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64話 たった1つの…

「違う! これは偽物だ!」


 広間に響くガーヒルの絶叫に近い否定。

 だが広間の空気は彼があげる熱に反比例して冷えていく。


 その視線に押されてか、ガーヒルが一歩、たじろぐ。


「な、なんなんだ。これは」


「ガーヒル様」


「なんだ、これは……これは、そう、捏造、そう、罠だ!」


「ガーヒル様」


「そうだ、貴様! この私を罠に嵌めようとしたな! それでこのような捏造を――」


「ガーヒル様!」


「っ……」


 これ以上の抗弁は不利と悟ったのか、ガーヒルはようやく口をつぐんだ。


 それをよしとしたのは、我らが国王陛下。

 悠然とした様子で私に向かって口開く。


「エリーゼ。それはどこで手に入れたのだ?」


「当然、ガーヒル様のお屋敷からですわ」


「そんな馬鹿な。そんなもの私の家にはない!」


「ああ、間違えました。イチノ国の大臣より頂戴いたしました」


「なっ……!」


 ガーヒルが愕然とした様子で立ちすくむ。

 同時に、周囲からもざわめきが走る。それも当然でしょう。イチノ国。それは今まさにこの国を襲った侵略者なのだから。


 けれどもその反応は想定済みのもの。私はお父様に視線を移して口を開く。


「イチノ国の大臣への調略。これはお父様が国王に許可を取り行っていたこと。そうですわね?」


「あ、ああ」


「うむ。これは内密ではあったが、私の認可の下に行われたことだ」


 いつだったか。お父様の書斎にあったイチノ国の大臣に対する書状。それを利用させてもらった。

 お父様は、これを国王にも内密でやっていた。もちろん、他国の情報を引き出し、それを外交上で有利に立つための工作だったわけだけど。

 やってることは国王に無断で他国の重臣との内通。バレたら売国奴として破滅の危機にあったわけだけど、それを逆手に取った。

 つまり、相手から好感触を得た時点で国王にそのことを報告させた。


 ただし、伝え方には工夫しましたけど。


『イチノ国の大臣数名が我が国に内通しようと“向こうから言ってきている”。万が一のためにつなぎを作っておくことにします』


 って。


 するとなんということでしょう。

 バレたら内通罪。死罪確定の最悪の状況が、敵を内通させた功臣に早変わり。


 これによってお父様の後ろめたい部分はなくなり、逆に国王の信任を得ることができた。

 そして、それが巡り巡って今回の策謀に帰結することになった。


「ガーヒル様。これはどういうことなのか説明いただけますか? これなどは、そう。5年も前の日付です。このころから内通があったということですわね?」


「そんなものは捏造だ。そう、私を陥れようとしている誰かの仕業だ。たとえば貴様とかな!」


「あら。そうでしょうか。この印章。これは貴家のものではないでしょうか。筆跡もあなた様のものと似ておりますが」


「違う、偽物だ! これは偽造されたものだ! 一体、何を理由に……」


「お忘れですか。先日までは、私はあなたの許嫁でしたのよ? あなた様からの情熱的で情緒的で散文的なラブレター。しっかり保存させていただいておりますわ」


 もちろん私が取っておいたわけじゃないけど。

 エリーゼも未練がましい子だったのね。こんな男相手に。


「ぐっ、そ、それも……」


「偽物、と言うのですか? つまり私との結婚はそもそも破断する目的で近づいてきたと?」


「ち、違う!」


「我が家に近づき、汚職の証拠を掴もうとしたのではなくて? そしてそれが見つからなかったがために、お父様を無実の罪でつるし上げた」


「そ、それは言いがかりだ! あれは本当に、本当だったんだ! そ、それにそれは今は関係ない!」


 子供みたいな反論ですわね。

 ま、確かに今この時点での話に関係ないのは確か。


 ちょっとお父様の面目を晴らしたい意味はあったけど。


「ではこちらに戻りましょうか。この相手。前から昵懇(じっこん)だったようですが、あらあら。このお名前、どこかで聞いた覚えがあらいますね。えぇと、ザーラド。誰でしたっけ? ああ、そうそう。つい先日、この国に攻めてきたお方でしたっけ?」


「う、あ……」


「この手紙。その末尾にこう書いてあります。これより1週間、選挙期間に入るため、我が国は貴国に手出しが出せません。どうぞ他国を攻める機会を忘れずに。自分が筆頭大臣となった証には、貴君と協力し――」


 ふと金属のこすれる音がした。


「うわぁ!」


 悲鳴。

 それに振り返り見れば、ガーヒルが懐にしまっていたらしい短刀を抜きさり、顔を真っ赤にして血走った眼を向けてくる。


「その手紙をよこせ、このクソアマ!!」


 突然の凶行に、誰もが唖然として、あるいはその近くにいる者は巻き添えを避けようと逃げ去る始末。


「っ、エリーゼ!!」


 お父様の悲鳴。

 それはこの世界に来た日。娘を殺された親が出した慙愧(ざんき)慟哭(どうこく)と音を一つにする。


 ああ。なるほど。

 ザーラドに剣を突きつけられた時に思ったけど、こういう時って本当に体が動かないのね。

 あの時はいきなりだったから現実が見えなかったけど、今は“ひょっとしたら”あり得ることだと思ってちゃんと心の準備はしていた。それでも確率としては低いと思っていたし、万が一の時はちゃんと逃げようという心持ではいたわけだけど……。


 うん。無理ね。

 あんな人間をやめたような狂乱した男に刃物を振りかざして迫られたら。足がすくむに決まってる。腰が抜けるに決まっている。


 けど。

 それでも。


 来ると分かっていれば対策ができるわけで。

 対策をしていれば動けなくてもどうにかなるわけで。


 だから――


「ダウンゼン」


 と、一言だけ。


「おうよ!」


 刃を持った男が、私の影と重なる。

 その直前。


 ケースを持ってきたダウンゼンが、その身をひるがえすと、手紙のいっぱい入ったケースをぶんと振り回す。

 そのケースが思いきりガーヒルの体にぶち当たり、持っていたナイフが弾かれる。


 その後は一瞬だった。

 のうのうと生きていたお坊ちゃまが、現場で筋肉な労働者に物理で勝てるはずもなく、あっという間に押さえつけられてしまった。

 それからすぐに衛兵が呼ばれ、ガーヒルを取り囲んでいく。


 私は駆けつけたお父様によってガーヒルから離されようとしていたけど、私はその場にとどまって彼の様子を見つめていた。


「くそ。なんでお前が……なんで生きてんだよ……くそ、俺が……俺がこの国を、影から支配してやる、つもりだった、のに……お前が、お前が!」


 ダウンゼンに抑えられ、醜く騒ぎ立てるガーヒルを見て思う。


 ああ。いつかこうなる時を目指してやってきたけど……なんというか。拍子抜けね。もっと感動とか達成感とかあるかと思ったけど、それとは違う。あるのは虚無感。なんでこんなことしてるんだっけという困惑。


 まぁそれでも。これできっと私の命が狙われることはもうないと思えば、それはそれでいいことなのかもね。


 何より――


「これがあなたが惚れた男の正体よ、ソフィー」


 部屋の奥に視線を向ける。

 そこには1人の少女が、恐る恐るこちらの様子を物陰から隠れ見ていた。

 国王に特別に許可をもらって潜んでもらっていたけれど。今、このガーヒルを見てなお、あのような陶酔を浮かべられるかというと、そんなことはなく、はっきりと怯えと軽蔑の視線をガーヒルに向けていた。

 ま、こんなのを見たら100年の恋も冷めるわよね。


 ああ。良かった。


 友達を助けられて。


 それだけが。この復讐劇で得た。

 たった1つの冴えない結果だった。

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