第八話:イルファナの村
「見えたわ。あれがイルファナの村よ」
リンディがそう言ったときには、既に夜の帳が降りていた。暗色の空には、煌く星々が顔を覗かせている。街灯もネオンもない地上から見上げる星空は、驚くほど鮮やかだった。
少女の指し示す先には、木製の柵が設けられていた。どうも、そこからが「村」になるらしい。柵の向こうには、丸太を組み合わせたログハウスのような家が並んでいる。どれも平屋で、建物と建物の間隔が広い。当然のようにコンクリート製のマンションも、二十四時間営業のコンビニも見えない。
「とりあえず、村長のところに行こう。ゴブリンの事を報告せにゃならん」
「報告?」
ジルベールの言葉に、幸平が首を捻る。それを見て、ティナが小さく呟いた。
「ゴブリンがあれで全部とは限らないから……」
「っていうか、まだまだ居るでしょうね。多分、森に巣を作ってる。ほっといたら、家畜や畑に被害が出るわ」
「なるほど……」
リンディの付け足しに、おれは合点する。
おれ達からすれば、モンスターというのは脈絡無く、そして無制限に湧いて出るものだった。それにゲームのゴブリンは家畜を攫ったり、畑を荒らしたりもしない。こういったゲームと現実の差を埋める事が、おれはまだ出来ていなかった。
ジルベールが馬車を止めたのは、村の中心付近――他よりやや大きめの家の前だった。おそらく、ここが村長の家なのだろう。
「村長、居るかい?」
馬車を繋いだジルベールが扉を叩く。静かな夜に、ノックの音は驚くほど大きく響いた。
しばらくして顔を覗かせたのは、杖を突いた初老の男性だった。
「おお、ジルベール。今日は随分と遅かったな。いつもなら夕方には到着するのに。皆、心配していたぞ」
夜中の来訪にもかかわらず、尊重は穏やかな笑顔を浮かべてジルベールを歓迎する。そして彼の後ろに、見知らぬ男の姿――おれ達の存在を見つけて眉を上げた。
「おや、そちらのお二人は?」
「すまんが村長、詳しい話にして、皆を集めてくれ。……街道にゴブリンが出た。ここからそう離れてない」
「なんと、ゴブリン……?」
「本当よ。数は三十以上はいたわ」
リンディの付け足しに、村長は顔を曇らせる。
「そうか……とりあえず上がってくれ。詳しい話を聞かせてもらおう。おうい、母さんや、お茶の準備を頼む」
言って、村長はおれ達を室内へと招き入れる。家の中は広かった……調度品が少ないから、余計にそう見えるのかもしれない。
勧められた椅子に腰を下ろし、ジルベールが事情を説明する。といっても、さして難しい話ではない。ゴブリンに襲われたこと、それを撃退したこと。おれ達のことも、道に迷っていた旅人だと説明した。おれと幸平のおかげでゴブリンを追っ払えた、とジルベールが口にした時、村長は不審そうな顔をしたが、特に口を挟んだりはしなかった。
「と、言うわけだ。おれ達は、村の近くにゴブリンどもの巣があることを危惧してる」
「なるほど、話は分かった……直ぐに皆を集めよう。寝ているところをたたき起こすのは、気は引けるがね」
言って、村長が腰を上げる。リンディが「手伝うわ」と立ち上がり、ジルベールもその後に続いた。ティナは村長の奥さんを手伝い、お茶のおかわりを入れてくれている。
「で、どうする? 京太」
村長達の背中を見送ったおれに、幸平が声をかける。振り向くと、いたずらっぽい笑みを浮かべる友の顔が見えた。
「どうするって?」
「つまりさ、僕らもゴブリン退治に参加しないかってこと。僕らだったら、ゴブリンなんて目じゃないし」
「そりゃ、おれも手伝うべきだとは思うけど」
おれ達には力がある。おれと幸平なら、村人たちを悩ませるゴブリンを、苦も無く倒すことが出来るだろう。それで村人たちの助けになるなら、手を貸すことに躊躇いは無い。
しかし。
「でも、鈴森さんを探すのが先だろ?」
今も彼女は、夜の森で恐怖と孤独に苛まされているかもしれないのだ。一刻も早く見つけてやらねばなるまい。
だが、幸平の考えは別なようだった。
「いや、だからこそさ」
言って、幸平は眉間に指を当てた。
「考えてみなよ。僕らが森にいたってことは、菫ちゃんも森に居る可能性が高い。まず探すとしたら、森だ。でも僕らが闇雲に森に入ったって、遭難するのがオチだよ。でも、このゴブリン退治にくっついていけば、行き帰りの道案内は心配要らないじゃないか」
「……なるほどな」
幸平の言葉に、そういう考え方もあるのか、とおれは納得した。確かに、どっちにしろ森には行かなければいけないのだ。そして森に入るなら村人の案内があったほうが良い。だったら、ゴブリン退治も一緒にやってしまえばいい。
「それにさ……村の危機を、通りすがりの旅人が助けるなんて、お決まりのシチュエーションじゃないか。ここで一発活躍しておけば、村のヒーローですよヒーロー!」
その言葉に、心惹かれなかったと言えば嘘になる。怪物を倒して、人々から感謝される――それはおれが好み憧れていた、英雄譚そのものだった。ましてそれを実現する力が、今の自分には有るのである。
「……まあ、困っている人を放っておくわけにもいかないか」
「そうこなくっちゃ!」
おれの答えに、幸平は破顔した。
それからしばらくして、村長達が戻ってきた。
村人は広場――村長の家の前にある、何も無い場所――に集められていた。広場には誰が用意したのか、かがり火が灯されている。揺れる炎に照らされた村人たちの顔は、どれも緊張した、あるいは不安げなものだった。
「集まってもらったのは他でもない」
村長が口を開いた。それまでざわめいていた村人たちが口を噤み、緊張した面持ちで耳を傾ける。
「既に有る程度聞いていると思うが、このジルベールがマリーレイクから戻る途中、ゴブリンに遭遇した。幸いにも大事はなかったが、今もゴブリン達が村の近くに居る事は確実だろう。最悪、既に巣を作っているかもしれん」
続く言葉に、再び村人達がざわついた。
「騒ぐような相手じゃないのにねぇ」
「何言ってるのよ」
幸平の呟きに、リンディが顔を顰める。
「そりゃゴブリンは体も小さいし、力だってそんなに強くないわ。だけど群れて行動するし好戦的。武器や罠を使う知性もある。数が集まれば、兵隊だって苦戦するわ」
窘められた幸平は肩をすくめると、おれにだけ聞こえるよう、小さく呟いた。
「僕らなら、百匹集まっても怖くないんだけどねー」
その言葉に、おれは苦笑を浮かべる。
NESにおけるゴブリンは、強さとしては、ゲームを始めたばかりの初心者向け――要するに雑魚敵だ。そして実際に戦ってみて、ゲームと大した違いがあるとも思えなかった。もちろん油断は禁物だが、幸平の自信も決して根拠の無いものではないのである。
村長の話は続いていく。
「もちろん、執政官に知らせは出す。しかしお役人は、どうにも腰が重い。何時来てくれるかはわからん。このままでは、家畜に被害が出るのも時間の問題だろう。我々でなんとかするしかない」
重々しい村長の言葉に、ざわめきが大きくなる。村人達はお互いに顔を見合わせ、ささやきを交し合った。
「そこで、討伐隊を組む事にした。我こそはと思う人間は、名乗り出て欲しい」
「俺が行こう」
真っ先に参加を表明したのは、熊のような大男だった。子供が見たら泣き出しそうな強面で、腕など丸太のように太い。欠片の躊躇いも見せなかった男に、周囲からどよめきが上がる。
「俺も行く!」
次に手を上げたのは髪を短く刈り込んだ、まだ頬にそばかすを残している少年だった。背は高くないが、シャツの袖から覗く腕にはしっかりと筋肉が付いている。
「俺も参加だ」
「俺も」
彼に続くようにして、次々と名乗りが挙がった。村人たちはゴブリンを恐れてはいるが、怯えてはいなかった。迫る危機に対して、戦う気概を持っている。
粗方参加者が出揃った頃を見計らって――幸平が手を上げた。
「――はいはいはーい! 僕たちもお手伝いしましょうっ!」
そう言った幸平に、村人たちの視線が集中する。その大半は、見慣れぬ人物への疑問で占められていた。
「僕らは通りすがりの旅人です! 今日という日に、この村にたどり着いたのも何かの縁! ここは力をお貸ししちゃいましょー!」
幸平の申し出に、しかし村長を始め、村人の反応は芳しくなかった。
「まだ子供じゃないか」
「大丈夫なのか?」
当然といえば当然の反応だった。なにしろ、村人達の殆どはおれ達より身長が高く、しかも農作業でしっかり筋肉が付いている。それと比べれば、おれ達なんてチビで虚弱な子供にしか見えないだろう。なかには、露骨に失笑している者も居る。はっきり言えば、侮られているのだ。
芳しくない反応に――幸平は不敵な笑みを浮かべた。
「ふふん――じゃ、ここは手っ取り早くいきますか」
「おい、幸平、いったい何を――」
「燃え上がれ炎、吹き荒れろ嵐!」
俺の静止も虚しく、魔法使いは高らかに呪文を唱える。
「――〈ファイア・ストーム〉 発動!」
直後、夜空が赤く染まる。幸平が上へと差し伸ばした両手から火炎の渦が生まれ、闇色の空を焼き焦がす。
突然の光と熱に、村人達は度肝を抜かれた顔をしていた。
「ふっふっふ、ご覧になった通り、僕は魔術師なんですよっ! こっちの京太も、剣を持たせりゃなかなかのもんです! そんな凄腕な僕達が、皆さんのために一肌脱いじゃいますよーっと!」
「す、すげぇ……!」
「これなら、ゴブリンなんて敵じゃねぇ……」
幸平が示した魔法の威力に、村人達は沸き立った。視線が、あっという間に期待と尊敬へと変わる。村長も、喜色を浮かべて幸平に向き直った。
「魔法使い殿。助力の申し出、ありがたく受けさせていただきます。どうぞこの村に、その御力を貸してください」
「お任せあれ! あ、そこでそのー、報酬について相談なんですけど」
もみ手せんばかりの幸平に、村長が顔を曇らせた。
「申し訳有りませんが……ご覧のとおり、さして大きな村でもありません。もちろん、可能な限りのお礼はさせていただきたいと思いますが……」
「いやいや! そんな贅沢を言う気なんてないですとも! 実はちょっと事情がありまして、今の僕ら、着の身着のまま一文無しなんですよ。そこで衣食住の提供というか、必要最低限の生活の保障というか、ぶっちゃけしばらく面倒みてほしいなーって」
「おお、その程度で宜しければ」
「そんじゃ交渉成立ってことで! 皆さん、もう大丈夫ですよ! 大船に乗ったつもりで居てくださいね!」
おどけるような幸平の声に、これまで悲壮感を漂わせていた村人達に笑顔が浮かぶ。
「いや、よかったよかった」
「これで安心だ」
一気に弛緩した空気の中、村長が声を上げる。
「他に居ないな? では、この面々を討伐隊とする。出発は明朝だ。各自、準備をしておいてくれ……それでは、これで解散としよう。夜中にすまなかったな」
解散の言葉に、村人たちが広場を離れ始める。
こうして――おれ達はゴブリン狩りに参加することになった。
村長が是非、と勧めてくれたので、おれ達は村長の家に泊まることになった。そればかりか、食事までご馳走になった。
野菜のスープに黒パンといった質素な――おれ達がそう感じるだけで、この世界の基準で言えば普通なのだろう――食事を終え、おれ達は早々に宛がわれた部屋へと引っ込んだ。当然、部屋には蛍光灯なんて無いので、部屋は手元を見るにも苦労するほど暗かった。しかし、幸平が魔法で光球を生み出したことによって、昼間のように明るくなる。
「うわー、やっぱりNESとは全然違うね」
ベッドに広げられた地図を見て、幸平が情けない顔になる。地図は村長から借りたものだ。そこには、おれ達の知らない国名や、町の名前が記されている。
「こりゃ、ゲームの世界に入ったって推測は間違い? 勘違い? 早とちり?」
肩を落とす幸平に、しかしおれは首を横に振った。
「……いや、やっぱりここはNESの世界だ」
「マジで?」
「ああ……ほら、同じ世界地図でも、国によって全然違うだろ? 日本だと日本を中心とした世界地図が当然だけど、外国だとそうじゃない。それと同じだよ」
言って、おれは地図を指でなぞった。
「多分、ここはナヴィナ大陸の東側だと思う。他の場所が描いてないし、微妙に縮尺が違うから混乱するけど……多分、測量が正確じゃ無いんじゃないかな」
「ははぁ、なるほどね。となると、ここがブラスガルド山? ほら、ワイバーンがうじゃうじゃ居るところ」
「こっちはグラナス平原だな」
地図を指し示しながら、おれ達はあれこれと話し合う。
「これ、英語だよな?」
この世界の文字は、多少崩れているもののアルファベットが使用されているようである。そして山や川がマウンテンとかリバーと記されているあたり、言語は英語と考えて差し支えないようだった。
「でも、話してるのは日本語だよねー。言葉が通じるのは便利なんだけど、幾らなんでも都合が良すぎない?」
「ああ……でも考えてみれば、NESで使われてたのは日本語だ。NESのスキルやモンスターが存在する世界で、他の言語が使われているほうが不自然じゃないか?」
おれの答えに、幸平はぽんと手を打った。
「それもそうか……そういや、NESでも文字はアルファベットだったね。そう考えると、筋は通ってる、のかな?」
NESでも、ゲーム内の店舗なんかでは英語が使われていた。中世ヨーロッパ風の世界観に、漢字やひらがなは合わないからだろう。
「……どうすれば、帰れるんだろう」
地図を眺めていると、ここが本当におれ達の知る世界とは違うのだと実感できてしまう。何故おれ達がこの世界に迷いこんだのかは解からないが、早いところ帰る方法を見つけないといけない。
「え? 帰る? 何で?」
しかし、幸平はそうは思わないようだ。親友は、実に不思議なものでも見るような目でおれを見ている。
「何でって……幸平は、向こうに世界に帰りたいとかって、思わないのか?」
「そりゃあ、未練はあるよ」
眉間を指で押す――今はかけていない、眼鏡を押し上げるような仕草をして、幸平は続ける。
「僕だって、家族ともう会えないと思うと泣きたくなるね。漫画の続きは気になるし、予約したゲームは楽しみだ。でもさ、向こうにいたって、凡庸で平凡で退屈な人生が待ってるだけだろ? こっちなら僕らはハイスペックな戦士と魔法使い。富と名誉は取り放題。立身出世も思うがまま。答えは決まってるでしょ」
「……」
幸平の言葉に、おれは否定を返すことが出来なかった。
おれは普通の――平凡な男子高校生だ。何か飛びぬけた特技があるわけじゃない。何か人に誇れるようなものを持っているわけじゃない。
高校生にもなれば、世の中って奴がわかってきていて――自分がこのまま、退屈でありふれた人生を送るだろうことも、漠然と理解できてしまう。おれは時折、そのことに言いようのない焦燥と憤りを感じながらも、かといって現実を変える術など持ち合わせていなかった。
だからこそ――おれはゲームを愛した。空想の世界でなら、おれは「非凡」になることが出来たからだ。そしてゲームをプレイするたびに、現実もこうだったらいいのに、と心のどこかで思っていた。ゲームの世界に入りたい、特別な存在になって、心躍る大冒険をしてみたい――そう願った事も有る。
そして――その願いは叶えられたのだ。
その奇跡を、おれは手放すことが出来るのだろうか?
「っていうか、方法が分からないうちから、帰る帰らない言っても仕方ないでしょ。方法が見つかってから考えよーぜ」
ごろん、とベッドに寝転びながら、幸平が続ける。
「その方法が見つかるまで、僕らはこの世界で生きていかなきゃならないんだ。どうせ何かアテがあるわけじゃない。だったらまずクエストをこなして、装備を整えたり、仲間を増やしたりしながら情報を集めよーぜ。RPGの基本だよ」
ゲームと現実を一緒にするな――そう言いかけて、おれは口を噤む。なにしろ、ここはゲームの世界なのだから。幸平の言っている事は、確かに合理的なのである。
「なんていうかさ……幸平って順応性高いよな……」
ひょっとしたら、あれこれと悩んでばかりいるおれよりも、幸平のほうがよっぽど現実を見ているのかもしれない。楽観は良くないが、過ぎた悲観も害にしかならないのだ。
「ん? そりゃ僕だって色々と不安では有りますよ? でもほら、京太がいるし」
ベッドの上で頬杖をつき、上体だけ起こした幸平は、にかっと笑った。
「僕独りだけだったら、多分、怖くてたまらなかったと思う。京太が居てくれてよかったよ」
「それは、おれも同じさ」
気心の知れた友人が傍に居たから、少なくとも寂しさとは無縁で居られた。これがおれ独りだけだったら、孤独に押しつぶされていたかもしれない。
おれの答えに、幸平は照れくさそうに笑うと、足をバタバタと上下させた。
「あーあ、あとは流斗が居ればなー。もっと強引にでも、NES誘っとけば良かった」
「……そうだな」
もう二度と会えないかもしれない友人を思い出し、おれの声は重くなった。幸平も空気が沈んだのを察したのか、毛布の中にもぐりこむ。
「ま、言っても仕方ないか。そろそろ寝よーぜ。流石に疲れたよ」
「ああ」
幸平は「〈ライト〉解除」と呟き、光球を消滅させる。闇が戻ってきた部屋で、おれは毛布を引っ被った。
宛がわれたベッドは硬く、快適とは言いがたかったが――よっぽど疲れていたのか、おれは泥のように眠る事ができた。