8話 策謀の渦とイケメンと
「あなたの謀ごとに、私も混ぜていただけないでしょうか?」
男、クロイツェルはそう、まるで朝の散歩を誘うかのような気軽さでそう声をかけてきた。
いきなり私の謀ごととか言われて、はいそうですか、と答えるわけにはいかない。
一応、今回会う予定の人のプロフィールはざっと頭に入っている。
えっと、クロイツェル・アン・カトルーゼ。確か貴族とはいえ形だけのもので、ギリギリその体裁を整えているだけの貧乏貴族。目立った功績もなく、領地も手狭。人徳はあるらしいけど、それだけじゃ海千山千の政治家どもと相手取るのは難しいだろう。
そんな場末の貴族が、どうして今回、私とお見合いができたかというと、ひとえにその“貧乏ぶり”ゆえだった。
要はこんな影響力の低い貴族たちは、ガーヒル連中など相手にしない。
けどその相手にされない貴族連中も、招集できればそれなりにあなどれない勢力になる。その旗頭になるだろう候補の1人がこのクロイツェルだった。
とはいえ、もちろんこれはほぼ滑り止めも滑り止め。もうどうにもならなかったらこの人でいいやレベルの人。
だから最後に回ったわけだし、あんまり意識してこなかったわけだけど……。
そんな男が、私の必殺プロジェクト“かぐや姫”を看破したというの?
待って。落ち付いて。
今のこの状況。要は開幕の先制パンチをもらったようなもの。こっちの動揺を引き出して、失言ないし会話の主導権を得ようとしているということ。
前パパならこう言うだろう。
『失言ってのは本当に怖いよ。舌禍事件とかって言うけど、失言しただけで辞職や議員人生終了なんてものも普通にあり得るんだ。口は災いの元っていうかね。とはいえ、何も答えないのもまた愚策。相手に主導権を渡してしまうと、あることないこと、さらにないことありえないことを真実のように語る彼らはもう止まらない。だからまずやること。それは――」
「はて、なんのことでしょう?」
しらを切った。
そう、まずは否定すること。違います。ちょっと何を言ってるのか分からない。見当違いです。記憶にございません。私じゃなくて秘書がやりました。
どんな内容にせよ相手の言葉を否定する。それが大事。
沈黙。それはつまり相手の意見を肯定すると同じことだからこそ、口を開かないといけない。
けどそれ以上はNG。
相手が何を目論んでいるのか、どこを狙っているのか。その落としどころが分からないままに無闇に反撃すれば下手な墓穴を掘る可能性がある。不要な誤解から揚げ足を取られることだってある。
だからやるのは1つ。
「何を言っているのか分かりませんが、ええ。お話は聞きましょうか?」
相手を促し話を聞く。そこから探る。何を言いたいのか。どこまで内容を理解しているのか。
それを聞きながら戦略を立てる。
それが前パパから教わった、問い詰められた時の緊急回避術だ。
「え、いや、困ったな」
だが予想に反して、クロイツェルははにかむようにして、困惑した声を出して天然パーマの髪をいじる。
「なにがでしょう?」
「いえ、そのように見つめられると、私としては……照れますな」
「…………は?」
何を言ってるの、この男?
1人目とか3人目とかと同じ系統? いや、でも邪な感じはしない。どちらかというと、本当に困ったような、それでいて真摯な印象を感じさせる言動だ。
「いえ、別に貴女を困らせようというわけではないのです。ただそう、おそらく貴女は今、かなり難しいことをしようとしている。その小さな肩に、重すぎるほどの責任を背負ったまま。そのようなお姿を見るのが忍びなく、そこに私がお力添えできたらこれ以上の幸せはないと、そう思っているのですよ」
ゾッとした。
それは別にこの男のくどいセリフに引いたわけじゃない。
喋りも声を張るわけでもないし、眼鏡の奥の瞳も穏やかなもの。
それでもゾッとしたのは、この男の真意がわからなかったからだ。
まさか無償の助力を願い出にきたわけもないだろう。その代わりに要求される何か。それが分からず、
うん。だってありえないもの。誰かの手助けをするってのは、必ずそこには目的があって、利益のないことはするはずがないんだから。前パパもそう言ってた。
だからこの男にも必ず狙いがある。そのはず。
なのにそれが見えない。
この私が。女神様の弱点を見抜いた私が、見抜くことができない。
「何が、狙いでしょう?」
1歩、踏み込んでみた。
あまりに遠まわしな言い方に、少しイラついたのかもしれない。
だがクロイツェルは優しく微笑み、
「いえ。私の狙いなど。ただ、あなたの記憶の片隅に、クロイツェルという愚か者がいたということを覚えておいてもらえればいいのです。先日のパーティでの貴女の姿。その凛々しくも勇ましいさまに、私は胸を打たれ――」
「嘘です!」
思わず叫んでいた。
この男は何を言ってるの。いえ、きっとこの微笑みの裏では愚かなとあざ笑っているに違いない。
『こっちは何もかもお見通しなんだ。もしその悪逆ぶりをばらされたくなかったら、言うことを聞くんだな』
そう考えているに違いない。
前の世界でもそうだった。
前パパの汚職疑惑が出た時、それまで近くにいた人たちは離れ、その代わりにやってきたのがこういった連中。普段は話すどころか近寄ることすらなかった下賤の輩。ある者は脅し口調で、ある者は耳当たりのいい言葉で「君の味方だ」みたいなことを言って。
そいつらの狙いは明白。
弱っている時に近づいて、根こそぎもっていく。あわよくば復帰した時に一番良い席を独占するため。まさにハイエナのような人種。
よくもぬけぬけと。いけしゃあしゃあと。
その甘いマスクの裏にはどうせ、人を食い物にして嗤う悪魔が潜んでいるに違いない。
所詮この男もハイエナと同じ。
胸が痛い。
顔が熱い。
多分、この男の図々しさに対する怒りでそうなった。そうに違いない。
「これは、申し訳ありません。エリーゼ様も色々な人に会ってお疲れなのに、私がぐだぐだとどうでもいいことを」
クロイツェルは心底申し訳なさそうに、また気遣うように平謝りする。
それも擬態。絶対。
「今日のところは帰ります。また、機会があればお話しさせていただけたらと。ええ、私など覚えていただければ幸いです」
忘れるものですか。この男には注意しないと。
「ええ、そうね。そうしてもらえる」
「では、これにて失礼します」
柔らかな笑みを浮かべながら、優雅にお辞儀をして辞去するクロイツェル。
扉が閉まるまで、私は男の背中を見続け、いや睨み続け、そして消えていくまで心が休まることは決してなかった。
それから入れ替わりのように今パパが部屋に入って来た。どこかウキウキしているようで、その足取りが軽い。
「いやー、クロイツェルと言ったか。すれ違ったがなかなかいい男だよ。下級貴族なのがもったいない。しかしお疲れさんだねエリちゃ……エリちゃん!? どうしたんだい?」
「な、なにがです?」
「そんな顔を真っ赤にして怖い顔して……まさかあのクロイツェルの野郎……!」
「違うの、パパ。……そういうのじゃ」
じゃあどういうことなのか。
それは自分にも分らなかった。
ただあのクロイツェルという男。
あの甘い外見に普通の子ならコロッとやられるんでしょうけど、私はそんなことはあり得ないですから。
さらに私の作戦を見破る智謀を持つのだからもう。
「注意しないといけないわね」
「やっぱり何かされたのか! くっそー、やっぱラスアィン家のやつは断絶させてやる!!」
「そうじゃないっての、このバカ親!」
「ガーン! エリちゃんにバカ親って……ま、親バカよりいいか」
いいのか。
もうこの親も良く分からなくなってきたわ……ああ頭が痛い。