第六話:遭遇(エンカウント)
幸平と二人で迷っていたときは、どこまでも続くかのように思えた森だったが、少女の先導によってあっさりと抜け出す事ができた。振り向けば月明かりの下、ずっと遠くまで広がる木々の影と――その向こう、聳え立つ山並みが見て取れた。もし一番初めに、逆方向に歩き出していたらと思うとぞっとする。
抜け出た先にあったのは、幅広の道路だった――道と分かったのは其処だけが茶色い地面を覗かせているからであり、おれ達が慣れ親しんだアスファルトで覆われていたからではなかった。路肩には二頭立ての馬車が止められており、先に歩いていたジルベールが御者台へと乗り込むところであった。
リンディに続いて荷台へと上がる。おれと幸平が腰を下ろすと、最後に栗色の髪の少女が乗り込んできた。
「どもども、紺野幸平でーす。幸平ってよんでねー。ティナちゃん、だっけ? よろしくねー」
早速、幸平が声をかける。少女は薄くて軽い幸平の挨拶にも、特に表情を動かすことなく「よろしくおねがいします」と応じた。彼女からすれば肌を見られた相手になるのだが、特に羞恥や憤りを感じている様子は無い。深い水面のような瞳と、真っ白な肌。美しく整った、しかし表情の読めない相貌。おれの貧困な語彙では、ミステリアスな美少女、としか形容できなかった。
全員が乗ったことを確認して、ジルベールが馬車を発進させた。ガタガタと鈍い振動が伝わり、おれは顔を顰める。長時間座っていると、尻が痛くなりそうだ。
幌のついた荷台には、樽やら木箱やらが押し込められていた。蓋は閉じられておらず、中に収められた雑多な荷が振動に合わせて震えている。
「商売の帰りでね」
御者台に座ったジルベールが、肩越しに振り向きながら言う。
「村で取れた作物とか、織った服とかを街で売って、換わりに村では手に入らない物を買って帰るわけ」
「ほへー……あ、そうだ。こっちのお金ってどうなってるんだろ。ねぇねぇ、ジルベールさん。この辺で使われてる通貨って?」
荷物を覗き込んでいた幸平が、ふと気がついたように尋ねる。
「ん? そりゃルイゼンラート硬貨だよ……あとはファド二ス硬貨とか、カイナクト硬貨も使える店は多いな。ギルド紙幣の類は駄目だ。でかい商館なんかならともかく、その辺の露店なんかじゃ使えないぞ」
思わず、おれと幸平は顔を見合わせる。NESの通貨は『G』――ゴールドだった。もちろん、国ごとに使っている通貨が違う、なんてこともない。
「幸平、どうもおれ達がこの世界で生きていくのは、あんまり簡単なことじゃないみたいだぞ」
国名に、通貨。ゲームとの細かな、しかし生きる上で無視できない部分に違いがある。幸平もそれを理解しているのか、真面目な顔で頷いた。
「そうだね……これ見てよ、京太」
彼が指し示したのは、並んだ木箱の側面だった。そこには、小さく何か文字のようなものが記されている。
「あんまりにも普通に言葉が通じるから、文字も日本語だろうと思ってたけど……そう都合良くは行かないみたいだ」
そういえば、何故言葉が通じるのかも不明だ。「ゲームの世界だから」で納得するには、いろいろと不可解な点が多すぎる。
「よう、喉が渇いていないか?」
おれ達が考え込んでいると――ジルベールが声をかけてきた。
「リンディ、その辺の木箱にパーシカの実があったろう。出してやれよ」
「嫌に気前がいいじゃない、ジルベール」
そう言いながら、リンディは木箱を開くと、中から赤い果物を取り出した。
「はい。ちょっとすっぱいかもしれないけど」
「ありがとう」
差し出された果実を受け取ろうと、手を伸ばす。その手首を、リンディが掴んだ。
「ねえ、アンタ貴族なの?」
驚くおれの手を、しげしげと眺めながら、彼女はそう呟いた。
「違うけど……何でそんなこと聞くんだ?」
「手が綺麗だから。キョータの手は荒れてないし、マメも無い。こんな手をしてるのは、働かなくて良い貴族だけよ」
彼女の言葉で、おれはこの国に貴族が居るらしいことを知った。四民平等の日本で育ったおれにとって、身分制度と言うのは物語の中でしか出てこない概念である。
「いや、おれは貴族じゃないよ」
「なにぃ!?」
おれの否定に、大きな声を出したのはジルベールだった。
「てっきり良いとこの坊ちゃんだと思ったのに……散々恩を売って、謝礼をしこたま貰う計画がパーだ」
悲壮感たっぷりに嘆くジルベールに、リンディが頭を抱える。
「妙に親切だと思ったら……ごめんね。ジルは悪い奴じゃないけど、金の亡者なの」
「えーっと、あいにく御礼が出来るアテは無いです。すいません」
何しろ問答無用の無一文で、家に帰る方法もわからない。助けてもらって感謝はしているが、何か御礼が出来るような状況ではなかった。
おれが詫びると、ジルベールは特に気にした風も無く肩をすくめた。
「俺が勝手に期待しただけだ。お前が謝ることじゃない。ま、返せるときに返して――」
――ガタンッ!
「ああ、くそ!」
唐突に、馬車が大きく傾き揺れる。ジルベールが罵声を上げ、馬車が止まった。
「何よ、どうしたの?」
「縄だよ縄!」
「縄?」
ジルベールの答えに、リンディは怪訝そうに眉を寄せると、荷台から御者台のほうへと身を乗り出す。それがちょうど、おれの方に形の良い臀部を突き出すようなポーズになったので、おれは思わず視線を逸らした。
「道に縄が張ってあるんだよ! どこの馬鹿だ! こんな悪戯をしやがったのは!」
ジルベールが憤る。リンディが荷台から降りたので、おれもその後に続いた。見れば、確かに通行を遮るように、道の端と端、木と木の間に、太い縄が張られている。これでは馬車が通れない。それどころか、最悪馬が怪我をして、歩けなくなっていたかもしれない。悪戯にしては悪質だ。
そう――悪戯にしては、悪意がありすぎる。
「ねえ、これって悪戯じゃなくて――」
「ジル! リンディ!」
幸平の呟きに重ねるように、無言だったティナが唐突に声を上げた。これまで殆ど表情を変えなかった少女が、顔を青ざめさせている。
少女の声に答えるように――道の脇から、何者かがぞろぞろと姿を現した。
「――罠じゃない?」
「そうみたいだな」
肩をすくめながら、言葉を終えた幸平に、おれは頷く。縄は悪戯などではない。馬車を、馬を、獲物を止めるための罠だ。
森から出てきたのは――罠を仕掛けたのは、緑色の肌をした人型の生き物だった。大きさは子供くらいで、尖った耳と鼻を持っている。毛髪はなく、口が不釣合いなぐらい大きい。
その醜悪な姿に、おれは見覚えがあった。ファンタジーの定番で、多くのゲームでそうであるように、〈NES〉では雑魚モンスターとして設定されていた。
――ゴブリンである。