2セーブ目(6)
今回のイベントで、のっけから月照と加美華――特に加美華にやられっぱなしだった瑠璃は、必死に隠してはいるが心中穏やかでは無かった。
だから最初は、プライドを傷つけられた分を何とか雪辱したいと思っていた。
だがそんな事よりも、これから校舎に入る際、誰の付き添いをするかが重要になってしまった。
──新入部員側が一人多い。
とんでもない事だが、それは間違いない。
何度も入部届を確認した。夜のイベントなので、万が一何かあった時には素早く自宅に連絡を入れる必要がある為、一人一人の名前を暗記し顔と一致するようにしておいた。
だが、記憶では確かに三人だった。名前も三人分しか覚えた記憶が無い。
なのに、なぜか今は四人分の顔と名前が明確に記憶にある。入部届も四人分に増えていた。
本当に、全く以てとんでもない事になったものだ。
オカルト研究部員とはいえ、霊障を体験して喜んだりはできない。いや、後では喜べるかも知れないが、今まさに霊障を体験している状況では喜べない。
おそらく部員全員がそうだろうが、怖い事は話のネタにするのが楽しいのであって、怖い思いなんてしたくない。
だから今体験している霊障からはすぐにでも解放されたい。
しかしどう楽観的に考えてもこのイベント中には無理だろう。
いや、イベント中に解放されるのは最悪だ。今すぐ解放されないのなら、むしろイベントが終わるまで解放されないで欲しい。
暗い廊下を二人で一緒に歩いていたはずが、いつの間にか隣に誰も居ないなんて事になれば、怪談ネタとして誰かに話すどころか暗闇恐怖症になる。
(うーむ……どうしてこんなことに……。いや待て、もしかしたら夜野姉妹は同じ顔だから、三人分しか顔を覚えていなかった可能性が――)
……無い。
名前が三人分だったはずだ。
となると、誰か一人は霊という事になってしまう。
という事は、下手をすれば自分が霊と一緒に肝試し会場を回る事になるのだ。
もはや今回のイベントで肝を試されるのは、月照達では無く瑠璃達開催者側だった。
どうしたら良いのか分からず相談しようとすると、月照は急に黙り込んでしまった。
だから優と幸に、と思ってそちらに視線を移した瑠璃は、大変なものを見てしまった。
さっきまで自分と同じ様に冷や汗を流しながら青い顔をしていたはずの二人が、にこやかに双子の横に立っていたのだ。
(し、しまったぁ!)
瑠璃は愕然として、スマートフォンを落としそうになった。
相談した顧問の教師は「今更もう案内役を回すわけにもいかないし、面倒だから男子は一人で行かせろ」と言い捨てた。
どう考えてもこの中で一番安全で且つ頼りになるだろう人物、さっきまで三人で取り合っていた月照を、一人で行かせろと言うのだ。
誰か一人がハズレを引く事が確定した瞬間だった。
しかし顧問の教師に逆らうわけにはいかない。
彼はオカルト研究部設立時に、当時一年だった瑠璃達が頼み込んで無理矢理顧問を引き受けさせたからだ。その上面倒臭がる彼に無理を言ってイベントに参加させておいて、彼の判断に文句を言ったら、へそを曲げて顧問を辞めると言い出しかねない。
そうなれば他に顧問なんてしてくれそうな教師はいないので、来年の廃部はほぼ確実だ。
だから女子三人の誰かと組むしかなかったのだが、それならどう考えても双子がいい。
双子という特別強い絆で結ばれお互いを常に認識し合う、何より月照の昔からの知り合いなのだから。
だが電話を切られた後、我に返るのが遅すぎた。
残されたのは加美華だが、消去法で彼女は霊である可能性が一番高い。
「ええと……。河内山先輩、なんか済みません……」
月照が突然頭を下げた。
「え?」
その意味が分からず瑠璃はちょっと困惑してしまったが、深く考えると怖い想像になりそうなので考えるのを止めた。
「あ……いや、済まない。謝るべきはこちらだ。こちらの事情で、君だけは一人で回って貰う事になった。折角のイベントなのに、申し訳ない」
瑠璃はすぐに主催者側の義務を思い出し、大きく頭を下げた。
「ええと、結局どういう……?」
月照が首を傾げると、瑠璃は不安そうな目で双子と加美華を見てから、月照にもう一度頭を下げた。
「顧問の先生の指示だ。君には一人で回って貰い、我々は他の女生徒をエスコートする事になった。謝罪の意味を込めたイベントだったのに、本当に申し訳ない」
「いや、もうそんな細かい事は気にしてませんし、パートナーも問題無いですから、そんなに気にしないで下さい」
桐子の頭を撫でながら言う月照に、瑠璃は「そ、そう言って貰えると気が楽になる」と後退りしたが、なんとか一歩で踏みとどまって、一人で回る月照にルートの説明を始めた。
その説明が終わると、瑠璃は優と幸の二人の手を取って双子から引き離そうとした。もう一度、公平な条件でペア争奪戦をするつもりだ。
しかし如何に腕力のある瑠璃とて、巨体を誇る幸を含んだ二人を相手にしては、勝ち目なんてなかった。
二人は双子の横から微動だにせず、部長の優は灯の、姉の幸は蛍の手を握り締めた。
(く……なんということだ)
結局、瑠璃ははずれとしか思えない加美華を強引に押しつけられた。
瑠璃は今日、一体何敗しているのだろうか。
雰囲気を出す為、全員に携帯電話をマナーモードにさせて、いよいよ最初の組のスタートだ。
「で、ではでは! わ、私達が一番手なので、早速すぐに行ってきますです!」
優が無意味にテンションの高い声でそう宣言し、灯の手を取って校舎へと入っていった。
それを見送ると、残された者はしばらく何もする事が無い。
途中で前の組に追いつかない様に時間を空けてスタートするのだが、それが十五分もあるからだ。
終了予定時刻が決められているので、参加者が多ければ間隔をもっと短くするつもりだったが、少なかったので長くなりすぎた。ハプニングでスタート時刻は遅れたが、スタート地点が移動して周回時間が短くなった事も影響している。
しかしあまり早く終わりすぎても警備員さんが困るらしいので、仕方の無い処置だ。
(だって、この三倍は参加すると思っていたし……)
瑠璃は心の中で言い訳しながらも、手持ち無沙汰になる残された新人達への配慮不足に少し胸を痛めていた。
「あの、月照君」
しんとしてしまった空気に耐えられなかったのか、三番手出発予定の加美華が口を開いた。
「なんですか?」
最後に出発する事になった月照は、今のところ待ち時間の長さをあまり気にしていないようだ。
(せめてベンチのある所で待たせた方が良かったな)
新校舎の生徒用正面玄関になっているので、スペースはボール遊びができるくらい広いのだが、通行の邪魔になるからと椅子は置いて無い。
だから普段は皆その真ん中にある大きな欅の、植え込みを囲うブロックの段差に腰を掛ける。
今回も最悪そうすれば良いのだが、ベンチと違って「そこに座って待っていてくれ」とは誘導し辛い。
「『一人多い』って、私でも耳にするくらいよく怪談で聞きますが、逆に『一人少ない』というのは無いんですか?」
「いや、ありますよ」
月照は軽い口調で即答した。
(な、何!? それなら今回のこれは、きっとその怪談なのでは!?)
瑠璃は希望を込めて耳を欹てた。もしかしたら、名簿を確認した時にその霊障が起こっていたのかもしれない。
同じ心霊体験でも、いつの間にか体験していたと後で気付くのと、現在進行形で気付くのとでは全然違う。
「俺も一度だけ体験してますけど、まあ解釈次第では『一人多い』になるんですけどね」
「な、何かややこしそうですね……」
「いや、それほどじゃ無いですよ」
「む。あーちゃんのいないところでこっそり私にだけ怖い話は、後が怖いよ?」
文句を言った蛍に、月照は少し驚いた顔になった。
「そういや、お前等がこんな長時間バラバラに行動するのは初めて見るな。まあ各務先輩に話すだけだし、気になるなら後でお前がしっかり話してやれ。お前等も知ってる話だから」
蛍は首を傾げながら不満げな顔をしていたが、月照はあまり気にせず、加美華に向き直って声の調子を変えた。
「あれは小学校の修学旅行の時です。バスで寄った土産物屋で、全然知らない余所の学校と一緒になったんです」
話し始めると、他にする事がない皆がその怪談に耳を傾けた。
一緒に修学旅行に行った蛍が「あ、あれか~」と呟いたのが全員に聞こえた。
「そこから出発する点呼の時に、どう数えても人数が合わないんです。名簿で名前を読み上げて確認したら全員ちゃんといるのに、人数を直接数えるとどうしても一人足りない」
初めて月照の怪談を聞く瑠璃は、ゴクリと唾を飲み込んだ。隣に寄ってきた幸も、同じように不安げな顔だ。
「どうしてだろう、ってみんなで悩んでたんですけど、よく見ると知らない奴が一人混じってて、そいつが点呼に返事してたんです」
「え?」
加美華が声を漏らした。
「先生が話し掛けると、どうやらそいつは余所の学校の生徒で、だから顔を見ながら人数を数えた時にはカウントされてなかったんですね。小学生だから全員私服でしたし、紛れ込んだんでしょう……」
「は、はあ……?」
「そいつは、なんか間違えてこっちに来てしまったらしいですけど、うちの名簿にあった生徒と同姓同名だったんです」
「それただの迷子ですよね!?」
加美華が的確な突っ込みを入れた。
「で、向こうの学校と連絡を取ってその生徒を連れて行って、混じってるはずのうちの生徒と交換して貰おうとしたら──」
「あ、え?」
しかし月照はそのまま話を続ける。
「向こうの学校では、クラスメイトや教師全員がそいつを知っているのに、名簿にはそんな生徒はいなかったんです」
「え? え?」
混乱して声を漏らしたのは加美華だけだが、瑠璃と幸も同じくらい混乱している。
「そしてうちでは、名簿に名前があるのに誰もそんな名前の奴を知らない。それに交換して貰うべき生徒はどこにも居なかった」
「ええ!?」
「だから、うちの学校では一人少ない、向こうの学校では一人多い、という怪奇現象になったんですけど……」
「は、はい」
加美華が少し怯えた声になった。
「どうやら霊の奴、名簿を細工する学校間違えてたらしくて、すぐ後に謝りに来ました」
「律儀!?」
が、すぐにただ驚いただけの声になった。
「その、目の前のお土産屋で買った土産を手土産に持って」
「横着!?」
「あれ、美味しかったよね」
月照が話し終わった事を察した蛍が、横から話に参加した。
「ああ、何人かあのお菓子買いに行ったしな」
「そうそう。でも予定が余計に遅れたって、みんな先生に怒られたけど」
「え? すぐみんなで食べたって、もしかして包装開けて持ってきたんですか!?」
月照と蛍の思い出話に加美華が混ざり、わいわい騒ぎ出した。加美華はもう、これくらいの怪談では過度に恐怖しないくらいには耐性が戻っている。
「そのせいで余計、誰もあれが霊って気付きませんでしたから、あいつがこっちの名簿にただ悪戯書きしたんだろうって結論になってましたね」
(参考にならない!)
一方瑠璃は、精神的にどんどん余裕が無くなってきている。
ただ、一人足りないという霊障のケースがある事に少しは安心できた。
「でも、本当に怖い奴もありますよ……」
瑠璃が何とか自分を鼓舞しようとしていると、月照が何やら不穏な事を言い出した。
「え?」
加美華がドキリとして身を縮こまらせた。
「親父からの又聞きですけど。書類上一人足りなくて、でも全員知った顔っていう、一見すると一人多い霊障に思ってしまう状況です」
「ええと……今回のイベントと同じ状況ですね?」
(なに!?)
瑠璃はつい喜びそうになった。
「ええ。ただ今回と違って、気が付いた時も書類はずっと一人足りないままで、だから誰の名前が足りないか一人一人確認しようって話になったらしいです」
しかし、よくよく考えればそれはそれで霊障なのだ。浮かれてはいけないとすぐに気付いた。
「勿論総当たりで確認したので、それが誰かなんてすぐに分かりました。その人はたまたま席を外してトイレに行っていたらしいんですけど……」
「またトイレの……」
何か言いかけた蛍は、月照が手刀を振り上げるのを見て黙った。
「でも、いつまで経っても帰ってこない。折角分かったんだからみんなで笑い話にしようとして盛り上がっていたのに、その主役が全然戻ってこないんで、段々場が白けてきたらしいです」
「は、はい……」
加美華が小さく相槌を打った。
「だから何人かでトイレに呼びに行ったんですが……」
(え? このパターンはもしや……)
瑠璃はある予感がして、背筋が冷たくなった。
「その人は、そこで死んでいたんだそうです」
「え……?」
誰かが漏らした声が、やたらと大きく聞こえた。
周囲から、全ての物音が消えてしまった気がした。
「それから警察や消防に連絡を入れて、色々と話をした後、誰かが書類を見てみると……」
ただ、月照の感情を殺した平坦な声だけが響く。
「その人を含めた、全員の名前があったんだそうです」
鳥肌と身震いは、春の夜風の冷たさが原因ではないだろう。
「そ、そんな……」
加美華が、なんとか声を絞り出した。
このイベントと似た霊障で、そんな最悪の結末を迎えたのだ。
今回もそうなるとは限らないが、少なくとも興味本位で聞いてはいけない話だったと、誰もがそう思った。
「それ、おじさんも人から聞いた話だった奴だね」
ただ一人、蛍を除いては。
「ああ。同窓会で法螺吹きケンタって嘘付きで有名な人から聞いた話だ」
「法螺話じゃらいですか!」
加美華がついに噛んだ。
「怖かったですか?」
月照もこの話は法螺話だと思っているので、にやにやといやらしい顔になっている。
「はあ……月照君が普通に怖い怪談を話すから、おかしいと思ったんです……」
「どういう意味ですか!?」
「みっちゃん、私達には結構そういう話してくれてたよ」
「だよな!」
珍しい蛍の援護に月照が喜ぶが、
「あんまり怖くないけど」
「…………」
一瞬で梯子を外された。
(……で、結局『一人少ない』話はあるのか無いのかどっちだ!?)
ケラケラと笑いが起こる中、瑠璃だけは全く笑う事ができなかった。




