出生と家族構成について
福音書の読解を続けることにする。
基になる資料はマタイ伝である。
まずは出生の謎と家族構成から取り組むことにする。
処女降誕を取り上げているのはマタイとルカである。ともにイエスの家系図を示し、ベツレヘムを誕生の地とし、処女降誕を扱っている。処女降誕についてのマタイの叙述は次のとおりである。
イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、精霊によって身重になった。夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリアを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは精霊によるものである。彼女は男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう。これは、「神われらと共にいます」という意味である。ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリアを妻に迎えた。しかし、子が生まれるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。マタイ1:18-25
この話は「見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる」(イザヤ書7:14)という予言が元になっている。そして「主が預言者によって言われたことが成就するためである」としている。だがこの予言は成就しているだろうか。だれもイエスのことをインマヌエルとは呼ばないし、過去にも呼ばれたためしがない。つまりこの予言は外れたのである。これが事実であり、真実である。主の御使が外れる予言をするのだろうか。まずはこの点を抑えることが肝心である。
インマヌエルの予言の他にも「子が生まれるまでは、彼女を知ることがなかった」という点が重要である。ヨセフの身に覚えのない子がマリアの腹に宿っていることになる。不貞をはたらいた乙女は律法の裁きを受けることになっていた(申命記22:13-21)。因みにヨセフの悩みは不貞の疑惑であって「処女がみごもった」ことではない。
もし人が妻をめとり、妻のところにはいった後、その女をきらい、『わたしはこの女をめとって近づいた時、彼女に処女の証拠を見なかった』と言って虚偽の非難をもって、その女に悪名を負わせるならば、その女の父と母は、彼女の処女の証拠を取って、門におる町の長老たちに差し出し、そして彼女の父は長老たちに言わねばならないーしかし、この非難が真実であって、その女に処女の証拠が見られない時は、その女を父の家の前にひき出し、町の人々は彼女を石で撃ち殺さなければならない。申命記22:13-21
つまり「処女から生まれる」とは「処女だった娘から生まれる」ことを意味している。ヨセフは「普通の娘」と信じていたマリアが不貞を働いたと疑って悩んでいるのである。オセロー的な悩みといえるだろう。この誤解を解くために御使がヨセフにお告げをする運びとなっているのだが、御使が来なかった(予言が外れた)となるとマリアの疑惑だけが残ることになる。この疑惑を晴らさないと、イエスは私生児となってしまう。ではイエスは私生児だったのだろうか。この問いのヒントとなるのが次の律法である。
私生児は主の会衆に加わってはならない。その子孫は十代までも主の会衆に加わってはならない。申命記23:2
イエスはどうであったか。主の会衆に参加していた。よって、私生児ではない。私生児の疑いが無くなれば、必然的にマリアの疑惑も晴れて、ヨセフの悩みも消える。主の御使の「お告げ」も外れたとなると普通に生まれたとしか考えようがない。晴れて、ここに健全な一家が誕生するのである。
では、なぜマタイはこのような脚色を用いたのだろうか。この謎を解くキーワードが「精霊」である。この語は旧約にはない新約の造語的な概念である。この場合の精霊は「神の再創造の意思表示とその施し」と解釈できるだろう。ユダヤ教の本質は神との契約である。精霊を「新約」の「お告げ」と理解してこそインマヌエルの予言は成就するのである。事実、キリストによって「旧約」と「新約」の概念は成就している。この新約思想の神学化のためにこの脚色が必要だったのである。処女から生まれた怪物を世に送り出すのが目的ではない。この点も抑えておかねばならない重要な点である。
次は出生地について取り組みことにする。
イエスの誕生の地については、ナザレ説とベツレヘム説がある。ベツレヘムはダビデの生地であり、キリストが降誕する地と予言されていた。福音書は家系図を引用してダビデの家系の正当性を誇示している。一方、ナザレはイエスの故郷である。ベツレヘムから約150km離れた標高約350mの丘陵地に位置する町である。「ナザレから、なんのよいものが出ようか」(ヨハネ1:46)、このナタナエルの言葉が有名である。この程度の「村」という認識だった。発掘調査の結果、ナザレではかなり古くから農村共同体が営まれていたことが分かっている。学者の多くはナザレ説を採っている。果たしてどちらで生まれたのだろうか。まずは予言の確認から行うことにする。
しかしベツレヘム、エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。ミカ書5:2
エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。イザヤ書11:1-2
エッサイはダビデの親父である。ダビデはこのエッサイの末っ子だった。この有名な予言を読むと、ダビデと特定されておらず、「エッサイの株から一つの芽が出」と謳っている。私が知る限りではダビデの子孫と明言する予言を見たことがない。実際当事者のイエスもダビデ子孫説を否定しているのである。
パリサイ人が集まっていたとき、イエスは彼らにお尋ねになった。「あなたがたはキリストをどう思うか。だれの子なのか」。彼らは「ダビデの子です」と答えた。イエスは言われた、「それではどうして、ダビデは御霊を感じてキリストを主と呼んでいるのか。すなわち、『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい』。このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるのなら、キリストはどうしてダビデの子であろうか」。イエスにひと言も答えうる者は、なかったし、その日からもはや、進んでイエスに質問する者も、いなくなった。マタイ22:41-46
このイエスの解釈は強引である(マタイの解釈と思われる)。通常「主」は神を指すのにキリストも「わが主」としている。これは「主」の重複ではなかろうか。キリストを主と呼ぶのは新約の慣わしであって旧約にはメシアの概念は存在しない(唯一外典の『エズラ記』12:32-34に載っている)。後に取り上げる「モデルのキリスト」と「ナザレのイエス」の問題の片鱗がここに覗いているのだが、ベツレヘム論者のマタイの意に反したイエスの言葉を載せていることの意義は大きいだろう。
同様にミカも、ダビデとは言及せず、「ユダの氏族」としている。このようにダビデの子孫説が危うくなってくると自ずとベツレヘム説も怪しくなってくる。この問題を解くヒントが次の予言の全文である。
さて、イエスはヨハネが捕らえられたと聞いて、ガリラヤへ退かれた。そしてナザレを去り、ゼブルンとナフタリの地方にある海べの町カペナウムに行って住まわれた。これは預言者イザヤによって言われた言葉が成就するためである。「ゼブルンの地、ナフタリの地、海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤ、暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」。マタイ4:12-17
マタイとルカはイザヤ書のこの予言を福音活動の宣言として引用している。だがこの引用の仕方には問題がある。都合の悪い箇所を省いて予言の成就としているからである。以下がその全文である。
しかし、苦しみにあった地にも、闇がなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに栄光を与えられる。暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいる人々の上に光が照った。あなたがたは国民を増し、その喜びを大きくされたので、彼らは刈り入れ時に喜ぶように、獲物を分かつ時を楽しむように、あなたの前に喜んだ。これはあなたが彼らの負っているくびきと、その肩のつえと、しえたげる者のうちとを、ミデアンの日になされたように折られたからだ。すべて戦場で、歩兵のはいたくつと、血にまみれた衣とは、火の燃えくさとなって焼かれる。ひとりのみどりごがわれわれのために生まれた。ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもって、これを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされえるのである。イザヤ書9:1-7
このセンテンスを読むと、メシア的な人物はガリラヤで生まれると予言しているように採れる。「異邦人のガリラヤに栄光が与えられる」という句は、「ひとりのみどりご」、もしくは「ひとりの男の子」が生まれることを前提としている。ここでいう「あなた」と「わたし」の関係は、「あなたがた=ガリラヤの民」と「わたし=神(預言者を通じての神の予言)」と受け取るのが自然である。整理すると、ガリラヤに「ひとりの男の子=栄光」が与えられることを約束しているのである。だとすると、ガリラヤからもメシア的な人物が生まれると予言されていたことになる。つまりイザヤはベツレヘムで生まれると予言しながらガリラヤからも生まれると予言していたのである(ともに第二イザヤ以前の予言である)。このように予言されていたのであればイエスがガリラヤで生まれたとしても予言的には問題がないことになる。
さらにナザレに住む妊婦は昔からナザレで出産する慣わしを守っていたという(『歴史の中のイエス』/ガーリア・コーンフェルト著/山本書店』)。子供が生まれると形式的な行事も行われていたらしい(『イエス時代の日常生活』/ダニエル・ロブス著/山本書店)。ナザレからベツレヘムまでは150kmほどの道程である。臨月にあったマリアが因習を破ってこの距離を移動するだろうか。ルカの人口調査の件はまた確認されていないので論外である。ナザレで生まれたとみるのが自然である。
だがダビデの子孫説を否定したからといってダビデの家系に属さなかったことにはならない。予言の間違いを指摘することと、家系の問題は別である。マタイとルカはアダムからイエスまでの長い家系図を引用しているが、この二つの家系図には共通の名がゾロバベルとサラテルしかなく、これでは証拠というより悩みの種でしかない。ここで登場するのが「ベツレヘムの星」なのである。『きよしこの夜』が流れてきそうなこのドラマティックな話にこの謎を探るヒントが隠されている。きわめて長い引用になるが全文を引用する。
イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。そこで王は祭司長と民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生まれるのかと、彼らに問いただした。彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこう記しています。『ユダの地、ベツレヘムよ。おまえはユダの君らの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。彼らは王の言うことを聞いて出かけると見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常に喜びにあふれた。そして、家にはいって、母マリアのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬などの贈り物をささげた。そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国に帰って行った。彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母を連れてエジプトへ行き、ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」ということが、成就するためである。さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基づいて、ベツレヘムとその付近の地方にいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。「叫び泣くおおいなる悲しみの声がラマで聞こえた。ラケルはその子らのためになげいた。子らがもはやいないので、癒されることさえ願わなかった」。さてヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった』。そこでヨセフは立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に帰った。しかし、アケラオがその父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。マタイ2章全文
この予言は次のふたつの予言が元になっている。
主はこう仰せられる。「嘆きの悲しみ、いたく泣く声がラマで聞こえる。ラケルがその子らのために嘆くのである。子らがもはやいないので、彼女はその子らのことで慰められるのを願わない」。エレミヤ書31:15
多くのらくだ、ミデアンおよびエパの若きらくだは、あなたをおおい、シバの人々はみな黄金、乳香を携えてきて、主の誉を宣べ伝える。イザヤ書60:6
マタイは、ソロモンをイエス、シバの女王(列王記上10:1-5)を三博士になぞえて脚色している。実話でないことは次の律法を読むと分かる。
あなたの神、主が賜わる地にはいったならば、その国国の民の憎むべき事を習ってはならない。あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。また占いをする者、卜者、易者、魔法使い、呪文を唱える者、寄せ、かんぬき、死人に問うことをする者があってはならない。主はすべてこれらの事をする者を憎まれるからである。申命記18:9-12
三博士は占星術に長けたバビロニアのマギ(祭司)とみられている。だとすると、主が忌み嫌う者たちだったことになる。律法学者がこの律法を知らないことは考えられない。タルムードの『ネズィキーン巻』(『タルムード』/三好迪監・宇佐美公史訳/三貴社)に「星辰崇拝」についての厳しい取り決めがみられる。実話なら律法学者が聖地に入ることを許すはずがない。無断で入ればすぐにつまみ出されていたはずである。これは完全にマタイの創作である。
実際この「創作」でのマタイの捏造には目に余るものがある。最後に「『彼はナザレ人と呼ばれるであろう』という予言が成就するためである」としているが、このような予言は聖書に存在しない。この予言が無くなるとナザレに移り住む理由がなくなってこの話は破綻する。封印が裏目に出た好例といえる。
ではヘロデの事件も創作なのだろうか。このヘロデの事件は多分にヘロデならやりかねないという憶測が基になっている。妻子でも情け容赦なく暗殺する猜疑心の強いヘロデなら自分を脅かすものはどんな些細な芽も許すはずがないというヘロデ像である。この事件が史実であれば、ベツレヘムは小村だったことから殺された子供の数は少なかったはずである。むろん数の問題ではないが、ヘロデの畜生的な蛮行の陰に埋もれて忘れ去られたということは無いとはいえない。出所は不明だが、J・リチョッティによるとこの噂がローマで流れていたという(『キリスト伝/ジョゼッペ・リチョッティ著/ドン・ボスコ社)。「火の無いところに煙はたたず」という諺があるが、ユダヤでなくローマで流れていた点にこの噂の真相が読める気がする。
実話であれば「キリスト降誕」の噂も流布していたと捉えなければ動機を失ってしまう。果たして占星術的な事件は起きていたのだろうか。むろん起きていたのである。全世界的な出来事だったといわれている。その一例が以下の記事である。
ローマ帝国では、ときの皇帝アウグストゥスが人間の姿をとったユピテル(木星)であり、終末のときの支配者である、と考えられていた。また、金星はアウグストゥスの属するユリウス家の星であり、土星は黄金時代を象徴するものであった。こうして、木星のできごとはアウグストゥスのできごとであり、前七年の木星の異常軌道は、アウグストゥスの生涯の輝かしい頂点を示すものと考えられた(『ローマ帝国とキリスト教』世界の歴史5/弓彫達著/河出書房新社)
前七年はヘロデの時世(B.C40~4)と一致する。当時のユダヤがローマの隷属国だったことを思うとこの話題がユダヤに届かなかったことは考え難い。ユダヤ人にとって終末の支配者はアウグストゥスではなくキリストである。アウグストゥスがキリストにすり返られて話題となっていた可能性は十分あり得る。
だが現時点では以上がこの問題の限界である。福音書は「予言」と「真理」のセットで成り立っている。真理を使えば因数分解的に解明できるのだがまだ真理を説く段階ではないのでこの問題は以上で留めることにする。
最後に家族構成について取り組むことにする。
処女降誕説が怪しくなってくると長男説も疑わしくなってくる。この問題は処女云々の問題ではなく長男の責任と権利の問題である。この問題はこの篩にかけて行わなければならない。基になる資料は福音書のあやふやな二つの家系図である。まずはマタイとルカの家系図を転載する。
ーエルウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、ヤコブはマリアの夫ヨセフの父であった。このマリアからキリストといわれるイエスがお生まれになった。マタイ1:15-16
イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳の時であって、人々の考えによれば、「-ヨセフの子であった。ヨセフはヘリの子、それから、さかのぼって、マタテ、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、-」ルカ3:24
長い系譜なので最後の部分のみを列記したが、見てのとおり祖父の名も曽祖父の名も違っている。福音書によると、イエスにはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダの男の兄弟と姉妹がいたという(マタイ13:55-56)。「大工の子」と記されていることからヨセフの職業は大工で、イエスも大工だったという見方が定着している。これがヨセフ一家の家族構成であれば次の出来事の身内はヤコブたちだったにちがいない。
イエスが家にはいられると、群衆がまた集まってきたので、一同は食事をする暇もないほどだった。身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取り押さえに出てきた。。気が狂ったと思ったからである。マルコ3:20-21
長男説を採ると、弟たちがイエスを取り押さえに飛んできたことになる。弟が人前で兄を取り押さえることは不自然なことではないにせよ、「取り押さえる」という強権的な表現には違和感を覚える。また当時のユダヤには従兄弟の概念がなかったことからヤコブらを従兄弟とみる向きがある。ひとつの考えとしては参考になるがこれだけではなんともいえない。
マタイの家系図はイエス長男説を否定する「確証」である。この家系図に因ってだれが長男であったのかが判明する。改めて引用するので祖父の名に注目してほしい。
ーエリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、ヤコブはマリアの夫のヨセフの父であった。このマリアからキリストといわれるイエスがお生まれになった。マタイ1:15-16
この家系図をみると、イエスの父はヨセフで、祖父はヤコブだったことが分かる。そして次の記事に因って長男が判明するのである。
イスラエルには家族名はなかったが、父親の名を継いだり祖父の名を与えたりして、その系譜が示された。例えば、ヨナの子シモンはベン(バル)-ヨナ・シモンという具合で、祖父の名が付けられるのは父親と区別するためで、長男に家系を示すために与えられた。(『聖書時代の生活Ⅱ』/左近義慈・南部泰孝著/創元社)
つまりヤコブが長男だったのである。父ヨセフと兄弟のヨセフは同じ名である。よってヨセフが長男だったことはありえない。だがヤコブは祖父の名である。父親のヨセフと区別するために祖父の名、すなわち「ヤコブ」が長男である「かれ(ヤコブ)」に与えられたことをこの家系図は示している。このように理解しないとこの家系図を継承する意味がない。よってルカの家系図は当時の因習に反した疑わしいものといわざるを得ない。ルカの家系図はヘレニスト(ルカ)とユダヤ・キリスト教団の対立から生じたものと思われる。以上のことからこの家系図を書き直すと次のようになる。
ーエリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、ヤコブはヨセフの父、ヨセフはヤコブの父であった。
実際イエスが長男であればマリアは必要ないのである。「ヤコブはヨセフの父であり、ヨセフはキリストといわれるイエスの父であった」で通じる。それを「このマリアからキリストといわれるイエスがお生まれになった」という書き方をしている。これでは長男か長男でないか判然としない。家系図はその名の男の子に家長の権利と重責を譲渡したことを表している。古代の厳格な家父長制の社会を無視したのでは家系図を取り上げる意味がないのである。
ここで視点をかえてみたい。
人間は社会的な動物といわれている。この「社会的な動物」という概念は「社会的存在」の同類とみなすことができる。辞書を引くと、社会的存在とは「社会の実存的な土台であって、社会意識を決定するものとみなされる」と記されている(『広辞苑』 第五版/岩波書店)。当時のユダヤでも長男の権力は絶大だった。財産分与の件だけでなく発言力や強制力でも他の兄弟を圧していた。特に土地や家系を守ることは義務だったのである。このような社会の中でイエス長男説は可能だろうか。男は十八位で、女は十五六で結婚することを美徳としていた社会で、長男が結婚もせず、子供もこしらえず、家族の面倒を放棄し、気が狂ったと思われるような身勝手な行動がとれるだろうか。またこのような者の教えに耳を傾け、敬い、信じる者が居るだろうか。この手のことがまかりとおるのであれば社会は無いに等しく必要もないだろう。イエス長男説は社会的存在の理念を無視した無理なこじつけとしか思えない。
ではヤコブはどうであったか。ヤコブは「義人ヤコブ」としてイエスの兄弟の中で唯一知られる著名な兄弟である。ヤコブはイエスの活動には否定的だったといわれている。イエスがナザレに戻ったときも冷たくあしらっていた節がみられる(ヨハネ4:16-30)。兄弟で取り押さえに来たときもその場に居たにちがいない。要するにイエスはヤコブには頭が上がらなかったのである。
復活したイエスが最初に現れたのもヤコブといわれている。イエスは真っ先にヤコブに復活を告げていた。伝説であろうが、この伝説が生まれたことにはそれなりの理由があるにちがいない。このヤコブがイエスの死後改心して「義人ヤコブ」となるのである。ここで注目すべき点は改心しただけでなくエルサレム教団の長老として責任者的な権力を振るっていたことである。あの豪胆なパウロでさえヤコブの意向を無視することができなかった(使徒行伝15:12-21)。エイセビオスの『教会史』を読むと使徒たちの存在はヤコブの威光の前で霞んでしまっている。福音活動に参加しなかった弟にこれほどの力がふるえるだろうか。「長老」という地位は弟に似つかわしい身分だろうか。兄とみた方が自然ではなかろうか。ヤコブが師のイエスでさえ頭が上がらない存在であれば、使徒たちにとっては脅威以外の何者でもないだろう。事実、エルサレム教団は「ナザレ人の宗派」ともみられていたのである(『荒井献著作集4』/岩波書店)。使徒の中にナザレ人は一人もいないのにこのようにみられていたとすると長老ヤコブの力がいかに大きかったかが分かる。
だが長男が地元を離れて移り住むことは当時の因習に反している。しかし家族からキリストが生まれたのであれば話は別である。家の名誉に関わるだけでなく、それが神の意思となれば家長が全責任をもって対処しなければならない。ヤコブに男の子が居ればその子に家督を譲れる。居たと仮定するとこのイエスの甥は大人だったにちがいない。イエスの理解者だったマリアはヤコブの上京に同意するだろう。長兄が弟を利用した勝手な真似を許さないために郷里からエルサレムに乗り込んできて目を光らせていたのでなければエイセビオスの記事のようにはならないのではなかろうか。
いずれにせよ福音書の記事を妄信するのであれば取り組む意味がない。また「封印」という観点からみても正しい姿勢とはいえない。イエスは長男でなければならないのだろうか。ヤコブの名誉のためにこのことを強く主張してこの章を終えることにする。