その参 まつろわぬ者達
「おはよう!あっ・・・・・・」
朝、教室でヒルコにそう声を掛けたクラスメイトの一人は、明らかにしまったという顔をした。
目を伏せ、逃げるようにパタパタと走り去っていく。
その後ろ姿を見送り、ヒルコは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
席に着こうとすると、イソラが何か言いたげな表情を浮かべヒルコを見上げた。
かまっていられるかと言いたげに、ジロリと一瞥すると気弱げに目を伏せる。
そのおずおずとした態度に益々眉をしかめながら、ヒルコは席へと着いた。
廊下からバタバタと騒がしい音が聞こえてきた。チャイムが鳴ると同時に、教室の中にダイキが滑り込んできた。
続いて先生も入ってきて、ダイキに注意をしながら一日の始まりを告げた。今日の予定を淡々と読み上げる声が響く教室には、昨日と同じような眩い朝日が差し込み辺りを照らす。
温かな日の光を受け、ダイキは大あくびを一つして早速寝る体勢を取り始めた。
先生の再度の注意の声もむなしく、ダイキの寝息が規則正しいリズムをとり始めた。
休憩時間になり、ダイキがヒルコの前の席にどっかと陣取った。
イソラは、隣の席で静かに本を読んでいたが、それでも、やはり気になるようで、時折視線がダイキやヒルコの方にさまよってくる。
「なんか、クラスの雰囲気おかしくね?昨日まではお前の周り、女子が囲んでいろいろ聞いてたじゃん」
ダイキは憮然とした顔つきで問いかけた。
「今度は、クラス中を巻き込んで無視作戦のようだ。あることないこと噂が飛んでいる。
外つ国の地獄の世界から神官達に拾い上げてもらった恩を忘れ、前の学校では教師との道ならぬ恋。ソイツの仕事も家庭もすべて破滅に追い込んだ挙げ句、その後はお決まりの転落の人生。
とうとう暗黒街に落ち、国家の転覆まで狙うようになった大逆人とな」
「うわっ、何それ!でもそんな話、信じるほうもおかしくね?」
「そうか?いつの世でも人がする事は大して変わらん。一つの流れができてしまうと、それに逆らうことは死を覚悟するのと同等の決意が必要だ。誰でも己の身が可愛い」
「オレ、お育ちも悪いし、いっつも嫌われモンだから別にど~って事もないけどさ。なんで、みんなで同じ方向向いて、同じ事しなくちゃなんないんだろうな?息ぐるし~ぜ。なっ、イソラもそ~思うだろ?」
ダイキに声を掛けられ、イソラは少しホッとしたような顔で頷いた。
「それは、お前がまつろわぬ者の魂を受け継いでいるからだろうな」
「まつろわぬ者?」
「時の権力に媚びず、己の頭で物事を考え、運命を切り開く者のことだ。そんな者達は、鬼だ蛇だとおとしめられ、歴史の闇に葬られてきた。しかし、確かにこの場の空気はよどんでいるな」
ヒルコはさっと立ち上がると、机の中から刺し子の布を取り出し、それで窓を拭き始めた。
「な、何やってんのヒルコ?」
ダイキは、全くの想定外といった風に、素っ頓狂な声を上げた。
「神のおわす境内はいつも美しく掃き清められ、磨き上げられているだろう。美しい場所には美しい魂が宿るのだ。ほら、お前達もしろ」
ヒルコは、イソラとダイキに縫い目が規則正しく美しく並ぶ刺し子の布を投げてよこした。
「え・・・えっ?オレそんなキャラ違うし・・・」
「馬鹿者。これも、修行と思え」
素直に布を受け取り、窓を拭き始めたイソラとは対照的に、ダイキは布を放り投げ、ブツブツと文句を言いつつ窓の桟に腰をかけた。
「真面目にせぬなら、そこから突き落としてやろうか?」
「ここ、三階なんですけど・・・・・・」
「少し、頭でも打った方が回転が良くなるやもしれんぞ」
「お前が言うと、本気でしそうで怖いんですけど・・・・・・」
「私は冗談は言わん」
「ヒルコちゃん。そういうのは冗談で止めとくのが大人のマナーってもんよ・・・・・・」
「すまない、まだ未成年なものでな。成人まではあと二年必要だ」
「いや、そう言うことじゃなくって・・・・・・」
掃除をする三人を、ばっかじゃね~やっぱ変な奴~と言いながら嘲笑うアンドリュー達の声がクラスに響いた。
しかし、そんな言葉に何の反応も返すことなく、ヒルコはただ一心に窓を磨いていた。
窓ガラスを通り抜ける光は、虹のきらめきをまといながら三人を照らす。
ダイキは、ヒルコの艶めく黒髪が日の光を反射するのをデレた顔で見ながら、ふと気づいた。
「お前とイソラって性格が真逆だから今まで思った事なかったけど、実はびっくりするぐらい似てるよな。すっげえ以外だけど」
「こんな奴に似ているなど心外の極みだ」ヒルコは明らかに嫌そうな顔つきをした。
「でもさ、背格好もそう思って見たら同じぐらい。実は生き別れた双子なんじゃね?」
「話としては面白いが、私の母は中つ国の巫女をしておった」
ヒルコは、首元からロケットを引っ張りだしパチンと蓋を開く。
「おおっ!めっちゃ可愛いっ!今のツンなヒルコもいいけどさ、このロリな感じたまんね~!」
そんな言葉を吐いたダイキは、ヒルコに思いっきりダンッと足を踏まれた。クウッとうめき声を上げてその場にしゃがみ込む。
イソラものぞき込み、まだ幼いヒルコと共に写っている女性の顔を見た。全く見たことのないその顔に、知らないとの意味を込めフルフルと頭を振る。
「痛って~よ!足の指は簡単に折れるからやめてくんない、ヒルコちゃん・・・・・・あと、中つ国って、何それ?」
「貴様らは知らぬだろうが、この国は聖都と七つの都市の他に、一般人は立ち入ることの出来ないもう一つの都があるのだ。そこは中つ国と呼ばれ、独立した一つの国のようなものだ。私はそこの生まれだ」
「だっからヒルコって、あんまし見ないタイプのエキゾチックビューティーなんだ。でもさ、じゃあ、イソラって中つ国の血を引いてんのかな」
「あまり、深入りしようとするな。消されるぞ」
「えっ?それってマジ?冗談?」
「黙れ。壁に耳あり障子に目ありだ」
イソラは二人の話を聞きながら、胸のざわつきを抑える事ができないでいた。ヒルコに聞きたいことがあるが言葉が出てこない。もどかしさに胸が焦れる。そんなイソラの気持ちなど関係なく次の授業のチャイムが響いた。
昼食後、掃除の時間になりアンドリューがにやにやと笑いながら話しかけてきた。
「ヒルコってさ~掃除大好きなんだよね。だったら便所掃除まかせるよ。な、みんないいよな?」
トイレ掃除担当のクラスメイトが、黙って掃除道具をヒルコに差し出した。
ヒルコはニコリともしないで掃除用具を受け取ると、トイレの個室に入っていった。
「お前達、今日は私が掃除してやろう」
鈴を振るような音がして、弥都波能売、波邇夜須比売、小さな二人の美神がヒルコの目の前に現れて微笑んだ。
「まあ、貴方がお掃除をして下さるなんて光栄ですわ」
鈴を振ったような美しい声で、二人はコロコロと笑う。
「私がするからには、とことん美しく仕上げてやろう。お前達待っておれよ」
ヒルコの言葉に、カゲロウの羽のように薄い領巾を揺らし、二人の小さな美姫達は益々笑いさざめきながらちょこんとヒルコの肩に乗った。
波邇夜須比売はクスクス笑いながら、ヒルコの耳に息を吹きかけた。
「くすぐったいぞ。悪戯をしていると引き倒されても知らんからな」
「まあ、望む所ですわ」波邇夜須比売はそう言うと、誘うかのようにしなを作って見せた。
天井近くに鳥枢沙摩明王が現れて、火炎を背中に厳つい顔をして座った。
いきなりその目がカッと見開かれ、その炎が大きく揺らいだ。
ドアの外から笑い声と共に、ザザッと水が降ってきた。
びしょ濡れになるヒルコに、泣き顔で寄りそい合う二人の美神。怒りの顔になり駆け出そうとする鳥枢沙摩明王。
暗い笑いを浮かべ、ヒルコは明王を手で制した。
「かまわぬ、私がやる・・・」
トイレの外に出ると、逃げていくマナ達の後ろ姿が見えた。
それを追って教室に入ったヒルコの姿を見て、机を運んでいたイソラとダイキは驚いた表情をうかべた。
「どうしたんだヒルコ?びしょ濡れ・・・・・・」
「上から水が降ってきてな」
「ひっで~おいっ、お前らっ!」
クスクスと笑っているマナに向かって、ダイキは大声で怒鳴りつけた。
イソラは焦った顔でごそごそとバックを探り、タオルを探し出すと黙ってヒルコに差し出した。
「え~ひっど~い!私達を犯人扱い~?
そんだけ言うなら~な~んか証拠あるわけ~?
証拠もないのにそんな事を言うなら、反対に訴えてもいいのよ~
アンドリューのパパならそんなの詳しいしぃ」
マナは勝ち誇ったように言い返した。
言葉に詰まり、ダイキは周囲を見た。
しかし、じっとその場を見ていたクラスメイトは、目を伏せてそそくさと掃除へ戻っていく。
「お前ら、自分の事じゃなきゃどうでもいいのかよ!」
ダイキはかんしゃくを起こして足をダンッダンッと踏みならした。
廊下から女の子が入ってきた。
小柄な体だが、そのボディーにアンバランスな大きな胸にゆったりとした腰つき。
ウエーブのかかった栗色の柔らかそうな髪が風になびいて赤いメガネにかかり、白いふっくらした手がそれをおさえた。
その肉感的な体とはちぐはぐな印象を与えるが、その顔つきは幼い子供のようにあどけない。
それなのに、メガネの奥から覗くはしばみ色の瞳からは深い知性の色がのぞく。
ニコッと可愛らしい笑顔を見せ、彼女のプルンとした桃色の唇が開いた。
「証拠がご入り用?ならこちらにバッチリ収めてあるわよ」
「サラスヴァティ、いったい何のことよ?」不満げな顔でマナは顎を上げた。
「探偵である我が家の父親御用達、超小型カメラでさっきの証拠はしっかりゲットしたわよ!
『危険人物注意!罪状、かくかくしかじか・・・・・・ヒルコ生意気!何様のつもり~みんなで無視しよ~ぜ』って書いてあるクラスに回された手紙やメールもここにあるわよ。
筆跡や発信元を調べれば誰が書いたのかバレバレよ」
「な、なに言ってんの。嘘ばっかし!」
「そお~?なら一緒に校長室行こっか?
昨日の弁当事件の事もあるし、マナあんたやばいんじゃない。
みんなで一緒につるまなきゃやれないなんて、あんたらもそ~と~お子様よね~。
でも、やったことの責任はしっかりとって頂くわ。訴えるとか息巻いていたけど、未来の高等裁判官を目指している私だって負けてないわよ!訴訟の手続きはお・ま・か・せ・よ!
さ~てどこに訴え出よ~かしらね。まだ学生だからってなめてたら泣きを見るのはそっちだからね。
あ、それからアンドリューの父親に頼ろうなんて考えないほうがいいわよ。政治家はアイツの父親だけじゃないんだから!」
サラスヴァティは簡易法律全書を片手に、マナをビシッと指さした。
「あんた!裏切ったらどうなるか覚えておきなさいよ!」
悔しそうに唇を噛んでマナ達は教室を出て行った。
「すげ~。でもある意味、サラスヴァティ。お前こ、こえ~よ」
ダイキは可愛いらしい印象のサラスヴァティの、容赦ない対応に少しびびりがちに言った。
「何甘っちょろい事言ってんの。力だけでなんとかしようなんて、お馬鹿の考える事よ。此処は法治国家なんだから、悪いことをした奴は正当に罰を受けてもらうわよ」
「助かったけど、お前は馬鹿って言われてるみたいでスッゲ~むかつくんですけど・・・・・・」
「あらぁ?ホントの事じゃない」サラスヴァティは小馬鹿にした眼差しを投げかけた。
「あんだと!オラァ!この胸だけでかいチビッ子が!」
「あら、あたし、胸もでかいけど、脳みそもキチンと詰まってるから。成績は校内でも一、二位を争わせて頂いてるし。何処かの体がでかいだけの、でぐのぼうさんとは全く違うから」
言い返そうとしても言葉が出てこず悶絶しているダイキを無視して、ヒルコはサラスヴァティに声を掛けた。
「この世のしくみに詳しそうだな」
「毎日、死ぬ気で勉強してるからね。私、あいつらをぜったい許せないの・・・」
曰くありげな顔で、こぶしを胸の前で握りしめる。
「ヒルコお願い!私も仲間に入れて!」
「仲間とは、コイツらのことか」
ヒルコが、イソラとダイキを顎で示した。
「ヒルコ~そんな冷て~視線!オレ達仲間じゃね~のかよ。いや、俺の最終目的はお前を落とす事だけどさ。なっハニー仲良くしよ~ぜ」
ヒルコは唇をとがらせ、迫ってくるダイキの頬を思いっきり引っ張ると床へと伏せさせ足を乗せた。
「万年発情期の犬が、しばらくそのまま伏せておれ」
「ひでっ!何これっ?新たなプレイ?あっ、でもこの屈辱感癖になりそ~」
それを無視してヒルコは言葉を続けた。
「友情や愛情などに何の意味がある?人はすぐに裏切るものだ。
それに、一人でできない事が大勢ならできると思うのは甘えにしか過ぎん」
「わかった!じゃあ取引しない?甘っちょろい友情ではなく、フィフティーフィフティー。共同戦線で!あたしはあたしで、出来ることを協力するから!」
「では、お互いの利害のために」
ヒルコはにやっと笑い、サラスヴァティに拳を突き出した。
二人でコツンと拳を合わせる。
「じゃあ、俺はヒルコへの愛で!」ダイキもいそいそと起き上がり、ちゃっかりと拳を合わせた。
「愛など下らん・・・・・・・」
ヒルコの脳裏に、真っ暗な箱の中に水が勢いよく入って来る光景がよぎっては消えた。
「俺はぜってーヒルコへの愛を貫いて見せっから!」
天然の明るい笑顔でダイキが笑う。
「廊下で、6人の彼女が並んでにらんでいるぞ・・・・・・」
「うそっ!」
慌ててふりむくダイキにサラスヴァティの冷たい声が降る。
「ダイキ~、それ重婚罪。刑法184条!」
「おめ~なんでそんなのがスパッと出てくんだよ。やっぱりこえ~よ!」
騒ぐみんなの横で、イソラが自信なげにうつむいた。
そんなイソラの態度に、いらついたようにヒルコがタオルを投げ返す。イソラはしおしおとバックを手に取った。
サラスヴァティのポケットの中で電子音が響いた。
「何?この近くに盗聴器か盗撮器か何かあるみたい」
あちこちをごそごそ探し回る。
「俺じゃないぜ!そりゃ、ヒルコの入浴シーンとかスッゲエ見てみたいけどさ」
「ほんっとにアンタ最っ低っ!」冷たい視線が飛ぶ。
「どうも、此処みたいね反応が強いわ」
盗聴器はイソラのバックに仕込まれていた。
「これ、普通の素人の犯行じゃなさそうね。仕込み方が尋常じゃないわよ。こんなんわかるわけないじゃない」
サラスヴァティは巧妙に縫い込まれ、全くわからないように仕掛けられた盗聴器を手のひらで転がした。
「しかも、こんなに小さな盗聴器なんて、一般市民が手に入るもんじゃないわよ。探偵やってる父のとこでも見たことないし」
「アンドリューか?」
「いや、たかが市議会議員。そこまでやるとは思えないんだけど・・・・・・」サラスヴァティは腕を組み唇に手をやった。
「まあ、気をつけるに越したことはないってワケだな」ダイキがフムフムと頷く。
「馬鹿の考え休むに似たり・・・・・・」
ダイキのしたり顔のセリフにサラスヴァティが突っ込む。二人は再び口喧嘩を始めた。
イソラは、全く身に覚えのない盗聴器を前に呆然と立ちすくんでいた。
ヒルコは髪を結わえている鈴の付いた五色の紐の一本をぷつりと切った。
「いざとなったら、これを鳴らせ。助けてやる」
青い顔をしているイソラに生真面目な顔で声を掛けた。
ダイキがプッと吹き出す。
「ははっ。女の子みたい・・・・・・でも、こん中では確かにお前が一番弱っちいよな。よしよし、俺様も守ってやるよ」
ダイキに幼い子供のように頭を撫でられ、イソラは顔を赤くした。
「まっ、俺達仲間だからさっ!」ダイキの声がからりと響く。
「そうそう、みんなが出来ることを持ち寄れば文殊の知恵だし!例え筋肉馬鹿でもなんかの役に立つでしょ」サラスヴァティがにっこり笑う。
「おっ前な~!どんだけ俺に厳しいわけ?」
「そうだな・・・・・・」ヒルコの唇に、冷笑ではない小さな笑みが浮かんで消えた。
イソラは初めて見るヒルコの笑顔に、少し驚き、少しホッとした。
相変わらず、ダイキとサラスヴァティの口喧嘩は続いていた。
それでも、久しぶりの安らぐ時間の存在にイソラは安堵しその時に身をあずけた。
薄暗い部屋の中、モニターの明かりがボンヤリと辺りを照らしていた。
狭い空間には紫煙がたちこめている。
その一角でぽわっと灯るタバコの火が一瞬明るさを増した。銀の髪がその光を受けて鈍く輝く。
ヘッドホンを片耳に押し当てていた男は、チッと舌打ちするとそれを放り捨てた。
男は、机の上にブーツの足を投げだし、椅子にもたれかかるとしばらくの間天井を眺めながら考え事にふけった。
それから、起き上がるとカタカタと電信のキーを打ち込み始めた。