたらマジで怖すぎる……)
ブラック園香が暗闇の中で延々とイカレた行動をしている姿は想像もしたくない。
(……なんかもっと無難なのないか?)
月照はしばらく色々と悩んだが、霊との思い出なんてどれもこれも最後はろくでもない。桐子との関係だって、終わってみればきっと――……。
霊なんて、仲良くなって毎日楽しく遊んでいても、そいつが飽きたらそれまでだ。逆に月照が先に飽きても、相手は執拗に遊んでくれと取り憑いてきて、最終的には喧嘩別れになる。
霊との付き合いとは、究極的にはその相手との一対一だけの関係だ。共通の友人ができても、今度は月照の取り合いになって全て喧嘩別れになった。霊は基本的に我が儘だからだ。
(ああ、そうか……。桐子は特別なのか)
今までとは異なる、霊一人と生者二人の交友関係。
身近に霊を見る事ができる人間は月照と父親だけだったので、今まで霊を含めた交友関係は月照以外全員霊だった。今の桐子との関係は月照にとっても初めての経験なのだ。
(てかこの先輩、そういう情緒まるごとぶっ壊してるな!)
生者二人どころか、園香は正式に部員として部活に参加している。「一人多い」霊障のように一時的に紛れ込んでいる訳ではなく、普通の一生徒として。
とはいえ、さすがにクラスには紛れ込んでいると思いたい。まさか住民票や戸籍など、役所関係を霊障で誤魔化して日本社会規模で紛れ込んでいるとは思いたくない。
「ねえ、お話は?」
「――っ!?」
にゅっ、っと顔を近付けられて、月照は声も出せずに飛び退いた。
「黙り込まれたら余計に暇だから、何でもいいからお話ししよーよ」
どうやらブラック化はしていないらしい。一々気を使うので、本当に辛い。
「え、ええと……。あ、じゃあ、都市伝説の真似した変な霊の話とかどうですか?」
人間追い込まれるとなんとかなるらしい。月照の頭に突然いくつかの記憶が蘇ってきた。
「都市伝説? 口裂け女とかの?」
「そうそう、まさにそれです」
例えが流石昭和の霊だが、今回はストライクだ。
「小学生の頃――ええと、高学年になってからかな? 顔は覚えてないけど、年上の女の霊で高校生くらいでしたね」
「ふむふむ」
園香は興味深そうに前のめりだ。
「近所で友達と遊んだ帰り道、夕方に人気のない所を一人で歩いてたんです」
「うんうん」
この頃はまだ生きた友達も結構いた事を思い出した。
どうしよう、ちょっと泣きたくなってきた。
「そ、そしたら、交差点でぶつかったんですよ。その霊と」
それでも頑張ってポーカーフェイスで続ける事にした。気付かれて事情を聞かれるのが一番辛い。
「あ、いや、その時はまだ霊とは分からなかったんですけどね」
「へえ、なるほど」
なんだか前のめりな割に雑な相槌だが気にしないでおこう。
「俺と目が合って完全に顔を見られた後なのに、咄嗟に口というか顔の下半分を手で隠しながら、『私、綺麗?』って聞いてきたんですよ」
「うんう……ん?」
園香がなぜか首を傾げた。今の流れで疑問を持つところなんてあっただろうか。
不思議に思ったが一緒に首を傾げていても仕方がないので、月照は話を続ける。
「でまあ、俺は『もの凄く綺麗』って答えたんですけど――」
「んんっ!? うぅ~ん……?」
園香が顔を寄せてもの凄い見て来るので、さすがに月照も話の続行不可能になった。
「あの……何か?」
「あ、うーんと……。この町に君以外で霊に触れる人間って、一杯いるのかなって」
「へ? いや、俺と親父以外で全くそんな話聞いた事ないですけど?」
早く話せと急かしたり話を逸らしたり、本当に色々と掴み所が無くてやりにくい先輩だ。
「そ、そっか……。うん、それでお世辞言って追い払ったの? 口裂け女なら『これでも綺麗?』って裂けた口を見せて追いかけ回したりするんじゃ――」
「あ、いや! お世辞じゃなく、本当に凄え美人だったんです! 芸能人でも滅多にいない位に!」
ついテンションが上がって前のめりになってしまった月照に、今度は園香が後退って顔を隠してしまった。ちょっと近過ぎたかもしれない。
「あ、あぁ~……。そ、そうなんだ。覚えてないって言ってたけど、顔覚えてるんだね」
園香はそっぽを向いて顔を隠したまま聞いてきた。
「いや、顔は全然覚えてないですけど……。生であんな美人見たの初めてで、なんか綺麗だったって印象だけめっちゃ残ってます」
霊に「生」という表現を使ってもいいのかどうか疑問は残るが、他に表現が思いつかない。
とにかく感動する位に美人で、もしかしたら一目惚れしていたのかもしれない。
まあ顔は本当に全然全く思い出せないが……。
園香は再び近付こうとした月照を左手で制して、右手で顔を隠しながら何度も頷いている。
素直な気持ちが園香にもきっと伝わったのだろうと解釈した月照だが、彼女が「う、はうぁぁぁぁ…………」とよく分からないうめき声を漏らしている理由は全然分からない。
まあブラック化している訳でもなさそうなので、話を続ける事にした。
「で、答えた後なんですけど、その女は真っ赤になって顔を隠しながら逃げようとしたんで、俺は『綺麗、めっちゃ綺麗だけど何!?』とか色々褒めちぎりながら追いかけ回したんです」
話しながら少し園香に近付くと、園香は顔を隠しながら逃げる様に月照から離れた。
月照の頭の中に「?」が浮かび上がるが、この話の肝はここからだ。
「すると逃げ回っていたその女が足を縺れさせて、側溝に全身豪快に突っ込んだんです」
「や、駄目! それ以上は無し!」
園香が顔を隠したまま左手をブンブン振って制止してくるが、月照は構わずに続ける。
「俺が『しまった』と思って駆け寄ると、その女が顔を隠していた手を離して、汚いドブ水の中からこっちを睨んで言ったんです。『これでもきれい?』って……」
「ばっちくて悪かったわねぇぇぇぇ!」
「うわぁぁぁぁ!?」
突然ブラック化した園香が掴みかかってきた。
「ちょ、なんですか急に!」
園香の手を掴み返して動きを止めると、彼女はハッとなって頬を赤くしながら目線を逸らした。
(うん、凄え可愛い)
……と、そんな事よりも、確かにあの時月照は「それはばっちい」と答えた。結果彼女が泣きながら壁抜けをして逃げ去ったので、その時初めてその女が霊だと気付いたのだ。まあ霊だから本当はドブでも汚れたりしないはずだが、あの時の彼女は実体化していたのか自分でそう思い込んでいたのか、びしょびしょに濡れていた。
しかし園香に先に結末を言われたのはちょっと悔しい。
「先輩、落ち着きました?」
手を離すと、園香ははにかみながら上目遣いになった。
「ええと……うん。でも念の為にもう一度聞くけど、君、その霊の顔とか声とか、覚えてないんだよね?」
ブラック化でドキドキさせられた後にこの照れた様な表情でドキドキさせられると、もう心臓が不整脈を起こしそうで心配になってくる。
「は、はい、それは残念ながら全く。あんなに綺麗な人と思ってたのに、所詮まだまだガキだったんですね、俺」
「そ、そう……。あ、ははは、はぁ……」
なんとか鼓動を収めなければ、と考えていた月照だが、彼女の表情が何やらくたびれたものに変わったので徐々に落ち着いてきた。
(よし、これならすぐに次の話をしても大丈夫だ)
園香への復讐心から、今度こそ彼女がブラック化しないで面白いと思えるだろう話をチョイスする。
「他にもありますよ。メリーさんって知ってます?」
「ふぇっ!? あ、うん。……あ、でもそれはもう話さなくていいよ!」
「遠慮しなくて良いですよ。あれは確か、その『口裂け女』事件の少し後、冬頃ですね」
「だ、だからもういいってば!」
「ある日、母と一緒に激安タイムセールで有名な、家からそこそこ離れた所のスーパーに買い出しに行ったんです」
「や、やめてって言ってるのにぃ……」
園香はなぜか頭を抱え込んでうずくまった。
不自然なくらい笑っているかブラック状態か、そのどちらかしかないと思っていたので、こんな園香は正直想像もできずかなり意外だ。
別に怖い話ではないのだが、こんな風に嫌がられるとなんだか苛めている様で話し辛い。
「その店は少し遅めの時間、他の店から文句が出ない様にしてるのか、七時頃にタイムセールするんです」
まあそれでも話すのだが。
ちなみにこの辺りのスーパーは八時には全部閉まる。だから他店は大抵五時台からそこそこの値引きでタイムセールを始めるのだが、この店は叩き売りと言うより捨て売りの様な価格で時間帯をずらし客集めに成功している。
「だから普段は夕食に間に合わないって理由で行かないんですけど、一度くらい見に行こうって事で逆に早めに夕食を摂って行く事にしたんです。ただ家から遠いので自転車で行こうとしてたのに、その日は夕方から分厚い雲が出てきていつ雨が降ってもおかしく無い天気で、仕方がないから歩いて行く事にしたんです」
園香は別に耳を塞いだりはしていないしいつぞやの加美華の様な状態ではないと思うが、なぜかプルプルと小刻みに震えている。
「まあセールは噂通り安かったから買い込んだんですけど、そんなに長居はしてなかったのに冬だったのでもう辺りは真っ暗になっていたんです。荷物も重いし足下が暗くて歩くペースも余計遅くなって、家に着く頃はもう八時回ってたんじゃないですかね」
「う、うん。だよね……」
園香が力なく相槌を打った。制止を諦めたらしい。
「で、くたくたになって家の前まで帰ってくると向かいのおばさんと偶然鉢合わせて、母が話し込み始めたんです。あの体力がどこから沸いてくるのか不思議ですが、とにかく冬場とはいえ冷蔵庫に入れる物もあったんで、俺だけ先に荷物を持って家に入る事になったんです」
「あぁ~……そうだったんだね」
「で、中に入ると、玄関入ってすぐの所に一人の女がうずくまって泣いてたんです。状況がよく分からなかったんで周りを確認すると、留守電のランプが光っているだけでそれ以外は別に物が動かされた痕跡とかもなくて、だからその女は泥棒じゃなくて迷い込んだ霊だろうって無視して、先に留守電聞いたんです」
「あ、うん……。その話、本当にもうそろそろ止めない?」
やはり制止を諦め切れないのか、園香は弱々しい声で最後の抵抗を試みた。
が、結末直前で止まってたまるかとばかりに月照は続ける。
「そしたら留守電に『今、駅にいるの』『今、交差点にいるの』『今、家の前にいるの』っていう、メリーさんの話で聞く内容が入ってたんです。俺も悪戯だと思って聞き流してたんですけど、最後の録音で……」
園香の様子を確認すると、向こうを向いたままがっくり地面に両手をついてグロッキー状態だ。何が彼女をここまで追い込んだのか月照にはまるで見当も付かないが、ここで話を切っては二、三日はモヤモヤするだろう。
「『今、あなたの家の中にいるんだけど……あなたはどこにいるの? ねえ、おーい……?』って泣きそうな声で入ってて――」
だから最後まで話しきるのみ。
「ゆっくりと足下で泣いている女を見ると、そいつは泣きはらした赤い目でこっちを睨み付けながら言ったんです! 『うわーん! 留守なら留守って言っとけ馬鹿ぁ! もう来てやらないんだからぁ!』って」
「(だって黒電話世代だもん……)」
なにやら呟きながら、園香が力尽きて床にうつ伏せにダウンした。
「そいつはそのまま走り去って行ったんですけど、留守電に入れる時に毎回自動音声で言ってるだろって話ですよね」
園香の様子が気になりつつも最後まで話しきり、月照は清々しい気分だ。
ちなみに、その霊の去って行った方向を呆然としばらく眺めていると、世間話を終えて帰ってきた母親にまだ荷物を持ったままだったのが見つかって大目玉を食らったのだが、それはまあ別の話だ。
「てか先輩、大丈夫ですか? 服汚れる事はないでしょうけど」
近付いて顔を覗き込み園香と目が合う。
「ねぇぇぇ……君ぃぃぃぃ」
「ひぇっ!?」
光を失った瞳のブラック園香だった。月照は反射的に壁まで飛び退いた。
「本当にぃぃぃぃ、顔、覚えて無いのよねぇぇぇぇぇ!?」
ゆらり、と起き上がりふらふらと近付いてくる。霊というよりゾンビっぽい。
「せ、先輩?」
「ねぇぇぇぇ!? 本当は顔、覚えてるんでしょぉぉぉぉ!」
「いや、そいつは最初俯いてたし暗かったから顔殆ど見てません! 録音も悪戯扱いですぐ消したから、もうどんな奴だったかなんて分かりません!」
壁沿いにカニ歩きしながら逃げ道の確保を試みる。
「嘘よねぇぇぇぇ? 嘘吐いてるよねぇぇぇぇ!?」
「吐いてません! ほんっとうに本気で覚えてませんって!」
そろそろ全力で逃げた方がいいだろうか、と悩む間に。
ドン!
と急に速度を上げて飛びかかってきた園香に両手で壁ドンされた。
(めっちゃ近い、めっちゃ怖い!)
突き飛ばして逃げたくなったが、壁に体重を預けているこの姿勢になられては、突き飛ばすにも園香の胸付近を押し返すしかない。
(できるかあ!)
健全な男子高校生には難易度が高過ぎる。それと、この状況が少し嬉しくて逃げたくない自分もいるが、それはばれないように奥に仕舞い込んでおく。
「嘘よねぇぇぇぇ!?」
いや勝手に奥に引っ込んだ。やっぱり女は顔だけじゃない。この園香にこんな風に顔を近付けられても、体に悪いドキドキ感しかない。
「違いますって! その、ああ、そう! あの坊さんに誓って、俺は嘘吐いてませんから!」
神でも仏でもなく、咄嗟に出てきたのがあの住職なのはなぜだか分からないが、そのおかげで園香の瞳に光が戻った。
「ほ、本当にほんと?」
「――っ!?」
鼻が当たりそうな至近距離で急に元の美少女に戻られては、月照に後先考える余裕なんてある訳がない。
「だ、だから本当です!」
大声を出しながら、力任せに園香を押しのけた。
その手が園香のどこを押したのかは言わずもがなだろう。
「――っ!?」
月照は慌てて言い訳しようとしたが、あまりの失態に口も含めた全身全てが硬直してしまった。
「……そっか、本当に覚えて無いのか」
鷲掴みのまましばらく固まっていると、園香はまるで気にした様子もなく、後ろにペタンとへたり込みながら安堵の溜息を吐いた。
これでは謝るべきかどうかも分からない。
本人が気にしてないならほじくり返すべきではないのだろうか。
「あ、の……先輩?」
手が離れてようやく口が動く様になったが。
「あ、ううん、ごめんごめん」
園香に先に謝られた。
掌に残るふにふにっとした至上の感触に罪悪感が倍増するが、このままスルーする道を選ぼう。園香の妙な反応は色々と気になる所だが、蛇がいると分かっている藪をつつく勇気なんて月照には無い。
「ええと――」
だから月照は無理に話題を探すことにした。
「……他にも色々話のネタはありますけど」
「それはもう止めて」
だが、園香にジト目で止められ、会話が無くなった。
(き、気まずい……)
そのまま二人、何時終わるともしれない無言の時間を過ごした。




