その弐 日々是好日
人々の愚かさにより、世界が終焉をむかえた近未来。
この地上に降臨した神によって人々は救われた。
しかし神の手によって再建された都市の中、人々の持つ悪は消えることはない。
両親を事故で失い、クラスメイトに虐められる生活を送る十三歳のイソラ。
そんなイソラの前に、ヒルコと呼ばれる不思議な少女が現れる。
近未来を舞台に、神と人、妖魔、巨大企業の思惑が絡まりあうダークファンタジー。
朝六時。
爽やかな朝の光が、板戸の隙間から差し込んできた。
雀たちのせわしなく鳴く声と共に、やけに間延びした鶏の時を告げる声も聞こえてきた。
古びた古民家。
黒光りする床の上には布団が敷かれ、丸く盛り上がっていた。
「お~い。飯だぞ!起きやがれ!」
足で勢いよく板戸を開け、飛び込んできたのは、まだ年若い青年。
白銀の髪に、両目色違いのオッドアイ。
耳には沢山のピアスをつけ、だらしなくはだけた着物の胸元から右腕に掛けて赤い文様がとぐろを巻く。
パンク服に着物を併せ、ご丁寧に背中には刀を背負っていた。
彼の呼びかけにも全く動きの無い布団を目にすると、そのオッドアイの目がぎらりと光った。
「うわっ可哀想に。全っ然、動かないよ~死んじゃったのかな~?腐らせるのももったいないから、いっただいちゃいま~す!」
行儀良く両の手を合わせると、背中の刀をスルリと抜き去った。
そのまま躊躇なく布団の上からズブリッと突き立てる。
「ちっ!」
刺し貫いた感触に、若者は小さく舌打ちをした。
刀の先には丸められた藁束。
ブンッと藁束を投げ捨て、今度は隣の納戸に続く扉をダンッと勢いよく開けた。
そこには、膨らんだ膜に包まれながらすやすやと眠るヒルコの姿。
「くそったれ!起きやがれ!」
若者は腹立ち紛れに、緑がかったその膜を蹴り飛ばした。
膜は、ボヨンボヨンと部屋中を勢いよくバウンドする。
若者が跳ね返ってきた膜を刀で切りつけてみても、膜はその攻撃を柔らかく受け止めて、そこら中を跳ね回るのみ。
そんな大騒ぎの中でもまるで死んだ様に眠るヒルコは、上下左右に激しく打ち付けられながらも起きる気配が全くない。
「ちっくしょ~!いつか、ぜって~食ってやるから覚えてろよ~!」
若者の絶叫が屋敷中に響いた。
「うるさいぞハク!早よせんと学校に遅刻してしまうではないか」
くしゃくしゃの茶色い紙のようにしなびきった婆様が、よっこらよっこらやって来た。
「コイツが起きやがらないんだよ!寝起きが悪いのも大概にしやがれだ!婆あ。今夜こそコイツ鍋にして食っちまおうぜ!」
「ああ、そうじゃのぉ・・・・・・」
婆様は、ハクと呼んだ若者の相手をすることなく、懐から古びた噴霧器を取り出した。ズブリとその先端を膜に突き立てると、勢いよく中の液体を噴射する。
「ごぼえっ!」
ゴホゴホと咳き込みながら、膜を蹴破りヒルコが飛び出してきた。
「何するんだ。婆様!殺す気か!」
「ふぇっふぇっふぇっ。カメムシ香水じゃ。嫌なら自分で起きる事じゃな」
婆様は皺で埋もれた顔を益々くしゃくしゃにさせながら笑ってみせた。
「早よせんと、学校に遅れるぞい。飯食ってさっさと行けい」
「食欲な・・・・・・だる・・・・・・」ヒルコは、ズルズルとその場にへたり込んだ。
婆様は嘆息した。
「その低血圧も大概にせんといかんぞえ。血気盛んなジジイを少し見習いや。どれ、マムシ酒を持って来ようかいな?」
「いや、あれ・・・・・・臭い・・・・・・」
「本当に、ジジイは元気だよな。人間界に久々に来られたのが嬉しくって、毎晩飲み歩きだぜ。あんまり飲み過ぎてポカやんなきゃいいけどな。俺も女好きだけどさ、ここの女、何だか変な匂いがすんだよな、いや、女だけじゃなくって全員がさ」
ハクはヒルコの眠気が移ったのか、大あくびをしながらボリボリと脇腹をかいた。
「ほんにな~酒と女は、奴の最大の弱点じゃからの~頭痛のタネじゃわい」
婆様は、こめかみに貼った梅干しをグリグリと押した。
「あっいかんいかん!このままじゃ本当に遅刻するわい。ハク。お前ヒルコをおぶって学校まで連れて行ってやりや」
「嫌だよ!俺!この街気持ち悪ぃんだよ。ジジイと違って俺の霊力なんてたかが知れてるし、この結界を出たらどんどん精気を吸い取られていって終いには動けなくなっちまう」
「ええい!男気のない奴じゃな」
「えっ俺、オスにもメスにもなれるし」
ボヨンと煙が上がり、今度は絶世の美女へと変化したハクは、婆様に向かってナイスバディーをこれでもかとアピールして見せた。
「わしじゃて、化けるだけなら何とでもなれるわい!いかん!今日は弁当持参の日じゃ!ハク、お前、お重に弁当をつめい!」
「何で、オレ?オスなのに!」
「オスでもメスでもどちらでもいけるんじゃろが!さっさと行けい!」
婆様は、その小さい体でハクに体当たりをかました。ハクはギャンと一声叫ぶと水屋に向かって走って行った。
婆様はごもごもと口の中で何かを唱えた。呼び出した使い魔にぐでぐでのヒルコを着替させた。
その胸に、きつくサラシが巻かれているのを見て、婆様はため息をついた。
「いくら女になるのを止めようとて、自然の摂理にはあらがえんて・・・・・・」
ブツブツつぶやきながら、まだ眠っているヒルコの口におむすびを放り込んだ。
そしてハクの用意したお重と鞄を傍らに置き、再び緑色の膜を膨らませた。膜はヒルコを包み、ぷかりと空に浮かび上がった。
「学校に着くまでには目を覚ますんじゃぞ」
目を閉じたまま、もぐもぐと口だけ動かすヒルコにその声は届いているのかどうなのか、それは二人にはわからなかった。
朝八時
ヒルコが、まだ少しけだるげな表情で席に着こうとしていた。
その机の上には落書き。
机の中にはネチャネチャとした物体がまき散らされている。
「餓鬼が・・・・・・」ヒルコの表情がピクリと動いた。
廊下からはクスクスと笑う声が漏れ聞こえてくる。
ヒルコはスッと机の上に手を置いた。
「幽世の大神、憐れみ給い恵み給え、さきみたまくしみたま、守り給いさきはえたまえ」
そう呟くと、手のひらに息を吹きかけ、何事もなかったかのように席に着いた。
落ち着き払った態度で机の中に教科書を入れ始める。
廊下で見ていたアンドリュー達は予想外の展開に顔を見合わせた。
「はぁ~何なん?」
「お、おいっ!アンドリュー・・・・・・そ、その顔っ!」
「えっ?何?お前こそ!何だよその顔!」
アンドリュー達の顔や手に、そっくりそのまま落書きが転写されていた。
「うわっ!何か体がネチャネチャするっ!」
「やべ~よ先生来ちまうよ。早く洗おうぜ!」
アンドリュー達は慌てて水道に向かって走り去っていった。
ヒルコの唇に小さな笑みが浮かんで消えた。
朝八時五十分
落ちていない落書きに、憤然とした表情でアンドリューは席に座っていた。
朝礼では先生に、お前達イタズラも大概にしろよと呆れられた。
馬鹿馬鹿しい!お互いに、こんなもん書くわけないだろうが。ガキじゃあるまいし!何なんだこれ!
アンドリューはイライラと机を指で叩いた。
クラス中にクスクス笑いが拡がる。
笑いものになる悔しさに、全身がカッカと熱くなる。
アンドリューは立ち上がると、ヒルコの席に歩み寄り両手を勢いよく机に叩きつけた。
「何なんだよお前!変な手使いやがって!」
ヒルコがゆっくりとアンドリューを見上げた。馬鹿にしきった目つきで顎に手をやり、頬杖をついた。
「馬鹿者が。私が変な手を使ってお前達にこんな事をしただと。フフッ、お前もなかなかファンタジーな奴だな。脳内お花畑男子か貴様・・・」
その態度に余計に頭に血が上り、アンドリューはヒルコの胸ぐらをつかみ上げると自分の方へと引き寄せた。
ヒルコはその手を軽く振り払い、アンドリューの胸板をトンッと向こうに押しやった。
軽く押されただけなのに、アンドリューの体は簡単にバランスを失い、ヨロヨロとよろけた。
ヒルコは馬鹿にした表情でフフンと鼻で笑い、席に着こうと背を向けた。
その表情にカッとなったアンドリューは、背中を向けたヒルコに殴りかかってきた。
その時、小さな影がアンドリューとヒルコの間に割って入ってきた。
「馬鹿者が・・・」
後ろ向きのままヒルコが呟く。
アンドリューに殴られ、吹っ飛んでいったのはイソラだった。
そこへ、踵を踏みつぶした上履きをペタペタ言わせながらダイキが近づいてきた。
あきれ顔でイソラに手をさしのべる。
「ヘタレのくせに何やってんだか・・・」
イソラは口の端を切って、少し血が出ていた。
ダイキはその肩をポンポンと叩くと、今度はアンドリューに向き直った。
その胸ぐらをつかみあげる。
「お前、弱い者いじめだけじゃなく、女に手を上げようなんてみっともね~んじゃね?しかも背中を向けてる時によ。卑怯じゃね?」
「う、うるせ~よ!お前みたいな馬鹿な奴に言われたくないね!成績も素行も最悪!さっさと諦めて職業訓練校に行けよ」
アンドリューはダイキの手を振り払った。
「それに俺を殴ってみろよ!先生に信じてもらえるのはお前とオレ。どっちかな?
ああ、でも男を手玉に取るのがお仕事のお前の母親が、先生を上手く丸めこんでくれるか・・・」
その言葉に、ダイキのこめかみに青筋がたった。
問答無用で殴りかかる。
「やめろ!その拳、今は取っておけ」
グイッとヒルコの手が延びてきて、ダイキの手首を抑えた。
「離せよ!いっぺんコイツは殴っておかなきゃ気がすまね~んだよ!」
ダイキは大声で叫んだ。
「確かにダイキは馬鹿だと思うが、人の世では馬鹿は意見を言う事すら許されないのか?」
生真面目な顔で、ヒルコがアンドリューに向かって尋ねた。
「え~!ちょいヒルコッォ~!それ、フォローになっとらん!格好良く助けようとする俺の心がわっかんね~の?」ダイキが、今度はあきれ顔で叫んだ。
「下心というのは見え見えではダメなのだよ。それに、せっかくアイツをひねり潰せるチャンスだったのに、心底遺憾だな・・・」
その暗黒の深淵を覗き込んだかのような冷たい視線。思わず息を飲み、アンドリューは制服の首元を緩めた。
「チェッ。なんかやる気失せちまった」
ダイキは面白くなさそうに言い捨てると、ブラブラ席に戻っていった。
その手首が青黒く痣になっているのにイソラは気付いた。
ヒルコに向かって視線を走らせたが、ヒルコは我関せずといった風に再び席に着き、涼しい顔で次の時間の教科書をパラパラとめくり始めた。
午前十一時
体育の時間。
皆が体操着に着替えて運動場に出て行った。
最後に教室に残ったのはマナとその友人二人。
「今日はぁ~給食室の設備点検の為、給食がありませ~ん。だからぁ~みんなぁお弁当を持ってきてま~す」
マナが嬉しそうに瓶の中の水を振った。
「このお水は、トイレの水で~す。そしてこれを~ヒルコのお弁当にかけちゃいま~す」
友人と顔をつきあわせ楽しげに笑いあう。
「なんなん、このふっる臭い満漢全席みたいな弁当。ヒルコっていつの時代に生きてんの~ほんっとに変な奴ぅ~」
トイレの水を振りかけると、笑いながらマナ達は去って行った。
昼食の時間。
「今日は弁当をもってくる日だが、忘れた奴はおらんだろ~な?」
先生の言葉に、は~いと生徒達は返事を返した。
いつもと違う昼食風景に、はずんだ声でいそいそと用意をする。
マナも返事をしつつバックを探り、弁当がないことに気づきナイナイッと焦り始めた。
「おい、もしかして弁当忘れたのか?」
先生は、そんなマナの様子に呆れ気味に声をかけた。
「え~とぉ、朝入れたんですけどぉ。なくなっててぇ・・・」
「入れたのがなくなるわけないだろうが。しょうがないな~先生がどうにか工面してくるからしばらく待っとけ。みんなは先に食べときなさい!」
いただきま~すとみんなは食べ始めた。
ヒルコが、自分の弁当を持ってすっと立ち上がった。
「家の者が間違えて、カレッジに行っている兄の弁当が私のと一緒に入っていた。だから、私の弁当を彼女に」
「あ~そりゃ助かる、すまんなタマイシ」
先生は、さっきマナがトイレの水をかけた弁当を嬉しげに受け取った。
マナの全身に鳥肌が立った。
ヒルコが笑みを浮かべながら弁当を開ける。
「粗酒粗餐だがな」
「ほう、こりゃうまそうじゃないか!今どきこんな料理を作れるモンは早々おらんぞ。外つ国の民は古式ゆかしい料理を作るもんだな」
先生は、お重にぎっしりと詰められた珍しい料理の数々に、賞賛の声を上げた。
ヒルコは、固まったままのマナを上から見下ろし、声をかけた。
「どうした、食べないのか?うまいぞ」
「マナ、どうした?こんな珍しいもの、なかなか食べられるもんじゃないぞ」
二人の笑顔がマナに迫ってくる。
「い、いやぁっ~!こんなの食べれないっ」
マナは弁当を払いのけた。弁当の中身が床に散乱した
「ほう、この弁当に厠の水をかけた本人が、それを食べるのが嫌とはな・・・ならばかけねば良いのに・・・」
「なんだと、それは本当かっ?」先生の顔色が変わった。
ゴゴゴゴ・・・・・・と教室が大きく揺れた。
さっきまで、教室中に明るい日の光が差し込んでいたのに、今、頭上にあるのは墨を流したような暗く重く垂れ込めた雲。
そこは、一切の色が消えてしまったような無彩色の河原。
何処までも、何処までも限りなく拡がり、辺りを見回してみてもマナとヒルコの二人だけしかいない。
理解不能な事態に、マナの目は大きく見開かれた。
ゴロゴロとした石の転がる薄暗い河原に、さっきマナが投げ捨てた弁当が散乱していた。
ヒルコは、ゆっくりとその一つを拾い上げ、そのまま躊躇なく口へと運んだ。
「ひっ・・・」
信じられないという顔で、マナがヒルコを見つめた。
「食べ物を粗末になんぞするな・・・」
ヒルコの暗い声が暗い河原に吸い込まれていく。
「私のジジイはな、先の大戦の折、愛する女の為に北の戦線にいてな・・・
味方からの補給路はとうの昔に敵によって断たれ、武器弾薬、薬、食糧、全ての物資が底をついた。
そのうちに、目の前にある水源地も敵に占拠され、水一滴すら飲めない地獄の日々が続いたのだ。
その中で戦友達は飢えと渇きに苛まれ、途切れることなく続く銃撃の中、酷い脱水状態に陥り次々と死んでいった・・・
埋葬してやりたくても、絶え間ない攻撃にさらされる中で埋葬することすらできない・・・
腐臭の漂う地獄の光景の中、ジジイは蜥蜴でも虫でもミミズでも、口に入るものは何であろうと食らい、戦友の血と脂と汚物の混じった泥水をすすって、草の根をかじりながらからくも生き延びた。
そこでは、ションベンでさえ貴重な水でしかない・・・・・・
人によっては、戦友と呼んだ者の肉を削ぎとり喰らった者もおる。
貴様には、そんな先人達の無念の叫びが聞こえておらんようだな・・・」
「何言ってんの、ばっかみたい!何よ先の大戦って!ラグナロクの事?それだって、信じられないぐらい大昔じゃない!」
「教え込まれた歴史をそのまま信じる馬鹿者が・・・」
ヒルコの目が仄暗い光を帯びた。
「ほら、お前が投げ捨てた食べ物のにおいをかぎつけて地獄の亡者達が集まって来たぞ」
カサカサと乾いた音が四方から聞こえてきた。
周囲に拡がる闇の向こう。黒い霞が何重にも張り巡らされたその奥。目をこらしても何も見えない暗黒の淵から、何かがワラワラと這い出してきた。
赤や黑。てらりと輝く様々な肌の色。もしゃもしゃの鳥の巣のような髪の毛。何本もの瘤のような角を持った恐ろしい顔つきの鬼達が、地響にも似た唸り声を上げつつ顔を覗かせた。
続いて、肋骨が浮き、腹をぶっくりと膨れ上がらせた餓鬼が、まるで蜘蛛の子が生まれるように無数に湧いて出る。
その後からは、生前着ていたのであろうボロボロの鎧や軍服を身にまとい、腐り果てた体をズルズルと引きずりながら、死霊達の群れが蟻のごとく列を作って這い出てきた。
今まで見たこともない、それら異形のおぞましい姿にマナの目は大きく見開かれた。
いつの間にか二人の足元には、ムカデやクモに人の顔を貼り付けたような気味の悪い蟲達がうようよと這い回っていた。
マナは悲鳴を上げてつま先立ちになり、スカートを払った。それでも蟲達は足元から上ってこようと次々に押し寄せてくる。
それを振り落とし払い落とし、まるでダンスを踊るかのようにクルクルと回る。マナの靴にグシャリと踏みつぶされる蟲達の、悲鳴のような叫び声が上がった。
そんなマナを冷たい視線で見つめつつ、ヒルコは彼らが体に這い上り、まとわりついてきても我関せずの呈を崩さない。
やがてその体は、蟲達に幾重にも囲まれ見えなくなった。
マナがふと視線を上げると、鎧を着た骸骨が、闇の向こうから首無し馬にまたがりすぐ間近に迫ってきていた。
蟲達を蹴飛ばし、はね散らかして二人の方へとやって来る。蟲達はキイキイと叫び声を上げ逃げ惑った。
骸骨の鎧は、ガシャガシャと耳障りな音を四方に響かせる。その音に誘われるように、ありとあらゆる魑魅魍魎達が、もの凄い勢いで後を追って走りはじめた。それらの姿が、みるみるうちに迫ってきた。
マナの悲鳴が辺り一帯に響きわたった。
魑魅魍魎どもは二人の近くまで来ると、押し合いへし合いしながら落ちていた食べ物を奪い合い、口へと運んでいった。這い回っている蟲達も容赦なく捕まえられ、頭からボリボリと食われていく。
それらはあっという間になくなったが、それでも魑魅魍魎達は諦めきれない呈で、いじましく石の隙間にまで長い舌を伸ばしてなめ回った。
そのおぞましい姿に、おぼつかない足取りでよろけつつ逃げ出そうとしていたマナは、腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。
「腹がへった・・・」
「食べ物ををくれ・・・」
「水をくれ・・・」
魑魅魍魎達は、僅かな食べ物を求めて辺りの匂いを嗅ぎまわった。
「肉のにおい・・・若い女のにおいだ!」
魑魅魍魎達の目が爛々と光った。
声にならない叫びを上げ、腰が抜け這いずりつつ逃げようとするマナに、折り重なるようにして魑魅魍魎達が襲いかかってきた。
ブツン、ヴァキッ、メリメリッ・・・
暗い河原に肉や骨の断絶する嫌な音が響く。
そこにあるのは、生きながら食われていくマナの姿。
地獄絵さながらに、その腕が、足が、四方へと引きちぎられ噴水のように血が噴き出した。
胴体だけとなったマナは芋虫のようにうねうねともがく。
そんなマナに向かって魑魅魍魎達の攻撃の手は止まない。その柔らかでふくよかな白い胴体が、化け物達の鋭い爪によってズタズタに引き裂かれ、内臓が湯気を上げながら地面へと引きずり出された。
生きながら八つ裂きにされていくマナは血の涙を流しつつ、断末魔の悲鳴だけが空に谺した。
その光景を、蟲達に十重二十重に囲まれヒルコは見下ろしていた。
その唇には冷笑が浮かぶ。
その時、ヒルコの髪の鈴が一斉にチリチリと鳴り始めた。
ヒルコの表情がサッと変わった。
髪の毛が逆立ち、体に貼りついていた蟲達は小さな叫び声を上げ一斉に逃げ出した。
「馬鹿者めが・・・・・・」
今まで風一つそよぐことのなかった、重苦しい河原の空気が大きく動いた。
辺り一帯に立ちこめていた、生臭い血の匂いが何処かへと流れていく。
半透明の形の定まらないイソラの姿が、渦を巻くように河原を走った。
その影と共に、魑魅魍魎達の切り裂かれた体が、そこら一帯にバラバラと飛び散った。
血の匂いの代わりに、今度はカエルを踏みつぶしたような胸をつく悪臭が辺りに漂った。
「チッ」
ヒルコは舌打ちをすると印を結び、円を描くように大きく右腕を動かした。
辺りの風景が陽炎のように急速にぼやけていった。
「どうしたっ?大丈夫かっ?」
床に倒れ込んだマナの頬を、先生がペシペシと軽く叩いた。
気がつくと、マナは元の教室に戻っていた。
その身には何の乱れもなく、かすり傷一つ負っていない。
「大丈夫か?」
ヒルコが冷たい笑いを浮かべながら、先生の背後からマナに向かって声を掛けた。
「ヒュッ!」
マナはヒルコの姿をひと目見るなり、声にならない叫び声を上げて廊下へと逃げ出した。
「きゃあっ!」
廊下に出たとたん、つるりと滑って派手に転がる。
「どうした?うぎゃあっ~!」
後を追いかけて行った先生の絶叫も聞こえた。
何事かと、生徒達が教室の窓やドアから覗いて見ると、廊下には大便が至る所にひり散らされていた。
それを踏んだマナが、汚物まみれの無様な姿で倒れている。
(忘れておった・・・あいつら、食べたらすぐ出すのがならいであったな・・・)
ヒルコは、無表情な顔つきのまま片眉だけをピクリと動かした。
廊下を眺めながら馬鹿笑いするダイキ。
机に突っ伏し、汗をびっしょかいて肩で息をしているイソラ。
その頬には、一筋の血が滲んでいた。
そのイソラの頬を見つめながら、ヒルコの目は怪しい輝きを帯びていた。
放課後、弓道部の練習場。
その場に、ダイキも剣道着姿のままでイソラの横に足を投げ出し、当たり前のように座りこんでいた。
ヒルコは弓を射終わると、二人の横に置いていた手拭いを手にとって汗を拭きはじめた。
「いいね~美女が乱れ髪かき上げて汗をふく姿なんて、たまらんね~」
ダイキがヨダレをたらしそうな顔で、食いつかんばかりにヒルコを見つめる。
「貴様、目つきが卑しいぞ。神聖な弓道場を汚すつもりなら出て行け。だいたいお前は隣の剣道部だろうが」
「いやいや、オレ、ヒルコのいる弓道部に転部しようかな~。な~んて思ったりしてさ」
「いや、止めておけ。お前には弓よりも剣の方がよく似合う」
「えっ?そう?やっぱ俺ってイケてる?まじカッコイイ?」
「誰もそんな事は言っておらん」
「でもさ、ヒルコが言う事ならオレ何でも聞くぜ。
だけど今日は面白かったな~。なっイソラ。
マナの奴、多分アンドリューと一緒に考えたんだろ~けど、裏でこそこそセコイこと考えるからばち当たったんだぜ。己の考えた策に自分がはまるなんたぁ~ごっつ~かっこ悪いよな~。
でもあのクソまみれの姿は笑った、笑った!」
ダイキは、マナの情けない姿を思い出して、辺りをはばからずゲラゲラと大声で笑いころげた。
「邪魔しおって・・・」
ヒルコはじろりとイソラを睨んだ。
あわててイソラが目をそらす。
「ちょっと!何!二人だけの世界ィ?何、何~許しがたいねイソラ君!オレ弱いものいじめは基本しないけど、恋敵となれば話は別だぜ!」
ダイキは、二人の間に流れる妙な雰囲気を敏感に察して、勝手な勘ぐりを始めた。
イソラは、焦った顔で首を振り、必死で違うと手を振った。
慌てる様子にダイキ問答無用!とばかりに、その細い首を脇ではさみ締め上げた。
苦しさのあまりイソラはバタバタと足を動かす。
ヒルコは涼しい顔のままそっぽを向いて、助けようとする気配もない。
あまりの騒ぎに部長が飛んで来た。
「そこっ!うるさいっ!だいたいあんた剣道部でしょ!なにやってんの!退場!」
「しょうがないな、じゃあまたなヒルコ」
ダイキは、素早くヒルコの髪を一房手に載せキスをしようとした。
そのとたんに、雷に打たれたような衝撃をくらい慌ててその手を放した。
「痛って~!」ダイキは顔をしかめ、痛みを振り払うように手を振った。
「馬鹿め、私の髪はエネルギーの源だ。気安く触れるな」
「な、なんなのそれ?髪はお前のエネルギーの源なのか?それならもしも切っちまったら?」
「力を失う、かもな・・・しかし、今まで一度も切ったことなどないから私にも解らん」
「それってやばくね~?」
「・・・・・・」
三人から少し離れた場所で、弓道部員の一人がほくそ笑んだのを誰も気づいていなかった。
夕方遅く、アンドリューの家でアンドリューやマナ達の一行が集まっていた。
「そうか、その話が本当だとしたら、アイツのわけわかんね~力がなくなるんだな。髪の毛を切っちまえば・・・」
アンドリューは弓道部員であるマナの友人、ミランダから聞いた話にほくそ笑んだ。
「アンドリュー、アイツ、もうぎっとんぎっとんにしてやってよ!もう私悔しぃ~!ちょっとぉ~なんであんた私から離れて座ってんの?」
マナは、少し離れて座るミランダをキッと睨んだ。
「え?べ、別に深い意味じゃ・・・」
「まだ、臭いとでも言いたいの~!」
マナは、眉を吊り上げてミランダをポカポカと殴った。
「で、でも本当に大丈夫かな?アイツ、なんか妙な力持ってるし、めちゃめちゃつえ~し。もっとクラスで仲間増やした方が良くね?」
少し恐ろしげにノアが言う。
「確かにそうだよな。あることないこと噂を流して、アイツを孤立させてやろ~ぜ。そうでなくてもアイツ変だし。クラスで思いっきり浮いてるよな」
「大衆操作はお手の物ですか~?」
「議員である親父直伝!大衆は自分の意見なんてナイ。より強い方に媚びて生きる。そして、この世界では異端は常に排除される運命なんだよ」
古代の皇帝のように、独裁者のように、アンドリューは片腕を上げてポーズをとって見せた。
「アンドリュー、カッコイィ~!未来の大統領も夢じゃないわよ~」
「マナは相変わらずお馬鹿さんだな~ここでは一番の権力者は神。でも神には誰もなれないから、その神に仕える大神官が人としての最高位なんだぞ。
大統領はもちろん、俺のオヤジみたいなちんけな議員なんてよ、神官達にへいこら付き従うだけの存在でしかないんだぜ」
「そうなの~マナァ、知らなかった~じゃあぁ~大神官になってよぉ~」」
バカップル丸出しのアンドリューとマナに、白けた視線を送る周囲。
そんな視線にもかまわず、二人は嬌声を上げ騒ぎ続けていた。