27話 バイアスの毒
久しぶりに見たガーヒル・バイスランウェイは、こんな人だっけ? と思わず感じてしまったほどにやつれて見えた。
うーん。多分変わってないけど、あまり見なかったからかな。正直、この男を目標としてきたけど、この男個人としては全く興味が湧かないのよね。なんとも不思議な感覚。
ま、せっかく久しぶりに出会ったんだから、一発先制ぶちかましましょうか。
「お久しぶりにございます、ガーヒル様。どうやらやつれたご様子。色々と働きすぎてお疲れではございませんか?」
「……ふ、ふふ。そんなものではないな。これでも毎日快眠で朝はすがすがしい気分で起床できているとも」
「それは重畳ですわ。かつての許嫁がお体を壊されたとなれば、心配してしまうものですから」
「…………」
ガーヒルの眼がきゅっと引き締まる。
その瞳の奥底に見える、どことなく暗い泥のような濁った色に、彼の私に対する憎悪が垣間見えた。
ふふ、こうでなくては。相手がこちらを叩き潰す気でいるからこそ、こちらも遠慮なく叩き潰すことができるというもの。
その覚悟をもって、まずは先手を打つ。
「ところでガーヒル様は、なぜこのようなところに?」
「なんの話だ?」
「いえ、ジュエリ男爵は中央区の警備を統括する身とはいえ、ガーヒル様とは爵位も年齢も異なり、あまり繋がりが見えないのですが」
「ああ、そういうことか。ジュエリ男爵は、父上と懇意にされていたんだよ。小さいころから世話になって、それでたまにこうして話し相手になってもらっていたんだ」
「そうだったのですね。私はとんと聞いておりませんが」
もちろんそんなこと、私が知るわけがない。とりあえずハッタリだ。
「さすがに許嫁としても、私的な交友関係を全てオープンにするわけではないだろう」
「さようですか。しかし、妻となる身としては、そういった交流関係も把握していなければと思うのです。万一、屋敷にお見えになった時に、好みの1つも聞いていなければしっかりともてなすこともできませんから」
前パパはそこらへん、前ママに一任していたから、どこもそういうところはあるだろうと踏んで、一歩踏み込んだ。
「ああ、そこらへんは式の後にしようと思ったんだよ。無用な心労を抱かせたくないからね」
「さすがガーヒル様。そのお気遣いだけで、エリは天に昇る気分です」
しないけど。とりあえず心にもないおべっかで、矛先をかわす。
「それより君もどうしたんだ? このような場所で、しかも他のウリッジ子爵らも引き連れて、先ほどの問答で少し聞こえたが何か起こったのか?」
「ええ。ジュエリ男爵が法を犯すようなことをしているという情報を得ましたので、こうして皆さまの協力を得て確認しにまいりましたの」
「ほぅ……」
ガーヒルが私の後ろ、そこに群がる30人の貴族の顔を1人ずつ眺めていく。
……捉えたかな。
「ここにいらっしゃる皆さんは、それはもう頼もしく。不慣れなことで分からずにいる私を色々と応援してくださいましたわ」
「そうか」
「ですからこれからもこの方々とは仲良くしていきたいと思います。できれば皆さんのお宅にお邪魔したいと思ってるんですけど、お邪魔かしらね。ええ、いいんです。ぶしつけなお願いしてしまっているのですから。ああ、なんでしたら皆さん一度、うちにいらしたら? 私の屋敷なら、ここにいる皆さんをもてなすことくらいできると思いますから。もちろんお父様に許可は必要でしょうけど、きっとお父様もお許しになってくれることでしょうし。ね?」
「…………」
ガーヒルの視線が冷たく、より冷たくなっていくのを感じる。
対して私の元に集まった貴族様たちは、冷笑と冷や汗を流しながらから笑いするしかない。
あらあら、どうしたのかしら。
私としては皆さまと仲良くお茶会でもしようかな、と提案しただけですのに。
なぁんてね。
こみ上げる笑みを必死に抑えながら、さらにガーヒルに対し提案する。
「どうです? ガーヒル様もぜひ皆さんと一緒に。ああ、他の懇意にしている皆さまも呼んだ方が――」
「いや、結構。これでも私は忙しい身でね。女子供の気楽な遊びには付き合っていられないのだよ。弱小貴族たちの媚売りにもね」
かかった。
確実にガーヒルは私の仕掛けた罠にはまった。
『確証バイアスって言葉を知ってるかな、琴音ちゃんは? ある物事に対し、先入観や仮説を信じ込んでしまって、それを絶対的に自分の判断が正しいと思い込んでしまうことだよ。たとえば『パパは汚職議員という噂』があるとする。それを情報として受け取った民衆は、たとえ反対意見や証拠がないにしても“すでにそういう風に見えてしまったのだからそうなのだろう”という風に捉えてしまう。一種の思考の放棄だね。これは政治をやるなら実に気を付けないといけない。逆に、これを意図的に発することで、情報を操作することもできるから覚えているといいよ』
前パパの言っていたのはまさに今のこの状況。
彼ら集まった貴族さまたちは、中小はあれどガーヒル派――もとい反カシュトルゼ家という立場をとる貴族だった。
それが今回の事件があったために、身の保全のために一時的に手を組むことにした。なんだかんだいっても大臣の家名は強いからね。
彼らの魂胆なんてその程度のもの。
だからこの一件が終わって明日になれば、いや、ここで解散して家に戻ってみればその時から彼らは節操なく再び反カシュトルゼ家の旗を掲げるだろう。
今私がどれだけ恩を売ろうが、ああいった輩はそんなものに唾を吐きかけて去っていく。
本来だったら。
けれど今、ガーヒルを前にしてその未来は成り立たなくなった。
なぜなら私が彼らと仲良しで、一緒に行動していることを反カシュトルゼ家の筆頭であるガーヒルが見てしまったから。
ガーヒルからすれば、一応自分の一派である連中が、あろうことか敵対するカシュトルゼ家の一人娘と仲良く、味方を追い落とす真似をしてしまったのだ。彼からすれば完璧な裏切り行為でしょう。
そうなれば本来あるべき姿、一時的な提携でしかないことなど無視して、都合の悪いところだけを抽出して事実としてしまう。ガーヒルに確証バイアスがかかったってわけ。
そうなれば彼らはもう反カシュトルゼ家にはいられない。いたとしても、主柱となるガーヒルからは倦厭され、仮に今パパが失脚しても権力のおこぼれを預かるような身分ではなくなる。
では彼らに未来はないかといえばそうではない。
そう、私の派閥に鞍替えすること。
味方がほとんどいない私たちに味方すれば、勝った時に序盤から味方についていた彼らにその一事だけで大きな顔ができるようになる。
「では仕方ありませんね。皆さん、おって招待状を出させていただきますので、是非いらしてくださいね」
とは言っておくけど、副音声は、
『ガーヒルについて冷や飯を食い続けるか、こっちに鞍替えして勝った時の莫大な褒賞を得るか、しっかり考えておいてね?』
というもの。
30人のうち8割ほどが顔色をサッと青ざめさせた。残りの2割は何もわかっていないのか。あるいはじっくり考えて後で決断するのか。それでも離れていくなら、それほどの人物じゃなかったということでどうでもいいわけで。
そんなわけで、反カシュトルゼ家のうち30家を、盟主であるガーヒルの目の前で離反させてやった。
そう、ジュエリ男爵なんて生きがけの駄賃。道端の小石。
本当の目的は、彼ら30家を味方に引きずりこむこと。そして、もう1つの副次効果も狙う。
ふふふ。今どんな気持ちかしら、彼。
「事は済んだのだろう。では私はもう失礼する」
そう言って足早にこちらに来るガーヒル。
その顔には余裕もなく、すれ違う際に熱のこもったおぞましい視線を向けてきたわけど。
まぁつまり、完全に副次効果が発動してるわね。
この副次効果というのが、馬鹿にならない。
彼は今、目の前で鮮やかな(自分で言うとちょっと照れる)裏切り劇を見せつけさせられたのだ。
ただ私は撒いた。他の者にも調略の手が伸びていることを。
実際はそんなことしたことないんだけど、そうだというバイアスがかかれば彼はもう誰も信じられない。疑心暗鬼の渦中だ。
そうなればどうなるか。これは歴史を紐解かずともお分かりでしょう。
あとはただのんびりと、彼が孤立して自滅していくのを待つのみ。
「ええ、またお会いしましょうガーヒル様」
私は去っていく彼の後ろ姿に対し、しずしずと頭を下げた。