第5話
「あの食えない南蛮親父のところへ行くって、本気なの!?」
ロレンソの商館へ向かうと宣言した俺に、お凛は血相を変えて立ち塞がった。
「あの人、足元を見るのが得意な悪党よ! まともな交渉なんてできるわけないわ!」
「だからこそ、面白いんじゃないか。善兵衛の圧力など意に介さないのは、あそこくらいだ」
俺は手早く身支度を整えながら、不敵に笑ってみせた。
俺は草履を履き、夏の陽射しが照りつける通りへと歩み出した。
善兵衛の包囲網。両軍の圧力。
盤面は少しずつ動き始めている。
だが、あの狡猾な南蛮商人から、果たして必要な物資を引き出すことができるのか。
潮の香りが混じる風の中、得体の知れない不穏な気配が、俺の行く手を遮るように渦巻いていた。
通りに出た途端、むせ返るような熱気とは別の、ひりつくような緊張感が肌を刺した。
店の前の通りを塞ぐように、二つの集団が睨み合っていたのだ。
一方は、桔梗の紋をあしらった陣羽織を着た武士たち。東軍の使者だ。
もう一方は、大一大万大吉の旗印を掲げた西軍の使者たちである。
彼らは俺の姿を認めるなり、互いを牽制するようにずかずかと歩み寄ってきた。
「甚兵衛。善兵衛に睨まれ、堺の問屋から硝石も鉛も手に入らぬそうだな」
東軍の使者が、冷ややかに見下ろしてくる。
「我が東軍の庇護下に入れ。さすれば材料の手配はすべて引き受けてやる。その代わり、ありったけの鉄砲を寄越せ」
すかさず西軍の使者も声を張り上げた。
「戯れ言を! 西軍に付けば、言い値で買い取ってやる! ありったけの鉄砲をこちらへ回せ!」
「黙れ! 我ら東軍こそが正義である!」
「笑止! 逆賊に与する気か!」
両軍の使者が互いに刀の柄に手をかけ、一触即発の空気が漂う。
その強大な圧力が、波のように押し寄せてくる。
背後にいたお凛が、青ざめた顔で俺の袖を強く引いた。
「甚兵衛……どうするのよ。相手は何万という軍勢を動かす大名よ。逆らえば、店ごと潰されるわ」
彼女の指先が微かに震えている。自分が集めた情報や交渉のミスで、この工房が焼き討ちに遭うことを恐れているのだ。
だが、俺は一歩も引かない。
「断る」
短く言い放つと、使者たちの顔色が一瞬で変わった。
「俺は堺の若き鉄砲鍛冶だ。誰の庇護も受けないし、誰の軍門にも降らない。自らの目利きで武器の価値を決める」
「貴様、大軍勢を敵に回す気か!」
西軍の使者が刀を半ばまで引き抜いた。
空気が張り詰める。だが、俺は飄々とした態度を崩さなかった。
「先日提示した条件、忘れたとは言わせないぞ」
俺は両軍の使者を交互に見据え、半ばまで抜かれた刀身を鼻で笑った。
「善兵衛の圧力につけ込んで俺を囲い込もうなどと、浅ましい真似はよせ。極上の鉄砲が欲しければ、四の五の言わずに俺が定めた約定書に判を捺せ。前金と納期の猶予、そして俺の裁量への不干渉だ」
使者たちは屈辱に顔を歪めた。だが、彼らは以前見せつけられた極上の鉄砲の性能を知っている。ここで俺を斬れば、あの精度と威力を永遠に失うばかりか、万が一にも敵軍に独占される事態を恐れているのだ。
「……よかろう。だが、期日までに納められねば、この工房ごと灰にするぞ」
忌々しげな捨て台詞を残し、両軍の使者はそれぞれの陣へと引き返していった。
「ちょっと甚兵衛! あんな大見得を切って、本当に材料のあてはあるの!?」
使者たちの背中が見えなくなるなり、お凛が青ざめた顔で詰め寄ってきた。
「だから、今その足で向かっている最中だろうが」
俺は軽く肩をすくめ、歩みを止めることなく港の方角を顎でしゃくった。すでに潮の香りが微かに漂い始めている。
「善兵衛の息がかかっていない場所は、あそこくらいだからな」
俺の視線の先には、異国の船が停泊する港と、ロレンソの商館の屋根が見え隠れしていた。
◆ーーーー◆
潮の香りが強くなるにつれ、異国の言葉が飛び交う港の喧騒が近づいてきた。
ロレンソの商館は、その一角にそびえ立っていた。
重厚な木の扉を押し開けると、異国の香辛料と油の匂いが鼻を突く。
薄暗い室内の奥で、南蛮風の外套を羽織り、立派な口髭を蓄えた長身の男が振り返った。
「オヤ、堺の若き鉄砲鍛冶殿。私に何の用デスか?」
ロレンソは芝居がかった仕草で両手を広げた。
「上質な硝石と鉛を売ってほしい。善兵衛の息がかかっていない、あんたのところからな」
俺が単刀直入に切り出すと、ロレンソは飄々とした笑みを浮かべた。
「日本の大名たちの争いは、私にとって利益の種デス。しかし、善兵衛殿を敵に回してまで、アナタに卸すメリットがアリマスか?」
彼は利益を重んじる。簡単には首を縦に振らない。
「あるさ。圧倒的な利益がな」
俺は商館の長机に身を乗り出した。
「三ヶ月後、天下を分ける大戦が起きる。その時、俺の鉄砲が戦局を支配する。東軍にも西軍にも、俺が納品数とタイミングを操作してな」
「……ホウ?」
「あんたが俺に投資すれば、その利益を独占できる。善兵衛の小銭稼ぎとは桁が違うぞ」
ロレンソは目を細め、俺の顔をじっと見つめた。
「私の扱う硝石は、天竺から運ばれた極上品デス。善兵衛殿が扱うような、不純物混じりの粗悪品とは違う」
彼は木箱の一つを開け、中の硝石を指先でつまんで見せた。
俺はそれを受け取り、指先で擦り合わせる。
「確かに悪くない。だが、これだけじゃ足りないな。火薬の威力を最大限に引き出すには、配合の比率を変える必要がある」
俺の言葉に、ロレンソが眉をひそめる。
「アナタ、火薬の調合まで分かるのデスか?」
「俺の目は、ただの職人の目じゃない。火薬の純度も、銃身の僅かな歪みも、ミリ単位で見抜ける」
俺は未来知識に基づく正確な戦局予測を語り始めた。
「家康と三成、どちらが勝つか。それは俺が決める。俺の鉄砲が、歴史の行方を左右するんだ」
ロレンソの目が、獲物を見つけた商人のそれに変わる。
「アナタ、ただの鍛冶屋ではナイ。恐ろしい商人デスね」
ロレンソは満足げに頷き、専属の仕入れ先として上質な硝石を卸すことを約束した。
「交渉成立デスね。では、硝石と上質な鉛を……」
「いや、鉛は別のものを頼む」
俺は商館の隅に積まれていた、木箱の山を指差した。
「あの粗悪な南蛮鉛を、あるだけ全部買い占めたい」
お凛が目を丸くする。
「ちょっと甚兵衛! あんな不純物だらけの鉛、使い物にならないわよ! 鉄砲の品質に妥協しないって言ってたじゃない!」
ロレンソも首を傾げた。
「アレは安物デス。不純物が多くて溶けにくい。アナタの極上の火縄銃には合いマセンよ?」
「構わない。これも戦の役に立つ」
俺は不敵に笑った。
上質な材料の確保に成功した一方で、俺が大量に買い占めた粗悪な鉛。
これが後に戦場でどのような意味を持つのか。
盤面は、俺の思い描く通りに動き始めている。




