3セーブ目(6)
「なるほど~、道理で話が噛み合わない訳だね。物心つく前からそんなんだったら、私を生きてる人と間違えても仕方ないもんね」
「はあ……」
一通り回答し園香からの説明を受けた後、月照は魂が抜けた様になって項垂れていた。
「ほら元気出して。私も他の霊は見えないけど、和尚さんの事ならちゃんと見えるから。大丈夫、少しなら話が合うよ」
「……はい」
やっと自分と同じ様に霊を見る事ができる人間に会えたと思っていたのに、園香は三十年以上前に亡くなった女子高生の霊だった。
(ちくしょう……上げて落とされた気分だ……)
正確には一人で勝手に舞い上がって転落したのだが、逆バンジーの様な勢いで飛び上がってしまったので落下ダメージは桁違いに大きかった。
なんせこんな美少女が自分と同じ境遇で、きっと二人でしか共有できない話題で特別仲良くできるだろうと思っていたのだから。
(そりゃ壁くらい抜けるわ! 鍵要らなくて便利だよな、ちくしょう!)
月照を混乱させた彼女の謎の殆どが、いとも容易く解明した。
ついでに言えば、霊を見る事ができる霊はそれほど珍しく無い。
詳しい原理は分からないが、自分が霊になる事で霊を認識し易くなるらしい。そうなればお互いの体に触るのも容易で、触れない霊は少数派だ。
とはいえ霊を見るには何かコツの様なものがあるらしい。
園香は物体に干渉して鍵の開け閉めをしたり強力な霊障を起こせるが、それでも他の霊を見る事ができないのは霊障の強さと霊感が別物だからなのだろう。
住職の霊なら桐子にも包丁女にもはっきり見えていた事、月照が桐子から見えていた事も考えると、きっと見られる側の霊感も影響しているはずだ。
「あー……大丈夫、恥ずかしくないよ~?」
(ああ、もう! なんか嬉しそうににやにやしやがって!)
慰めながらもにやけている園香に心の中で強く毒突くが、気力は当分戻りそうにない。MPゼロと言うよりマイナスで、精神的にゾンビ状態だ。今日はもう何もしたくない。
(てか可愛いんだよ、こん畜生!)
園香は自分で悪霊を名乗っているだけあって、月照が勘違いを恥ずかしがる姿を見て大笑いしていた。しばらく月照が落ち込んだままだったのでやっとさっき慰め始めたが、口元はずっと緩んだままだ。
だがそれがにやけ面なのに凶悪に可愛い。いや可愛いから凶悪なのか……この顔で悪戯されても本気で怒る気にはなれない。
そもそも悪霊を自称する根拠は、実体化や「一人多い」の霊障を起こしたり物質に干渉する霊障――いわゆるポルターガイストを毎日好き勝手起こして、人の驚く様を見て楽しむからだそうだ。
確かに生きている人間にとって迷惑だから悪霊なのだが、決して人を怪我させない様に気を使っているらしいし、心臓の弱そうな人には何もしないそうだ。
そんな気遣いがある為か、住職には小言を言われる事はあっても「説法」された事はないらしい。
まあ、悪乗りし過ぎて頬を掠める右ストレートを打たれた事が一度あるらしいが……。
「和尚さんにも黙ってて上げるから、そろそろ立ち直ってよ」
「…………」
これ以上不貞腐れていても仕方がないと、月照は顔を上げた。
「先輩と坊さんとの関係って、どういう感じなんですか?」
ついでに気になる事を一つ解決したい。
「ん? 最近は互助関係だね。あ、ほぼ毎日顔合わせてるし、今日みたいに話がある時は伝言だって任せてよ」
「え? 互助?」
「そうそう、悪霊の本領発揮して!」
園香がめっちゃいい笑顔になった。
「あ、ちなみに今のは悪霊の『りょう』と本領の――」
「そこの解説はいいので、互助の部分についてお願いします」
軽く流しても園香は特に気にした様子もなく笑顔のままで答える。
「簡単な事だよ。和尚さんは旧校舎を傷つけないと強い霊障を起こせないから、工事関係の人の下見とかには全然対応できないの。じっくり下見した後でダイナマイトでどかーん、とかされたらどうしようもないから、私が下見の段階で妨害してるんだよ」
「あ、ああ。そういう事ですか」
ダイナマイトでドカーンはこんな住宅街の木造平屋建造物破壊には有り得ないが、ショベルカーや鉄球で外から攻撃されては第一撃目は絶対に防げない。その一撃目を防ぐ為には、下調べを邪魔して解体計画そのものが立てられない様にするしかない。
「解体が決まったのが十年近く前らしくて、実際に工事を始めようとしたのはその何年か後。修行を積んだ私が丁度一通り――」
「修行?」
妙な単語があったのでつい聞き返してしまった。
「ん? うん。幽霊になった事を自覚してから、あいつら――……色んな人に悪戯して驚かしてやろうって思って、毎日ポルターガイストを起こそうと必死に念じ続けたの。何とかの一念かな? 岩を通すよりは簡単だったみたい」
「成仏とか――」
「できなかった」
笑顔のまま皆まで聞かずに答え、園香は空を見上げた。
対して月照は、一瞬だけ苦虫を噛み潰した様な表情になった。園香が見ていなかったのは幸いだ。
(『あいつら』、か……隠すなら完全に隠してくれよ)
不特定多数ではなく、特定の数人に対する怨恨。
それが原因で園香は成仏できなかった。
「で、えっと……修行して、生きてる人の振りをしたり物を動かしたりできる様になったんだけど――……」
その相手に対する復讐心で、物理法則をねじ曲げる様な霊障を自由自在に操れる様になった。
常識的に考えて、園香は極めて危険な悪霊に分類される。
ただ生来の性格の為か、本当に人を傷付ける事ができなかったのだろう。
彼女に強い理性が残っていた事は、『あいつら』だけではなくこの町に住む人々にとって幸運だったと言えるだろう。
「それを試してみたくて、たまたま見かけた工事の人を驚かしたんだけど……。なんか人を驚かすのが面白くって、病み付きになっちゃって、今ではもう生き甲斐と言えるかもね」
いや全然理性足りてなかった。
現場の人にとっては迷惑この上ない。食い扶持をただの趣味で潰されたんじゃ生活が立ち行かなくなる。いやそれ以前に、上司に「お化けが出たから下見無理でした」とか報告したら、果たしてどんな処分をされるのやら……。
(うん、間違い無くこいつは悪霊だ)
月照は園香の可憐な外見に惑わされないよう気を引き締めた。
「何度か工事関係者を驚かしてる内に和尚さんにスカウトされて、今や『旧校舎の悪霊さん』として学校七不思議どころか近くの工務店にも知られる位有名になったの」
園香はふっふーん、と得意気に笑った。
(でもやっぱ可愛いんだよ、ちくしょう!)
双子のおかげで美少女に耐性があるつもりの月照でも、やはり簡単に惹き込まれそうな笑顔だ。彼女がもしもっと本格的に悪事――つまり生きている人間を誘ってビルの屋上から飛び降りさせる様な危険な行為を始めたら……なんて考えるとぞっとする。
「じゃあ先輩は、偶然雰囲気のある建物の解体工事が始まるからって、なんとなくでここに居着いたって事ですか?」
「うん、そういう事だね。本来は自由にあっちこっち行き来できる浮遊霊なんだけどね。今は和尚さんの為にあそこを守らないといけないから地縛霊にジョブチェンジかな。まあ休日は結構抜け出してるけど」
「で、なんで旧校舎の地縛霊がオカルト研究部員に……?」
「もっちろん、楽しそうだったから!」
園香は本当に心底楽しそうに言った。
「人を『一人多い』とかポルターガイストでびっくりさせるも面白いんだけど、他の霊の事を調べるのも段々面白くなってきてね。まあ私は霊障起こせても霊感ないから和尚さん以外の霊は見えないんだけど、あの子達と一緒にわいわいするのは楽しいんだ」
しかし言葉とは裏腹に、園香は笑顔を曇らせどこか遠い目をした。
「今になってからこんな風に人と仲良くなれるなんて、皮肉なもんだよね……」
「…………」
月照は何も言えなかった。
生前の事なんて聞いてもどうしようもない。誰でも大小様々な悩みを持って生きているのだ。
死後の生活を明るく楽しく傍迷惑に過ごしていても、生前の園香がまるで別人の様に一人抱え込む様な性格だった可能性は否定できない。そしてその抱え込んだものが何であったとしても、今更どうにもできないのだ。
彼女にできるのは、今を楽しんで過ごすか成仏するか、そのどちらか位なものだ。そしてそれは、きっと彼女自身よく分かっている。
「そんな事より、本題を忘れちゃ駄目だったね」
「え? 本題?」
「そんな事」で片付けるには少々重い雰囲気だったが、園香本人がそれで片付けようとしているのだから月照に口を出す権利はない。
「さっき言ったでしょ。相談があるって」
「言ってましたっけ?」
本気で記憶にない。
「言ったよ! ただのデートの口実とでも思ったの!?」
「デー……って、そっちがそうやって余計な情報を増やすから話が飛ぶんでしょうが!」
惑わされまいと意識していても簡単に頬が熱くなる。照れ隠しで大きな声を出すが、あまりにも分かり易い反応だったらしい。
「あはは。デートとかあんまりした事ないのかな? 照れ屋さんだね」
園香は月照に顔を近付けて、にんまりと微笑んだ。
「そ、そこまでからかっておいて、まともに相談に答えて貰えるとは思ってないですよね?」
「あっ、ごめんごめん。私もデートなんてした事ないから! ちょっと憧れてて、その……ごめんね」
園香は慌てて距離を取り直し、ちょっと頬を赤くしながら視線を逸らした。
うん、照れている姿は尚可愛い。
それにしてもちょっと意外だ。これだけの容姿なら、性格に少々難があっても男子が放っておかないと思うが。
「うーん……もしかしたら、そっちもそのうち相談するかもね」
園香は逸らしていた視線を更にしばらく泳がせてから、やがてゆっくりと月照を上目遣いで見詰めた。頬の赤みが強くなっている。
今度は月照が視線を泳がせる番だった。直視するにはその表情は破壊力が高過ぎるが、完全に視界から外すにはあまりに名残惜しい。ついでに今の台詞の意味が時間差で理解できてしまっては、心臓が不自然に大きな音を出すのも仕方がない。
(こんなもん、無理ゲーだろ!)
悪霊だと分かっていてもそう簡単には割り切れない。昔からよく言われる様に、男とは悲しい生き物らしい。
「だ、だから本題!」
このまま彼女のペースで話していては心臓に悪い。
「あ、そうだね。でもとにかく移動しよう。君はここを離れた方が良いから」
軽く肩を叩かれて、月照は自分の立場を思い出した。
「実体化しないなら、人気のない所でお願いできますか?」
籠城犯前科者として人に見付かったら確かに問題だろうが、しかし霊と話している所を誰かに見られる訳にもいかない。
だから実体化――つまり誰にでも見えて触れる事ができる状態ならともかく、そうでないなら人っ子一人寄ってこないここから離れてもあまり意味が無い。
むしろ人混みの中でさっきまでの様に赤くなったり突っ込みを入れたりしたら事態は余計に悪化するだろう。
具体的には精神科医の知り合いが増える事になる。
「うん、分かってる分かってる」
気軽に答えて新校舎の方に歩き出した彼女に、月照は不安を覚えながらも付いて行くしかなかった。




