1セーブ目(12)
備え付けのベンチに腰掛け、ゴウンゴウンと単調な音を繰り返す乾燥機の中を見つめながら、加美華は昨夜の出来事と今朝自分がやらかした事を思い出していた。
昨夜は確か変な夢を見ていたのだが、その内容は忘れた。何か失敗をして顔を叩かれる夢だったのはうっすらと覚えているのだが、もうそんな事はどうでもいい。単に枕を顔にぶつけられただけだ。
問題はその枕が自分の枕の横に落ちているのを見て、とんでもない勘違いをしてしまった事だ。
いや、夢のせいでその勘違いをした気もなんとなくするのだが、どうしても思い出せない。
ただ嬉しい様な悔しい様な恥ずかしい様な、そんな妙な夢だった気がする。
だから全ての元凶はその夢なのだろうが、今となってはそんなもの些細な事だ。
加美華にとっての最大の問題は夢の内容ではなく、今朝、寝ている月照に自分がしてしまった事なのだ。
「う……ううぅぅぅぅぅ……」
小さく呻きながら、自分の口元を押さえた。
(寝ぼけてたから、枕のせいで夢と現実の区別が付かなくなったから……とんでもない勘違いしちゃったよう……)
加美華の頭の中は朝食の時からずっとぐるぐる回っている。
丁度乾燥機の中のシーツの様に、ごちゃごちゃと絡まりながら、グルグルグルグル、ずっと同じ所を同じ様に回り続けている。
「うぅぅぅぅぅぅ~~……っ」
そして何より困った事に、やらかしたと気付いた後も、恥ずかしいとは思っても嫌だとは思っていない自分に気付いてしまった。
むしろ午前の授業中には、「勘違いしたおかげで思い切った行動に出られたんだからラッキー」と前向きに決着しようと考えたくらいだ。
昼休みに条件反射的な痛烈チョップを食らわしてからちょっと冷静になり、午後の授業中に月照にばれたらとんでもない事になると気付いたので、結局今は再び乾燥機状態になってしまったのだが。
(シーツはいいよね……洗ったら綺麗に無かった事になるんだから……でも私の行動と記憶はどうやったって──)
唇に、今朝の感触が鮮明に蘇ってきた。
「ぅきゃぁぁぁ!」
おもむろに手足をばたばたと振り回し、加美華はバタンと身体を倒してベンチに寝そべった。
それでも消えない感触に、両手で顔を覆って力を込める。眼鏡が食い込んで、鼻の付け根がちょっと痛い。
少し手の力を緩めると、塞がれ暗闇となったはずの視界に月照の顔がどーんと映し出された。
「んにゃぁぁぁぁ!?」
両足をばたばたさせるが、そんな事で消えて無くなる様なちゃちな記憶ではない。
「うぅぅぅ~~……結局、どう思ってるんだろ……」
ぼそりと声を漏らしながら、両手を顔から離して天井を見上げた。
目を開けても月照の顔が目の前に浮かんだままだ。寝ても覚めても、とはこの事だろう。
「はぁ……月照、くん……」
この二日間ずっと一緒にいたのに、実は名前どころか名字さえ一度も呼んでない。
幼馴染みが彼を「みっちゃん」と呼ぶせいで距離感が全く分からず、「咜魔寺君」とさえ呼びかけられなかったからだ。
でも独り言なら、もっと思い切って名前でも呼べる。
「はい?」
独り言に、目の前に浮かぶ月照が返事をした。なぜか疑問形だ。
「………………え?」
一瞬頭が真っ白になり、
(何これ何これ何これ!? え? ええ? ま、まさか……いや、でもそんな……)
直後加美華の頭のグルグルは急加速して、鳴門の渦潮にも負けないくらい大荒れになった。
絶対に居ないはずだ、居る訳がない。
そう強く念じる。
希望的観測に基づいて霊を否定していた時よりもずっと強く、そう信じ込もうとする。
「加美華ちゃん、どうして寝てるの? まだ眠いの?」
しかし例によって例の霊が、そんな自己暗示を粉砕してくれた。
目だけを動かして声のした方を見ると、やっぱり桐子が立っている。
「き……りこ、ちゃん?」
「うん!」
元気よく返事する桐子に、加美華は絶望した。
留守番を任せた彼女が勝手にここに来るとは思えない。
しかし彼女は霊で、普通の人は霊と話なんてできないから、連れて来るなんてできっこない。
となると、自分を覗き込んでいるこの月照は…………。
「あ……あ、の………………」
「先輩、大丈夫ですか? なんか顔赤い──いや青くなって……って、ええ!? マジで大丈夫っすか!?」
慌てた月照の手が自分に伸びてきたところで、加美華の意識は途切れたのだった。
シーツの乾燥が終了してしばらく待っても、加美華は目を覚まさなかった。
だから月照は加美華を負ぶって昼下がりの町中を歩き、アパートまで帰る羽目になった。
起きているのではないかと疑う反応が何度かあったのだが、その度に呼びかけて確認しても加美華は目を開けてくれなかった。
今も寝ているはずの加美華はなぜか背中で全くリラックスしておらず、死後硬直かと突っ込みたくなるくらい全身ガチガチに力が入っている。
背負う時には少し自分で動いてくれて楽だったのに、こんなに力まれていては非常に歩きにくい。学校の鞄とシーツの入った手提げ袋を握りながらなので尚更だ。
(なんか、身体をできるだけ接触させない様に踏ん張ってる気がするんだが……)
しかし、この「真っ昼間の往来をおんぶされながら歩き回る」状態に晒されるにも係わらず、狸寝入りをする理由なんて思い付かない。
だから月照はきっと気のせいだろうと、加美華が落ちない様に気を付けながらアパートの階段を上る。
「ねえ、えと……あなた」
「ん? 咤魔寺月照だ。まだ覚えてないのか?」
隣を歩く桐子が話しかけてきたので、ついそう言ってしまった。
しかし彼女との縁を切りたがっている癖に名前を覚えろと言うのは、あまりに無責任で残酷だ。
だから「まあ別に良いけど」と慌てて付け加えた。
「う、うん。月くん」
「……なんだ?」
「加美華ちゃん、起きてるよね?」
「(ぎくっ!?)」
背中で加美華がビクリと動いた。
「………………」
月照は無言のまま加美華の部屋の前まで行くと、中腰になりゆっくりと加美華の太股を支えていた手を離した。
案の定、加美華は落ちることなく綺麗に着地した。
「……先輩、何してんですか?」
「ご、ごめんなさい……」
加美華の体重が背中から消えたので、月照は立ち上がって振り返った。
加美華は視線を合わさないように横を向いている。
「まあいいです。とりあえず、布団と寝袋も引き取りますんでお願いします」
「……は、はい」
あからさまに月照から視線を逸らしたまま、加美華は鍵を開けた。
そして一人で中に素早く入り、内側からガチャリ、と鍵を掛けてしまった。
「ちょっ!? 先輩!?」
慌てて扉を叩くが、中から『ごめんやさい、五分だけ待ってくらっせい!』と返ってきただけで、鍵を開ける気配はない。
こんな事をされるともう月照にはどうしようもない。素直に五分待つだけだ。
「加美華ちゃん、様子がおかしかったね……」
横では桐子も素直に待っている。
ドアをすり抜ければ入れるが、彼女はそうしなかった。
「まあ、確かに普通の女子高生は寝たふりしてまでおんぶして欲しいとは思わんな。でも先輩の事だから、きっとなんか事情があったんだろ」
加美華は気絶した気まずさと羞恥心から、起きるタイミングを逸してそうしたのだろう。
そう何となく理解した月照は、あまりこの話題を広げるべきでは無いと判断し、会話を一気に終わらせた。
「……うん、そうだね」
桐子は月照がわざと会話を終わらせたと気付いたらしく、それ以上何も言ってこなかった。
「「…………」」
二人で沈黙したまま、加美華が出てくるのをただ待ち続ける。
これはこれで気まずい。
しかし布団と寝袋の回収が済めばもうここに来る事はないし、桐子と会う事もない。
加美華だって学年が異なるのだから、学校でもそうそう顔を合わせる事もなくなるはずだ。
月照はそのまま桐子と目を合わせようともせず、ただドアを見つめて待った。
「……ねえ、月くん」
五分が過ぎても加美華が出てこないので、そろそろ催促しようとドアに手を伸ばした時、桐子が話しかけてきた。
「どうした?」
「おんぶして」
月照の手を握ってそんな我が儘を言ってきた。
まるで普通の小さな子供が親に甘える様に、上目遣いで月照の手をブンブン左右に引っ張り回している。
「……まあいいけど、ちょっとだけだぞ」
普段なら霊にこんな頼み事をされても絶対に突っぱねていただろう。
だが今は、なぜか我が儘を聞いてあげようと思った。
もしかしたら桐子と会うのを最後と決めたからかも知れない。
或いは、桐子の瞳にどこか寂しげなものを感じ取ったからかもしれない。
月照は桐子に背中を向けしゃがみ込んだ。
首に細く短い両腕が巻き付けられ、背中に加美華の半分もない重さがのし掛かってきた。
桐子は着物なのでなかなか上手く足を開く事ができなかったが、一度離れて裾を緩めてからまた乗り直すと、今度は上手く背中に収まった。
「立つぞ?」
「うん!」
聞かなくても大丈夫なくらい強くしがみついている桐子の返事を一応待ってから立ち上がり、数歩通路を歩く。
「きゃははははは! たかーい!」
たったそれだけで、さっきの沈黙の気まずさが嘘の様に、桐子は無邪気に喜んだ。
「ねえ、階段! 階段降りて!」
二、三度通路を行ったり来たりして加美華の部屋の前で立ち止まると、桐子はそんな事を言ってきた。
「え? いや、先輩待たないと……」
「加美華ちゃんが出てきたらすぐ分かるから大丈夫! いいから行って、行って!」
桐子は月照の両肩をぐいぐいと馬の手綱の様に引っ張って、階段に行かせようとする。
「少しだけって約束だったろ?」
「んー、もう! 大丈夫だから! 加美華ちゃんなら見えるからぁ!」
桐子はそう言ってから、ハッとなって急に動きを止めて黙り込んだ。
「………………」
月照も、そこでやっと気付いた。
(そうか……こいつ、俺の気持ちに感付いて……)
桐子にとってこの世界は、月照と加美華しかいない無人の世界だ。
彼女の世界に人を増やすには、霊障で三日掛けて部屋に入り、相手に姿を見せなければならない。
しかし正気を取り戻した今、少なくともしばらくの間は、人を怖がらせると分かっているのにそんな真似をするとは考えにくい。
実際にこのアパートで霊障を起こした結果、散々迷惑をかけただけで、殆ど成功しない事がもう分かったのだから。
そんな、人と出会う事が極めて困難な桐子にとって、今手に入れたこの人の温もりは絶対に失いたくない宝物に違いない。
それなのに──。
百年の孤独に晒されて、悪霊になってまで人と出会いたかったのに。
月照との別れを感じ取ったのに、桐子はそれを止めようとはしない。
ただこんな風に、思い出作りの為に甘えるだけで我慢しようとする。
もし彼女がもっと我が儘に、もっとストレートに、「ずっと一緒に居て欲しい」と駄々をこねてくれたなら……。
月照は、そんな桐子の聞き分けの良さが辛かった。
「……降りる」
更にそんな事まで言い出されては、月照の完敗だった。
霊と仲良くなっても良い事なんて何も無いと、今までの人生で思い知らされている。
特に我が強い奴や計算高い奴は、悪意が無くても最終的に月照を不幸に追いやり酷い目に遭わせてきた。
しかし桐子は計算では無く本心で、自分よりも月照の気持ちを優先しているのだ。それは今日の彼女の態度から充分に感じ取ることができた。
桐子はきっと、遊び相手として自分に会いに来てくれた人にならもっと色々な我が儘を言っただろう。いや、我が儘そのものも遊びだ。それを聞いた相手がどんな反応をするのか、それによって生まれる会話、その全てを楽しみはしゃいでいたはずだ。
事実今日も、最初はいくらかの我が儘や自分の興味のあることを言ってはしゃいでいた。
しかし遊びに来た訳では無いと分かった途端に、どこか遠慮が生まれた。
コインランドリーに連れて行くだけであれだけ嬉しそうだったのも、まさか自分の相手をして貰えるとは思っていなかったからだろう。
桐子は本来、誰かを無理に自分の都合に付き合わせる様な自分勝手な行動はしない、思いやりのある霊なのだ。
生前の親の躾がよっぽど良かったのだろう。
「……まあ、転けたら危ないからな」
月照は桐子を降ろし、そちらを振り返りながらも視線を逸らせて続ける。
「次はもっと広い所でな」
「……うん」
桐子は頷いた頭をしばらく上げずに項垂れていたが、やがてポカンと口を開けた顔を上げ、月照を見つめてきた。
月照は顔を背けたままその頭にポンと手を置き、乱暴にぐしゃぐしゃを髪を掻き乱した。
「う、にゃ、きゃっ!? みゃっ!?」
桐子が何か言おうとしたが、身体ごと揺れるくらい強く頭を撫で、黙らせた。
しばらくして月照が撫でるのを止めると、桐子は少しの間フラフラしていたが、やがて何も言わず俯いて背中を見せた。
小さく揺れる肩の動きで涙に気付き、今度は優しく、髪を梳く様にゆっくりと撫でる。
このまま桐子が顔を上げるまで続けよう、そう思って手を動かしていると、ギギギィ……と不気味な音を立てつつ目の前のドアが開いた。
「あ……あの……準備できましたので、どうぞ……」
まるで桐子とのコミュニケーションが終わるのを待っていたかの様なタイミングだが、それはないだろう。危険なくらい真っ赤な加美華の顔がそう言っている。
「え、ええと……お邪魔します」
寝具だけ受け取れればいいので部屋に上がり込む必要は無いのだが、十分近く時間を取って準備したらしい加美華に申し訳ないので、とりあえず誘われるがまま部屋へと入った。
玄関横にはすぐに持ち帰れるように、収納袋に仕舞われた寝袋と折り畳んで紐で縛られ小さくなった布団が置いてある。
持ってきた時よりも小さいし、紐を持てばいいので持ちやすいのがありがたい。
「ああ、わざわざこんなに小さくしてくれたんですか。ありがとうございます」
「え、ええ。まあ、はい……」
素直に礼を言うと、加美華も緊張が少し解けたのか、顔色が徐々に正常へと戻り始めた。
(さて、このままこれを引き取ってすぐに帰るべきか、それとも……)
月照が玄関で立ったまま考えていると、桐子が背中を押してきた。
「早く入って! 私が入れない」
「あ、ああ、ごめん。でも押すな、危ない」
ちらりと加美華に視線を向けるが、別段迷惑そうでもない。
いや、むしろ加美華としてはまだ今後の相談くらいしたいのか。
だから血管が切れそうなくらい真っ赤になっていても、月照を部屋へと上げたのだろう。
ならば月照も覚悟を決めて相手をするしかない。気まずい云々で助けを求めてきた人間を放置できるくらいなら、さっき桐子を簡単に斬り捨てていた。
「あの、とりあえずお茶くらいは出しますので……」
加美華がちゃぶ台を示したので、月照はその前に座った。
桐子は少し迷ってから、月照のすぐ横に正座した。物凄く上機嫌だ。
「お待たせしました」
すぐに加美華が冷蔵庫からペットボトルのお茶と三人分のコップを持ってきて、月照の正面に座った。
「「あ……」」
コップの数に、月照と桐子が思わず声を漏らした。
「あ……」
加美華も気付いたらしい。
「ま、まあ、お供えみたいなもので……その……」
そう言って誤魔化そうとしたが、すぐに諦めた。
「本当に、普通の女の子ですよね」
「ええ。俺も祭りの日に出会ってたら、ただの女の子と勘違いしてたでしょうね」
桐子は外傷が全く無い綺麗な身体をしていて、宙に浮く事もなく歩いているので、浴衣姿という事を除けば全く以てただの小さな女の子だ。加美華がうっかり生者扱いしてしまっても仕方ない。
「供えられても飲めない……けど、月くんが手伝ってくれたら飲めるかも?」
「やめとけ。服の応用で何とか口に入れるまではできても、喉から下は俺って認識しようがないから」
正座の姿勢の胴体をすり抜けて、そのまま床を濡らすのは目に見えている。
まあ成分はお茶なので汚くはないが、色合いといいシミの広がるであろう位置といい、ビジュアル的になんとも……。
「ええと、まあ、それは置いておきましょう。それよりも、今後私と桐子ちゃんは一体どうすればいいのか……いえ、何に気を付けておくべきか、少しご相談したかったんです。食費とかは全く気にしなくても良さそうですが」
頬にまだ少し赤みが残っているが、ほぼ健康的な血色に戻った加美華が月照の目――より少し下を見ながら尋ねてきた。まだ視線を合わせられないらしい。
「あー……まあ、そんなに深く考えなくていいと思いますよ。桐子が会いたい時に会いに来るって感じでしょうし」
そこまで恥ずかしかったのか、と思いながらも、月照は平静を装って答えた。
油断すると加美華の羞恥が感染しそうだ。
「私、ここに住んでるよ?」
「……へ? あ、ああそうか」
横から腕を突っついてきた桐子の言葉に少し驚くも、月照はすぐに状況を理解した。
桐子は元々憑いていた階段が無くなったので、このアパートの階段に取り憑いた霊だ。地縛霊と言えるほど土地に縛られる霊ではない。
そしてここの階段に取り憑いているという事は、このアパートに住んでいるという事だ。ならば加美華の許可を得たのだから、屋外にある階段からこの部屋に拠点を移してもおかしくない。
なるほど、それで階段ではなく部屋の中で留守番をしていて、我が物顔で月照を中に招き入れようとしたのだ。
「基本的には、変に気を使うより普通に生活していればいいと思います。こいつはこっちが気を使っても成仏する事は無いでしょうし――」
突っつくのを止めて月照の手をペチペチと叩き始めた桐子の攻撃を躱しながら、月照は少し迷いつつも続けた。
「今まで人どころかあらゆる生物すらいないと思っていたのが、やっと話し相手に会えたんです。よっぽど悪意を持って邪険にしなければ、悪霊化はもうしないでしょう」
回避行動を止めた月照の手を、桐子が握ってきた。
月照は軽くその手を握り返した。
全て桐子の気分次第なので、確証無しにこんな気休めみたいな事を言っていいものかどうか迷ったのだが、桐子のこの無邪気な笑みを見る限りやはり心配なさそうだ。
「だから先輩が怖くないと──昨夜こいつを可愛いと思った時から……」
月照はそこで一旦言葉を切り、加美華の様子を確認する。
頬の赤みも引き、しっかりと月照の目を見て話の続きを待っていた。
「先輩はもう、恐怖体験から完全に解放されたんです」
除霊はできてませんけど、と心の中で付け加えた。
除霊どころか、月照は実質何もしていない。強いて言えば、桐子に意地悪をして泣かせたくらいか。
結局霊障は最後まで進み、加美華自身がそれを克服した。
だから月照は、それを自分の手柄だなんて思っていない。
悪霊になってもすぐに元に戻った性根の優しい桐子と、恐怖のどん底を見せた相手を簡単に許せる加美華、二人の手柄だ。
(俺、むしろ布団の件で先輩追い込んだだけじゃねえか?)
しかし月照の内心とは異なり、聞き終えた加美華は目を見開いて驚いていた。
その目を閉じ、ゆっくりと開き直して、目尻を手で軽く擦ってから満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます! 月照君のおかげです!」
魅力的な笑顔で感謝の気持ちをストレートにぶつけてきた加美華に、月照は返事もできずに狼狽えてしまった。
――いや、俺は何もしていないし。
――枕ぶつけたり色々迷惑掛けただけですし。
――俺より、桐子の手柄でしょう。
頭の中では色々な、自分を否定する言葉が渦巻いている。
しかし加美華の笑顔が、それを口に出す事を躊躇わせた。
「貴方がいなければ、貴方が霊感を持っていなければ、私はきっと恐怖でおかしくなっていました」
続けられた言葉にも、月照は何も言えない。
――こんな俺が……?
――こんな能力が……?
小学校高学年以降不気味がられてきた、自分が。
中学校時代人格が変わるトラウマ体験をさせられた、この能力が。
「いいえ……。あ、貴方だったから……。相談したのが、貴方だったから、私はきっと……」
何か、身体を絡め取っていた重厚な鎖が次々と切り落とされていく様な、そんな錯覚を覚えた。
もしかしたら、加美華は答えをくれるのかも知れない。
この、何も変えられない、自分を不幸にするだけの能力を持つ意味を。
「私はきっと、すきわれったんっ――……。す、すくわられた……。す、う、うぅぅ……」
………………。
(噛むんかい!)
良い感じに自分に浸っていた気分が台無しだが、それはもういいだろう。
自分が何かの役に立ったとは思えないが、それでも加美華が自分のおかげと言ってくれたのだから。
月照はうだうだ考えるのを止めた。そんなのは自分らしくない。
握った手の先で、加美華の失敗に驚きポカンとなっている桐子に少し頬が緩みそうになったが、気を引き締めて真剣な表情に戻る。
「先輩……」
「は、はい……」
俯きがちに噛んだことを恥じていた加美華は、上目遣いで月照に答えた。
小動物の様な愛らしさを纏うその仕草に、月照はドキリとした。
そんな月照の動揺を知らない加美華は、月照の真剣な表情に期待と不安を綯い交ぜにした視線を送りながら、次の言葉を待っている。
月照はそれを真摯に見つめ返して、言った。
「かみかみ先輩って呼んでもいいですか?」
半分以上お茶が残っているペットボトルの一撃は、たんこぶができるほど痛かった。
私の拙い物語を読んで下さりありがとうございます。
今回で1セーブ目のお話は終了です。
次回から2セーブ目となりますが、書き貯めた分がほぼ無くなってしまいましたので、今後は更新速度が遅くなります。
できるだけ早く続きをお目にかけられるよう努力いたしますので、今後ともどうぞご愛読よろしくお願いします。




