60話 エリ様イン・バス
「あ、あのエリ、さん! そ、そ、その……わ、私はもう帰ります!」
ソフィーが部屋の隅でギュッと自分の体を抱きしめるようにして縮こまる。
うぅん。この小動物な感じ。それこそギュっとして、わきゃっとしたいわー。
「まぁまぁ。これは私の不始末ですから。それとも自分の不始末に対し、何もしないまま帰すなんて。我が家の沽券にかかわること、許せませんわよ?」
「あ、はぁ……いや、でも」
「アーニィ。お客様のお召し物を洗ってあげなさい」
「はい、エリ様!」
アーニィが嬉々としてソフィーに襲い掛かる。ソフィーの抵抗虚しく、1枚2枚と脱がされていく。
そんな騒動を後ろに聞きながら、私も自らの着衣に手をかけた。
さて、なんでこんなことになっているか。
今、私は自宅に戻っている。
なんでって話でしょうけど、これには深いわけがあるの。
というのも、あのザーラド将軍に話した通り、降伏についてを国王に報告するため。
全然深くなかったわね。どうでもいいわ。
とにかく国王に報告のため、王宮にあがったのが今朝。
そこでの喧々諤々な時間の無駄の無駄話は、それこそ時間の無駄なので割愛するわ。何が起こったかは勝手に想像して頂戴。
というわけで、降伏か抗戦かのどうでもいい議論をすること数時間。手持ち無沙汰な私は先に家に帰されたのだ。
前線から戻ってきた私に褒美の意味で一度帰宅を許したのが1割、ここで私にへそを曲げられては前線に行きたくない暇人どもに白羽の矢が立つのは嫌だからなるべくご機嫌を取っておく意味が3割、これ以上私に国政に関わらせたくないというのが7割、今回の前線行きでガーヒル派にも揺らぎが出ているのを抑えるのが10割の打算と計算にまみれた温情で私は今、家にいるのだった。
まぁとりあえず1日の猶予はできたので、疲れたこの身を休ませようと思い、せっかくだからとランチをソフィーと一緒にしようと誘ってみたところ、すんなりOK。
ついでにガーヒル派の切り崩しの一環として色々おしゃべりしたいな、というのとこの小動物みたいで可愛い子を隅から隅まで愛でて精神の活性化を促したいという欲求から、必殺「あ、お茶をこぼしてしまってごめんなさい。服が汚れたわね。じゃあ一緒にお風呂に入りましょう」を発動して今に至る。
ただ、ここまで嫌がられるとは思ってもいなかったからちょっとてこずったけど。それでも脱衣所まで来て、さらに本気で嫌なら走って逃げればいいのに部屋の隅で動かないんだから、実は彼女も一緒に入りたいのかもしれないと思ってる。
この時代、というか世界。あまり入浴というのは一般に広まっていないらしい。あっても週に1回とか。それ以外はシャワーの要領で水をかぶって体を洗うというもの。お湯を張るというのがかなりの贅沢になっているらしい。
まぁうちはお金持ちだからお風呂あるけど。
ソフィーも貴族だけど、一応という名の金持ちではない貴族。
何度かお風呂に入って、その魔力を知ってはいるはず。
ガーヒルと婚約したといっても、実態がアレだから彼の家で入浴しているということもないだろうしね。
一度でもその気持ちよさを知れば、それを目の前でぶら下げられて平静でいるはずもない。
入りたいけど、何かの理由で入りたくない。その気持ちがせめぎ合っての部屋の隅での抵抗ってことでしょう。
ま、そんな抵抗。魔力と力技の前には無力だけど。
というわけでソフィーと一緒にレッツ入浴!
「あー……」
ただその推論は。
ただの思い込みでしかなく。
ただの自己満足でしかなく。
なんとも馬鹿らしくて。
なんとも人の心を知らない。
なんとも愚劣な配慮だった。
「あ、あの……あまり、見ないで……くだ、さい」
ソフィーが。タオルを体の前で隠すようにしたソフィーが肩を震わせて身を隠すようにしている。
その白く美しい肌――に刻まれた赤い筋や円の痕。
生まれつきのものではない。
――後からつけられた人工的なもの。
タトゥーといったものでもない。
――そんな芸術を感じさせるものでもない。
それは傷跡。
あの女の敵に刻まれた隷属の証。
ああ。そうか。
彼女はこれを見せたくなかったから、さらしたくない悲しいものだから、服を脱ぐのを躊躇したのだ。
私は見ていたはずだった。あの日。ガーヒルの家で。
けどその光景があまりのもひどすぎて、あまりにも現実味がなさすぎて、そういうものだとは理解できなかったというのが実情なんだろうけど。
本当に、私って幸せ者よね。
そんなことはない。ありえないとして意識から除外してしまった。
そんなことはないからソフィーがそういうことはない。
そんなことはありえないからソフィーに迷惑はない。
そう思ってしまっていた。
そう思い込んでしまっていた。
なんて愚か。
なんて無粋。
なんて…………人でなし。
いえ、違う。
否定する。私は否定する。
私も無神経だった。それは罪。認めましょう。
けど。その大本は。その根底は。その元凶は。
あの男の身勝手で自己満足で自己顕示欲の塊で最低な暴虐さ。
ソフィーには断れない。
家のこと、未来のこと、あの男のこと。
それらを総合して、自分が我慢すれば全てうまくいく。そう思ってしまったに違いない。
それはこの子が悪いわけじゃない。
彼女の純粋な優しさに付け込んで、全てを支配したがる男どもこそがすべての悪。
やっぱりあの男は許しておけない。
同時、この子には救われて欲しいと思う。
うぅん。けどどうすればいいのか。
分からない。
分からないけど、とりあえず今すべきことは分かってる。
「ごめんなさい。無理強いしちゃったわね。でもね、ソフィー。大丈夫よ。私はそんなことであなたを侮蔑しない。軽蔑しない。むしろステキな肌ね。何か特別なスキンケアしてる? 化粧水……ってないのよね、この世界」
「エ、エリ……様」
「ほら、また様になってる。呼び捨てでいいって言ったでしょう?」
「あ、う……はい」
「さぁ、そのままじゃ風邪ひくわよ。ほら、行きましょう」
「え、あ、でも……」
「いいから」
少し強引にソフィーを連れ出す。この子には少し強引な方が上手くいく。
その後ろでアーニィがソフィーの服を取りまとめて抱えあげていた。
「……では、エリ様。私はお客様のお召し物を――」
「何してるのアーニィ」
「え?」
「あなたも入りたいんでしょう?」
「え!? はい、あ、いや、えっと……」
「そんなのは他の誰かに任せて、一緒に入りましょう。うちの浴場は凄いのは知ってるでしょう? 3人なんて余裕よ」
「いえ、でも私なんかが……エリ様と」
「もう、いいから来なさい。じゃあこれ命令。ここ数日、色々動いてくれたアーニィにご褒美よ。お風呂に入りなさい。いいわね」
「…………は、はい!!」
喜色満面の笑みを浮かべてアーニィが頷く。
まったく。素直じゃないんだから。
すごい羨ましそうな顔して。それで入るなとは言えないわよ。
いやいや。使用人の不満をしっかりケアする。なんて理想的な雇用主でしょう、私。
それにしても。みんな、本当に不器用ね。
ま、それもまたそれで。いい人生なんだろうけど。私みたいに器用に生きるのも、それはそれで大変なんだから。
というわけでしばしの間。身と心を休めることにしましょう。
それが仕事を頑張った人に与えられる権利なんだから。




