第23話
轟音とともに、白い硝煙が土砂降りの雨を吹き飛ばした。
冷たい水滴を浴びながらも、朱色の火種は決して消えなかった。油を染み込ませた防水火縄が、火皿の口薬へと確実に食らいつく。薬室の内部で瞬時に膨張した圧力が、寸分の狂いもなく仕上げられた弾丸を一直線に撃ち出した。
濡れそぼる関ヶ原の泥濘に、西軍の前衛が次々と薙ぎ倒されていく。
「放てッ! 次弾、構え!」
源太夫の怒号が雨音を裂く。
東軍の兵たちが手際よく銃身へ次弾を込め、火縄を挟み込んだ。濡れた指先でも確実に噛み合う機関部を信じ、足軽たちは間髪を容れず一斉に銃口を突き出した。
対する西軍の陣列は、もはや見る影もなく崩壊していた。
雨で火縄が立ち消え、まともな応射すらできない。それどころか、不純物だらけの粗悪な鉛で作られた弾丸が銃身に詰まり、無理に引き金を引いた銃が次々と暴発を起こしていた。味方の悲鳴と混乱が連鎖し、一万を超える大軍の陣形が、ただの寄せ集めの群衆へと変わり果てていく。
泥水に膝をつき、壊滅していく敵陣を見つめながら、源太夫の背筋に冷たい戦慄が走った。
(……あやつは、ここまで読んでいたというのか)
豪雨の到来、火縄の納品遅延、そして敵方に流した粗悪な鉛の弾丸。
すべてはあの堺の若造の手のひらの上で転がされていたのだ。刀一本抜かず、戦場に足を踏み入れることすらせず、ただ鉄砲の数と時期を操っただけで、天下の趨勢を決定づけてしまった。
一人の鍛冶屋が、数万の命を左右する戦を完全に支配した。
源太夫は握りしめた采配を震わせた。そこに湧き上がったのは、味方の勝利に対する歓喜ではない。決して逆らってはならない存在に対する、底知れない畏敬と恐怖だった。
◆ーーーー◆
関ヶ原での決戦から、五日が過ぎていた。
堺の街には、秋の気配を含んだ乾いた風が吹き抜けている。港を行き交う船の数は以前と変わらないが、街を包む空気は劇的に変貌していた。大名たちの使者が血相を変えて走り回る姿はなくなり、代わりにどこか張り詰めた静けさが漂っている。
俺は工房の作業台で、一丁の短筒の機関部を分解し、油を染み込ませた布で丁寧に拭っていた。
カラクリのバネの反発、真鍮の止め金の滑らかさ。指先から伝わる金属の確かな手応えを確かめる。鉄の匂いと油の香りが、煤けた部屋を満たしていた。
ガラリと引き戸が開き、軽やかな足音が近づいてくる。
「甚兵衛、美濃からの確報よ」
入ってきたお凛は、手にした帳面を胸に抱え、俺の向かいにある長椅子に腰を下ろした。いつもの涼やかな表情の奥に、隠しきれない興奮と、わずかな緊張が滲んでいる。
「東軍の完全な勝利ね。西軍の主力は総崩れになって敗走したわ。雨の中で鉄砲が使えた東軍が、一方的に戦局を制したそうよ」
「そうか」
俺は視線を上げず、短筒の銃身に小さな目釘を差し込んだ。
「あんた、本当に驚かないのね。少しは『やったぞ』とか言えないわけ?」
「驚く理由がない。雨が降れば防水火縄を持つ側が撃ち勝ち、質の悪い鉛を詰めた銃は破裂する。道具の理屈通りに結果が出ただけの話だ」
木槌で目釘を軽く叩き、固定する。小気味よい乾いた音が響いた。
「道具の理屈、ねえ……」
お凛は深く息を吐き出し、膝の上の帳面をめくった。
「その理屈ひとつで、天下の主が決まったのよ。今、大坂や伏見にいる生き残りの武将たちの間で、あんたの噂がどうなっているか知ってる?」
「さあな。悪徳商人だと罵られてるか?」
「逆よ。誰も彼もが、あんたの名前を口にするのを恐れてるわ」
お凛の指先が帳面の上で止まった。
「西軍の残党は、自分たちが掴まされた鉛の正体を知って青ざめてる。東軍の将たちは、あの雨の中で届いた火縄の精密な時期に鳥肌を立ててるわ。『堺の甚兵衛に睨まれたら、戦う前から負けが決まる』ってね。勝った側の武将ですら、あんたの工房に兵を送り込もうなんて気は微塵も起こさないそうよ」
「都合がいいな。これで理不尽な押し買いに頭を悩ませることもなくなる」
俺は短筒を組み上げ、引き金を軽く引いて機関部の動作を確かめた。
小気味よい金属音が鳴り、狙い通りの感触が指先に返ってくる。
「都合がいい、で済む話じゃないでしょうに」
お凛が呆れたように肩を竦めたが、その瞳には俺に対する強い信頼の色があった。
「会合衆の古株たちも完全に沈黙したわ。あんたが堺の硝石と鉛の供給網を握ったことに、文句を言える人間はもう一人もいない。大名も、商人も、誰もあんたの手の内から逃げられないのよ」
「俺は支配者になりたいわけじゃない」
俺は短筒を作業台に置き、棚から取り出した徳利から、二つの素焼きの杯に冷酒を注いだ。ひとつをお凛の前に滑らせ、もうひとつを自ら手に取る。
「粗悪な武器で無駄な血が流れるのを防ぎ、値打ちのわかる相手にだけ正当な道具を売る。商人の筋を通した結果、盤面が片付いただけだ」
「その筋の通し方が常軌を逸してるのよ」
お凛は苦笑しながら杯を受け取り、小さく口をつけた。
「でも……これで、戦は終わるのね」
「表向きの大規模な合戦はな」
俺は杯の酒を喉に流し込んだ。冷たい液体が胃の腑へと落ちていく。
天下分け目の大戦は終わった。だが、歴史の歯車が止まるわけではない。徳川の覇権が固まりつつある中で、新たな秩序が生まれ、それに応じた利権と物資の再編が始まる。
戦が減れば、鉄砲の使い道も変わる。城の防衛、治安維持、あるいは猟銃としての需要。そして、国内で余剰となった硝石や鉛の流通をどう管理するか。
「甚兵衛、これからどうするの? 東軍の奉行衆からは、すでに大量の納品目録と挨拶の使者が向かっているらしいけれど」
「いつも通りだ。求める相手を見極め、こちらが売りたい分だけを適正な価格で売る」
俺は立ち上がり、工房の天窓を見上げた。
隙間から差し込む秋の光が、壁に掛けられた幾本もの銃身を鈍く照らし出している。
大名たちがどれほど権力を握ろうと、それを行使するための『道具』の根元を握っているのは俺だ。
誰に、何を、どれだけ渡すか。その選択権を手放さない限り、この堺の工房は誰にも侵すことのできない聖域であり続ける。
だが、戦後の新たな世は、これまでとは異なる歪みと火種を孕んでいるはずだ。
杯を台に置いたとき、表の通りから、複数の馬の蹄の音が規則正しく近づいてくるのが聞こえた。




