59話 降伏の使者
敵が来た。
そう報告が来たのは、私が演説した次の日だった。
ああ、こんなことはさっさと終わらせたいものですわ。
ちゃんとお風呂に入って、ちゃんとしたベッドで寝たい。
けどそれは全てが終わってから。ここで嫌だからと投げ出してお風呂に入りに、ベッドで寝にいけば二度とそれはできなくなる。
その時のテンションに身を任せて滅びを招くなんて頭の悪いことはしない。
やると決めたらやる。
そう決めたから、今は川の水で体を拭き、近くの藁ぶき屋根で寝るのもよしとしましょう。
そういうわけで敵が見えたわけですけど、ちょっと早すぎる。いえ、遅すぎるというべきでしょうか。
はぁ、こうなったら仕方ありませんね。
「ダウンゼン、ちょっと一緒に来てくださる?」
「ん? いいぜ。エリと一緒ならどこまでも」
「そう言ってくださると思ってましたわ」
「エリーゼ様。私は」
「クロイツェル。あなたには少しお願いしたいことがあるので。これはあなたにしかできないことですから」
「そう、ですか」
クロイツェルは明らかに肩を落としている。私と共に行けなかったことが悲しいのだろう。
ダウンゼンは明らかに不満げだ。私に信頼しているように言われたのが悔しいのだろう。
はぁ、本当にめんどくさい2人。
ま、そんな人間をうまく使ってこその上に立つ人間なんでしょうけど。
というわけで色々と指図をしたうえで、私はダウンゼンと2人で馬に乗って移動を始めた。
2人の愛の逃避行――なんて気持ち悪いことはまったくなく、ただただ平地を行く。味方の陣地から、敵の陣地へと。
白旗をあげて。
「なぁ、エリ……」
「なんでしょう?」
「白旗ってマジ?」
「なんでしょう?」
「降伏すんのか?」
「なんでしょう?」
「ちょ、怖いからその生返事3連発やめて!」
はぁ。まったくこの男ときたら。
「当然、降伏はしませんわ」
「ほっ」
「けど降伏の使者として向かってます」
「すんじゃん!」
「あら、どうしてでしょう? 私は降伏の使者として向かっていますが、それが降伏を意味するものかどうかは定かではないでしょうに」
「ちょっと何を言ってるか分からないんだが……」
「分からないなら何も言わないでおいてくれると助かります。これでも死ぬほど緊張しているのよ。いえ、もしかしたら有無を言わさず殺されるかも」
「なっ!」
「だからあなたには私を守ってもらいたいの。最期になるかもしれない、私からのお願い……」
「エリ……」
ダウンゼンが感極まったような、何より喜びでこのまま飛んで行ってしまいそうな顔をして見つめてくる。はぁ。こんな仮初の言葉で浮かれないでよ。
とはいうけど、本当に問答無用で殺される可能性はある。
これは賭け。けど、きっと多分、そこまで分の悪い賭けにはならない。
向こうからしても無駄な犠牲は減らしたいはずだし、本当に降伏するならそれにこしたことはないから。
だから敵の斥候に捕まって、そのまま2人で連行されて、敵の本陣らしきところに連れていかれて、目の前に2メートルはありそうな巨漢が現れて、それが横柄な態度でこう言った時には勝利を確信した。
「イチノ国のザーラドだ。筆頭大臣の娘というのは本当か?」
「はい。ホルム・カシュトルゼが娘、エリーゼ・バン・カシュトルゼと申します」
答える声が震えた。
怖い。
この男。縦にも横にも大柄で、私なんて片手で握りつぶせるんじゃないかってほどだから、そんな人の前で啖呵をきることになればそうもなる。
それにその左右に並ぶのは、誰もがいかめしく、何より重装備で剣を履いた屈強な男たち。それらの瞳が私を貫くようにして見ているのだから、そこらの娘なら腰を抜かして何も言えないことでしょう。
と言いたいけど、どうやら私も人のことを言えないみたい。叶うことなら今すぐ回れ右して逃げ出したいもの。
ガーヒルとか連中とのやり合いとは異なる緊迫感。
あっちはまだ同じ国の人間で、その場で殺されるなんてことは考えなくてもいい。ある意味ではあそこでは安全な場所だった。
けどここは違う。一個受け答えを間違えれば、生きてこの場を出られない。そんな緊迫感のある場所。
小さく深呼吸。
大丈夫。できる。生きて帰る。それが私にはできる。きっと。いえ、絶対。
「……その男は?」
ザーラドの視線が私の右斜め後ろのダウンゼンを捉える。
「私の護衛兼従者ですわ」
「ふむ」
ここは嘘を言っても仕方ない。
「それで? 何のつもりでここに来た? 宣戦布告でもしにきたか?」
居丈高で高圧的な物言い。
すでに勝者の貫禄を身に着けている。
けどそれも仕方なし、か。
この国が政治ゲームに明け暮れて、地方の統治をおろそかにしていたのは間違いなく、そこを的確に突いて、しかも迅速かつ果断な奇襲により、この国は防衛体制を整える前に、この軍を奥深くまで入り込ませてしまった。
この罪は誰にあるのか、とは言わない。
けどそのせいで、そのおかげで、私は今ここにいるわけだし。一発逆転の策を狙えるわけで。
「まさか宣戦布告など。私が白旗をあげたという時点でそうでないことは賢明な閣下にはお分かりかと思います」
「……降伏するというのか」
「はい。閣下の迅速かつ果断な侵攻により、もはや我が国に抵抗は不可能。ここは無駄な抵抗を行い、無駄な犠牲を強いるよりはイチノ国と閣下の温情にすがり、せめてイチノ国の下でも王室は存続できるよう取り計らっていただければこれに勝る幸福はございません」
話しているうちに口が滑らかになっていく。ただ滑りすぎて不快なようにならないよう注意は必要。
「ふん。つまり我が軍に降伏すると? それは国の総意か?」
「はい。私は若輩ながらもこのことに対する全権を国王陛下より預かっております。こちらがその証のメダルとなります」
当然嘘よ。
いえ、国王より預かったこのメダルは本物。けどそれは『軍事の進退に関する全権を保証』されたもの。国の興亡を司る降伏に関する権利はない。
けどここで軍が敗ければ国は滅亡するしかないんだから、この軍事の全権がすなわち国の進退を決めるといっても過言ではないわけで全くの嘘と言うわけではない。
嘘を言っているわけじゃないから、私に動揺もなく、言葉によどみもない。
「…………」
ザーラドがじっとそのメダルを見つめてくる。これも本物ではあるわけだからそこに隙はない。
やがて、
「なるほど。その若さでとは思うが、そのメダルも本物のようだ。何より――」
パチン、とザーラドが指を鳴らす。
するとガチャリ、と金属音が鳴り、次の瞬間には左右の兵が抜き身の剣を私に突きつけていた。
あまりに一瞬のことに、状況の判断も何が起きたかも理解できない。彼らがちょっとでも剣先を動かせばどうなるかも。
ダウンゼンも反応できなかった。私なんかは当然、だ。
「度胸もいい」
いえ、あまりに突然すぎて言葉がでないだけだけど。
だってある?
こんな刃物を周囲から突きつけられる状況。
よくニュースとかで、刃物を持った相手に~とかがあるわけだけど。先に謝るわ。ごめんなさい。さっさと逃げればいいのにって思うけど、これは怖い。本気で動けない。なんなら意識を失いそうになる。
そんな相手の心情を慮らず、自分の要求を突き通す犯罪者。最悪ね。この男たちもそれと同列。
「それで? どう降伏する?」
「今、王都では新たなる支配者であるイチノ国の方々をお迎えするにあたり、城内を清掃しております。また各地の領地で反乱が起きないよう、貴族たちは一か所にまとめて軟禁。そのうえで元国王がここまで出頭する予定となります」
「うむ」
当然だと言わんばかりにザーラドが頷く。
「つきましてはあと2日。身を清め、出頭する元国王時間をいただければと思います」
「あの軍はどうする?」
「今、そこに集まりましたのは、降伏に反対する者たち。勇猛名高い閣下におかれましては一撃で粉砕するのも容易な弱小者ですが、あれでももとは私たちの同志。どうかここは閣下の温情にすがるほかなく、武装解除の上に解散させていただきたく存じます」
「それはいかんな。反逆の心を持つ者を許してはおけぬ」
「当然でございます。しかしもしここでかような者たちを許せばどうなるでしょう。閣下の慈悲深さ、情け深さは全国に広がり、閣下を慕い、集う者たちが後を絶たないでしょう。閣下の名声は天下に轟き、その業績は歴史に名を刻みましょう」
「…………」
もちろんあの軍が反逆の軍であるはずもなく、彼らに降伏する心は1つもない。
けどザーラドは受け入れる。それも彼のイチノ国でも立場のためだ。
今、イチノ国では軍閥派と民衆派で別れて争っているという。どこの国もそんなものね。それで彼の発言力を増させるためにも、こういった風評は何より効果的だ。
支配した土地の者から恨まれない。それにより彼にとっても確実な政治基盤が生まれるのだから。
その魅力に気づかない愚か者ではないはず。
「……………………なるほど」
1分ほどの沈黙の後、ザーラドはゆっくりと頷いた。
「その降伏の申し出を受け入れよう。2日。我が軍はこの場にて待つ」
「閣下の仁愛のお心は、我が国を覆うことでしょう」
口が曲がりそうなお世辞を言いながら頭を下げる。
あー、馬鹿らし。
ただ相手もさるものだった。
「それではお前はここに残れ」
そう言われた時に思わず声を上げそうになった。
さすがにそうやすやすと口車には乗らない。
「しかし私は元国王の先導を任されておりますので」
「そんなものは誰でもできる。お前はここにいて、国王の投降を待て」
やっぱりそうなるわよね。
降伏とあっさり言っても信じられない。だからそのための人質を置く。当然の処置だ。
けどここにいるわけにはいかない。
まだ色々とやるべきことはある。
「閣下。これでも私は軍使であります。閣下によるお言葉を伝えなければ、我が国は安心して降伏できません。この者に託してもよいのですが、この男の立場では誰も信じますまい。私が行って、私が閣下の言葉を伝えなければ納得は難しいのです」
「ふむ」
「あの反乱軍の処置もあります。かのものたちは閣下の目の届く位置にとどめ置き、かつその暴発を防ぐためには元国王の安全のためと私が直に説き伏せる必要がございます」
「なるほど」
「それに小娘1人がいなくなろうと何が起こるものでもございますまい。閣下の人徳にして豪勇。恐れるものはないでしょう」
「それもそうだ」
上機嫌でザーラドはうなずく。
はぁ。どこまで単細胞なんだか。
「気に入った。お前を妻にしたくなった」
そう言われた時には、頭を下げるしかなかった。
しかみまくりの顔を、この男に見せるわけにはいかなかったから。
まったく、どこをどうすればそんな発言に行きつくのか。気持ち悪い。デカいだけで頭まで筋肉の男が。一度鏡を見てきなさい。
それでも怒気と気持ち悪さと寒気と殺意を抑えて、なんとか言葉を紡ぐ。
「我が国が降伏すれば、その民も全て閣下のもの。その時はご随意に」
「ふふ。その言葉。覚えておけよ」
そうして許しを得た私は、逃げるように――いえ、本当に逃げた。気持ちが悪すぎて、1秒でも早くその場から逃げたかった。
「あの野郎、許せねぇ。よくも俺のエリに唾つけやがったな」
「誰もあなたのものじゃないし、唾もつけられてないから。でもよく我慢したわね」
「当たり前よ。あの場で暴れればエリが傷つく。それはなんだろうとやっちゃいけねぇよ」
その乱暴者の言い分で頭を抱えそうな理由だけど、なんとなくそれもまた嬉しかった。




