20話 エリ様無双
ダウンゼンの出した彼らの要求。
そのうち2つは当然受け入れられない。
今パパが失脚すれば私も当然お払い箱。ガーヒルらが権力を握るとなれば、あーだこーだ難癖付けてカシュトルゼ家を潰すくらいのことはする。
そうなったら私は死ぬ。
だって今こうして生きながらえているのは、この屋敷と警備の人がいるから守られているからで、そしてカシュトルゼ家令嬢という立場がそう簡単に手出しできないからで。
それがなくなったら、あの男は嬉々として刺客を送り込んでくるだろう。完ぺきに私を殺すために。
というか今置かれている状況は、その一歩手前なのよね。本当ギリギリ。
ただ分からないのが最後の1つ。
下町浄化法案の廃止とか言ってるけど、そんな法案は知らない。いや、知ってはいる。あのガーヒルが語っていたアレだろう。
「その浄化法案っての、なんなわけ? パパが実行したみたいになってるじゃない」
「あー、それあれだ。こないだ言ってたじゃんか。それがヤバいってんで、他の奴らに喋ったんだけど……」
「あんたが話したの?」
「わ、悪かったか?」
「はぁぁぁぁぁぁぁ」
もう、なんてことしてくれたの。
せっかくガーヒルを追い落とす武器の1つが吹き飛んだわ。しかも身内の裏切りで。やっぱこいつはダメね。全然ダメ。胸板とかそれどころの問題じゃないわ。
「あ、あの。なんでそんな死んだ魚を見るような目を?」
「別に。もう二度とあなたを信用しないって決めただけだから」
「ごめんなさい! やめて! 俺を見捨てないで!!」
ダウンゼンが身を乗り出して、私の両肩を掴んできた。
力加減を無視したその抱擁に、一瞬顔をしかめたけど、痛みは奥歯に持って行ってキッとダウンゼンを睨む。
「貴様!」
門番が血相を変えて飛び出そうとするのを、手で抑えた。
「痛くてよ、ダウンゼン?」
なるべく自然に、やんわり諭すようにして語り掛ける。
そして肩に乗せた彼の手に、静かに手を重ねる。
「あ、す、すまねぇ……」
慌てて両手を離したダウンゼンは、叱られた子犬のように小さくなってしまった。ちょっと可愛いじゃない。
ま、いいでしょう。別にこの法案が駄目になったからといって、それがすぐガーヒルに届くわけじゃないのは分かってる。
そもそもあの法案に反対することは民衆の世論を味方につけるためであって、ダウンゼンがこうして今ここにいること。それにここにいる平民たちを“今この場で”仲間にできることを考えればさほど重要じゃなくなった。
というわけで、まずはダウンゼンからもう一度“丁重に”“優しく”“心を込めて”お願いしましょう。
「反省してる?」
「あ、ああ! 反省だ。俺としたことが、女に手をあげるなんて……」
「初めて会った時に滅茶苦茶殴られそうになったけど?」
「あ、あれは……その、寝起きと酒の勢いというか……」
「ふぅん? じゃあもうしない?」
「当然だ! 俺は女子供に優しいダウンゼン様だぞ!」
知らないけど。
「じゃあ私に暴力振るわない?二度とつかみかからない? 約束できる?」
「ああ、約束する!」
「私に勝手につかみかからない?」
「ああ、約束する!」
「私に向かって怒鳴らない?」
「ああ、約束する!」
「私のために身を粉にして働いてくれる?」
「ああ、約束する!」
はいドーン。ちょっろー。
「そ、じゃあよろしくね? 言質取ったから」
「……ん? って、えぇ!? な、なんじゃそりゃあ!?」
ダウンゼンが腹に銃撃を受けたように叫ぶ。
「ほら、もう怒鳴ってる。女子供にやさしいダウンゼン様は男に二言があると?」
「ぐっ、ぐぐぐ……わ、分かった! お前のために働いてやる!」
「じゃあ早速働いてほしいんだけど」
「人使いが荒い!?」
「それだけあなたを信用しているってこと。それじゃあ不服?」
「ムムム……わ、分かった」
「そうじゃあ、あなたがこのデモ隊を解散させること」
「それはやる。やってみせるぜ」
「けどそれでバラバラになったら意味ないから、各地域の代表の首根っこは掴んでおいて。またガーヒルから誘いが来るかもしれないから、その時は必ずあなたに一報すること。再発防止よ」
「もちろんそうさせてもらうが……それでも俺はともかく、あいつらに期待するのは辞めといた方がいいぜ。あいつらは貴族なんて誰もが一緒だと思ってる。そうなりゃお前を売るような奴だって出る」
「それは今から説得するからいいわ」
「え、説得? 今から!?」
「通して」
わたしはダウンゼンを押しのけて門のギリギリまで歩を進める。
そこにいるのは数百人の民衆。その誰もが私に緊張と猜疑と警戒と怒気の視線を向けて来る。
やれやれ、ここまでやらないといけないなんてね。
ま、人心掌握と民心操作はお家芸。派手にやらせてもらおう。
「わたくしはカシュトルゼ家の跡継ぎエリーゼ・バン・カシュトルゼよ! 私の声が聞こえる!」
叫ぶようにして声を出す。
それで聞こえないなんてことはないように。そして他の人にも聞こえるように。奥の方の人じゃない。後ろにいる今パパ、そしてうちの周辺に家を持ち、この状況を楽しんで、あるいは怯えて眺めている馬鹿どもに。
「あなたたちの訴えは聞いたわ。そこで私は以下3つの政策を国王に掛け合うことをここに約束するわ! 1つ、現在の税を半額にする。1つ、下町の人道復興支援を行うこと。1つ、他国からの侵略に対し警備の兵を郊外にも置くこと」
集まった民衆からざわめきが起き、それがどんどんと広がっていく。
それは感動というより、毒の効果が広がっていくのと同じ。
だからそれをさらに広げる。
「わたしみたいな小娘が夢物語を語ってると思う? 笑いたければ笑いなさい、侮蔑したければ侮蔑しなさい。それでもわたくしはやる。なんてったって、現大臣様の娘だからね。あー、パパが失脚したら、この政策も霧散するしかないわねー。残念だわー」
ざわめきがさらに強くなる。
そこにあるのは困惑。戸惑い。憂い。
今私が言っていること。それに対して彼らは必至にない頭を働かせている。
本当にそうなのか? 信じていいのか? あるいは信じたほうがいいのか? 都合がよすぎないか? 反対した方がいいのか? チャンスだと思った方がいいのか? これ以上私をいじめない方がいいのか?
彼らの、こういった駆け引きを使い慣れていない頭は情報と感情の渦に巻き込まれて飽和する。
だから小難しい話はここまで。
あとは単純で明快な答えを提供する。
それだけで民衆は納得する。
「というわけで、私はその対策に忙しいから。今日のところは解散。あとはここのダウンゼンに相談して。彼があなたたちの代表。そして私との連絡の架け橋になるから」
「はいっ!?」
後ろでダウンゼンが素っ頓狂な声を出したのを、じろりと睨みつける。。
『私のために身を粉にして働くって言ったわよね?』
その言外の圧を含めて。
するとダウンゼンは盛大にため息をつき、
「おい、お前ら! こうしてお嬢様が訴えを聞いてくださった! さらに行動を約束してくれた! ならここはこのお嬢様を、いや、カシュトルゼ様を信じてみようじゃねぇか! そうなればこの訴え、俺たちの勝ちだ! さぁ、帰るぜ!」
きっと今頃、ガーヒルは歯噛みしてるだろうなぁ、とぼんやりダウンゼンの演説を聞きながら思う。
あの男。もっと騒動が過熱して、その責任を今パパに負わせるつもりだったんだろうから。ざまをみろよ。
「おい、あんな約束してよかったのか?」
民衆がぞろぞろと帰っていく中(そこでようやく警備の人たちがやってきて、エリアの外に追いやった)、ダウンゼンが小さく聞いてきた。
「約束って?」
「ほら、減税とか復興支援とか。その、アード伯爵のより弱いというか」
「え? そんな約束した?」
「ちょ、おま……」
「だって私がしたのは“国王に掛け合う”ところまで。実現するかどうかは国王次第。それが王政ってものじゃない? まさか私が言ったからって即実現なんてありえないでしょ。違って?」
「…………」
「なによその目は」
「いや、なんていうかさ」
「遠慮なく言っていいわよ。私しか聞いてないから」
「じゃあいうけど……お前、最悪だな」
「ありがとう。最高の誉め言葉よ」




