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れいしょういっぱい  作者: 叢雲ひつじ
3セーブ目
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3セーブ目(7)

 移動と言っても数十メートル、旧校舎横から新校舎裏まで来ただけだった。さっきの場所も視界の範囲内だ。

 ここはH型になっている新校舎の特別教室棟側だ。生徒用玄関の反対側で、この学校で裏庭というと通常はここを指す。

 今は三階の音楽室でブラスバンド部が練習しているらしく、金管楽器を長く一定の音階で吹くロングトーンの音が複数聞こえてくる。

「丁度この辺かな?」

 壁から三メートル程離れた位置で、その音楽室を見上げながら園香が楽器に負けない声で言った。この角度だと中の人間の姿は見えない。

「なんかこの場所に意味あるんですか?」

 対する月照は他の人に聞かれないように、楽器に()き消されそうな(ひか)え目な声だ。

「うん。相談するには、やっぱり状況が分かる方がいいと思うからね」

「状況?」

 月照は足下の陶器の欠片を蹴っ飛ばしながら聞き返す。

「君は、さ……」

 不意に月照と同じ位まで声を(ひそ)めて、園香が表情を(こわ)()らせながら(うつむ)いて両手をもじもじさせ始めた。

「は、はい……」

 なにやら意味深な彼女の行動で、月照はふと今の状況に気付いてしまった。

 誰もいない校舎裏で、男女二人っきり。

 連れてきた女子は上や周囲から誰かに見られていないか確認して、緊張した()()りで俯いて……。

(これは……もしかして……)

 彼女はつい今し方、「デートに憧れている」と言っていたのだ。

(いやいやいや、そんな、まさか……)

 そんな事は無いとは分かっていても。相手が霊だと分かっていても。

 モテた経験が無い(と自分で思い込んでいる)思春期男子の月照は、やはり少し期待してしまう。

 サァァ、と春の優しい風が足下の草を撫でて過ぎ去って。

「――殺したい人はいない?」

(ほらやっぱり違った)

 ………………。

「……――へ?」

 期待した内容と全く違う事はすぐに分かったが、あまりに違いすぎて彼女の言葉の意味が全く理解できなかった。

「あ、ううん。『人を殺したいと思った事があるか』って意味の方が近いかな」

(えっと……)

 相変わらず意味があまり理解できていない。

(人を殺したいと、思う……?)

 何度か(はん)(すう)して、やっと言葉の()(づら)通りの意味だけ理解した。

「えっと……」

 しかしそれだけでは当然答えなんて出てこない。

 双子相手になら何度も「ぶっ殺す!」と思っているが、本当に「殺したい」、「死んで欲しい」と思った事なんて一度もない。

 彼女の質問の意味がどうしても理解できない。

「こ、殺すって……?」

 なんとか絞り出したその問いに、自他共に認めるその悪霊は俯いたままはっきりと答えた。

「本来の意味。相手に『自分の手を汚してでも死んで欲しい』と思った事、ある?」

 園香はジリ、と一歩月照に近付いてきた。

 再び吹いた風は生暖かく、真下を見ている園香の長い髪をゆらりと揺らした。

「あ……えと……ありません」

 月照は一歩(あと)退(ずさ)りながら、(かす)れた声で答えた。

(あれ、これって……)

 人気のない校舎裏。目撃者がいない事を確認。そして彼女の悪事を知る唯一の生存者。ついでに住職さえ手を出せない場所。

 雲行きが記録的短時間大雨情報位変わった気がする。

「そっか……君は良い(えん)に恵まれたんだね……」

 園香がもう一歩、前に出た。

「あ、えと……それは自覚してます」

 月照ももう一歩、後ろに下がった。

 頭によぎるのは母親の美月だ。彼女の子として生まれた事は、全ての不運を(くつがえ)して余りある。そう自覚しているのは本当だ。

「そう……(うらや)ましい……」

 園香の表情は見えない。俯いたまま、更に一歩前に進む。

「あ、の……」

 月照は二歩下がって、身構えた。

「でも、もし法で(さば)かれる事がなければ……?」

「え?」

 彼女がほんの少しだけ首をもたげた。だが表情は見えない。

「人を殺しても罪にならない。そんな殺し方ができる、そんな立場にいる……。そうだったとしても、君は今まで誰も殺そうと思わなかった?」

「それ、は……どういう……?」

 園香の声が低くなった気がした。

「理性で、(りん)()(かん)で、人殺しを()(まん)する必要が無いなら、君は誰かを殺したいと思ったんじゃないかなぁぁぁ!?」

 バッ!

 園香が両手を伸ばしてきた。

「――っ!?」

 月照は反射的に彼女の両手首を掴み動きを封じた。右手の小指付け根の怪我が鋭く痛み本能的に小指と薬指を(ゆる)めてしまうが、他の三本の指だけでも女子相手ならなんとかなる。

「ば、馬鹿な事言わないで下さい! そんな事、前提からして有り得な――」

「私がそう(、、)なのに?」

 彼女と目が合った。

(く、そ……!)

 興奮しているのか、眼が血走ったように赤くなっている。口元も、まるで犬の様に歯を()き出しにして食いしばり、掴んだ両腕には凄い力が込められた。

「人を殺す力がある。殺しても罪には問われない、裁かれない。これだけ条件が(そろ)っていれば、気に入らない人の一人や二人、殺すもんじゃないかなぁぁぁ!?」

「ざっっ――……」

 月照は両足を()()り、(こん)(しん)の力で彼女の両手を押し返した。

「――けんな!」

 その手を離さず、彼女の両手を外に開いて互いの身体の距離を詰める。

「俺は! 例えばあんたが! 俺の代わりに誰かを殺してくれるとしても!」

 (つば)が掛かりそうな距離まで顔を近付けて怒鳴りつける。

「そんな事は絶対に頼まねえ!」

 理由だとか理屈だとかが(まと)まり無く頭の中を飛び回っているが、そんな細かい事はどうでもいい。

 ただ月照にとってこの質問は、最大級の()(じょく)の様に感じた。

 母親の泣く顔、父親の怒り狂う姿、手を取り悲しそうに微笑む双子、そして過去に知り合った霊達の(ぜつ)(ぼう)に満ちた表情。

 答えた後でも次々と頭の中に浮かぶそれら幻影を、一度強く地面を踏みつけて消し飛ばそうと試みるが、全く効果が無い。

 きっと正しく自分の心を映した答えを新たに導き出してこの女に叩き付けないと、この嫌な気分は晴れる事はない。

「――……くそっ!」

 だがしばらく経ってもそれ以上の言葉が上手く出てこない。

 更なる(いら)()ちを覚え、月照は園香の両手を捨てる様に離した。

 園香は勢いで数歩よろめいたがそれ以上何もせず、赤い眼のまま月照を見つめている。

 いや、本当に見ているのだろうか。瞳には何の感情も映し出されていない。

「それがお前の相談事か?」

 高校入学以来最高にドスの利いた声だった。

「……ふ」

 それを聞いた園香は再び俯いて、小さく声を漏らした。

「――んだぁっ! 何笑って――」

「ふええ~~ん。たまたま君が急に怒ったぁぁぁ~~……」

「んがぁっ!?」

 (とつ)(じょ)(ごう)(きゅう)し始めた園香に、月照は目が点になった。

「そ、相談、してた、だけ、なのにぃ……怒られたぁーー~~……」

「ちょ、え? 何、なんで? え? え?」

 そのまま座り込んで子供のようにわんわんと泣く園香に、どうすればいいのか分からずただおろおろする。

 双子が今の月照を見れば、「おろおろのお手本になる位完璧におろおろしてたよ」と(たい)()(ばん)()してくれそうな程見事なおろおろだ。

「ふっ、く……ふええ……うっく……」

 園香は泣き止もうとせず、伸ばされた月照の手を何度も(はら)()けた。

「ええ~……これ、どうすりゃ良いん――っ!?」

 どうしようもなくなった月照は天を(あお)ぎ、固まった。


「え、なに? 演劇部?」

「違うって、演劇部は今日休みだよ。絶対」

「嘘~。じゃあなんであの人、一人で叫んでんの?」

「殺すとか言ってたけど、写真とか()っといた方が良いんじゃねーか?」

「スマホ、スマホ、早く!」

 ブラスバンド部員数名が、音楽室の窓から顔を出していた。

(ちくしょぉぉぉ!)

 月照は園香を置き去りにし全速力で逃げ出した。



「ええと……なんか勘違いしてたみたいで、済みません……」

 金管楽器の音が再び聞こえ始めてから数分後、冷静になって元の場所に戻ると、音楽室の窓はもう閉まっていた。

 園香ももう泣き止んでいて、しゃがんだまま地面に何か書いていたので、月照は近付いて素直に謝った。

「ふぐっ!? たまたま君、戻ってきたんだ」

 園香は慌てて立ち上がり、地面に書いていた文字を踏み消した。

『くそたま野郎、絶対ぶっ殺す!』

 消える前にちらりとそんな文字が見えたが、月照は見なかった事にした。

「そう……。戻って来て、くれたんだぁぁぁ……」

(怖い怖い怖い!)

 法で裁けない殺し方ができると言っていた悪霊が、『ぶっ殺す』と地面に決意表明し、ニヤリとした笑顔で赤い眼を向けながら低い声でそんな事を言ったらもう完全アウトだと思う。

「先輩……悪戯は時と場合を考えて下さい」

「い、悪戯じゃないよ。普通に相談してただけだよ?」

「あんな怖い相談が普通なら、俺はもう二度と先輩の相談聞きませんから……」

「ふ……ふぇ……」

「あ、(うそ)です! 今から詳しく(しん)()になって聞きますから!」

 泣くのは()(きょう)だ。

「……ほんと?」

「は、はい、本当です」

 この(おび)えたような上目遣いも卑怯だ。事実上否定を封じられる。

「よかったぁ……」

 そしてこのにっこり(くっ)(たく)のない笑顔が、一番卑怯だ。

「君は優しい、のかな? 理由はよく分からないけどあんなに怒ってたのに、すぐに許してくれて」

「はぁ……」

 月照は反応に困って、(ため)(いき)とも返事ともつかない息を吐いた。

 男である限り、この先輩には勝てないかもしれない。

 双子もタイプが違うが園香に勝るとも劣らない美少女で、月照はしょっちゅう負けている。だが園香は双子とは比べものにならない位(たち)が悪い。無意識かもしれないが、双子と違って可愛さを前面に押し出してくるのだ。

(いや……。別に霊と恋人になりたいなんて不毛な事全然考えてないから、嫌われても全く問題無いんだけどな……)

 だが相手の見た目が可愛いと、こっちからはなかなか嫌えないのが厄介なのだ。

 簡単に嫌いになれるなら相手の気持ちなんてまるで無視できるのだが、それができないと今の様に相手の事情次第で「仕方ないか」という気分で許してしまう。

 まあ双子についても同じ様な感じで今までずるずる(きょ)(ぜつ)し切れず関係が続いているのだから、月照が特別美少女に弱いだけかもしれないが。

「でもここ、ちょっと騒ぎになっちゃったから中に入ってお話しようよ。相談まだ終わってないし」

「は、はい……でも実体化してくれた方が助かります」

 二人で歩き出しながら言うと、園香はニコニコしながら(まゆ)()だけ寄せた。

「さっきは聞き流したけど、実体化って変身の事かな? それは疲れるからあんまりしたくないなぁ。恐がりな人見付けた時困るし」

 どうやら彼女は、普通の生者と同じ様に姿を見せて物質に干渉する事を「変身」と呼んでいるらしい。まあ自力で手に入れた霊障をどんな風に呼んでも彼女の自由だ。

「えっと……恐がりを見付けたからって、別に毎回驚かす必要は無いんじゃ……」

「それはそうだけど、そんなにいつでもチャンスがある訳じゃないんだから。何時間もずっと変身していられる訳じゃないし、おまけに変身無しで物を動かすのは凄くしんどいでしょ?」

「いや、『でしょ?』って言われても……」

 月照の困惑した顔を見て、園香は「分かってないなぁ」と言いたげに続ける。

「一から十まで全部お(ぜん)(だて)てして驚かせるのって、疲れる割に段々マンネリ化して面白みが無くなって来たんだよね……。それより偶然やってきたチャンスを物にして、一人当たり数秒の霊障を沢山の相手に試す方が、偶然の要素が入って楽しめるんだよ。チャンスがあればそれを狙わない手はないでしょ?」

「いやだから、『でしょ?』って言われても……」

 何を同意して欲しいのかさっぱりだが、要は悪戯の為に力を温存しておきたいだけらしい。こういう自分本位な所はやはり園香も霊なのだと実感する。

 霊には社会的地位など全く関係ないので、他者にどう思われるかなんて関係なく、結果として自分の行動を客観的に判断する能力が(いちじる)しく低下する――というのが月照と父親が(ざつ)(だん)の中で導き出した(すい)(ろん)だ。

 以前加美華に「桐子が子供の心のまま」な理由を聞かれた時に答えた内容も、この推論の延長だ。

(となると、さっきの急に雰囲気変わったのも霊によくあるやつか)

 だから霊にはヒステリックな者が多い。

 特に人に迷惑をかける、いわゆる『悪霊』は、知性があっても理性が弱く感情次第で簡単に人を傷付ける。

 しかも困った事に、この感情の制御がまるでできないらしい。会話の途中で(みゃく)(らく)なくぶち切れて怒鳴り出したり、誰でもよくする()(さい)なミスで号泣したりするのだ。

 園香自身、さっき自分がホラー全開になっていた事に気付いていないのだろう。

(殺したい、か……まあ、若くして亡くなったんだから色々事情があるんだろうけど……)

 霊は死んだ時の姿で現れるとは限らないが、彼女の言動は(せい)(じゅく)した大人のものとはとても思えないので(そう)(せい)したのは間違いないだろう。

 となればやはり、さっき聞いた通り高校生の身で命を落としたと考えるのが自然だ。

 そして彼女が「殺す」という言葉を口にした時、明らかに様子が変化した。だから多分その感情を心のどこかに抱いたまま死んでしまったんだろう。

(特定の数人に対する恨み――いや殺意……。そして学生時代――……)

 そこまで(すい)(さつ)すると、彼女の死因で思い付くのは胸くその悪くなる話ばかりだ。

(でも、社会――ってか周囲の環境から解放された本来の性格は、こんな風に明るくて親しみやすい性格だった、て事だよな……)

 まあ笑っている間限定だが……。

 むしろそのせいでブラック園香との落差が激しくて余計怖かった。

(だから、か……?)

 月照は校舎裏に戻った時の園香の様子を思い出した。

 精神的に不安定なままに感じたが、彼女は殺意を地面を書き殴るだけで月照には手を出そうとしなかった。

 もしかしたら彼女は、殺人(しよう)(どう)が少し漏れ出るだけでかなり理性的に自分を客観視できるのかもしれない。

「だから衝動そのものが起きないように、普段無理して明るく振る舞ってる……?」

「えっ!?」

 つい口から漏れた思考に、園香が大げさに驚いた。

 思考の為に俯いていた顔を上げると、笑みを失った彼女が至近距離でこちらを見つめていた。

「うおっ!?」

 声を上げながら、月照は距離確保の為に大きく飛び退いた。

 園香は(まばた)きもせず、感情を全く感じさせない声を出す。

「君、何でぇ……?」

 ついつい独り言を呟いた結果がこのブラック園香(しよう)(かん)では、おちおち考え事もできない。

「なぁにぃ……? 私の事、考えてたのぉぉぉ……?」

 園香はふらつく様な足取りで、ゆっくりと距離を詰め直してきた。

「いえっ!? な、何でもないです! それより相談! 相談してください!」

 やっぱり彼女は笑っていないと駄目だ。

「えぇぇ~……? どぉぉして話題を……変えるのぉぉぉ!?」

「か、変えてません変えてません! 元に戻しただけですから、落ち着いて!」

 首を傾げる動作だけで(うす)ら寒いものを感じる。彼女は人を怖がらせる天才なのかもしれない。

(もうこれ、この人がずっと笑顔でいられる様にしてやるしかないな……)

 何やらイケメン彼氏みたいな結論だが、他に方法が思いつかない。

 ぶっちゃけ取っ組み合いなら絶対に勝てる自信があるが、狂戦士じゃあるまいし(だれ)(かれ)構わず殴り飛ばしたい訳じゃない。ましてや園香の様に(よう)姿()(たん)(れい)で人柄も良い女子を殴るなんて、余程追い込まれない限り絶対に嫌だ。

「…………」

 じぃぃぃぃぃ。

 まあブラック状態で無言のままじっと見つめられているだけで、すでにかなり追い込まれているのだが……。

「私、あんまり過去の事(せん)(さく)されたくないんだ……。でもまあ、そうだよね。とにかく相談、ちゃんとしないとね」

 一瞬でニパッと(ひと)(なつ)っこい笑顔になる園香。

(やべえ、これが脳の疲労って奴か)

 軽い頭痛を感じながら、月照は園香と並んで再び歩き出した。

「うーん……。でも歩きながらじゃ人に見られるし、先に君の教室にでも行っちゃおうよ」

「あ、はい」

 笑顔だと、常識と思い()りのある素敵な先輩に早変わりだ。

(相談内容を(ずい)(ぶん)引っ張るけど、面倒事は(かん)(べん)してくれよ?)

 また一人厄介な霊の知り合いができてしまった事を()やみながらも、月照はそれほど嫌な気持ちにはなっていなかった。

 結局霊も生者も関係なく、「可愛いは正義」なのだろう。

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