ラスボスだったことに絶望して、魔女に突撃した
努力すればいつかは報われると思っていたし、今は塩対応な想い人にも気持ちが届くと信じていた。それなのに。
「全部、無駄だったってこと?」
突如、襲い掛かって来た記憶の渦を整理して、私はそういう結論に至った。
ベアトリーチェ・カファロ。十六歳の初夏。
愛し合う運命の恋人たちの片割れであるヒーローに恋して。相手にもされずヒロインを逆恨みしたあげくに、当て馬からラスボスにジョブチェンジして、最後にはヒーローに倒される報われない女に転生したと知る。
ドナーテ国の王子エミディオは、眉目秀麗かつ文武両道のまさに理想の王子様であった。唯一の欠点は、なかなか婚約者を決めないこと。王子の伴侶が決まらないのは、国としてよろしくないのだ。今後の国の方針にも影響するために。
他国の王女も自国の令嬢も、それはそれは熱い視線を投げかけていたけれど、エミディオはまったく取りあわないままに十八歳を迎え、ついに痺れを切らした国王陛下によって、婚約者がいない未婚の貴族令嬢が集められ、この中から選ぶよう命じられた。
王命である。
王子といえども、国王の命令に逆らうことは許されない。
なのでエミディオは不承不承、令嬢の中からひとりを選んだ。それが侯爵家の娘である私、ベアトリーチェである。
エミディオが魅力的な青年であることは間違いがなかったから、大切に育てられ、身内以外の異性にほとんど接することもない箱入り娘が、あっさりと恋に落ちて、そうして自分が選ばれたことに有頂天になったのも、まあ仕方がないだろう。
けれど、王子自身が選んだはずの婚約者に対して、まったく熱を感じさせないまま。どれほどベアトリーチェが恋慕い、距離を詰めようとしても、やんわりと拒絶されるばかり。
前世記憶を取り戻した今ならば分かる。エミディオは婚約者を籤で選んだだけだと。彼にとっては、誰が相手でも同じだったから。そうとは知らぬベアトリーチェは、自分を選ぶ程にはエミディオからの好意があるはずと、そう信じて婚約者として完璧であろうと努めたのに。
婚約時点で、エミディオは女性への興味がなかった。別に同性愛者であったとかではなく、関心が希薄に過ぎたために。それは原作の物語の都合でもあったのだろう。運命の相手と出会う前にどんな女性にも靡かぬようにという。
ちなみに、前世記憶に目覚めたのは婚約が決まってから半年後。何も特別なことはなかったのに思い出した。エミディオはまだ、運命の乙女とは出会ってもいない時期。
もう少ししたら、王子はヒロインと出会って? そこから徐々に恋を育てて? 結婚まで秒読みになった頃に婚約破棄されて? ヒロインを殺そうとして失敗して大怪我をして? こんな国、滅びてしまえってなって? 国の結界を張る守護石を破壊して? 悪霊化したあげくに運命の恋人たちの愛の力で滅ぼされる、と。
やってられるか!
ここは前世で読んだweb小説の世界である。どうも、死ぬ直前に読んでいた話らしく、だからこそこれほどまでに覚えていたよう。小説はヒロイン視点だったために、王子との出会いからときめきシチュ連続で、まったく王子に見向きもされていなかった婚約者ざまあ、って感じだったのだが。
それが自分だとしたら、これほど馬鹿にした話もない。内訳を知ってしまえば、王子への恋情なぞ雲散霧消、むしろ地雷でしかなかった。もう、好きにヒロインとくっついたらいいんじゃない? という感じだ。
けれど王命で結ばれた婚約をこちらから解消することもまた不可能。なので私は――。
「あなたは前世を信じますかぁ!?」
と、魔女の元へと突撃したのである。前世、思い切りが良いと評判の性格だった。
広大な敷地面積を誇る王城の端には森があって。そこには魔女が住んでいる。代々の国王の相談役として。この魔女、後に小説の中で運命の恋人の味方となる人物なのだが、まだ彼らとの接点はなかった。
「ふむ、前世とな? そう主張した人物が度々現れるとは文献にはあるが、信憑性には欠けると……」
しゃがれたというか、ハスキーな声が、顔どころか全身を黒い布に包まれた人物から漏れた。つまり、まったく姿かたちが分からない。でもまあ、魔女なのは確かだった。周囲の空間がビリビリと震えるくらいの魔力を感じるから。
「私が! 本物の! 前世持ち! です! 証明も! できます!」
胸倉を掴む勢いで私が主張すると、相手は迫力に負けたのか、軽く後ずさる。
「そ、そうなのか」
「そうです! 今現在の私が知っているはずのない知識があります! たとえば、国の守護石についてとか!」
そこまで言うと、今度は相手が前のめりになった。
「詳しく聞かせてもらおうじゃないか」
そう。まだこの時点では、私の王子妃教育は始まったばかり。国の根幹にかかわるような話はひとつも聞かされていない。せいぜい淑女教育王族版である。だから、国の守護石なんてもののことを知っているはずがないのだ。これがあるから結界が張られ、これまで他国や魔獣の被害を受けずに来た。ただ、存在そのものが秘されているのは確か。王族にだけひっそりと伝えられる秘宝。王子の婚約者になって半年の小娘に教えられるはずがない。王妃になればあるいは? というくらいに知る者もほとんどいない。
運命の恋人の味方になる魔女に、打ち明けるのもどうかとは思う。けれど、消去法で魔女しかいないとなった。
両親は娘が王子妃になるということに舞い上がっているし、国王陛下にはそう簡単に会えない。ましてや、潜在的に敵であるエミディオ王子には絶対言っても無駄だ。現時点では彼は運命の出会い以前で、守護石のことを教えられるのは彼が王太子になってからだ。今はまだただの王子でしかない。信じてもらえるはずもない。
「あ、ついでですけれど、魔女様が探されている鍵のある場所も知ってます!」
ヒロインが魔女の助力を得ることになるのは、たまたま彼女が魔女の探していた鍵を発見したからだ。場所はばっちり小説に書かれていたから、きっとそこにあるはず。時期的にまだヒロインも見つけていないだろう。
そう告げると明らかに魔女の雰囲気が変化した。暗い空から稲光が閃く、そんなエフェクトが見えた気さえする。
小説の中では何故魔女がその鍵を探していたかまでは書かれていなかった。魔女の助力もあって、悪しき者となった敵を倒し、愛しい王子と結ばれるところで物語は終わってしまっている。主人公の恋愛が成就さえすれば、「もういいよね」と、脇役の魔女の出番もないままに。
でも、私だって魔女だってこの世界に生きている。小説の中の、単なるキャラではない。魔女も運命の恋人が結ばれるよう助けるだけの装置じゃない。自分の意思があって当然。良い魔女っぽいけれど、魔女には違いないから禍々しい目的とかなければ良いな。
「前世も気になるけれど、先に鍵の場所を教えてくれるかい?」
その迫力に抗えなくて、私は素直に案内人を引き受けたのだ。
王子の運命の恋人は平民の少女だ。なので王城の中に入ることはできない。王族を護るための王城であるので、たとえ周囲を囲む塀にさえ、本来は近づくことも許されないのだが、王城の敷地はあまりにも広い。何せ魔女の森を内包しているくらいだから。王宮のある正面部分は厳重に守られているが、裏にあたる部分は見張る者すらいなかった。防御的にそれはどうかと思われるけれど、だからこその魔女と守護石なのだろう。
ヒロインは裏山の裾野に面した王城の塀を構成する巨石のひとつが欠けている部分をたまたま見つける。そこに何か光るものがあると、手を伸ばしたら古い鍵だったという。魔法の護りのある王城の塀に、よくも触ろうと思ったものだ。知らないからこその暴挙。鍵を縁に王子と知り合って物語が始まる――までには半年以上猶予がある。だからこそ、まだ見つけられていないはず。
私は魔女を連れて森を抜け、件の塀へと向かった。内側から見上げても、巨石を積み上げた塀は強固で、周囲を威圧している。なんでもこの塀は建国の折に魔法で築かれたらしく、物理的な攻撃は一切受け付けないのだという。
問題の場所にヒロインが気が付いたのは、地面に接しているその石だけが、他と色が違ったから。
万里の長城ほどもあるわけではないが、それでも相当に長い塀だ。物語のように都合よく見つかるか不安だったが、驚くほど簡単に見つけられて脱力したほどだ。うっすらと発光しているではないか。
「ここ、これです!」
不思議なことに、魔女には他の石と区別がつかないようだった。だから私が、これだと触れて知らせる。魔女も私の横から手を伸ばし、そうして。くつくつと笑い出した。
「なるほど。こんな子供だましにやられていたとは」
それは自嘲の色に染まった笑い。いや、ヒロインどころかラスボス候補の私にすら分かる仕様って問題しかない気がするのだけれど。魔女には分からないようにされていた?
魔女は件の巨石を魔法で抜き出すと、物語のキーアイテムであった鍵を取り出す。
鍵は古くくすんだ金属製のもので、宝石などはついていない、けれど重量感のあるものだ。それを手に立ち上がった魔女は、それまでよりもずっと長身に見える。確実に、私よりも頭一つ分は高かった。
「娘、感謝する。お前には大きな恩ができた。私のできる限りの便宜を図ってやろう」
やはりあの鍵は魔女にとって重要なものだったのだろう。ならば願うことなど決まっている。
「じゃあ、エミディオ殿下との婚約をなかったことにしてください!」
「承知した。詳しいことは森の家で聞こうじゃないか」
破滅回避。それしかその時の私の頭にはなかった。運命の恋人同士が出会うきっかけを無かったことにしたとか、思いもよらずに。
王子妃教育はまだ本格的なものには至っていない。けれど、侯爵家のタウンハウスから通うのもいささか不便ということで、私は王城内に部屋を賜って、そこで暮らすようになっていた。王子との交流をも図るための処置でもあるのだろうけれど、あちらからは梨の礫である。つまり私は暇をしていた。どこかでエミディオと会えるといいな、という期待もあって、王城のあちこちを彷徨っていたものだ。王子の婚約者と知られていた為、重要な場所以外では、どこに行こうと阻まれなかった。侍女も護衛さえ付けずに一人でふらふらしていてもだ。晩餐までに与えられた部屋に戻ってさえいれば良かった。
だから、魔女と裏の塀を見に行ったり、魔女の家でお茶したりしていても、何ら問題はない。
魔女が自ら淹れてくれたお茶は、身体に良さそうな薬草茶だった。ちょっとハトムギ茶に似た味。とっても魔女らしいと嬉しくなる。
「口にする前にもっと警戒した方が良いんじゃないか?」
あっさりとカップに口を付けたものだから、出した魔女がそう言うくらい、貴族の娘としては失格である。でも喉も渇いていたし、魔女から敵意も感じなかったのでありがたく頂いただけだ。
「結構、美味しいです。おかわりあったらください」
魔女相手に令嬢ぶっても今更である。魔女も呆れながらおかわりをくれた。
お茶しながら、改めて前世の記憶というか、読んだ小説の内容を話していく。
「随分と、エミディオと恋人に都合の良い話だ」
「ご都合主義ってやつですかねえ。ぱぱっとハッピーエンドになって、ざまぁが添えられてたんで、評判は悪くなかったみたいですよ」
「お前ばかりが割りを食っているようだが?」
「愚かな相手を破滅させることによるカタルシスが求められていたからでしょうね。もっとも、そんな運命は受け入れられないから、あなたに会いに来たんですけど」
二杯目のお茶をゆっくり味わう。魔女の家は素朴な小屋なのに、生活感がなかった。物がないのだ。入り口から入ってすぐのこの部屋にはテーブルと椅子しかない。窓には鎧戸どころかカーテンもなかった。ただ、茶器は魔女が魔法で出してくれたものだったので、必要に応じて出し入れしているのかな、とその時は納得したのだ。
「その物語、まったくめでたしめでたしで終わりではないのだがね」
魔女の前にもカップがあり、中身も入っているのに、一向に口を付ける様子がない。
「そうなんですか?」
「ああ。国の守護石が破壊され、さらには魔女の手に鍵があるのならば、恋愛が成就したところで、王子と恋人には――破滅しかない。何しろ国が亡ぶのだから」
思わず、こてんと音がしそうな勢いで首を傾げる。
「物語の中のベアトリーチェは倒されたのに?」
「魔女は運命の恋人の味方なぞではないからね」
物語の中では、王子とヒロインを手助けしていたはずの魔女が? 声にせずとも私の疑問が分かったのだろう。そのまま説明をしてくれるようだ。
「そもそも。魔女は初代国王ファブリツィオに騙されて契約を結ばされ、以来、五百年もの間、国に捕らわれて良いように使われてきたのだ。当然、王族は憎しみと復讐の対象となる。器以外は」
「器、とは?」
「魔女とは本来、固定の肉体を持たない。霊的存在に近い。強力な力を振るう場合のみ、動物や人間の身体を借りる。器がなければ世界に干渉できないからだ。世に魔女と知られる存在は、そういった器に宿った者のことを指す。大抵は短期間、魔法を使う間だけ身体を借りる。実質は乗っ取りだね」
なるほど? 魔女は生き物に憑依して力を使うと。なんか神降ろしの一種ぽくもあるかなあ、なんて呑気に話を聞いていたのだが。
「器に入っている状態でないと、人は魔女と交渉することはできない。魔女が人に興味がないせいもあるが、そもそも意思の疎通ができないからね。それを逆手に取って、ファブリツィオは魔女を器から出られないようにしたのだ。そのために作られたのがまずこの腕輪」
黒布の塊の中から左手が突きだされた。予想よりも大きな手。魔女というから枯れ枝のような老婆のものを想像していたのに。その肌は硬そうではあったが年寄りの物ではなかった。ハリのある若い男性のもの。そしてその手首に嵌められていたのは、鍵とよく似た古い金属。幅広で、ブレスレットではなくバングルと呼ぶものだろう。施されているのは渦巻っぽい彫刻だったので、なんとはなしにケルトっぽいと感じた。
「国に捕らわれた魔女は、この腕輪をはめた人間を器にするよう定められてしまった。腕輪を着け外しできるのは当代の国王のみ。そして器は、魔女の力を支えられねばすぐに壊れるために、代々国王の第一子を充てる。王家の人間には耐性があるからだ。それでも、おおよそ二十年ほどで器は取り換えられていく。次代の国王の第一子が生まれる度に。
役目を終えた前国王の第一子は、たいていがそのまま幽閉される。生まれてすぐから異質な魔女の意識をずっと宿らせていると、どうもただの人間とは違うものになるようだ。
当然だろう。器にも意識はあり自我もある。なのに魔女の魂に抑えつけられて育つのだ。魔女の知識も力の使い方も知っている。人工的な魔女と言える。ただ歪みが、役目を終えた器の寿命をも縮めてしまうためにか、交代後はすぐに死んでしまうのだがな」
なんだか物騒な話になってしまった。つまり、目の前にいるのは国王の第一子、つまりはエミディオの――兄。
「エミディオ殿下のお兄様?」
そう問うと、黒衣の人物はフードを取り払う。艶のない白髪は老人のもののようではあったが、その容姿はたしかにエミディオと似ていた。だが雰囲気はまったく違う。日の当たる場所を生きてきたエミディオとは。白髪のせいだけでなく、まるで人生に疲れた老人のようだった。それなのに、眼窩に嵌るのは、叡智と深淵を覗いてきたような黒に近い青の瞳。
「今はまだ、魔女の器だ。だがこれより第一王子ダニエーレにこの器は返そう」
魔女が腕輪に鍵を触れさせた途端、腕輪も鍵も塵となって消えた。その瞬間、どこかで何かが割れるような音が響く。
「え、何か壊れました?」
「守護石が割れたのだ。そもそも魔女に命じて国を護るために作らせたものだったからな。無事、魔女が還ったのならば壊れもする。器を務めた私への情けか、報復されなかっただけでも重畳だろう」
その人はようやく口角を上げる。それは表情を作ることに慣れていない人物の不器用な笑みのようだった。
「君が在処を教えてくれた鍵は魔女を縛る契約そのもの。ファブリツィオは魔女の解放を恐れ、子孫にさえその隠し場所を明かさず死んだ。王城の敷地内のどこかにあるとしか伝わっていなくてね。もちろん魔女は探し続けたが、触れない限り魔女には視認できない特殊な金属でできていた。天界か地界で産出されたものだろう。たまたまそんなものを持っていたからこそ、ファブリツィオは魔女を捕らえようなどとしたのだ」
魔女がいる世界なのだ。天界やら地界やらがあっても不思議ではないのか。この国は建国以来平和だったけれど、それは魔女と器の犠牲の上だったと。これまで聞かされてきた清廉潔白な建国の王ファブリツィオというのは虚構でしかなく、歴史は勝者が作る物だということを実感した。
「あなたはダニエーレ殿下に戻られたということ?」
「そうだ。はじめて自分自身になれたよ。感謝する、ベアトリーチェ」
彼が立ち上がって小屋から出ようとするので、私もそれに続いた。振り返ると小屋そのものがなくなっていた。きっとこの小屋も魔女の力で作られていたのだろう。
森は最初からこの地にあったものらしく、木漏れ日の落ちる細い道を前後して歩く。下生えを踏む音が、先ほど塀に向かった時よりも響いて、それで彼が今は足音を立てていることに気付いた。魔女であったときは、それこそ影のようにするすると痕跡を残さなかったのに。もしかしたら歩くのでなく浮いていたのかもしれない。
「これからどうするんですか?」
「おそらくは魔女の解放と共に私は死んだと思われるだろう。私は去るよ、この王城を。自分の足で世界を見るために」
「それ、私もついていっては駄目ですか?」
思わず食い気味に発言すると、彼は足を止めて振り返った。何を言われているのか意味が分からないというような表情で。
「もう物語の前提は崩壊した。エミディオは運命の恋人と出会うことなく王となって、君と結婚するだろう。魔女の護りはもうないが、国は存続する。君は王妃となれば良い」
私は首を振る。前世を、物語を思い出した私は、ベアトリーチェの記憶はあっても同じものではなくなっていた。
「前世の事、全部思い出したわけじゃありません。それでも、私はもう、貴族としては異端の存在でしょう。物語と同じではないけれど、ベアトリーチェという令嬢はもう、いないんです。
運命の恋人と出会わなくとも、エミディオ殿下はきっと私を見ないまま愛さないでしょう。婚約者となって半年、ベアトリーチェはがんばって殿下に寄り添おうとしてきました。無駄でしたけどね。それが一生続くなんて耐えられない。貴族令嬢であったなら受け入れるべきなんでしょうけれど、今の私には無理なんです。だからこそ、こんな婚約を失くしたい。……無責任だと思われますか?」
「いや? 私だって王子であることを放棄するのだ。どうして責められよう?」
「それじゃあ、一緒に行きます。行かせてください。私も、世界を見たいから」
彼は少し困ったように眉を下げた。それは、完璧王子と呼ばれるエミディオが決してしない顔。きちんと私に注がれる視線。エミディオがベアトリーチェに与えなかったもの。
「そうだな。道連れはいた方が良いか。――君の事はどう呼ぼうか?」
「リーチェと。ただのリーチェと」
「そうか。リーチェ。私は――これまで誰にも呼ばれなかった分も、君にはダニエーレと呼んでもらおうか」
「ええ、ダニエーレ。何度でも。これからずっと」
森を抜け、急に崩れ出した塀を越えて、魔女のいなくなった国を離れる二人の男女は、誰にも気が付かれることはなかった。
書かれた物語は始まる前に終わり、そうして先の見えない二人の物語が始まる。
当初の予定では、ダニエーレが第一王子に返り咲いて、ベアトリーチェが彼と結婚する……んじゃないかと思ってたんですが。魔女憑きと前世持ちのふたりに反発されました。無理だって。
二人が出奔したと同時に王城の塀が崩れて大騒ぎになり、王子の婚約者はそれに巻き込まれて亡くなったことになります。前世庶民の感覚のある新生リーチェの主導で、金銭や宝石なんかはしっかり持ち出していた模様。
器の役目を終えた前国王の第一子は、幽閉後に寿命で死ぬのではなく、毎回処分されています。生かしておくのも危険だと思われて。なので、ダニエーレの寿命は人並みにあります。
魔女の知識のあるダニエーレは、少しなら魔法も使えるので、どことなく浮世離れした二人組は、無事にあちこち放浪しますが、結局最後まで一緒にいたようです。




