第五話:異郷の人々
草花を踏みしめ、おれ達は歩く。
枝葉を掻き分け、おれ達は歩く。
歩いて、歩いて、歩き続けて――。
「――って歩いてるだけじゃないですかぁ! 何の盛り上がりも無いですからぁ!」
「叫ぶなよ……気持ちは判るけど……」
大きな声を出す幸平に、おれはうんざりと嘆息した。歩いても歩いても、見えるのは木と草と花ばかり。人里にたどり着くどころか、道らしきものに行き当たる気配も無い。
「時計が無いから分からないけど、空を見る限りじゃ、結構な時間を歩いてるハズだよな」
言いながら見上げる空は日が落ちて、茜色に染まりつつあった。心なし、吹き抜ける風も冷たさを増している気がする。
不思議な事に、これまで歩き詰めだったにも関わらず、おれはさしたる疲労は感じていなかった。明らかに、体力が向上している。これもキャラクターのステータスが――VITが反映されているからだろうか。
「いい加減さー、何かイベントが起きてしかるべきじゃないの? 森の妖精さんと出会って隠れ里に案内されるとか、モンスターが襲ってくるのを華麗に撃退とか」
「モンスターは勘弁しろよ。こっちは武器も防具も無いんだ」
「大丈夫大丈夫。僕は魔法使いだから武器が無くても困らないし、京太だって、もともとのステータスが高いんだから、平気平気」
「相手が雑魚なら、な」
出会うモンスターが、おれ達で倒せる強さとは限らない。NESはかなりシビアな設定のゲームで、序盤でも平気で強力なモンスターが登場する。勝てない相手を避けて進むの冒険のうちというわけだ。
「心配しすぎっしょー。ま、僕としても、バトルはせめて服を着てからでお願いしたいけど――」
そこで唐突に、幸平は言葉を切ると、周囲を見渡した。
「どうした?」
「いや、何か音が聞こえない?」
幸平の言葉に、おれは耳を済ませる。葉擦れの音にまぎれて聞こえる、この音は。
「……水、かな? 水が流れる音」
「近くに川かなんかあるんじゃねー? 僕、喉渇いてたんだよねー。飲めるくらい綺麗だといいんだけど。つーかもう限界です」
「おい、あまり不用意に――」
おれの忠告はあまりに遅かった。幸平はさっさと音のするほうに向かっており、おれは仕方なくその後を追う。
木々の合間を抜け、緑を押し退けて見えてきたのは、涼しげな清流と――水浴びをしている最中と思しき、二人の少女。
一人は赤毛の娘。しなやかな体つきに、鋭くも美しい顔立ちをしている。
もう一人は対照的に、繊細で柔らかな印象の、栗色の髪の少女。
四人の視線が――交錯する。
「きゃあああああああああああああ!」
「嬉し恥ずかしイベントキタァァァァァァァァァ!」
悲鳴と歓声が同時に響く。赤毛の娘は羞恥と怒りで顔を赤く染め、幸平は拳を握り締めて歓喜に身を震わせていた。かく言うおれも、幻想的とも思える光景に、目を閉じることも、顔をそむけることも出来ないでいた。
次の瞬間――赤毛の娘は置いていた自分の衣類に飛びつくと、服で前を隠しながら、その脇に置いてあった剣を抜き放つ。山歩きに使う山刀ではない。人を殺すために造られた、れっきとした武器だ。
刃先を向けられて、ようやくおれは我に帰ると、慌てて両手を上げた。
「まってくれ、不可抗力だ。怒るなとは言わないが、出来れば剣は仕舞ってほしい」
「うるさい! こっちを見るな!」
果たして言葉は通じるのだろうか――明らかに日本人離れしている、少女の赤毛に不安になりながらも、おれは訴える。帰ってきた言葉は、幸いにも日本語だった。投げつけられた怒声に、おれは首をすくめ、慌てて顔を逸らす。
「わ、わかった。本当にすまない……幸平! お前もじっくり鑑賞すんな!」
「何言ってるんだい京太」
幸平は、下卑たところなどまるで無い、極めて真面目な表情で反論する。
「これぞ主人公お約束のラッキースケベだ。見ないでどーする。楽しまないでどーする」
「見るならまず、相手が持ってる凶器を見ろよ! いいから向こうに行くぞ! ほら!」
おれは無理やり幸平を後ろに向かせると、背中を押すようにして離れていく。相棒はぶうぶう不満を零していたが、ふと思いついたように振り返った。
「あ、ところでお嬢さん方。ちょっと聞きたいことあるんだけど良い? その辺で待ってるから」
「分かったから行け! こっちを見るなこの馬鹿!」
「ほいほーい」
返された罵声も気にせず、幸平は朗らかな笑顔でおれを見た。
「いやあ、ラッキーだったね京太。めでたく現地人との接触成功。しかも眼福」
「……そうだな」
幸平の言葉に、おれは深々と嘆息した。確かに人に会えたのは僥倖なのだが、思いっきり敵意を抱かれているのは問題だと思う。少女の握っていた剣を思い出し、まさか殺されたりしないだろうな、と不安になる。
「で、京太はどっちルートに入るの? 僕的には茶髪の子がいいなー。かわいーし、肌とか真っ白だし。」
「おまえなぁ……」
友人の図太さに、おれはいっそ感心した。
「――つまり、こういうこと?」
銀色の刃、その峰でとんとんと肩を叩きながら、赤毛の娘は顔をしかめる。しなやかな肢体は既にぴったりとした上下と革鎧に覆われており、湿ったポニーテールだけが、水浴びの名残を示していた。
「旅をしてたら道に迷った? 途中で川を見つけて汗を流していたら、衣服を含めた荷物が全部なくなっていた? 荷物を探していたら、水浴びしていた私たちに遭遇した? イマイチ信じられないわね」
おれと幸平は少女たちの着替えを待つ間、簡単に口裏を合わせておいた。つまり、自分たちは遠い異国から来た旅人で、不幸にも道に迷い、しかも荷物までも失ってしまった……と言う感じに。
「……怪しいわ。死ぬほど怪しいわ」
当然のことながら、彼女はおれの作り話を信じていないようだった。実際嘘なのだが、「ゲームしてたらトリップしちゃいました」なんて話をしても信じてもらえそうもないので仕方がない。そもそも詳しい事情とか原因なんて、おれ達にも解からないのだ。
「……まさかあんた達、〈赤頭巾〉じゃないでしょうね」
「レッドキャップ? なにそれ。京太、知ってる?」
聞きなれぬ言葉に、幸平が反応する。彼の疑問に、おれも首を捻った。
「いや……妖精かなんかの名前じゃなかったか」
確かイギリスかなんかの伝承に出てくる、凶暴な妖精の名前だったと思う。日本でもゲームや漫画なんかでちょくちょく出てくる事名前だが、NESには登場しなかったハズだ。
「知らないの? 『貴族の特権の廃止して、農民の自由と権利を獲得する』って目的で活動してる連中のことよ……ま、このクシュリナはそんなに税が厳しくないからね。連中がやってくるはずも無いか」
おれ達の様子から、とぼけているわけでは無いと察したのか、赤毛の少女は説明してくれる。
どうもレッドキャップとは妖精とかモンスターではなく、特定の主義を掲げる人間の事を指すらしい。革命家みたいなもんか、と理解する。
それより問題は――。
「……ちょっと待ってくれ。クシュリナだって?」
「ええ、そうよ」
頷く少女に、俺は顔を顰めた。ものすごく嫌な予感がする。
「なあ…………ここ、何処の国?」
「は? ルイゼンラートに決まってるじゃない。貴方達まさか、北のアウグスタから迷い込んだとか言わないわよね?」
怪訝そうな顔をする少女に答えることなく、おれは幸平に囁いた。
「――聞いた事、あるか?」
「なっしんぐ」
おれと同じくらい顔を顰めている幸平は、すっぱりと断言した。
「僕の記憶が正しければ、NESにルイゼンラートなんて国は無いし、クシュリナ領なんて地名は聞いた事が無いね」
これは結構、重要なことだ。おれ達はNESの魔法やスキルが使えたことから、「自分たちはNESの世界に入ってしまった」と認識していたのだが、それが間違いである可能性が出てきたのである。
「まずいな、これは」
「うーん。ゲーム系異世界トリップには、能力だけ貰って世界そのものは全然別、ってパターンも無くは無いんだけど……」
小声で話すおれ達を見て、少女が不愉快そうに眦を吊り上げる。
「ちょっと、何をコソコソと――」
「よう、リンディ。覗きだって?」
割って入った声の主は、木々の間から現れた。銀髪の若い――といっても、おれ達よりも年上だろうが――男だった。掘り深い顔立ちに、整えられた顎鬚。体つきはしっかりしている。手には、なにやら荷物を抱えていた。
背後には、茶髪の少女が顔をのぞかせている。姿が見えないと思っていたのだが、どうも人を呼びに行ってたらしい。男の背に隠れるその姿は、臆病な栗鼠を思わせた。
男の視線が、おれ達に向けられる。その探るような目つきに、おれは身を強張らせる。男はおれ達よりもずっと体格がいいし――腰のベルトから、ナイフの柄と思しきものが覗いていたからだ。
しかし幸いなことに、男は直ぐに人の良さそうな笑みを浮かべた。
「災難だったな。いや、この場合は『幸運だったな』の方が正しいか? 悪くない眺めだったろう? うん?」
なんとも返答に困る問いかけに、口を開いたのは俺たちではなく赤毛の少女だった。
「笑い事じゃないよ、ジルベール。アンタがちゃんと見張りをしててくれれば、こんな事にならなかったんだ」
「馬車と商品をほったらかしてか? 冗談はよせ」
少女の苦言に、ジルベールと呼ばれた男は、肩をすくめる。
「ほれ、とりあえずこれを着てろ、いつまでも裸じゃいられんだろう」
言葉と共に差し出されたのは、二組の衣類だった。今のおれ達には、何よりも嬉しい物である。
「ありがとうございます」
「いやー助かります、ホント!」
「なーに、ただの売れ残りだ。気にすんな」
おれ達の礼に、男はにやりと笑う。
「とりあえず名乗ろうか。俺はジルベール。行商人をやってる。そっちがリンディ。一応、護衛ってことで雇ってる。で、こっちはティナ」
「京太。木戸京太です」
「紺野幸平でーす」
おれ達が名乗りを返すと、男――ジルベールは満足げに頷いた。
「よろしくな……さ、自己紹介もすんだところで、さっさと出発しよう。夜までに村に到着したいんでね――お前さんたちも付いてきな。迷子なんだろ? とりあえず、イルファナまでで良ければ連れてってやるよ」
「イルファナ?」
「この先にある村だよ。何もない田舎だがね」
男の提案は、おれ達にとっては渡りに船だった。人里まで案内してくれる、それも馬車に乗せてくれるとなれば、断る理由はない。
「ちょっと、ジルベール! 何勝手に決めてるのさ!」
少女の非難の声に、銀髪の商人は肩をすくめた。
「馬車の持ち主は俺だぜ? 誰を乗せるかは俺が決めるに決まってるさ」
「そりゃそうだけど……本気で見ず知らずの連中を連れて行くつもり?」
「見ず知らずじゃないさ。ちゃんと自己紹介したろ?」
噛み付く少女をあしらい、男はさっさと歩き出してしまう。
「えーっと、なんかすいません」
残された少女に、おれは思わず声をかける。おれの詫びに、少女はがしがしと頭を掻いた。
「……ま、本当に迷子なら、ほっとくのも寝覚め悪いか」
嘆息と共にそう呟き――苦笑気味では有ったものの、少女は微笑んだ。