プロローグ 聖典
人々の愚かさにより、世界が終焉をむかえた近未来。
この地上に降臨した神によって人々は救われた。
しかし神の手によって再建された都市の中、人々の持つ悪は消えることはない。
両親を事故で失い、クラスメイトに虐められる生活を送る十三歳のイソラ。
そんなイソラの前に、ヒルコと呼ばれる不思議な少女が現れる。
近未来を舞台に、神と人、妖魔、巨大企業の思惑が絡まりあうダークファンタジー
イソラは自転車を漕ぎつつ、昨夜頭に叩き込んだ終末の歴史を思い出す。
地球温暖化による環境の激変。それに伴う食糧事情の悪化。
人間が生きていく為の基盤である食糧の不足は、どの国の経済活動にも大きなダメージを与えた。
みるみる低迷の一途をたどる世界経済。
国際状況は混乱を極めた。
そんな中で、枯渇していく食糧や資源の奪い合いは、富める国と搾取される貧しい国との泥沼の争いを引き起こした。
また、富める国に住んでいたとしても、貧しい階層の人々は、自己責任という名の下に真っ先に切り捨てられていった。
強大な政治力と武力はお互いに手を携え、一握りの強者のみが富を独占する。
本来は人々を救うはずの力は貧しい者を助けない。
虐げられ、うち捨てられた人々の絶望は、一方的に搾取を繰り返す超大国や、国家間をまたぎ事業を展開していく多国籍企業へのテロ活動へと変容していく。
大国も企業もテロリストも、自らの正義を主張し、一歩も譲ることがなかった。
誰もが己の正当性をかたくなに誇示し、正しさの応酬が飛び交った。
自らの正当性を元に世界中で公然と武力の行使が行われ、それに対してテロリズムと報復の嵐が吹き荒れた。
力には力で。我らに彼らより強き力を与えたまえ!
人々はそう叫び、同じ宗教、民族、企業同士での結束が強まっていった。
それらは信じられないほどのスピードで成長を遂げ、恐ろしく強固で、排他的なものと変化していった。
ナショナリズムの声が世界中に響きわたった。
もっとも、最下層の人々にとっては、そこにいれば食えるから。
ただそれだけの理由でそこに所属している者が多かったが。
日々食えること。それが、彼らにとっての一番重要な唯一の条件だった。
そんな中でも、様々な思惑が複雑に絡み合い、世界中を巻き込む戦争や紛争が連鎖的にあちこちで勃発していく。
それは正式に戦争と呼べるものではなかった。国としての戦争開始の宣言も通告もなく、世界の様々な場所でエゴと偏見がぶつかりあい偶発的に始まった。
互いが負の連鎖で共鳴し合い、世界中に泥沼の戦いが拡がっていく。
混迷を深めていく世界。
大国は、無人爆撃機での空爆を繰り返した。
攻撃者達は安全な場所に身を置き、コーヒー片手にゲームのように攻撃ボタンをおし続ける。
大国の意に染まぬ街々が灰燼に帰するのに、そう長い時はかからなかった。
破壊によって生活の基盤を失った人々。
恋人を奪われた娘。
夫を失った寡婦。
親を亡くし頼る術を無くした幼い子供。
全てを失った人々が、絶望に支配され、またはそうせざるを得ない状況へと追い込まれ、自爆テロへと走っていった。
たったひとつの己の命と引き替えに、憎き敵を地獄へと引きずり落とす。
どうせこの世は地獄。それならば、せめて敵の骸の一つでも手土産に本物の地獄に落ちようと。
誰の幸せも生むことなく、憎しみの連鎖だけが続く。
やがて、武力にも兵力に劣る貧しき国々の民は、サイバー攻撃を用いて大国に反撃を開始した。
武器を持たぬ我々は知恵でもって巨象を倒してみせる・・・・・・正義は我らにあり!そう叫びながら。
大国の人々の生活を支えていた電力施設、水道、その他重要なインフラ施設が、サイバー攻撃によって暴走を始め、次々と破壊されていった。
次に、世界各国の核施設も標的となった。高濃度の放射能が漏れ出した地域は一瞬で死の街と化した。
しかし、敵に向かって攻撃を繰り返していたプログラムは、ネットワークを通じ、誰も気付かぬ間に世界中のシステムへと侵入していった。
それは敵味方の区別なく、人類が営々と築き上げてきた文明社会の全てに向かって攻撃を繰り返す恐ろしき災厄へと変化した。
国、民間の別なく世界中の軍事兵器、施設が暴走。
何重にもセキュリティがかけられていた生物兵器や刑務所などのロックも易々と解除され、様々なシステムの暴走は、全てを破壊し尽くすまで止まる気配を見せなかった。
パンドラの箱のように、押し込められ、人々の目から隠されていた厄災が世界中にまき散らされた。
地上のすべての秩序が崩壊した。
その頃には、地球を取り巻く衛星も次々に機能停止に陥り、火の玉となって地上へと降ってきた。
一般の通信網はダウン。人々は何が起こっているのか知る術をなくし、パニックだけが全世界に広がっていった。
その頃には、高度な施設に対しての技術も知識も崩壊しつつあり、放っておいても勝手に暴走、爆発しているものも多かったようだが、今となっては知るよしもない。
道理もルールも何もない。小さな地域単位で、その時々の情勢に合わせ、数え切れない独裁者や指導者、宗教家達が星屑のように現れては消えていった。
舞い落ちる木の葉のように翻弄され、踏みつけられながらも、人々はその時々の権力者に従うことで生き延びようとした。
そこには、もはや主義も主張もなかった。どんな手段を使おうとも今を生きる。その事だけが真理だった。
自分が生きる為には、誰かを踏みにじってもそれが正義。己が倒した人間の持ち物を奪いつくし、その屍すら喰らいつくしながら、その日その日を生き延びる。
人々は、生きながら鬼となった。
そして、そうなれた者だけがこの世に残った。
人の魂は死んだ・・・・・・
そんな中、まるで人々の荒廃した心を映したように、地球は新たな活動期へと入る。
それまでも世界中で火山噴火や地震が頻発していたが、今までとは比べものにならない地球規模的な火山の噴火、巨大地震が人々の生活にとどめを刺した。
他にも地軸の逆転、海流の停止、巨大隕石の落下、誰も知ることのなかった最終兵器の暴走が起こったなどの説もあるが、その頃の人々はもちろん、現代の我々にすら何が起こったのかを正確に知ることはできない。
しかしそれらの出来事は、人類が人として生きる最後の糸を無慈悲に断ち切った。
あちこちに歪みを抱えながらも、高度な科学文明によって支えられていた時代は、人間同士の争いと自然の猛威によってあっけなく崩壊した。
重複して起きるメガ天災に、それに追い打ちを掛ける気候変動。
それまで、温暖化が叫ばれていたのに、各地で氷河期の兆しが現れ始めた。その上に、各地の火山活動によって吐き出された火山灰による火山の冬が重なる。
火山灰は地球の周りに幾十にも厚く垂れ込め、その雲間が途切れることはなく、太陽はその影に隠された。
闇が地上を支配した。
世界は、様々な神話や経典が繰り返し予言してきたようにラグナロクを迎えた。
世界の人口は信じられないようなスピードで減少していった。
人としての時代は終わりを迎えた。
そして、僅かに残った人類は完全なる獣と化した。
知性も道徳も、その闇の世界で生き残る為には必要とされなかった。必要なのは生き残る本能のみ。
目の前の障害を叩き潰し、蹴落とし、互いを貪り食う。
そんな浅ましき姿に誰もが堕ちていった。
獣だけが跋扈する荒れ果てた大地に巨大な嵐が現れた。
信じられないほどに長くその腕を伸ばし、地上の汚濁をすべて洗い落とすように、渦を巻きながらゆっくりと移動していった。
そんな状況になっても、ぬぐい去りがたいシミのように一握りの人類は生き延びた。
その人々は地の底に隠れ、腐肉を漁り、僅かに残った食糧を奪い合いながら、地獄のような世界の中で最後のあがきを繰り広げた。
全ての命が消えゆく運命にあった。
百年どころか、千年、万年もの時が逆行し、全ての命が単細胞からもう一度やり直す時点にまでに地球の針が戻ったかのように見えた。
もし空から、その地獄の有り様を見た者がいるならば、その瞳にこの世界はどう映ったのだろう。
どのくらいの時が過ぎたのか・・・・・・
厚い雲の隙間から一筋の光が差し込み、荒涼とした大地を照らした。
岩のくぼみにたまった水鏡。
眩い光に照らされ、全てを白日の下にさらされた人は、己が罪をそこに見た。
そこにいるのは、やせ衰え、目だけをギラギラと光らせた哀れな獣の姿。
闇が支配してきたこの地で、最後の人々は天を仰ぎ、許しを請うた。
神よ、神よ!どうか我らの罪を赦したまえ・・・・・・
人類だけでなく、地球上に残った種はごく僅か。
どの命も風に揺れる灯火のごとく。
どうか、どうか我らを救いたまえ・・・・・・
人だったモノの頬に一筋の涙が流れ、大地の上に滴り落ちた。
その涙で湿り、泥となった土塊の中。
汚染された大地。
汚れきった人の魂。
すべての汚濁の混じり合う混沌の中から新しき神が現れた。
太陽と月の双子の神。
新たな神は、この地上に降臨した。
聖歴ゼロ年。
神は最初の年に、枯れ果ていた宇宙樹を引き抜かれた。
支えを無くした天と地は混ざり合った。
神は、天と地をつないでいたこの木の幹を削り、鉾を作られた。
削られた木の幹からは、香しい芳香があたり一面に漂った。
神は、その香り高い鉾でもって、この混沌とした大地をかき混ぜた。
滴り落ちる泥で新しくこの地を盛り、しっかりと固め為した。
次に神は、枯れ落ちた細い枝々を集めて箒とし、汚れた大地をきれいに掃き清め、祈りを捧げられた。
美しく整った大地に、地の神はその怒りを鎮められた。
神は、次の年に天の綻びを繕われた。
乱れた時を刻んでいた天の歯車を分解し、綺麗に磨いて油を差し、正しき位置へとはめ直された。
日は再び昇りはじめ、雨は大地を湿らせ、空に正しい歩みが戻ってきた。
天の神もその怒りを収め、十重二十重に巡らせていた厚い雲を吹き払われた。
神は、次の一年で動植物の復活を為された。
ラグナロクで一度は滅びし種も、神の手により次々と復活せしめ、清らかな大地へと降ろされた。
神が、地上に蒔いた種は芽吹きを見せ、動物達は順調に子を孕み、世界は再び命であふれる楽園となった。
神はその次の一年で、神の住まわれる都を創られた。
クリスタルのドームに覆われた聖なる都。
『ラ・ルーチェ・トウト』
神は最後に、ドームに覆われた聖都の外側に、塀で囲まれた七つの都を作られた。
そして、聖なる御手によって救い上げられし神の隷だけがその都に住むことを許された。
選ばれなかった者達は、救いのない荒野に獣のままうち捨てられた。
神に愛でられ、選ばれし民。
それが我ら。
自らの罪を悔い改めることによって、神に許された唯一の人類。
これは聖典。
我々の唯一の歴史。