58話 エリ様の演説
敵はまだ動かないらしい。
3キロ先って言われるけど、数万の敵兵がいるなんてわからない。あるいは全部見間違いだったんじゃないかと思う。
怖くはない。
というのは嘘。
多分怖い。
多分なのはやっぱりどこか夢みたいな気がして現実味がないから。そこらにカメラが潜んでいて、ドッキリでしたー、って言うのを待ってるような気もするから。
だから恐怖も曖昧。
戦車や爆弾、ミサイルどころか鉄砲すらない世界。つまり弓と剣による原始的な殺し合い。それが数時間後か明日かにここで繰り広げられると思うとゾッとする。
さらにそれを自分が行おうとするのだから卒倒もの。
けどやっぱり現実味がなくて、全然想像もつかなくて恐怖も戸惑いも全て遠くへ押しやってしまう。
あるいはそれは、この戦いが戦いと呼べるものではないと知っているからかもしれない。
「皆さん、私は前筆頭大臣の一人娘、エリーゼ・バン・カシュトルゼです」
だから言える。
5千人の前に立って、戸惑いの中に殺気を宿す1万の怒れる瞳に向かって声を放つ。
「今、隣国が我が国に攻めてきています。その数3万。彼らは国境からこちらまで一気に侵入し、王都のわずか3日の距離まで迫っています」
全員に声明を出す。
そうクロイツェルに伝えて集めてもらった。
私の演説。
選挙でもなんでもない。これから死にゆく覚悟を持つ彼らに向かって放つ言葉。
「国境からこちら。かの軍は各地で略奪を働きながらもこちらに向かってきています。その様はまさに悪鬼の集団。さらにイチノ国は年がら戦いにあけくれ、その兵は精強。さらにイチノ国たっての英雄、ザーラド将軍がその軍を率いているとのこと」
兵たちにざわめきが起こる。それは正規兵も民兵も同様だ。
正規兵といってもあの貴族どもの下でのうのうと暮らしていた連中だ。それほど強くも、覚悟も決まっていないでしょう。
だからこそ動揺する。
クロイツェルがそんなことは言わなくても、って目をしてるけど、これは大事なこと。
まずは現状の確認。そして周知。報連相は現場の鉄則ですわよ。
それに別に絶望に突き落としてそのままということはない。
後々に活きてくることですし。
「皆さんの恐れる気持ちはわかります。皆さんの委縮する想いは分かります。私も怖い。向かって来る敵と殺し合うなんて恐怖の沙汰。誰だって殺したくないし、死にたくない。けど、それでいいのでしょうか」
声は武器だ。
言葉は力だ。
それでこれまでやってきた。
だから当然、ここでもそうするだけのことですわ。
「今、敵はこちらに向かっていると言いました。そしてそこで略奪が行われているとも。皆さん、聞いてください。彼らは略奪を行ってきているのです。それは麦も、肉も、家も、家畜も木材も――果ては人すらも。全てをやつらは奪っている。同じ国の人間としてそれでいいのでしょうか。反抗して、いえ、反抗をせずとも命を奪われた人もいるはず。それなのにこうして黙って見ているだけでよいのでしょうか」
扇動。
それは何かを命令して人たちに決起を促すようなことじゃない。
人々の中にある熱。それを煽って、風を起こして火をつける。つまり命じるだけでは動かない。
心の奥にある感情。怒り、悲しみ、絶望、同情、義憤、敵意。全ての強い感情に火をつける。
そのためには危機をあおること。
正しく現状を伝え、何をすればいいかを気づかせ、どうすべきかを納得させる。
そうすれば彼らは命じられたわけでもない、自らの力で動き出す。その動きは、嫌々命じられたものと異なり、自発ゆえに素早く力強い。
ええ、非道外道悪逆無道。なんでもいいなさいな。
これが私の戦い。
これが私の生き方。
そして、これが一番無駄なく勝つ方法。
さらにもう一押し。
「私も戦います。そもそもこのようなことは許されることではないのですが、それを防げなかった父上の罪。父の罪は私の罪。ゆえに私は1人でも戦います。しかし、私は武器の使い方も知らぬまったくの素人。それでは敵の侵攻を防げない。ですから皆さんにお願いです。どうか手を貸していただきたい。私と共に、悪逆なる侵略者を退ける力を貸してほしいのです」
そう言って頭を深々と下げる。
そのことに更なるざわめきが起きた。クロイツェルとダウンゼンも唖然としてこちらを見ているのが分かる。
この一押しが大きい。
1人の可憐で可愛らしく愛らしい無力な乙女が、たった1人でも戦うと言う。そんな姿に同情しない人はいない。
しかも貴族の少女という点も大きい。
彼らにとっては支配するだけの雲上人。顔すらも知らない人間も多いでしょう。
そんな人間が自ら戦うと公言し、さらに協力を頼んできて、あまつさえ頭を下げる。
彼らの論理からすれば、神が頭を下げたのと同義に見えるでしょう。
少なくともガーヒルのような連中ではありえない光景。ガーヒルたちには絶対できないこと。
だからする。
だってそうでしょう?
頭なんていくら下げてもタダ。外聞? 醜聞? そんなものどうでもいい。それで死んでしまっては元も子もないというのに。
名を捨てて実を取る。プライドなんて重たくて面倒なもの、捨ててしまえばこうも簡単に生きれるのに。
本当に男って……。
「皆さん。どうかお願いします。これは私だけの願いではありません。この国に住む全ての者、いえ、国王陛下も大事です。しかし、私は皆さんにも生きてほしい。何より、皆さんの家族、親戚、友達。彼らを守るために戦ってほしい。侵略こそ正義、奪うことこそ本義。そんな外道の連中に、その守る力を発揮していただきたい。けど無理はいけません。皆さんの命こそ、この国の宝。どうか勝って、そして生きてほしい。無理も承知で私はそれを願うのです」
ざわめきがしんと冷え込む。
それも当然。だって雲上人の人間が彼らの命、そして家族のことを思ってくれてると言われたのだから。
貴族にとって民衆は家畜も同然。兵だって都合のいい道具でしかない。貴族にとっては自分たち以外は人間じゃない。
だからこそあえて言う。
もちろん本心も混じってる。人が死ぬところなんて見たくもない。
けどこうはっきり言えば、彼らは認識する。私は他の貴族と違うと。各地から集まった兵はそれを全土に広めることでしょう。慈悲深く、情け深い私のことを。
あら、これって名も取ってますわね。
本当。なんで本心を言っただけでそうなるのに、あの愚かな貴族たちはそうしないのかしら。本当に男って(以下略)。
ああ、そうそう。それとは別にフォローをしておかないとね。
「当然、皆さんが怖いのは分かります。しかし、ここにいるクロイツェル様は王都で軍略を極めたお方。ダウンゼン様は怪力無双の一騎当千のお人。必ずや我らを勝利に導くと約束しましょう」
「え!?」
「は!?」
クロイツェルとダウンゼンが驚いた顔でこちらを見る。
それを兵たちに見えぬように睨みつける。黙っていろ、という意味を込めて。
「皆さん。敵はもうそこまで来ています。味方も続々と集まっていますが、ここはどうか。皆さんの力を貸していただきたいのです。私からの話は以上です。どうぞよろしくお願いいたします」
そして再び頭を下げて締める。
しんと静まり返った群衆。
来るか。いえ、失敗した? ううん。来る。熱が伝わる。だから――
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」
怒声が響いた。
5千の人間の、体の奥底からの発声に、思わず身が震えた。
心に火をつけた。
これならきっと、誰もが言うことを聞いてくれるはず。
と、その中でクロイツェルとダウンゼンが近づいてきた。
「あら、どうしました?」
「…………」
2人とも声にならない様子。先に口を開いたのはダウンゼンで、
「エリよぉ。前から思ってたんだけどよ」
「なにかしら?」
「お前って……とんでもねぇな」
「いえいえ、私は何もしてませんわ。ただお願いしただけ。そうでしょう?」




