36話 選挙事務所
「ったく、なんで俺が掃除なんて……」
「ほら、ダウンゼン! 動かすのは口じゃなくて手!」
「――っ! はいよ、お嬢様!」
私の叱責に、吐き出したい唾を飲み込んでダウンゼンは蜂起を――じゃなかった、箒を動かす。
「エリーゼ様、これはどこに?」
「ああ、クロイツェル。それは奥の段に飾るから」
「分かりました。ところで、この赤いのはいったい何なのでしょう?」
「知らない? ダルマよ。当選したら目に墨を入れるの」
「はぁ……炭、ですか?」
「そ、墨よ。……なんか違う気がするけど。ま、いっか」
「しかしエリーゼ様は色々なことを知っていらっしゃる。このダルマといい、これはなんでしょう。赤と白の、どこかおめでたいような。こちらの文字のように見える不思議な垂れ幕といいますか。気迫のこもった念を感じます」
「紅白幕に幟、あとはなんというか祈念必勝のポスターね。ちなみに書いたの私」
「なんとエリーゼ様が。未知の字体、誰かを呪殺しようと?」
「なんでそうなるのよ……。必勝祈願よ。必ず勝つ。そういう信念を表してるってわけ」
「なるほど、エリーゼ様の真なる目的を果たすため、未知の文字と文化を開発し、それを祀るということですね」
「なんかそう言われると恥ずかしいわね」
「いえ、ご立派です。その何にもかけて達成しようという強欲なまでの精神。見習いたいものです」
「褒められてる気がしないんだけど!?」
「おい、クロイツェル! なにエリとだらだら喋ってんだ! さっさと手伝え!」
掃き掃除を、彼のお仲間とするダウンゼンが怒鳴る。
はぁ。やれやれ。騒がしいこと。
ここ、15畳ほどの狭くて小汚い部屋を10人ちかい人間がバタバタと動き回るものだから正直顔をしかめたくなる。
なんでそんなところにいるのかというと、ここ、中央区から出た上町の一番中央区寄りの空き家を借り受けて、いわば選挙事務所を立ち上げようという魂胆。
場所としては申し分ないのだけど、いかんせん、かなり放置されていたらしく、まずは掃除が必須ということでダウンゼンの子分を招集して大掃除からの選挙事務所への改修が始まっているのだ。
あーこういう時はどれ――こほん、男手があると楽でいいわね。
「ところでエリよぉ。こんなとこでなにやんだ? だってやるのは大臣を決めるんだろ? 貴族様たちで勝手にやって勝手に終わる話じゃねぇか。俺たちどころか、ここ上町の連中も関係ねーよ」
そう。選挙といっても現代と違って、今ここは絶対王政の補佐役である大臣を決めるための選挙。
そしてその大臣になれるのは生まれながらの貴族だけ。そしてそれを決めるのも貴族だけ。つまり中央区に住む、人口の数パーセントしかいない連中が勝手に決めて勝手に就任するという、独裁主義の温床とも言える閉鎖空間で行われるものだ。
だから平民のいる上町に事務所を構えたところで、有権者は1人もいないわけだし、まったく意味はないといえる。
当然そこに狙いはあるんだけど、それが芽吹くのは少ししてからでしょうね。だから今は誰にも話していない。
「ま、それはそうなんだけど。ちょっと色々考えはあるから、のうき――あんたはとりあえず掃除してくれればいいの。ね? よろしく♡」
「ちょっと待て、エリ。今すっげぇいい笑顔で脳筋って言おうとした? 俺泣いていい?」
「ふふ、泣け泣け。めそめそ泣いて女子のごとく落ちぶれてしまえ」
「クロイツェル、てめぇくそ! てめぇこそ分かってんのかよ、エリがここでこんなことしている意味を!」
「ふっ。理由など君に聞かせる必要もないだろう。私とエリーゼ様が知っていればいいこと」
「え?」
私話したっけ? という視線をクロイツェルに送る。それは機密保持の面で困るというか、予想外というか。
もしかして私記憶喪失、あるいは夢遊病みたいな感じで彼に話しちゃったっけ!?
なんて視線を向けると、クロイツェルは少し焦りを見せて顔を背けてしまった。
「あっ、てめぇ実は何も知らねえだろ! それで知ったかしやがって!」
「ち、違うぞ! エリーゼ様。私はちゃんとわかってますから。どうぞこんな脳筋どもは掃除だけさせてとっとと返しましょう。私と貴女。2人いれば誰にも負けません!」
「あ、えっと……そう、ね?」
「てめぇ何が脳筋だ! てかやっぱお前も知らねーじゃねぇか!」
「ふっ。分からないのか。私とエリーゼ様は心で繋がっているのだ。ね、エリーゼ様?」
「えーと……」
「ほらみろ! エリが困ってやがるぞ!」
「ぐっ。な、なぜ……」
なぜじゃないわよ。なんでそこで私に振るのよ。しかも2回も。
ひょっとしなくてもクロイツェルも、ダウンゼンと同類? 同類項? 私、人選間違えた? はぁ。もうちょっと使い勝手のいい子、いないかなぁ。
「あ、エリがため息ついてやがる! クロイツェル、てめぇが変なこと言うからだろうが!」
「うるさい! お前が使いようのない馬鹿だからエリーゼ様は落ち込んでいるのだ! 分かったらさっさと出てけ!」
ぎゃーぎゃーと言い争いをする2人を、ダウンゼンの子分たちが少し離れた位置で恐る恐る眺めている。
はぁ。これからが大勝負だっていうのに。
これで本当に勝てる?
今更ながらに後悔し始める私だった。




