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「寝坊しろー」

「寝てられるか!」

 死人も目を覚ましそうな大声を耳元で出されて、()()(でら)(つき)(みつ)は心地よい眠りから一瞬で(かく)(せい)し、飛び上がった。

 体格は標準的だが、幼少期からスポーツをしているのでなかなかに素早い身の(こな)しだ。起き抜けにこんな動きをしても(こむら)(がえ)りにならないのは、長年運動で身体を鍛えてきたおかげかもしれない。

「……お前、今日のはいくら何でも過激だろ」

 矛盾した言動で叩き起こされて反撃の蹴りでも入れそうな勢いの月照だったが、その犯人──()()(あかり)がその剣幕と反応速度に驚いて尻餅をついたのを見て(りゅう)(いん)を下げた。

 家が向かい同士なので物心付いた時から知っている幼馴染みだ。

 高校生にもなってツインテールというあざとい髪型とそれが異様に似合う童顔、標準未満の身長に比してアンバランスな標準以上の胸、おまけに細くて長い足に可愛らしい声という、単体でも(、、、、)世の男共を惑わす紛れもない美少女だ。

『ちょっと月照、何叫んでるの!? (ほたる)ちゃん待ってるんだから寝ぼけてないで早く起きて来なさい!』

 台所の方から月照の母親の声が聞こえてきた。

「はいはい、すぐ行くから」

 母親にそう答えながら、月照は座り込んだままの灯に手を伸ばした。

「いや~、ごめんね。みっちゃん色々反応返してくれるから、面白くてつい──」

 その手を握って立ち上がり、灯はだらしない笑顔を見せた。

「人の寝起きをおもちゃ代わりにするな! ったく、少しは妹を見習って向こうで待ってろよ……ってまあ、そこ以外あんま差はないか……」

「私とほーちゃんは一卵性だからね~」

 そう言ってなぜか照れ笑いをする灯には、凶悪な事に全く同じ姿形の『ほーちゃん』こと蛍という双子の妹がいる。

 そして二人は月照が呆れるくらい常に一緒に行動していて、二人共この様な非常識で突飛な行動をして絡んでくるのだ。

 違いと言えば、灯と比べれば蛍の方がやや大人しく常識的な事くらいだろう。しかしそれは比較対象が灯だからであって、一般人と比較すれば間違い無く蛍も非常識だ。

 だからという訳ではないが、月照はこの双子が苦手だ。

 別に嫌いな訳ではないし、弱みを握られている訳でもない。いつからなのか、何が苦手なのかもよく分からない。

 ただいつの間にか、なんとなく自然と彼女達を避ける様になっていた。そして小学校高学年の頃、その無意識な自分の行動に気付いて、初めて苦手意識を自覚したのだ。

 だから中学入学を切っ掛けに本格的に距離を置こうと努力し始めたのだが、どうにもそれがこの双子には気に入らなかったらしい。離れようとすればする程、二人ともムキになって寄ってくる様になった。

 今年は同じ高校に入ったのをいい事に、入学式から態度をエスカレートさせている。

 例えば登校時は、以前は自宅の門前で待つだけだったのに今は家の中まで押しかけて来るし、昼休みには人目も(はばか)らず一緒に弁当を食べようと教室に押しかけてくる。

 そんなゲームやアニメ限定「幼馴染みの見本」的行動を実行されると、苦手とか恥ずかしいを通り越して正直(うっ)(とう)しい。

「とりあえず、着替えるから向こうで待ってろ」

 月照はそう言って、ハンガーに掛けてあった制服を手に取った。

「おおう!? こういう時、幼馴染みはやっぱり『手伝うよ!』とか言った方がいいのかな?」

「そうだな。じゃあ今度お礼にお前の着替え手伝うよ」

「向こうでほーちゃんと一緒に待ってるね」

「素直でよろしい」

 部屋から出て行く灯の背中を見送って、月照は今朝も恒例となった溜息を吐くのだった。



 着替えを終えて食堂に着くと、灯と蛍が並んで食卓の椅子に座っていた。

「あ。おはよう、みっちゃん。今日もお邪魔してるよ」

 月照を見つけた蛍が笑顔で声を掛けてきた。声も灯と全く同じで、制服だとまるで分身の術だ。しかし付き合いの長い月照は灯と蛍を間違えたりしない。

「邪魔って分かってんなら来んな」

 月照は毒突きながらいつもの自分の席に座り、「頂きます」と小さく呟いてから母親が既に並べていた朝食を食べ始めた。

「みっちゃん。私達は邪魔と分かっているからこそやってるんだよ?」

 灯がニヤリと意味ありげに笑うが、何の意味も無い事を月照は分かっている。

「みっちゃんこそ、私達の邪魔にならない様に早く準備してね」

 蛍もニヤリと意味ありげに笑うが、言っている事の意味が分からない。

「邪魔も何も、無理せず勝手に行けよ。何で登下校毎日一緒なんだよ……」

「「私達がみっちゃんと一緒に行きたいから」」

 双子が声をハモらせた。

 この容姿でこんな事を言われると、分かっていてもちょっとドキッとする。

 そう、分かっているのだ。

 この二人に、そんな甘い展開を期待してはいけないと……。

「だってみっちゃんじゃないと私達も遠慮しちゃうし」

「好き放題できないとストレスが溜まるもん」

 灯と蛍、二人とも好き勝手な事を言って、互いに顔を見合わせながら「「ねー」」と首を傾けた。

 月照は心の中で溜息を吐いた。

 高校生活が始まって一週間、ついにはっきり拒絶の言葉を伝えてみたが……。

(近いうちに本気で対策練らないと、こいつらどこまでもエスカレートしそうだな)

 言葉通り好き放題な双子に、月照は諦めて黙々とご飯を口に押し込んだ。

 これ以上の無駄話は登校の妨げになると思ったのか、双子も会話を打ち切り勝手にテレビを点けて眺め始めた。

 味噌汁をすすりながらちらりと灯に視線を向けると、それに気付いた灯が一瞬キョトンとしてから愛想笑いを浮かべた。

(――っ!? ……ったく、ずっとこれくらい静かならなぁ)

 ドキッとしてつい顔を背けてしまい、誤魔化すように視線を卵焼きに移してお椀を置いた。

 そのまま卵焼きへと箸を動かしながら考える。

(やっぱ人間は顔だけ(、、)じゃないって事だな)

 顔も重要なファクターだと認めている月照は、双子に言わせれば決して不細工では無いらしい。

 だが本人は、最近目付きが悪くなった気がするとか鼻が人よりほんの少し大きいかも知れないとか、外見について人並みにコンプレックスを持っている。

 そして外見以外の部分では、もっとずっと大きなそれを──。

「「行こ、みっちゃん」」

 まるで無邪気な幼子の様にコンプレックスを感じさせない双子が、食事を終えた月照に声をハモらせながら言った。

 綺麗に平らげ箸を置いた月照は、双子には答えず離れた所にいる母親に「行ってきます」と伝えて立ち上がった。



 冷たい朝の風と暖かい日差しを同時に肌で感じながら、どこからともなく舞ってくる桜の花びらの中、三人でワイワイ騒ぎながら登校する。

 いや、ワイワイと騒がしい双子に挟まれながら、月照は無言で眉間にしわを寄せ首を真正面に向けたまま歩いていた。

 三人が通う高校までは徒歩で二十分程度と歩くにはそれなりの距離なのだが、学校の敷地面積の都合で駐輪場が小さく、自転車通学には距離制限がある。月照達はその制限ぎりぎりで徒歩通学だ。

「お前等、いい加減朝来るの止めろ。俺はマイペースで登校したい」

 その長い通学路の中間付近、交通量の殆ど無い住宅街の交差点に差し掛かった辺りで月照は口を開いた。

 どれだけ無視を決め込んでいても、両サイドから「日曜何してた?」「今日は部活説明会あるんだよね?」などと思い思いに勝手な話題を話し続ける双子には全く効果が無かったので、諦めてはっきり自分の意志と希望を伝える事にしたのだ。

 このやかましい双子のバラバラで一方的な会話──いやトークを、この後学校まで十分も聞かされ続けるのはちょっとした拷問だと思う。

「「大丈夫、私達はマイペースで登校してるから!」」

 双子が声をハモらせて嬉々として言った。

 内心「知ってるわ!」と激しく突っ込みを入れた月照だが、歯を食いしばってぶん殴りたい衝動を抑える。

「みっちゃんは一緒に登校してくれるだけでいいから、気楽にしてていいよ」

 灯が月照のストレスなど全く気に掛けずに言った。

 それができないから歯ぎしりしているのだが、この満面の笑みを見せている灯にはきっと説明しても理解できないだろう。

「でもちょっとは相手してくれないと私、みっちゃんの筆跡で名前入りで女子トイレに変な落書きしたくなるよ?」

 蛍がかなり凶悪な事を言い出した。

 彼女は数年前、なぜか突然月照の筆跡を練習し始め、最終的には本人同士でもどちらが自分の書いた文字か分からなくなる程の完成度にまで到達した。教師は勿論、下手をすれば筆跡鑑定士でも騙せてしまうクオリティーなので、彼女に落書きを実行されては無実の証明が極めて難しい。

「だ、だからこうやって相手してるだろ!」

 結局月照が折れた。

 中学の頃も何度か似た様な遣り取りがあったが、他の事なら割と月照に軍配が上がるのに、「一緒に登下校」の事になると双子に全く勝てなかった。

 まあ双子が今の様な反則を平気でしてくるからなのだが、どうにも彼女達には絶対に退けない何かがある様だ。

「ったく……まあもし本当にそんな真似したら、俺は学校辞めて働きに出るだけだけどな」

「「そんなの絶対駄目!」」

 双子は再びステレオスピーカーの如く声をハモらせた。

 一卵性の双子なら割とよくある現象らしいが、灯と蛍は以心伝心で打ち合わせ無しでも狙ってやってのける事が可能なのだそうだ。

「分かったから……いちいちハモりながら大声出すな」

 だから連携も見事なもので、

「だってみっちゃんが」

「変な事言うから悪い」

「そもそもそんな事になったら」

「就職先まで押しかけるもん!」

「「そしてそこの女子トイレに落書きするから!」」

 と、この様に灯と蛍でそれぞれパート分けをして、月照に口を挟む隙を与えないで一方的に喋り続ける事さえ可能なのだ。

 ちなみにこの連携トークは今回同様灯が口火を切る事が多い。

 ただでさえ苦手意識があるのに、常に二対一では月照に勝ち目はない。

 結局月照は、双子の好き勝手な話を聞かされながら一緒に登校するしか道が無いのだった。




 教室の窓側二列目、後ろから二番目という居心地の良い自分の席で踏ん反り返りながら、月照は難しい顔をしていた。

 月照は決して品行方正とはいえないが、特にやさぐれている訳ではない。

 ただ誰に対してでもちょっと()(けん)(どん)な態度を取って、人とあまり深く関わろうとしないだけだ。

 だからよく不良だとか怖い人と勘違いされたりするが、授業には真面目に出ていて中学での成績はそこそこ良い方だった。当然高校でも授業は真面目に受けている。

 しかしさすがにそろそろ中学のおさらいではなく本格的な高校の授業が始まり、特に理数においては理解力が追いつかなくなってきた。

 真面目に授業を受けてはいるが、真面目に予習復習をしている訳ではない。このままだと一学期中間試験がとんでもない事になりそうだ。

 午前の授業の内容がほとんど理解できなかった月照は、昼休みの最初の数分を、弁当を出したまま手を付けずにそんな心配をして過ごしていた。

 というのも、勝手に食べ始めるとキレる奴等がいるからだ。

「「みっちゃーん! 一緒に食べよ!」」

 先週同様、そのキレる奴等――双子が教室にやって来た。

 双子は毎度教室に入りながら大声を出すので、当然クラス全員の注目が集まる。

「(おい、あれって──)」「(やっぱ可愛い)」「(咜魔寺つったっけ、あいつ? くそ、リア充失禁しろ!)」

 教室のあちこちで囁きが起こる。たったの一週間でクラスの有名人になったらしい。

 まあただでさえ双子なんて目立つのに、この外見で余所のクラスから毎日昼休みと放課後に二人揃って月照に会いに来るのだから当然と言えば当然だ。高校入学間もないこの時期、クラスメイトでもお互いの名前を知らないのが割と当たり前なのだが、この行動のおかげで月照共々既に学年一の知名度だろう。

 いや、月照は隣のクラスには行かないので、やはり灯と蛍だけが飛び抜けて有名なのか。

 いずれにしても、目立たず普通の高校生活を送りたい月照には迷惑な事この上ない。

「みっちゃん、今日はどんなお弁当?」

 灯が近くの空いている席の椅子を勝手に持ってきて、月照の机の右サイドに陣取って弁当を広げた。

 この集中する視線を全く意にも介さない神経は、ちょっと羨ましくもある。

「私達は久しぶりのタコさんウインナー――じゃなくてイカリングだ!?」

 同じく拝借した椅子で左サイドに陣取り、狭い机の残り僅かなスペースに無理矢理弁当を広げた蛍が目を点にした。

「お母さんに騙された!?」

「あ、でもみっちゃんのお弁当にタコさんじゃないけどウインナー二つ発見!」

 灯と蛍が矢継ぎ早に言い、

「「いただきまーす」」

 迷わず月照の弁当に箸を伸ばしてきた。

「行儀が悪い!」

 月照は双子の額に左右の手でチョップを決めて、ウインナーを死守する。

「「うう~……イカはお刺身の方が好きなんだもん……」」

「弁当に刺身って怖い物知らず過ぎるだろ」

 突っ込みながらも、取られる前にウインナーを一つ自分の口に放り込む。

 これでもう双子は手を出してこないだろう。さすがに一本のウインナーを半分に割って分け合うほど、ウインナーに飢えてはいないはずだ。

「むう……いいもん。明日はタコさんウインナーを見せびらかしながら食べるから」

「みっちゃんのは、おばさんに頼んでイカのお刺身にして貰うね」

 灯と蛍が、月照の口元と弁当箱に残された一本だけのウインナーを交互に見ながら恨みがましく言った。

「俺はイカの刺身あんま好きじゃねえし、そん時は蛍にやるよ」

「ウインナーの時に言え!」

「ウインナーは俺も好物だ!」

 蛍と頭の悪そうな言い争いを始めると、灯が月照の袖を摘んだ。

「なんだよ、鬱陶しい……」

「──……え? あ、あ~……」

 灯は何やら少し慌ててから、閃いたといった様子で早口で言う。

「そだ! 今日、入部届けの用紙貰えるらしいよ。午後に体育館に集まって説明会して、明日から一週間、部活勧誘期間ってのがあるんだって。入部はいつでもいいらしいけど、部が派手に勧誘できるのがその一週間だけなんだって」

「朝も何かそんな事言ってたろ?」

 つい興味なさげに言い返したものの、これは月照にとって弁当のおかずよりも興味深い話題だった。

「そっか……うん、高校って言えば、やっぱ部活だよな」

「「ううん、違うと思う」」

 珍しく話題に乗ってやったらこの反応だ……。

 ハモりながら真っ向から否定した双子に、月照は無言で残りのウインナーを見せびらかしながら、物凄く美味しそうに食べた。

 双子が左右からうるさく抗議してきたのは言うまでもない。

(そうか、高校生なんだよな……)

 双子の抗議を聞き流しながら感慨に耽る。

(やっぱ、中学とは全然違うんだろうな)

 中学時代、不完全燃焼に終わったバスケットボール部での練習の日々を思い出す。

 幼少期から身体を動かすのが大好きで、運動神経には自信があった。事実、部内の誰よりも上手かった。

 だがバスケットボールは高さのスポーツで、滅多に練習を見に来ない顧問の教師は身長だけを基準にレギュラーを決めた。だから平均的な身長の月照は、三年間で一度も試合に使って貰えなかった。

 今度こそやってやると心に決め、月照は残りの弁当を口に押し込んだ。

 双子は相変わらず何やら色々とうるさかったが、月照の耳には入らなかった。


     ◇◆◇◆◇


「おーい、朝だよー」

 今日も飽きずに枕元にやってきたらしい灯の小さめの声が、月照の寝起きを最悪にした。

 いっそ起きずにこのままやり過ごしたいと思い、月照はそのまま狸寝入りをする。

「むー……大声だと過激って怒るくせに、普通だと起きないのはどうかと思うよ? でも大声出すとまた怒られるし……よし、起きないとほっぺにチュー──」

「起きた! 起きたから!」

「──インガムを貼り付ける……あ、起きた。おはよう、みっちゃん」

「……ああ、おはよう」

 前言撤回。あの段階ではまだ最悪ではなかった。今こそが最悪の気分だ。

 もう明日からは灯が来るより早く起きる事にしよう、月照はそう決心しながら灯を部屋から追い出して、素早く制服に着替えた。



 灯と一緒に迎えに来ていた蛍も加え、いつもの様に三人で家を出た。

 なにやらいつもと異なり、双子はすぐには話しかけて来ない。そわそわと月照の様子を窺っている。

 しかし月照からは話しかけない。そんな事をしたらきっとこの二人は調子に乗るだろう。

 そのまましばらく歩いていると、灯がしびれを切らして話しかけてきた。

「昨日、みっちゃんも入部届けの用紙貰ったよね?」

「勿論みっちゃんは、私達と同じとこに入るよね?」

 さすがの連携で、灯にイエスと答えたら蛍にどことも知れない部に入れられるところだった。

 そもそも何が「勿論」なのか分からない。

「用紙は貰ったが、お前等とは絶対に違う部活に入る」

 下手に言質を取られない様にわざわざ丁寧にそう答えると、双子は二人して「えー」と不満の声を漏らし、両サイドからなにやらごちゃごちゃと文句を言い始めた。

「知らん。俺には心に決めた部活がある」

 月照はピシャリと言い放ち、双子を黙らせ──

「みっちゃん、()(まま)言ったら駄目だよ。みっちゃんは私と一緒にここに入る事に決まってるんだから」

 ──られなかった。

 灯は全く聞く耳を持たず、わざわざ鞄から自分の入部届を出して月照の目の前に突き出した。

 まあこの双子が我が儘を言い始めたのだから、この程度は予想ができたので月照も怒らない。

 静かに反論するだけだ。

「あのなぁ……俺は高校じゃ絶対に野球するって、昔から言ってただろ?」

 月照は目の前にかざされた「オカルト研究部」と書かれた入部届を灯の手と共に元の鞄に押し込んだ。

 昨日灯が言っていた様に、今日から来週の火曜日までの一週間は部活勧誘期間だ。

 月照のクラスでも昨日の帰りのホームルーム時に入部届けの用紙と全部活動のしおりが配られたので、当然その用紙は鞄に入っている。

 ちなみに昨日聞いた説明では、全ての部は仮入部期間を設けており、今日の放課後からそれが始まるらしい。その仮入部期間中に見学や体験などを行い、お互いが部活動の内容や人間性を納得できれば、晴れて正式な部員として入部できるという訳だ。つまり部の側にも入部拒否をする権利がある。

「ねえねえ、みっちゃん。そういえば最近はお化けの話全然してくれないよね。見えなくなったの?」

 と、逆サイドの蛍が唐突に話題を変えてきた。

 今更だが、やはりこの双子は全く同じ顔と声で、どうやって区別しているのか月照自身でも分からない。しかしそれは月照だけの特別な能力ではなく、誰でも慣れれば同じ事ができるらしい。近所で双子とよく会話する人々が、双子を呼び間違えているのを見た事がない。

「……いや」

 ただ、月照には普通の人には無い特別な能力がある。

「おー、じゃあ最近はどんなの見たの?」

 それが今蛍が興味津々に聞いている、お化けを感知する能力──いわゆる霊感だ。

 月照のそれは世間の自慢げな自称霊能力者より遙かに強力で、感じるとか見えるといったちゃちなものではない。

 霊に触る事もできれば会話もできるし、匂いを嗅ぐ事までできるのだ。むしろこの双子相手よりよっぽどまともな、筋道のある会話が成立する。

「そんなもん、生首とかじゃないと霊かどうかなんて分からんってーの」

 これは生来の能力なので、困った事に月照は霊と生物の区別が付かない。

 生まれた時から、生首が空を飛び、内蔵を引き摺っている猫が下半身のない犬に追いかけられる様な光景を、ごく日常的な当たり前の出来事として目撃してきた。

 しかも当たり前の様に触る事ができて臭いも音も感じるのだから、生物との違いを認識し区別する能力が発達しなかったのは仕方がないだろう。

 もし見えるだけだったなら「触る事ができるのは物質、できないのは霊」と自分で経験を繰り返し、やがては双子を見分けるのと同様に、経験から「なんとなく」で見分けが付く様になっていたはずだ。

 しかし残念ながら月照には、他人にそれが見えているかどうかでしか確認する方法が無かった。だから今でも外傷のない霊は、宙に浮いたり壁にめり込んだりしていない限り、生きているのだと勘違いしてしまう。

 生首などの明らかに致命傷を負った姿の霊だって、同じく霊感が強い父親が教えてくれなければ、そういう生き物がいる、或いは生き物はそこまで体に損傷を負っても死なない、と勘違いしたまま大きくなっていた事だろう。

 その頼れる父親は、一体何の仕事をしているのか知らないが、毎日の様に日本全国津々浦々を飛び回っている。

 だから月照は霊感について滅多にレクチャーを受けられず、「壁をすり抜けるのは霊だ」という事実も、前を歩いていた人と同じ様に壁に顔から突っ込んで、鼻血と涙を流しながら身につけた識別方法だ。

「見えっぱなしでも、悪霊とかならなんとなく分かるんでしょ?」

 この手の話はオカルト研究部入部希望の灯も当然興味があるので、話に混ざってきた。

「変な霊障を起こす奴なら分かり易いってだけで、別に区別が付くわけじゃないな……あれだ、人を見て唸り声を上げている犬は危ないって分かるだろ? でも、唸らないからって噛みつかないとは限らない」

 まあ、向こうの通りで下着姿で包丁を振り回しながら奇声を発している中年女性は、変な霊障を起こさなくても危ない奴だとすぐに分かるが……。

 父曰く、「真っ当な人間なら絶対にしない非常識な行動を平気でしている人を見かけたら、それは十中八九霊そのものか、霊障の影響下にある生きた人間かのどちらかだ。決して近付かないように」だそうだ。

 つまり普通の人でも狐付きの言い伝え通り奇行に走る事があるのだが、それがまた月照にとって生き物と霊の区別を難しくしている理由でもある。

 まああの女性は(ひと)(だか)りもないし警察が来る様子もないので間違い無く霊だろう。

 それにしてもあの霊は刃物を持っているので、霊と肉体的接触が可能な月照にとっては、もしかしたら命に関わる様な危険な存在なのかもしれない。

「なるほどー、役立たずだね」

 女性がこちらに向かってこないか緊張して様子を窺う月照とは対照的に、灯はのほほんとしたいつもの調子だ。霊感が無いというのはやはり羨ましい。

「失礼な。見えもしないお前等より俺の方がよっぽど役に立つ」

 女性の霊がどこかに行ったので安心しながら、月照は灯にジト目を向けた。

 と、なぜか反対側から「うー」と蛍の唸り声が聞こえてきた。

「なんだ?」

 月照がそう声を掛けると、蛍は鞄からなにやら紙切れを取り出した。

「そんなに霊感が自慢なら、みっちゃんはやっぱりオカルト研究部に入るべきだよ!」

 灯のと同じく「オカルト研究部」と書かれた入部届だった。

「…………高校野球ってのは、俺の憧れでもあるんだよ」

 月照はそう言いながら、蛍の手も鞄に押し戻した。

「むぅ……うちの高校、毎年初戦敗退らしいよ?」

 蛍がまた頬を膨らませるが、双子の機嫌なんていちいち気にしていたら日常生活に支障が出る。

 そもそも双子は月照の気持ちなんてほとんど考えていないのだから、こっちも気にしてやる必要はない。

「じゃあ二回戦以上に進めたら俺が入部したおかげって事だな」

「レギュラーになれたらね」

「見てろ、一年生レギュラーになってやる」

「見ないよ。だってみっちゃんは私と一緒にオカ研に入るんだから」

「しつこいな……灯と仲良く入ればいいだろ」

「──みっちゃん。君はまだ、自分の運命──いや、宿命を知らないと見える」

 急に低い声を出したかと思うと、蛍はびしっ、と指を突きつけてきた。

「……どんな宿命だよ?」

 月照は指から逃げる様に少し仰け反りながら、蛍に問いかけた。

「「私達に振り回される人生を歩む」」

「ハモんな! てか振り回してる自覚あんなら少しは自重しろ!」

 双子の特技「打ち合わせ無しでハモる」で回答された月照は、必殺「ダブル突っ込みチョップ」を繰り出した。まあ必殺と言っても、ただのチョップを両手で同時に双子それぞれの額に喰らわせただけなのだが。

「「はうっ!? 相変わらず見事な技の切れ……これはもう──」」

「何を言われても野球部一択だからな」

「「──……いけず」」

「関西弁で拗ねても駄目だ。俺は小学校の頃からずっと甲子園に憧れてたんだ。あそこは目指すだけで価値があるんだよ」

「「うー……」」

 双子は両サイドから見事なステレオで唸っていたが、やがて「あれ?」と首を傾げた。

「「小学校の時ってサッカーにハマってたよね? 中学はバスケだったし……」」

 月照はぎくりと肩を竦めた。

「「……どうしてそんな嘘吐くかな?」」

「嘘じゃない! 近所に少年野球がなかったから、代わりにサッカーを──」

「「『正月に茶の間を沸かせる鉄壁ゴールキーパーになる』って言ってたの思い出した」」

「…………」

「「おい」」

 黙り込んだ月照を、両サイドから覗き込んでくる双子。

 その圧力に抗する手段を持たない月照は、無言のまま歩く速度を速めたのだった。

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