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第25話

美濃の関ヶ原で繰り広げられた激突の報せが堺に届いたのは、戦が終わってから三日後のことだった。


工房の土間に腰を下ろし、俺は手入れの終わった火縄の束を麻紐で結わえていた。運命の九月。立ち込める濃霧と降りしきる豪雨の中、戦況を動かしたのは武将の武勇ではなく、あらかじめ計算され尽くした兵站の格差だった。


雨を吸って着火すらできなくなった西軍の火縄と、不純物だらけの粗悪な鉛玉による銃身の破裂。対して東軍には、直前に届けられた油塗りの防水火縄と、寸分の狂いもない特注の銃身が揃っていた。


結果は明白だった。戦場に足を運ぶことすらなく、ただ堺の片隅から物資の巡りを操作しただけで、万を超える軍勢の勝敗は決した。歴史という巨大な盤面の上で、駒を動かしていたのは名だたる大名たちではなく、この煤まみれの作業台の前にいる俺自身だったのだ。


だが、勝利の余韻に浸る暇などない。


「甚兵衛殿、おられるか」


表の格子戸を押し開けて入ってきたのは、見慣れた筋骨隆々の武将だった。歴戦の具足に新たな戦傷を刻んだ源太夫が、重々しい足音を響かせて土間へと踏み込んでくる。その後ろには、身動き一つ乱さぬ供回りの武士が数名控えていた。


「これは源太夫様。関ヶ原では大変な戦果を挙げられたそうで」


俺は立ち上がることなく、油布で鉄の粉を拭いながら声をかけた。


「貴殿の納めた特注銃と防水火縄、誠に見事であった。雨中の乱戦において、我が隊の鉄砲は一度の不発もなく敵陣を撃ち崩した。上様もその功績を極めて高く評価しておられる」


源太夫の双眸には、深い畏敬の色と、それ以上に濃い警戒の光が宿っていた。戦場を意のままに操った得体の知れない鍛冶屋に対する、武人としての本能的な恐れだろう。


「それは何よりだ。職人冥利に尽きるってもんですよ」


「そこでだ、甚兵衛殿。上様より直々の命を預かって参った。貴殿には徳川の『御用鍛冶』として、工房ごと江戸の地へ移り住んでもらいたい」


源太夫は懐から朱印の押された奉書を取り出し、厳かに掲げた。


「破格の扶持と屋敷が下賜される。天下の覇者たる徳川家にのみその技術を捧げるのだ。職人としてこれ以上の栄誉はあるまい」


恭しく差し出されたその書状を、俺は一瞥しただけで視線を外した。


御用鍛冶への抜擢。世の職人なら誰もが涙を流して平伏するような破格の待遇だ。だが、その実態は明白だった。徳川にとって最も都合のいい檻を用意し、二度と他勢力に武器を流させないための囲い込み――実質的な自由の剥奪であり、飼い殺しの宣告に他ならない。


「ありがたい話だが、断らせてもらう」


俺は淡々と言い放ち、手元の火縄を棚に放り込んだ。


源太夫の眉が跳ね上がった。


「……断る、だと? 天下を掌握した徳川の命を拒むというのか」


「俺は堺の鍛冶屋だ。誰かの家来になる気はない。良い鉄を叩き、納得のいく鉄砲を造り、それを俺の決めた相手に適正な値で売る。どこへ行くかも、何を造るかも、全部自分で決める」


「甚兵衛殿! これは天下の仕置なのだぞ。貴殿のその尋常ならざる技術と先見は、一介の町人が抱え込んでよい規模を疾くに超えている。野に置くには、貴殿の力はあまりに危険すぎるのだ」


源太夫の声が低く唸りを上げた。柄に手をかけこそしないものの、歴戦の威圧感が狭い工房に満ちる。彼は悪意で迫っているのではない。主君に忠実な武士として、新たな秩序を乱しかねない危険因子を管理下に置こうとしているだけだった。


その重苦しい空気を切り裂くように、奥の帳場から澄んだ衣擦れの音が響いた。


「おやおや、物々しいご挨拶ですこと」


絹の小袖を上品に着こなしたお凛が、算盤を片手にしなやかな足取りで姿を現した。その隣には、派手な南蛮外套を羽織った長身の男――ロレンソが、白い歯を見せて微笑んでいる。


「お凛殿……それに南蛮商人か」


「源太夫様。甚兵衛を江戸へ連れて行かれるのはご自由ですが、その場合、困った帳尻がいくつも出てまいりますのよ」


お凛は悪戯っぽく微笑みながら、手にした厚い帳面を指先で叩いた。


「どういう意味だ」


源太夫が不審げに問い詰める。


ロレンソが肩を竦め、流暢な口調で言葉を継いだ。


「簡単な話デスヨ、源太夫殿。日本国内で流通している上質な硝石の六割、そして銃身に不可欠な南蛮渡りの硬鉄は、すべて私と甚兵衛の個人契約によって仕入れられていマス。彼が堺を離れ、自由な取引権を失えば、その供給船はすべて明やルソンへと針路を変えることになるでしょう」


「な……」


「それだけじゃありませんわ」


お凛が滑らかな手つきで算盤の珠を弾いた。乾いた軽快な音が響く。


「全国の鉱山から堺に集まる鉛の集積網、そして各港の問屋衆との決済手形。これらはすべて、甚兵衛の目利きと信用を担保にして回っています。甚兵衛という要を力ずくで引っこ抜けば、徳川様が手に入れようとしている武器と火薬の供給網そのものが、明日にも音を立てて崩壊いたしますわ」


二人の言葉に、源太夫の屈強な身体がわずかに強張った。


武力で圧倒しようとも、経済の血流そのものが甚兵衛の手中に握られている。それを無理に奪おうとすれば、自軍の首を絞める結果になるという冷厳な事実を、彼らは正確に突きつけていた。


「……貴殿らは、徳川を脅す気か」


源太夫の低い呟きに対し、俺は静かに首を振った。


「脅しじゃない、商売の取り決めだ。徳川が求める鉄砲と弾薬は、これまで通り注文通りの数と期日で納品する。だが、それは対等な商いとしてだ。俺を飼い慣らすことは、天下人であろうとできやしない」


土間に張り詰めた沈黙が落ちた。


源太夫は拳を握り締め、深く息を吐き出した。彼自身、関ヶ原で甚兵衛の鉄砲がもたらした恐るべき威力を肌で知っている。そして今、その背景にある巨大な経済網の存在を目の当たりにしていた。


だが、武士としての筋金を、彼もまた捨ててはいなかった。


「甚兵衛殿。貴殿の才覚と、背後にある巨大な力は理解した。だが、天下を統べる幕府の意向を公然と跳ね除ける者がいれば、いかに重宝な商人であろうと見過ごすわけにはいかぬ」


源太夫は一歩踏み出し、鋭い眼光を俺に向けた。


「上様は、武力による天下静謐を成し遂げられた御方だ。これ以上の拒絶を重ねるならば――幕府の総力を挙げた武力討伐すら辞さぬことになろう。この堺の街が、再び戦火に包まれる覚悟はおありか」


叩きつけられた最後通告に、工房内の空気が凍りつく。


お凛の指先がわずかに止まり、ロレンソもまた口元の笑みを消した。国家権力そのものが向けてくる、剥き出しの刃だった。


俺は煤けた前掛けで手を拭い、作業台の上の短筒を静かに見つめた。巨大な武力の圧力が、すぐそこまで迫っている。だが、俺の職人としての眼は、その先の盤面を冷徹に見据えていた。

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