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37話 支えるもの

 選挙戦が始まった。


 といっても誰も本格的な選挙というものをしたことがない。

 だから探り探りで結構アバウトな――というより、何も決まっていないまま始まった。


『それでは1週間後のこの時間に、次の筆頭大臣が誰が良いかを決める投票を行うことにする』


 という国王陛下の言葉であとは何も決まっていないのだった。


 これで本当にいいのか? という思いもあるけど、それは裏を返せば“なにをやってもいい”ということ。

 実弾(裏金)をばらまこうが、組織票を取り込もうが、票田を青田買いしようがなんでもござれ。公職選挙法? 何語ですか? というくらいに、人死にさえなければなんでもOKなバリートゥードの世界。

 しかも期限が1週間と、市長選挙並みの告示日の早さ。


 まっとうな選挙なんてやっていたら、敗けは決定のもの。


 しかもぶっちゃけて言えば、これはガーヒルとアード伯爵の反カシュトルゼの内部闘争よ。大量の票を買う必要はなく、どれだけ味方に引き込み、どれだけ敵から裏切らせるかが肝の一騎討ち。

 まともな選挙になるはずがない。


 ――そこが狙い目なんだけど。


「一応私も候補として挙がっている以上、何かしらのアクションは起こした方がいいわけで。ただ下手に動くと相手はこっちに狙いをつけてくる。だからここはまずは水面下で動いて、それから本格的に動き出すべき。うん、ということはまずやるのは敵の切り崩し。一方的になってはダメ。できるだけ互角に見せておいて、そこで横からかっさらうべきかしら。いえ、それより重要なのは相手にカウンターアタックを仕掛けるタイミング。あの2人を叩き潰して、こっちに味方を引き寄せるには――」


 コンコン


 ノックがした。

 ここは私の部屋。夜も更けた中を、机に向かってランプの灯りを頼りに選挙戦略を紙に走らせる。

 この世界。やっぱり電気がないのが不便だけど、なによりボールペンがないのが辛い。なに、羽ペンって。こんなのでどうやって書くのよ。私は文豪か。


 コンコン


 なんてつまらないことを考えていると、再びノックがした。


「誰?」


 といっても私の部屋に来る人は限られている。

 今パパか今ママ。あとは執事長のワルドゥか、メイドのアーニィ。

 そして今パパと今ママはノックなんてしないから、後者の2人のどちらか。そしてこの深夜に婦女子の部屋を尋ねるとなれば――


「アーニィでございます」


 扉の向こうからやっぱりの声が響く。


「鍵開いてるから、勝手に入って」


「失礼します」


 ガチャリと、重厚な音を立ててドアが開く。

 そしてアーニィが遠慮がちに一歩、部屋に踏み込んでくる。


「お嬢様、まだお休みになられていないのですね」


「ええ。やらなくちゃいけないことがたくさんあるもの」


 この1週間が勝負。

 時間はいくらあっても足りないわけ。


「しかし、お嬢様がそこまでなさらずとも……。それに寝不足は美容の敵です」


「これは私にしかできないことよ」


 そう。この家に、というかこの国に、今のこの選挙の未来絵図を描ける人間はいない。

 私も本職じゃもちろんないけど、前パパのやってきたことはずっと見てきた。だからある程度は分かる。選挙の辛さ、そして怖さも。


「それに、ここで負ければ……カシュトルゼ家は没落するわ。いえ、没落するだけならマシね。命もないかもしれないわけだし」


「そ、そうなのですか……」


 そこまでは考えていなかっただろう。

 いや、むしろそう考えているのはおそらく今パパだけだろう。そのうえで私に全部丸投げしたんだから、親バカというかバカ親というか。まぁ肝が据わってるってことにしましょう。


「そ。命がかかってるんだから、美容とか健康とかは二の次よ。この1週間で生き延びたら、100時間だって寝続けてやるわ」


「…………」


 言葉もないアーニィ。

 それほど切羽詰まった状況だとは思っていなかったみたいね。


「お嬢様。私は少なくとも、旦那様をはじめ、皆様に良くしてもらっています。平民なのに、このような屋敷に住まわせていただいて、お食事も出て」


「やめてよ。別に私のおかげじゃないし。あなたがその職場を勝ち取ったんでしょう」


「いえ、そんなことは……たまたま、運がよかっただけで」


「だとしたらその運を大事にしなさい。二度と幸運が来ないことだってあるんだから」


「…………」


 再び言葉を失ってしまった。

 けどそれは別にショックを受けたわけでもなく、どちらかというと覚悟を決めるために必要な沈黙だったみたいで。アーニィはやがて決意に満ちた顔をあげると、


「あの、私にも手伝わせてください」


「アーニィ?」


「旦那様や奥様、お嬢様たちが頑張っているのに、私だけ蚊帳の外でなにもしないなんてできません。クロイツェル様たちもお手伝いなさるのですよね。でしたら私も何か……いえ、お手伝いさせてください。お嬢様のすべきこと。そのお手伝いを!」


「…………」


 今度は私が言葉を失う番だった。


 これほど真摯な、そして真剣な瞳を選挙という泥と汚物が混ざった場所で見たことがあっただろうか。

 誰もが利権と出世、己の欲を満たすことでしかつながることがなかった人たちを思う。

 今で言うクロイツェルとダウンゼンも、言ってしまえばそれだ。


 クロイツェルは影響力の向上を。

 ダウンゼンは貴族とのつながりを。


 それで彼らは私の手伝いをしている。

 そしてそれは分かりやすい。だって利で繋がるのは一番裏切る可能性が低い。なぜなら利益があるから。


 けどこの子。

 アーニィの言葉は私には理解がしづらい。


 いや、一応彼女にも利はある。

 私たちが失脚すれば、彼女の衣食住と仕事がなくなり路頭に迷う可能性がある。

 だから手伝う。

 それはとてもよく分かる。


 けど彼女はきっと違う。

 別に負けてもいい。けど手伝いたい。それが彼女の希望の骨子にあるもの。


 ……面白いわね。


 不確定の要素。それを取り込むのは愚か者のすることだけど、これからすることのハードルの高さを考えれば、それくらいのことが必要なのかもしれない。


 まぁもともと彼女には何かしらやってもらうつもりだったし。


「いいわ。あなたにもやってもらいましょう。けど難しい、危険なこともしてもらうつもりだけど、いい?」


「……! はい!」


 その言葉を聞いたアーニィは、夜なのに太陽を浴びたような活気にあふれた顔をしてそう答えた。

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