18話 騒動
外から聞こえるのは人の声。それも怒声といったたぐいのもの。
ここ中央エリアは貴族様の住処、何より国王のいる王宮もあるので警備は万全。貴族しかいないこの居住区で、言い争いなんて(他者への見栄もあって)ありえない。
だから基本静かで策謀を巡らすのにはちょうど良いところだったんだけど。
今回のはどうもおかしい。
何か起こったのだろうか。
私は別に野次馬根性とか、噂好きとかでもないから、何かが起こっても興味をもって覗いたりはしてこなかった。
けどこの世界に来て、そういった考えは少し改めなければと思った。
ここはSNSもなければカメラもない。物を調べるには書物を漁るか人づてに聞くかしかないのだ。
そういった情報収集が難しい世界において、野次馬根性というのは決してネガティブなものではないと知った。
もとよりこの喧騒。どうやらうちのすぐそばで起きてるみたい。もしかしたらうちに関連する何か重大なことが起きているのかと思うと、それを知ることは何より現状においては重要なわけ。
というわけで自室を出て階段を降りる。
玄関ホールには誰もいない。いつもなら執事のワルドゥか警備の人がいるはずなんだけど。
不審に思いながらも玄関の扉に向かって階段を降りる。
「あ、エリお嬢様!」
あと数歩で扉というところで呼び止められた。
顔を振り向けてみればなんとアーニィだった。
……いえ、ノリで言ったけど、別に“なんと”じゃないわね。メイドだし。ここにいるのは当然。
今は先日、下町に出た時みたいに変装していないので、ザ・メイド服に身を包んでいた。もちろんメイド喫茶みたいなミニスカートじゃなく、給仕服って感じだけど。
ただいつにもまして何やらおろおろしているのが気になる。
「何かあったの、アーニィ?」
「え、いえ、あ、その、えっと……」
「そう。じゃあ後で教えて」
「あぁぁぁ! エリお嬢様!!」
私が扉に手をかけようとしたところで、奇声を発してアーニィが腰に向かって飛びかかって来た。
その前の奇声でびっくりした私は、それを避けることも出来ずにタックルをくらい、そのままドアに背中を打ち付けた。この子……馬鹿力!
「だ、ダメです! 今、外に出たら……」
「外? うるさいけど何かあるの?」
「え、えと、いえ。そのなんでもないんですけど……」
「そう。じゃあ出ていいわね」
「だ、ダメです! それは!」
「でもなんでもないんでしょう?」
「大したことないんです! でもダメです!」
「意味が分からないわね」
はて困った。まったく訳が分からない。
けどアーニィはガッシリと私を腰から掴んで離さない。普段力仕事をしているからだろう。かなりギリギリと締め付けて苦しい。
「何の騒ぎ……お嬢様」
そこへ執事長のワルドゥがやって来た。
どうやら私がいることにおどろいているよう。
「ああ、ワルドゥ。これ、どうにかしてくださる?」
「お嬢様が部屋に戻っていただけるなら」
「ふぅん。つまり、それほど私に外に出てほしくないのね?」
「…………」
ワルドゥは少し考えるように顎に手を当てて答えた。
「はい、旦那様からそのようにしろと」
「今パパから?」
「ええ」
「今パパはどこにいるの?」
「書斎にこもっておられます」
「つまり今パパも外に出ちゃいけない状態ってこと」
「そういうことです」
その言葉にはどこか含みのあるように思えた。
それは『気づいたのなら黙って従っていただきたい』という意味が言外に込められているような。味な言い回しを。
つまり、そういうこと。
外では何かしら今パパに対して不都合なこと――まぁ多分デモとかカチコミとかそういうタイプのものが起きているようだ。
何が狙いか。そんなもの決まっている。今パパの不祥事に対する突き上げだ。
つまりガーヒルたちの謀略が火を噴いたということみたい。今更だけど、遅すぎもない。私の準備が整う前に攻撃を仕掛けてきたってことだから。
なるほど。だから今パパは居留守を使って、その間に警備やワルドゥらがその対処に当たっているみたい。
そこにのこのこと、何も知らない令嬢が外に出れば、せっかくの処置が裏目に出るということだ。私の身の危険もあるけど、私がいらない言葉を滑らせてしまうことを恐れているのかもしれない。
なるほど。なるほど。
なるほど、ね。
「分かったわ。すぐに部屋に戻るわ」
「お分かりいただき感謝いたします」
「アーニィ。分かったから手を放して」
「え、で、でも」
「部屋に戻るのに、この状態じゃ無理でしょう? それともあなたがこの状態で運んでくれる?」
「え、あ、い、いえいえいえ! そんな恐れ多い。はい、すみませんでした!」
うろたえた様子でアーニィが離れる。
うん、もうちょっと。
「アーニィ。あと3歩下がって」
「へ? あ、はい。分かりました。えっと、1、2、3……歩です!」
“歩”で4歩離れたけど、ま、いいでしょう。数に問題があるわけじゃない。距離が稼げればそれでよかった。
それじゃあ――
ガチャリ
後ろ手でノブを回した。
同時、跳ね飛ばす勢いで扉をあけ放ち、そのまま一歩。振り返って前に出る。
「エ、エエエエ、エリお嬢様ぁ!?」
「な、なにを!?」
アーニィとワルドゥの悲鳴が聞こえる。けどもう遅い。私は外に出た。
玄関の先。十数メートル先まで続く庭にはこの家の警備を行う兵隊の格好をした方が複数人。それらがすべて門に群がる人に注意を注いでいた。
その彼らの視線が門から屋敷の方へと向く。
もちろん、私の足音に気づいてだ。
そして制止しようと前に出る兵たちを、睨みつけて制止する。
せっかくの大舞台。邪魔されちゃ興ざめだもの。
それに、少し怒ってます。
誰に?
今パパとワルドゥよ。
なに? 私が出ていったら騒ぎが大きくなると思ってる? 私を誰だと思ってるの? ……ま、誰でもないんだけど。
けど私がそういう評価をされたというのは腹立たしい。
“たかが”デモやカチコミごときに腰が引けて何もできない子供だと思われてるのが腹立たしい。
というわけで玄関から門にたどり着くまでの数十秒。
私は殺意を込めた視線で、警備の人たちを黙らせながら歩く。
そして門が近づくにつれ、その向こうにいる人、人、人。見える限りで30人。それ以上がきっと塀の外に群がってるに違いない。
その中で門に群がる蛆虫のごとき下品で知性のなさそうな男女もが、私に気づいて口よ裂けよとばかりに罵声を浴びせてくる。
まったく。うるさいだけで内容も何もない。きっと頭の中も同じように何も入ってないのでしょう。哀れな人。
強圧的な視線に、掴んだ門をがしゃがしゃと鳴らす様は、まるで動物園の檻の中の猿。
仕方ありませんわね。ガーヒルら貴族に踊らされて、自分たちが何をしているのかすらもわからず騒ぐだけの類人猿どもに、言葉というものを教えてあげましょうか。
だから私は門から1メートル離れた位置に仁王立ちして、猿どもに言い放つ。
「静かになさい。エリーゼ・バン・カシュトルゼ。この門の前で騒ぐのであれば、しかるべく処置を国王陛下の名のもとに断じます」




