第九話:ゴブリン討伐隊
翌朝――眠たい眼を擦りつつ、おれ達は広場へと向かった。妙に朝日が眩しく感じられる。空も、日本より鮮やかな青に見えた。世界が違うから、それも当然かもしれない。それとも、排気ガスで空気が汚れてないからだろうか。
冒険を迎えるにあたって、おれ達は服装が変わっていた。ぶかぶかの服で森に入るのは危ない、ということで、村長が村を回ってサイズの合う服を探して来てくれたのである。同時に、靴も譲ってもらった。野暮ったい革の長靴で、見た目はともかく頑丈そうではあった。
「おはよう、キョータ」
「リンディ……」
一番初めに広場に姿を見せたのは、赤毛の少女――リンディだった。後ろには、ティナの姿もある。リンディは体にフィットした、露出の少ない服装に、上から革鎧を身につけている。それに対して、ティナは質素なワンピース姿だ。
「まさか、ティナもいくのか?」
俺の問いかけに、儚げな美少女は、首を横に振る。
「私は、見送り」
「ティナを戦わせるわけ無いでしょ……それより、はい、これ」
リンディが差し出しだのは、革の鞘に納まった剣だった。ゴブリンと戦うのに武器も無いんじゃまずいだろう、ということで、彼女が貸してくれることになったのである。
受け取った剣は、想像していたよりも軽かった。柄を握り引き抜くと、鈍い金属の輝きが現れる。拵えこそ古びてはいたが、手入れはしっかりされてるのか、剣身には錆一つなかった。
「ありがとう、リンディ」
「いいのよ。村のために戦ってくれるんだもの。武器くらい貸すわ」
剣を鞘に収めながら礼を言うと、リンディは肩をすくめた。
「……あとは、盾があればな」
「京太は騎士だもんね」
おれの呟きを、幸平が聞きつける。
NESに職業という概念は無いが、スキル選びやプレイスタイルを説明するのに、従来のファンタジー系ゲームの職業名を使うことが多かった。武器を使って戦うなら〈戦士〉。魔法を使うなら〈魔術師〉……という具合である。更にはそこから発展して、有名プレイヤーには、職業にちなんだ二つ名が付けられたりもしていた。
おれは戦士系の職業の中でも、騎士と呼ばれる、盾を装備する事を前提としたスキル選びをしていた。逆に言えば、盾が無いと本来の戦い方ができないのである。
「今回は我慢するしかないね。早く大きい街の武器屋とか行って、装備を揃えたいところだけど」
「ああ。出来れば早めに鎧も手に入れたいな……ポーションとか、回復アイテムも」
そんな話をしていると、ちらほらと村人達が集まってきた。やはりまだ余所者に対して壁があるのか、おれ達に声をかけてくる者は居ない。
「よし、これで全員だな」
集まった人数が十人を越えたあたりで、熊のような大男――ドルマンと言うらしい――が口を開いた。
「解かっているとは思うが、ゴブリンは好戦的で危険なモンスターだ。相手の数も解かっていない。くれぐれも、油断だけはするなよ」
「おう、任せとけ!」
威勢のいい返事をしたのは、短髪の少年だった。
「ロビン……お前が一番心配なんだよ」
ドルマンの嘆息に、村人達から笑いが上がった。なんでだよ、とロビンが憤慨する。
「あの、一ついいですか?」
「……旅人さんか、何だ?」
手を上げて発言の許可を求めるおれに、ドルマンが眉を上げる。
「実はおれ達、昨日森で仲間とはぐれているんです。おれ達と同じ年頃の、黒い髪の女の子です。ゴブリンを探すついでと言っては何ですが……もし見かけたら教えてください」
「……わかった。気にかけておこう」
「よろしくねー。そんじゃーさっさと行きまっしょーい! レッツらゴー!」
幸平のお気楽な号令と共に、おれ達のクエストは始まった。
総勢二十名弱の討伐隊だが、その中には意外な顔も含まれていた。
「ジルベールも参加するんだな」
彼の参加を意外に思ったのは、彼が行商人を名乗っていたからだ。確かに村人とは親しくしているようだったが、流れの商人が村のために武器を取って戦うとは思っていなかったのである。
「ん? ああ。俺は元々、この村の出身だからな」
「そうなのか?」
「そ、その縁で仕事を貰ってるわけ。だから、こういうときは手伝わないとな」
言って、ジルベールは手にした短槍で肩を叩く。荒事は苦手と言っていたわりに、短槍は使い込まれているように見えた。
「――なあ、余所者が下げてる剣。あれ、死んだ親父さんの剣だろ?」
ジルベールと話をしていると、短髪の少年――ロビンが、リンディに話しかけているのが聞こえた。
「余所者に貸すくらいなら、オレに貸してくれよ」
不満げに言うロビンが弄んでいるのは無骨な鉈だった。村人達が携えているのは、ジルベールの短槍を除けば、あとは鍬だの鎌だのといった農具ばかりだ。例外はドルマンの斧だろうが、おそらく戦闘用ではなく木を切るためのものだろう。
「アンタ、剣なんか使えないでしょうが」
「アイツよりは使えるさ! あんなやせっぽち、マトモに剣が振れるわけねぇ!」
「おいおいおーい、聞こえてるんだけどー?」
少年の言葉を、おれではなく幸平が聞きとがめた。口元だけ笑みを浮かべたまま、少年を睨み付ける。
「あ、いや……」
流石に魔法使いは怖いのか、ロビンは一瞬眼を泳がせる。しかし気を取り直したのか、単に意地を張っているのか、幸平の眼光を、真っ向から睨み返す。
ガンを飛ばしあう二人に、おれは慌てて口を挟む。
「よせって、幸平」
「だってさー腹立つじゃん」
おれが諫めても、幸平は不満顔だ。ロビンもリンディに小突かれ、渋々歩みを再開している。
「京太も悪いんだぜ。もっと自信たっぷりに振舞えばいいじゃん。実際、ゴブリンなんかぺぺぺのペイでしょ」
「……って言われてもな」
「せっかくのチートライフなんだからさ、もっと楽しもうぜ」
そう幸平が俺の背を叩き――同時、リンディが立ち止まった。
「……足跡ね。結構な数が居るみたい」
彼女が指し示した地面には、落ちた葉と枝、そして人のものにも似た足跡が残されていた。
「近くに居る可能性が高い。気をつけろ」
ドルマンの警告に、村人達に緊張が走る。それとは対照的に、幸平は喜色を浮かべた。
「ないすたいみ-んぐ。キョータここは一つ、見せ付けちゃいなよ」
そうすりゃ舐められることもないっしょ、と幸平は笑う。
「おまえなぁ……簡単に言うけど、やるのはおれなんだぞ?」
「大丈夫だって」
問答するおれ達を脅えていると誤解したのか、ロビンが嘲るように鼻を鳴らす。
「はん! ゴブリンなんかにびびり過ぎだって――」
しかし台詞は、途中で途切れることになった。勇ましく踏み出した直後、彼は地面に倒れ伏したのである。
「痛ってぇ!」
「おい、何やってんだ」
転んだ少年に、ジルベールが呆れて声をかける。少年は羞恥からか顔を赤くする。
「ちげぇよ、地面に何か……」
見れば――彼の足元、地面から生える草、その先端が結ばれていた。丁度、アーチのようになった草に足をとられたのである。
「……罠だな。すさまじく雑だが」
ロビンが立ち上がるのに手を貸しながら、ジルベールがつぶやく。
「罠って、いったい誰が?」
「誰って、そりゃ――」
リンディの問いに、ジルベールが答えを返そうとした、その時。
「――ギギギギギギギギ」
金属が擦れ合うような、耳障りな音が――いや、「声」が木々の間から響いた。
「――ゴブリンだろ?」
その言葉に応えるように、醜い緑色の化物が姿を見せる。人の子供くらいの大きさで、鋭い爪の付いた手に握られてるのは、木の棒に尖った石を括りつけただけの、粗末な石槍。だが、それは確かに武器であり、命を奪うには十分すぎる凶器だった。
「ギギー!」
ゴブリン達は、汚く黄ばんだ歯をむき出しにして、威嚇の声を上げる。醜悪な怪物が、敵意をむき出しにする姿は、十分に恐怖に値した。
「ち、畜生! ゴブリン風情が!」
気圧されまいとしているのか、ロビンは怒声を上げると、鉈を振り上げて駆け出した。
「馬鹿! 無闇に突っ込むな!」
ドルマンの警告も虚しく、駆け出したロビンの足元が崩れた。落とし穴である。深さは精々握りこぶし一つ分だったが、人を転倒させるのには十分だった。
倒れたロビンに、ゴブリン達が殺到する。けたたましい叫び声を上げ、血走った眼で凶器を振りかざすゴブリンの姿は、奴らが確かに〈化け物〉であることを物語っていた。
「ひっ……!」
眼前に迫る死に、ロビンが思わず眼を閉じる。
しかし。
「――〈ソニックブーム〉!」
叫びと共に、腰に下げた剣を引き抜く。青白い燐光が舞い踊り、剣身へと収束していく。
握り締めた剣を、一閃させる。スキルによって産み出された衝撃波が、間合いの遥か外に居たはずのゴブリン達を吹き飛ばした。
〈ソニックブーム〉の直撃を受けたゴブリンは、まるでトラックに跳ね飛ばされたかのように宙を舞い、地面に激突。そのまま動かなくなる。他のゴブリン達も、衝撃で少なくないダメージを受けたのか、苦痛の声を上げて地面を転げまわっていた。
「大丈夫か」
「オマエ……」
駆け寄るおれを、驚いたようにロビンが見つめる。それを構うことなく、おれは剣を構えて前に出た。
「幸平、皆を守ってくれ」
「オーケイ、オーケイ!」
相棒の言葉を背に、おれは駆け出した。
「おおおおおお!」
咆哮と同時に、剣を振るう。下段から振り上げた刃は、ゴブリンの粗末な槍をあっさりと両断する。そのまま切っ先を翻し、上段からの切り下ろしへと変える。刃はゴブリンの身体へ食い込むと、肉を裂き骨を絶つ感触だけを残して両断する。
「次!」
己を奮い立たせるように叫び、ゴブリンへと突っ込んでいく。二匹目の首を撥ねると、返す刀で三匹目の腹部を薙ぐ。続けて四匹目の喉に突きを叩き込み、胴体を蹴り飛ばすようにして剣を引き抜く。
「キョータ! 後ろ!」
リンディの警告と同時に、背後から三匹のゴブリンが同時に飛び掛ってくる。
――握り締めた剣から、青白い燐光が溢れた。
「〈ファンアウト〉!」
迫るゴブリン達目掛けて、横薙ぎに剣を振るう。振るった剣の軌跡から光が広がり、同時に三匹のゴブリンを切り裂いた。血と内蔵が飛び散り、地面を汚す。
「ギギー!?」
とても敵わないと見たのか――最後の一匹が、悲鳴じみた叫びを上げて逃げだした。その背中目掛けて、今度は動作入力のみで〈ソニックブーム〉を発動させる。放たれた衝撃波は逃げるゴブリンを正確に打ち抜き、背骨を粉砕する。
「嘘だろおい」
「すげぇ……」
瞬く間にゴブリンを殲滅したおれに、村人達が戦慄の声を上げる。ロビンなど、目の前で何が起きているのか理解できないようで、ただただ唖然と口を開いていた。
「ふふん、凄いでしょ……って京太、大丈夫? 顔色悪いけど」
得意顔だった幸平が、俺を見て心配そうに声をかけてくる。
「……いや、少し気分が悪くなっただけだ」
何しろ、こっちは平和な日本の高校生だ。血や動物の死骸を見る機会のほうが稀である。今回は相手がゴブリンという、おれ達の常識ではありえない存在だから、戦ってる間はどこか現実味が無かった。しかし、こうして血や死体を見ると、だんだん相手が「生き物」であることが実感できて――気分が悪くなってしまう。
「うへぇ、確かにグロイもんね。ゲームだと臭いとかねーし……回復魔法、要る?」
幸平は属性魔法を操る元素師であり、風や水属性の回復魔法も習得している。回復のプロフェッショナルである神官職ほどではないが、治療師としての役割もこなせるのだ。
「いや、大丈夫だ……」
怪我をしたわけじゃないし、そもそも回復魔法で吐き気が治るとは限らない。おれは首を横に振った。
「あ、あのよ……」
唾を飲み下し、吐き気を堪えるおれに声をかけてきたのは、ロビンだった。
「……足は大丈夫か?」
「あ、ああ。これぐらい何でもねぇ」
見たところ、腫れた様子もない。大丈夫と言う言葉は、やせ我慢では無いだろう。
「本当に助かった……それと、悪かったよ。馬鹿にするようなこと言って。あんた、めちゃくちゃ強かったんだな」
「いいさ、気にしてない」
そう答えると、おれ顔色が良くないことに気が付いたのか、ロビンは気遣わしげに訪ねてくる。
「具合、悪そうだけどよ。どっか怪我したのか?」
「いや……血とか死体とか、苦手なんだ」
「苦手って、そんな強いのに……あ、そうだ」
一瞬、怪訝そうな顔になったロビンは、何かを思い出したように腰の小袋を漁った。
「これ食えよ。すっぱくて、口の中がすっとするぜ」
そういって手渡されたのは、親指くらいの大きさの、小さな黄色い果実だった。促されるまま口に含み、歯を立てる。カリ、というやや固い感触の後、柑橘類のような甘酸っぱい味が口内に広がる。確かに、少し気分が楽になった。
「ありがとう、だいぶ楽になった」
おれが礼を言うと、少年は照れくさそうに鼻を擦った。
「俺、ロビンってんだ。改めてよろしくな」
「木戸京太だ。京太でいいよ」
それから少年は、先ほどまでとは打って変わって、笑顔でアレコレと話しかけてきた。もともと、気のいい性格なのだろう。
「呆気ないけど、これでお仕事終わり?」
幸平の質問に、討伐隊のリーダーであるドルマンは首を横に振った。
「他にもいるかもしれん。念のため、もう少し見て回ろう」
「まじでー? ま、仕方ないか……もう居ないといいんだけどねー」
しかし幸平の希望に反して――おれ達はさして時間も過ぎないうちに、次のゴブリンに遭遇する事になる。