2セーブ目(5)
集合場所の西門は裏門とも呼ばれており、入るとすぐに裏庭がある。
元はこっちが正門だったそうで、朽ちかけた木造平屋の旧校舎がすぐ目の前に、闇に飲まれて不気味に佇んでいる。
歩きながら優がした説明によると、イベントの趣旨は学校で噂される心霊スポット巡りで、要するに肝試しだ。
校舎は下駄箱と職員室以外の電灯が全て消されていて、懐中電灯無しで、非常口を示す誘導灯の明かりのみを頼りに進むルールだそうだ。
注意事項は、「階段では足下注意、飛び出してきたお化けは殴らない」だった。
それを聞いた双子がローキックの練習を始めたので、月照は透かさずチョップを入れて止めさせた。
本当なら門がスタート地点で、先輩部員とペアで一組ずつ、如何にも不気味な旧校舎を眺めながら新校舎まで移動し、更に仕掛け人の部員や教師が潜む新校舎を回り、最後に一人で旧校舎内の奥の教室に置いてある札を持って、再び門に集合する予定だった。
だが月照の見た霊の件を考慮して、スタート地点とゴール地点が新校舎入り口へと変更になった。最初に皆で新校舎入り口の下駄箱まで移動する分、ちょっと緊張感が足りなくなってしまうが仕方ない。
「あれ? 先輩達は誰か二周回るんですか?」
入り口に到着したところで、月照は周囲を見回して瑠璃に尋ねた。
新人側は、月照、灯、蛍、加美華の四人……と、加美華が連れてきた桐子だ。
それに対して先輩側は、瑠璃、優、幸の三人しか居ない。誰かがここで待機しているのかと思っていたが、誰も居なかったので疑問を口にしたのだ。
しかし一人だけ二周回るくらいなら、一人がお化け役に回って最初から案内役二人が二周する方がバランスが良さそうに思う。
……いやまあ、バランス云々の話をすると、肝試しに本物の霊を連れて来た加美華が一番のバランスブレイカーなのだが、それはこの際置いておこう。
ちなみに当の桐子は、月照と加美華が目に見えない何かとずっと喋っているので、既にこの場で一番怖がって月照の腰にしがみついている。
「ん? いや、ちゃんと三人いるじゃ…………え?」
瑠璃が今気が付いた、と言わんばかりに驚いた。
「え、あれ? え?」
優も、瑠璃と幸の顔を交互に見ながら言葉を失った。
「……新人って、三人だったよ……な?」
あの幸までもが、キャラを忘れて呆然としている。
まるで最初から、三人しか参加者がいないのが正しい様な反応だ。
月照はなるほど、と感心した。
既にイベントは始まっていて、きっとこれはその演出なのだろう。この三人の先輩はなかなかの演技派だ。これなら演劇部でも通用しそうだ。
素人演技には見えない先輩達に少し驚きつつ、月照は他の三人の反応を確認した。
双子はお互いの顔を見合わせて、不思議そうにしていた。
加美華は先輩達なんて眼中になく、月照と桐子をチラチラと盗み見ている。落ち着いているので、月照と同じくこれがイベントの一環と解釈したのだろう。
「待て、確かに入部届けで全員確認したぞ!?」
「う、うん! 私も確認した!」
瑠璃と優が、慌ててポケットから何か取り出した。どうやら入部届けの写しらしい。
小道具まで仕込んでいるとは、なかなか芸が細かい。
だから月照はそれに乗ってやる事にした。
「それなら、俺が返して貰ったから三人分しか無いでしょうに……」
参加者が結局本当にこの四人だけだったので、このまま先輩達が何か色々とイベントのシナリオの為に言い合っているのを、ただボーッと見ているのが気の毒になってきたのだ。
「「え?」」
しかしそれは失敗だった。
双子に内緒でオカルト研究部を辞めたのに、自分からバラしてしまった。
後悔しても時既に遅し。イベントの進行を無視してまたギャアギャア騒がれる……と思ったが、なぜか双子は月照の予想に反して何も言わず、ただ心底残念そうな顔をするだけだった。
「馬鹿を言うな!」
と、瑠璃が珍しく感情的な声を上げた。
「コピーはちゃんと貰ったし、第一あんな事情がある君を忘れる訳がないだろう!」
月照の言い分は一蹴された。
イレギュラーな月照の発言へのアドリブにしては、なかなか鋭い反論で表情も鬼気迫るものがあって良い感じだ。
「あ、あの……私が二年生だから、計算から漏れた、とかでは?」
瑠璃の剣幕に、加美華が恐る恐ると言った感じで声を掛けた。
これがイベントの演技なら、乗るべきなのか成り行きを見守るべきなのか、どちらか判断しかねていたのだろう。月照が乗ったので加美華も便乗した様だ。
「それもない。今見てみたが、私も部長も、ちゃんと君の……分……も…………」
瑠璃と優、ついでに幸の顔色が変わった。
二人が取り出した入部届けは四枚、月照のコピーまできちんと揃っている。
「──どういう、事だ……?」
「か、数え間違えたんじゃないかな? ね? ね?」
呆然とする瑠璃に、優がまるで自分に言い聞かせる様に言った。
「たった四枚でか? 有り得ない」
瑠璃は手に持つ入部届けと月照達の顔を交互に見た。
月照がもっと何か言うべきか迷っていると、幸が青い顔をして言った。
「あ、あれじゃないよな? 百物語とかで、いつの間にか一人多いっていう……」
「やめてお姉ちゃん! そんな訳無いから!」
すると優が、自分の三倍はあろうかという幸を突き飛ばして黙らせ、月照の事を見た。
「あ、の……一応聞くけど、ここに変な霊なんか混じって無いよね、ね?」
問われて、月照と加美華は桐子を見た。
二人同時に何も無い同じ空間に視線を移したので、優が慌てる。
「え? え?」
「いや、それ入れるとこっちは五人になりますが?」
「ぴええ!?」
どこまで演技なのか──いやきっとこれは演技では無いだろう、月照の一言を切っ掛けにして、瑠璃や幸まで一緒に固まった。
正直どっちが肝試しをしているのか分からない。
ちなみに双子は、さすがに慣れているのかそれとも事情を知っているので薄々感づいていたのか、じっと月照達の視線の先を追いかけて、目を見開いたり薄目にしてみたり、桐子を見る為に色々と試していて怖がる様子はない。
「あ、いや。五人目は俺と各務先輩にしか見えないんで違います」
月照はフォローのつもりで言ったのだが、先輩三人には火に油だった。
ガシリ、と避ける間もなく瑠璃が力一杯抱き付いてきた。それに触発されたのか、後ろから優と幸まで掴みかかってくる。
「ちょ、うお!?」
巨体というと怒られるだろうが、自分よりも体重の重い幸にまで飛び掛かられたので、然しもの月照も踏ん張りきれずに転倒した。
それでも咄嗟に、一緒に押し倒され下敷きになりかけた瑠璃を庇い、両手を着いて四つん這いになって耐えられたのは日頃の鍛錬の賜物だろう。
「「「あーっ!?」」」
しかし、瑠璃に覆い被さり幸に腹と胸を背中に押しつけられているこの体勢は、双子と加美華の許容量を越えたらしい。
すっ飛んできて、三人掛かりであっという間に幸を押し退け月照と瑠璃を立ち上がらせた。
「い、つつ……先輩、大丈夫ですか?」
そんな中月照が心配したのは、幸の体当たりに巻き込まれて吹っ飛んでいった優だった。
「だ、だいじょぶ……結構慣れてるから……」
今にもポッキリ折れそうなガリガリの優は、見た目に反してかなり頑丈らしい。
と、そこで月照は自分に抱き付いていたもう一人のか弱い存在を思い出す。
「……げっ」
「あ……」
桐子は月照の転倒に巻き込まれて、頭が地面にめり込んでいた。加美華が慌てて起こそうとするが、当然その手は桐子をすり抜ける。
月照が引っ張り起こすと、桐子は何も言わずにただ泣き出した。
霊なので本当に押し潰されたりはせず、ドアをすり抜けるのと同じ原理で地面をすり抜け頭がめり込んでいたのだろう。幸い怪我はなかったが、ビックリしてしまった様だ。
ちなみに、霊も怪我をする事がある。
まあこれも桐子が月照の服に触るのと同じで霊の気の持ちようなのだが、以前月照が霊を殴ったら痛がるだけではなく腫れてきた事があるので間違い無い。
他にも壁に叩き付けたらすり抜けずに怪我をした事があった。
だから桐子の様に地面を歩くタイプの霊は「地面はすり抜けられない」と認識していて、もしかしたら押し潰されて大怪我をしていた可能性もある。今回めり込んだのは、おそらく地面がどこなのか認識する前にすり抜けてしまったのだろう。不幸中の幸いだ。
月照が頭を撫で加美華があやしていると、桐子も少し落ち着いてきた。もう少しすれば泣き止むだろう。
「あ、あの……」
「何を……している、のかな?」
その様子を見ていた優と瑠璃が、青ざめた顔でこちらを見ていた。
「「あ……」」
月照と加美華が声を漏らすのと、
「「ぐふぅっ!?」」
怯えた幸に飛び掛かられた瑠璃と優が声を漏らすのは、ほぼ同時だった。
一人多い、という霊障は割とよく聞く怪談話である。
何かの拍子にふと気付くと人数が一人多く、しかし一体誰が増えたのか分からない、という定番のものだ。霊障の終わり方は、誰もが皆一人多かった事を覚えている場合と、霊のターゲットになった一人だけが覚えている場合の主に二通りだ。しかしどちらも大抵の場合、霊障中は霊と生きた人間の区別が全く付かない。
この手の霊障は、実は月照にも誰が霊なのか分からない事が殆どだ。
というのも、この霊障の多くは記憶が曖昧になってしまうからだ。月照は霊感が強くても霊障に耐性がある訳では無い。
つまり、月照には霊障が始まる前から人間に混じっている霊を見る事は出来るが、霊障の開始と同時に記憶が曖昧になってしまい、それが誰だったのかが分からなくなるのだ。一度霊障が始まってしまうと、月照と普通の人との違いは最初から一人多いと思っているかどうかぐらいだろう。
霊と生者の区別が上手く付けられない月照には、むしろ人数が増えた事を認識出来ない分普通の人よりこの霊障には気付きにくい。
だから今回のイベントで月照を騙すのも、本来ならそれほど難しくない。
本当に一人、誰かを増やしておけばいいのだ。
勿論双子や加美華にも丸見えだが、霊障のせいにしてしまえばいい。新人側に入れにくいのなら、案内役に顔の割れていない部員を一人多く入れておけば、月照にはそれが本当に部員なのか霊なのかなんて判断しようが無い。
しかし月照の霊感を正確に把握していないオカルト研究部に、そこまで期待するのは酷だろう。
ちょっと雑な感じにはなったが、これはこれでこちらを楽しませる為に頑張ってくれているのだ。
月照はそう解釈して、先輩達がオロオロする姿を眺めていた。
(でもなあ……もうちょっとこう、捻りが欲しかったな)
少なくとも新入部員側の四人プラス桐子については、イベントよりも前からはっきりどうやって知り合ったのかという記憶がある。
いやまあ、灯と蛍の二人については物心付いた頃からの付き合いなので、出会った時の記憶なんてもう無いが……。
ともかく、どれだけ演技力があっても、こちらを脅かすにはちょっと説得力不足だ。
「「(ねえ、みっちゃん)」」
スタート地点、玄関の明かりの下で、誰と誰がコンビを組むかで瑠璃達がかなり真剣に相談を始めたのでそれを待っていると、双子が月照に小声で話し掛けてきた。
「(どうした?)」
答えた月照もつられて小声になった。
「(さっきから先輩達、演技だと思う?)」
「(違うよね?)」
灯に答える前に蛍が割り込んできた。
「(ああ──っていや、演技だろ)」
だから慌てて言い直した。
加美華だってあれを演技だと思っている様子だし、状況から推察して月照もあれは演技だと確信している。
「(うーん……)」
「(違うと思うけど……)」
しかし双子はどうやらそう思っていないらしい。
確かに言われてみれば演技が迫真過ぎるし、普通の人ならたかが肝試しの演出で危険を冒して将棋倒しなんてしない。
(しかしあの人達が普通の人かというと……)
それはそれで疑問が残る。
いや、そういえば……。
「(あの人達が本気で怖がったのって、桐子のせいじゃないのか?)」
短い時間に色々あったので、時系列がちょっと整理できなくなってきた。
「(うーん……でも、入部届見てた時の先輩達って結構本気だった様に見えたよ?)」
「(むしろ、桐子ちゃんの事でうやむやになったし……)」
「(あれを計算に入れて演技してた方が不自然じゃ無いかな?)」
「(今もなんか、結構必死に相手決めてるし……)」
いつもの連携トークに、月照も少し不安になって瑠璃達に視線を送る。つられて双子と、ついでに加美華までそっちを見た。
「な、何かな? まだ何か居る、のかい……?」
月照達の視線に気付いた瑠璃が、引き攣った笑顔を返した。
「あ、いえ。気にしないで下さい」
月照がそう返すと、瑠璃は安堵なのか失意なのか、大きく息を吐いた。
「そうか……それなら申し訳ないが、もうしばらく待っていてくれ。こちらもイレギュラーで、どうすべきか相談が必要になったからな」
ここまでされると、月照も段々演技ではないと思い始めてきた。
「あ、あの……三組しか来ないと思っていたのに四組来るなら、他の先輩──お化け役で控えてる先輩達にも伝えておいた方がいいんじゃないですか?」
なにやら落ち込んでいる様子の瑠璃に、月照はつい咄嗟にそんな助言をした。
彼女達の態度が演技か本気か分からなくなってきたが、どちらにしても助言くらいしたって損はしないだろう。
「あ……そ、そうだな」
瑠璃は浮かない顔でそう答え、渋々といった感じでスマートフォンを取り出した。
(……でも、こっちには桐子がいるんだよな)
月照は、腰にしがみついて不安そうに周囲を見回している桐子の頭を撫でた。
よくよく考えれば、校舎内で待ち伏せしているお化け役達は、お互い見えないとはいえ霊のフリをして霊を驚かす事になるのだ。そっちは間違いなくイレギュラーだろう。
軽い気持ちで桐子の参加を認めたが、桐子本人も泣くほど酷い目に遭って、オカルト研究部の面々を恐怖に陥れてと、大失敗だったかもしれない。
(あ。もしかして俺とかみかみ先輩のどっちかにおまけで桐子が付いて来るから、その案内を誰がさせられるかで揉めてんのか?)
確かにそれは、霊が怖い人にとっては罰ゲームかもしれない。
いや、霊が怖くなくても宙空に向かってブツブツ言う人間と、闇の中を二人きりで歩けと言われるのは罰ゲームか……。
「え!? 彼は一人でって!? そんな、彼は──」
顧問の教師に連絡をしていたらしい瑠璃が、先程までは電話している事にも気付かないくらい小声で話していたのに、突然大きな声を出した。
「あ……」
どうやら一方的に切られたらしい。耳から離したスマートフォンの液晶画面をじっと見つめている。
「……あの、河内山先輩?」
月照が呆然とする瑠璃に声を掛けると、彼女は涙目で振り向いた。
「ど、どうしよう……か?」
(あ、これガチで困ってる……)
一気に責任を感じて、月照はしばらく何も言えなくなった。




