第四話:異世界トリップ
「うわー! 京太! 本当に京太かい!?」
おれの姿を見て、幸平が喜色を浮かべて駆け寄ってくる。思いもよらない再会に、おれは目を瞬かせた。
「いやー、良かった。ひょっとしたらもう二度と会えないもんかと――って京太、何で裸なの?」
「そりゃ、幸平もだろう……」
幸平はおれと同じく、生まれたままの格好をしていた。トレードマークの眼鏡も無い。筋金入りのインドア派を自認する幸平の身体は、不健康なほど白く、細く見えた。
「そーなんだよ。なんで裸なのかなーもー。あ、ところで京太。ここが何処だかわかる? とりあえず人が居るところに行きたいんだけどさ」
「俺が聞きたいぐらいだ。都内だといいんだけど」
おれの呟きに、幸平はきょとんとした顔でこちらを見た。
「え? 都内? ここってゲームの世界じゃないの? 僕は『ゲームの世界の何処』って意味で聞いたんだけど。森林マップだから、やっぱ『初心者の森』かなぁ。さっきまで居たわけだし」
「まてまて幸平。何でここがゲームの世界だってわかるんだ?」
突然、突拍子も無いことを言い出す幸平に、慌てておれは訊ねた。
「何を言ってるんだい、京太」
おれの問いに――幸平は朗らかに笑った。
「ゲームをプレイ中、気が付いたら知らない場所に居るだなんて――そりゃもう、ゲームの世界にトリップしたに決まってるだろう?」
「いや、そのりくつはおかしい」
確かに「ゲーム中に気を失い、気が付いたらゲームの世界にトリップしていた」というのは、WEB小説なんかで良くある展開である。正直、おれも結構好きなジャンルだ。だからといって、今の状況がそう(・・)だと結論付けるのは、論理の飛躍が過ぎると思う。それより夢とか気が狂ったとかの方が、まだ有り得そうな気もする。
「それに魔法が使えたし」
「……本当か!?」
「さっき試したからね。ほら」
言って、幸平は腕を掲げる。
「光よ! 闇を払いたまえ! 〈ライト〉――発動!」
呪文の詠唱と共に、幸平の掌で燐光が渦巻く。巡り踊る燐光はやがて収束し、球体に輝く光へと変わった。光の球は幸平の頭上まで浮かび上がると、そのまま静止する。
現実とは思えない光景に、おれは頭を抱え込む。
ここが異世界だと――ゲームの世界だと証明されてしまった。これが日本の山奥だとか、あるいは外国ならば、少なくとも陸か海で繋がっている。頑張れば、帰る事は不可能では無いだろう。しかし異世界となると、どうやって帰ればいいかさっぱり判らない。少なくとも船や飛行機が通っているとは思えなかった。
「んふふ。異世界トリップチート付き……これはもう、ハーレムが約束されたようなものですわ」
おれが途方にくれる一方で、幸平は実に満足げだった。
「問題は、何故かウインドウが開かないことなんだけどね。これじゃステータスも見れないし、アイテムも取り出せない……ん、待てよ?」
幸平はだらしない笑みを引っ込め、思案をめぐらせるように眉を寄せた。
「どうした?」
「いや……〈ライト〉発動」
幸平が、もう一度明かりを産み出す魔法を唱える。〈ライト〉は効果時間中にもう一度唱えると、先に唱えた分が消滅し、新たに光球が産み出されるはずなのだが。
しかし――今度は何も起こらなかった。
「おい、幸平?」
おれの呼びかけに答えず、幸平は眉を寄せ――近くの木にむけて人差し指を向けた。
「――〈エリアル・バレット〉発動」
突如、明るい緑の燐光――スキルエフェクトが発生し、風が渦巻いた。〈エリアル・バレット〉の呪文によって産み出された空気の弾丸は、燐光を振りまきながら飛んで行き、その先にあった木を直撃した。おれの胴体ほどもありそうな木の幹が、乾いた音を立てて粉砕する。
「な、なんだよいきなり!」
「ごめんごめん。いや、ちょっと調べたい事があって」
思わず声を上ずらせたおれに詫びながら、幸平は人差し指で額を押した。それが今は無い、眼鏡のブリッジを押し上げる動作だと、おれは気がついた。
「なあ、京太。初め、僕は〈ライト〉を使ったわけだけど――このとき詠唱をしたよね」
「ああ」
NESにおいて魔法には三つのステップが必要になる。
まず詠唱だ。NESでは指定されたキーワード――火属性魔法に「炎」とか風属性魔法に「風」とか――を含み、必要な長さを充たしていれば、ある程度自由に詠唱を設定できる。先ほど幸平が使った〈ライト〉の場合、「光よ、闇を払いたまえ」が詠唱になるわけだ。
次に魔法名。これは〈ライト〉という魔法の名前の事。
そして最後に――トリガーワード。「発動」の言葉無しには魔法は発動しない。でないと、今のように会話の中に魔法名を出すだけで魔法が発動してしまう。
「でも次に、詠唱抜きで〈ライト〉を使った場合、これは発動しなかった。その後、僕は〈エリアル・バレット〉を使ったわけだけど、詠唱はしなかったろ? でも、〈エリアル・バレット〉は発動した」
NESでは〈スキルカスタマイズ〉――習得しているスキルの行は範囲や威力などを、ユーザー好みに改造する事が可能だった。そして魔法の場合、詠唱の長さもコントロールできる。
「僕はNESで〈エリアル・バレット〉を直ぐに発動できるよう、詠唱なしに設定してた。その分、威力はかなり落ちてるけどね。それに対して〈ライト〉は元々詠唱が短いし、咄嗟に使うって場面は少ないから、詠唱の短縮はせず、効果時間を重視していた」
そこで幸平は言葉を切り、ぴっと人差し指を立てる。
「スキルの設定が今も有効って事は、ステータスも同じである可能性が高い」
「なるほど……」
確かに筋は通っている。ウィンドウが開かないので細かくを確認することはできないが、スキルだけと考えるよりは、他のステータスも同じだと考えるべきだろう。
「京太もゲームと同じ力、持ってるんじゃない?」
「そんな、まさか」
おれも幸平もリリースされてずっと、寝食を忘れてNESに没頭していた。今では古参プレイヤーに数えられ、PCもそれに恥じないステータスを誇っている。
その力を――おれが手に入れた?
「ちょっと試してみろって、ほらほら」
「試すって、どうやってだよ」
「スキルを発動させてみれば解かるよ。ほら、これ使いなって」
言って、幸平はさっき〈エリアル・バレット〉で粉砕した木の残骸から、適当な長さの枝を取る。太さといい長さといい、木刀代わりに丁度よさそうだった。
「……じゃあ」
幸平に促され、おれは枝を構える。
NESにおいて、魔法系スキルは呪文、すなわち音声による入力が必須である。それに対して、武器攻撃系のスキルは音声入力と動作入力――〈トリガー・モーション〉によって発動する。
動作入力――システムによって定められた初動――さえ正確に出来れば、音声入力はキャンセルできる。逆に音声入力を併用するなら、トリガー・モーションは大雑把でも構わない。
「――〈ソニック・ブーム〉」
少し迷った後、おれは併用入力を選択し、技名を口にした。魔法と違い、武器攻撃系スキルは動作が伴わないと発動しないため、〈トリガー・ワード〉は必要ない。
枝を振るう同時、突如として青白い燐光が現れ、木の棒の周囲で渦巻いた。スキルエフェクトの発生と同時に、不可視の力が身体を後押しする感覚を覚える。
遠距離攻撃スキル〈ソニック・ブーム〉が発動し、バシィ、と風が弾ける音がした。振るった枝から、薄い蒼色の衝撃波が放たれる。
衝撃波は、射線上にあった一本の木へと命中し――その幹を圧し折った。
「……嘘だろ」
メキメキと音を立てて倒れる木を見て、おれは呆然と呟いた。その肩を、幸平はバシバシと叩く。
「おいおい京太! もうちょっと嬉しそうな顔しろよ! 僕らは本当の騎士と魔法使いになったんだぜ? 剣だよ魔法だよファンタジーだよ浪漫溢れる大冒険が僕らを待ってるよっ!」
ぞくりと――身体が震えた。
それは歓喜だった(・・・・・・・・)。おれには力がある。スキルの発動という分かり易い形で、折れた木という分かり易い結果で、その事実は示された。
自分の身体が、何倍にも大きくなった気がした。声を上げて、笑い出しそうになる。その衝動を押し殺し、おれは勤めて冷静に――少なくとも、そう見えるように――口を開いた。
「――とりあえず、浪漫溢れる大冒険に入る前に、この状況をなんとかしよう。このままだとおれ達死ぬぞ、冗談抜きで」
その言葉に、幸平は顔を顰めて頷いた。
「あー、そういやそうだよねー。超展開ですっかり忘れてたけど、僕らって絶賛遭難中だった。つーか異世界トリップじゃあ、まず主人公を召喚した可愛い女の子とかモンスターに襲われてる可愛い女の子とかと出会うのが王道じゃないですかー! そこんとこどうなんですか! 求むヒロイン! 求むラブコメ! 我々にもっと恋愛フラグをっ!」
「幸平、ここが異世界だからって、あんまり変な期待しないほうがいいと思うぞ……」
「なんだよー、テンション低いなぁー。折角なんだし、もっと夢をってあぁー!?」
「ええい、今度は何だ!?」
幸平は顔を青ざめさせ、慌てたようにおれに向き直った。
「大変だよ京太! 菫ちゃんは!? 菫ちゃんもこっちに居るんじゃない!?」
幸平の言葉に、おれもようやくその可能性に思い至った。
考えてみれば、パーティーを組んでいたおれと幸平がこっちの世界に来ているのなら、一緒に居た彼女が来ていてもおかしくないのだ。
「……マズイ。鈴森さんはビギナーだ」
ここがゲームの世界だとして――古参プレイヤーであるおれや幸平はモンスターが出てきても自力で何とかなる。しかしビギナーでありキャラのステータスの低い鈴森にとって、この状況はとんだデスゲームだ。
「早く探さないと! 早く見つけないと! 早く保護しないと!」
ひとしきり慌てた幸平は、口に手をメガホンのように当てて叫ぶ。
「おーい! 菫ちゃーん! 鈴森菫ちゃーん!」
しかし何度叫んでも、返事が聞こえてくる様子は無い。木々の枝が、むなしく風に揺れるだけだ。
「駄目だ……幸平、とりあえず鈴森さんは後回しにして、人里を探すべきだ。本当に鈴森さんがこの辺にいるとも限らないし、まずおれ達が助かる事を考えないと」
おれにサバイバルの知識なんてないが、少なくとも夜の森が色々と危険なのは解かる。日が暮れるまでどれぐらい時間あるか解からないが、可能な限り早めに水や食料、そして寝床を確保しないといけないだろう。
「そう、だね…」
がっくりと肩を落とし、幸平は不承不承合意する。普段はふざけているが、幸平は優しい奴だ。友達を、それも女の子をこの森に、独りで残していく事を気に病んでいるのだろう。
「くう……しかし、しかし菫ちゃんがヌードでこの近くにいるかもしれなと思うとっ! 僕は! 諦めきれないっ!」
「そっちかよ!?」
思わず全力で突っ込んだおれに、幸平はへらりと笑みを返す。
「冗談だって……で、人里ってどっちさ」
「わからん。あてずっぽうで歩くしかないな……」
どっちを向いても、木しか見えない。逆に言えば、考え迷う要素も無いと言うことだ。おれ達は適当に方向を決めると、並んで歩き出した。