1話 結婚していただけますか?
「あれが……件の男か」
舞踏会の片隅で、簡素な官服をまとった男が小さくつぶやいた。
黒髪に金の瞳――十分に目立つ容姿でありながら、彼は上位魔法《認識鈍化》を展開し、周囲の視線を巧妙にぼやけさせている。
参加者たちには、ただの冴えない官僚にしか見えないはずだ。
「はい。真理の灯教会の教主、ハインリッヒ・ヴェルムです」
隣で答えたのは、茶髪の官僚ベルンだった。
近頃、この男が率いる宗教は貴族層で不自然なほど勢いを増している。
(“神の使い”を名乗り、どんな悩みも言い当てる……か。
情報源が不明なのが厄介だな)
そう思いながら、セドリックはワインを静かに口へ運んだ。
詳細な調査の前に、まずは“顔を見ておく”。
今日の彼には、その目的があった。
――と。
視界の端で、十五、六歳ほどの少女がこちらへ歩み寄ってくるのが見えた。
そしてためらいもなく口を開く。
「貴方が、魔石泥棒の怪盗さんですか?」
(…………は?)
ベルンは盛大にむせかけた。
近頃、帝都を騒がせている怪盗ルミナス。
この舞踏会も“狙われる条件がそろっている”と、それらしい噂が飛び交っている最中だった。
「ほう。なぜそう思うのです?」
セドリックが静かに問うと、少女は首をこてんと傾けて答える。
「認識鈍化の魔法を使ってますよね?
正体を隠すのは、やましいことがあるからです」
あまりにも核心を突いた言葉に、セドリックとベルンは同時に目を細めた。
――認識鈍化の存在を見抜くなど、普通は不可能。
この少女は、間違いなく相当な力を持っている。
「……でも、何か違います。
貴方、どこかで見たことが……あ、わかりました!
宰相閣下セド――」
「わーーっ!!」
少女が言い終わるより早く、ベルンとセドリックは慌てて彼女を担ぎ上げた。
そのまま《認識鈍化》をさらに重ねて周囲の視線を薄め、
見えにくいバルコニーへと急ぎ足で連れ出した。
「私、知ってます。これを世間一般では――拉致監禁といいます」
舞踏会のバルコニー。
はぁはぁと息を切らしているベルンと、周囲を警戒しているセドリックを無視し、
少女は淡々と棒読みでそう告げた。
「そ、そんなことより……な、なぜ分かったのですか?」
ベルンが聞く。
セドリックとベルンにかけられている《認識鈍化》の魔法は高度で、
宮廷魔術師でさえ“魔法がかかっている”と気づけても、
本来の姿まで見抜くことはできないはずだ。
「簡単です。新聞で宰相閣下の記事を見ました」
「問題はそこではない。
《認識鈍化》がかかっているのに、なぜ分かったのかということだ」
腕を組みながらセドリックが問う。
少女は眉をしかめたあと、少し上を向いて「うーん」と考え込み、
ぽんっと手を叩いた。
「おお、この黒いもやもやが認識鈍化だったのですね!
わかりました! 教えていただきありがとうございます! それでは!」
少女は一人で納得し、そのまま立ち去ろうとする。
「い、いやいやいや! 一人で納得されても困ります!!
ちゃんと理由を説明してください!」
ベルンが慌てて止めると、少女はきょとんとして答えた。
「どうしてと言われても……視えるからとしか言いようがありません」
そう言って、まんまるな瞳をぱちりと見開く。
その様子にセドリックはほぅと目を細めた。
「……宰相閣下。もしかしてこの子、男爵家の神子では?」
ベルンも同じことに気づいたようで、セドリックへ小声で告げる。
「よくご存じですね」
少女が口を挟む。
(ああ、なるほど。だからか)
神子――
神より“特別な力”を授かった者。
だがその力が強ければ強いほど、挙動が常人離れしやすく、
いつしか“蔑称”として使われることのほうが多くなってしまっている。
男爵家の神子は、【魔力が視える】ことで有名だ。
「つまり貴公は、魔力が視えると?」
セドリックの問いに少女――セレナはこくりと頷いた。
「はい、そうです。あの……ついでに教えてください。
宰相閣下は宝石どろぼうの犯人じゃないのですね?」
「当たり前だ。そんなことはしない」
「わかりました。では――用はありません。じゃ」
スタスタと歩き去ろうとする。
「え、ちょっと待ってください。まだこちらにも――」
ベルンが言いかけた瞬間、セレナの足がぴたりと止まり。
「そういえば、こんな記事を見ました!」
いきなり猛ダッシュで戻ってきて、
セドリックへ新聞記事を突きつけてきた。
「これはたしか……」
それは――お見合い希望者が殺到していた時期に受けたインタビュー。
“才能のある女としか結婚する気はない”と答え、世間を騒がせてしまった問題の記事だった。
「……つまり、私が宰相閣下のお役に立てると証明できれば、
結婚していただける、ということなのですね?」
セレナは真剣な目で記事を指さしながら言う。
「は?」
「どうなのでしょう?」
「……もちろん、私にとって有益だと分かれば考えてやろう」
セドリックがそう答えるのを聞き、ベルンが目を細めた。
(また宰相閣下は……思ってもないことを簡単に……)
ベルンが心のなかで嘆いた、そのとき――
「はい!!! では今から犯人を捕まえるので見ててください!!」
セレナは満面の笑みを浮かべ、勢いよく宣言した。




