最終話 想い
アルセーヌは、最後の一滴まで吸い尽くし、満足げに息を吐き、レヴェリアの身体をぞんざいに床へと下ろした。
「魔力がない貴女に興味はありません」
その声には情緒が一切なく、ただ乾いた響きだけがあった。
アルセーヌは自分の手を見つめ、掌の中で生まれる新たな魔力の奔流に酔いしれるように、口角を上げた。
「この手に入れた力……試してみたいですね」
ルーカスとルクの足を貫いていた、杭が音もなく霧散した。
「さあ、かかってきなさい。どちらからでも構いませんよ」
杭から解放されたと同時に、ルーカスとルクはほとんど反射のように動いた。
しかし、向かう先は分かれた。
ルーカスは傷を庇う素振りすら見せず、レヴェリアへ一直線。
ルクは片目から血を流しながら、アルセーヌへ飛びかかった。
「お嬢様!」
ルーカスが抱き寄せた、レヴェリアの身体は冷たかった。
呼吸も、鼓動も消えている。
力が抜けていて、胸と肩の貫通痕からは血の気がほとんどない。
「……そんな…嘘だろ…っ!」
声が震え、喉の奥で押しつぶされる。
生きていると信じていた、小さな希望が粉々に砕かれる。
「ルーカス!!下がるな、集中しろ!」
ルクが叫んでる間にも、アルセーヌは平然と攻撃を受け止めていた。
大精霊の魔力を取り込んだアルセーヌから放たれる力は、もはや別もの。
ルクの魔法は影に触れる前に弾かれ、その衝撃が返ってきて、自分にダメージが入る。
その一撃一撃の隙を突くように、アルセーヌの反撃が無慈悲に襲いかかる。
「遅い」
視界が歪むほどの速度で影が伸び、ルクの身体を薙く。
「ッぐ……!」
壁に叩きつけられ、息が漏れた。
ルーカスもレヴェリアを抱いたまま、決意を滲ませて立ち上がる。
だが身体は限界を超えている。
それでも、光で作った剣を握りしめ、ルクの隣に並んだ。
二人は全力を振り絞り、同時に飛びかかる。
しかし、その攻撃はどちらもアルセーヌには届かない。
まるで大人が子どもの攻撃をいなしながら遊ぶかのように、容易く、片手で。
「力というものは、こうやって使うのですよ」
アルセーヌがそう言った瞬間、影の奔流が一気に炸裂した。
ルーカスもルクも、押し返されるどころか、空中へ吹き飛ばされ、床に転がる。
立ち上がろうとしても、身体が動かない。
腕も脚も、震えるだけ。
アルセーヌはそんな二人を悠然と見下ろして、微笑んだ。
「もう終わりですか?大精霊の魔力、実に素晴らしい。あなた達では手も足も出ませんね」
その言葉は真実だった。
二人はアルセーヌに触れることすらできていない。
アルセーヌは心底つまらなそうに息を吐いた。
「そろそろ飽きてきました。では終わらせましょう」
言い終わるより早く、影が二筋、獣の牙のように。
ルーカスとルクは反応する暇すらなく、影の攻撃をまともに受け、床に叩きつけられた。
骨が軋む鈍い音が響き、呼吸が乱れ、視界が白く弾ける。
だがルーカスはレヴェリアを、決して離さない。
アルセーヌは虫を払ったかのように平然としていた。
「そのままその人間のように、死んでください」
冷たい声だけを残し、アルセーヌは闇のほうへ歩み去る。
振り返りもしない。
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ルーカスは、腕に抱いたレヴェリアの亡骸を見つめたまま、かすれる声で呟いた。
「……レヴェリア……もう…痛くないですか……」
返事はない。
それでも、ルーカスは優しく微笑もうとした。
感情が乏しいレヴェリアを少しでも楽しませようと思って、ずっとレヴェリアのために捧げてきた、ただの微笑みを。
胸の奥で、何かが音を立てて崩れる。
魔力の循環が止まり、血の流れも薄れ、身体が冷えていくのが自分でもはっきりと分かる。
「…守れなくて……ごめんなさい…」
レヴェリアを抱きしめている腕の力が、ゆっくりと抜けていく。
その顔には涙が乾いた跡が残り、穏やかで、悲しくて、それでもどこか安堵したような表情が張り付いている。
ルーカスの心臓が静かに止まる。
ルクはその隣で横たわり、濁った視界でレヴェリアとルーカスの姿を見つめていた。
もう片目は見えず、身体は動かない。
「……レヴェリア…ルーカス……」
掠れた声で呟く。
だが、誰も応えない。
「俺、ほんと弱ぇな…」
大きな狼の身体が、震えながら血の中に沈む。
「…けど、最後にそばにいられて…よかった……」
その呟きを最後に、ルクの瞳から光が消えた。
レヴェリアは今まで見せたことのないほど、穏やかな笑みを浮かべている。
まるで、悲しいことなど何もないかのように。
この運命を受け入れているかのように。
主と、主を愛した二体の悪魔は、同じ場所で、静かに息絶えた。
ーーその頃、悪魔界
黒い霧の中、アルセーヌは笑っていた。
「良いですね、さすが大精霊の魔力……」
指先から流れる純粋な魔力の奔流が、辺りの悪魔たちを塵と化す。
悲鳴も許されない。
揺らめく黒煙のように、強大な悪魔たちが次々と消えていく。
「もっと私を楽しませてください」
アルセーヌの足元に、倒れ伏した悪魔の山。
その中心で、アルセーヌは美しい魔力の余韻を味わうように、目を閉じた。
水の大精霊ネレイスの魔力を持つ器の少女を殺し、奪ったその力は悪魔にとって、これ以上ない悦楽だった。
そして、彼は歩き出す。
闇の奥へ、ゆっくりと。
大精霊の器が辿った道『水の令嬢編』をお読みいただき本当にありがとうございます!ひとまず一区切りとなりますが、これから新しい章が始まるので、そちらも読んでいただけると嬉しいです。次章は、執筆準備のため、1月12日月曜日から始めさせていただきます。今しばらくお待ちください。もしよろしければ感想等を書いていただけると、とても励みになります。次の章も、どうぞお楽しみに!




