16話 マッド・ティー・パーティ
「ど、どうぞ……エ、エリさ、ま」
ソフィーが手にしたティーポットからテーブルに置かれたカップに紅茶を注ぐ。
白のティーカップに、透き通った濃褐色の液体が満ちていく。そのさまは純白のキャンバスに描かれた日の出を思い起こすような鮮やかなものだった。
「ありがとう。でも“エリ”でしょう?」
「あ、は、はい。エ、エ、エ……」
ソフィーがガクガクと震えるから、ティーポットから紅茶が零れ落ちないか心配だ。
まったく。そんな怯えられても。
だから取って食いやしないってのに!
まぁあっちからすれば、許嫁を寝取った相手が報復に来たって見えるのかもしれないけど。
私は今、ソフィー家の庭でもてなしを受けていた。
狭い庭に引っ張り出してきた円卓とチェアーを並べた即席のお茶会。
別にそこまでしなくても立ち話でいいって言ったのに、これだけはと言って譲らなかったので仕方なくもてなしを受けることにした。
注がれた紅茶。ティーカップを取り、鼻腔に香りを含ませる。
うん。いい香り。ダージリンともマリアージュとも違う、どこか鼻にくすぐるようでそれでなお脳を洗うような心地よさを感じさせる。おそらくこの世界独自の茶葉なんだろう。
今パパも紅茶には凝っているらしく、一度その値段を見たけどそこそこの値段はしていた。
それをお金に困っているだろうソフィーが出してくれたのは、精一杯のもてなしをしたいからということ。
前パパは言った。
『おもてなしこそ、相手を取り込む最も安上がりで最も効果的な戦術だよ。けどもてなしというのは、ただやだ豪華にすればいいものじゃない。派手過ぎても見栄を張っているようで鼻につくからダメ。かといって質素にすぎるのもNGだ。自分はそんな大切に思われていないのか、と思われるからね。だからそのギリギリ。無礼でも不遜でもない、ラインを攻めるのが一番だよ。けどもし、何をしたらいいか分からなくなったら、誠意を見せればいい。真摯なる思いは誠意に宿る。相手の心をもてなす。かの千利休の心、それに勝るおもてなしはないからね』
ふむ……つまり私は今、取り込まれようとしているのね。危ない危ない。
さすがあのガーヒルの嫁に選ばれた子。気を付けないと。
ソフィーはびくびくとしながらも、ティーポットをテーブルに置くと、私の前にちょこんと座った。
そして身を小さくしてびくびくと震えながら視線を左右に走らせる様は、本当に小動物みたい。
うーん。ちょっと悪戯したくなるのよねー、こういう子って。
けどそれは後回し。私には確認するべきことがあるの。
と、その前に。
「あなたは? 飲まないの?」
「え? あ、えと、は、はい……」
「いいわよ。私が注いであげる」
「あ、えと、その」
ソフィーが反応する前に、私はテーブルのティーポットを取り上げると、ソフィーのカップに注ぐ。
芳醇な香りが周囲に満ちていく。
「さ、どうぞ。熱いうちに召し上がれ」
「え、えっと……」
ソフィーが不審な視線を向けてくる。
それは彼女の方のセリフだったから当然だけど、私は知らんぷりした。
そう。何も私は親切心で彼女のカップに注いだわけじゃない。
もちろんこれはリトマス試験紙。色が変わるかどうかのチェックだ。
可能性の話。
彼女が私に毒を盛っている可能性はぬぐえない。
だってあのガーヒルの相方だ。私、もといエリを殺したガーヒルの傍にいて、私を始末しようとする可能性は低くはない。
もちろんこんなところで毒殺すれば、明らかに彼女が犯人として検挙されるわけだから、そんなことはしないと思うけど。それでもゼロじゃあない。
というより毒じゃないにせよ、それに近しいもの、たとえば下剤とか病原菌といった可能性もある。私に被害甚大で、そこまで大問題に発展しない絶妙な嫌がらせをしてくることも考えられるわけ。
だから彼女にも毒味――いえいえ、一緒に飲んでこそお茶会ですからね。そう、ただ単に私だけこの美味しそうな紅茶を楽しむのはいけないと思って彼女にも親切にしてあげただけ。
そうこれもまた誠意。つまりおもてなし。おもてなし返し。それ以上の意味はないから。
「え、えと……」
ソフィーが迷ったように、きょろきょろとしているのを見て、私は笑顔を浮かべて手で示す。お先にどうぞ、と。
「……ッ!」
それを見えない圧と受け取ったのか、ソフィーはおずおずと、けれど迷いなくカップを手に取ると、そのまま目を閉じてくいっと飲んだ。ほんの3分の1。毒が回るか微妙なライン。
けどこれ以上は無理か。
無理強いしても変に思われるし。何より、挙動不審ながらも躊躇うことなく口に付けたのはとりあえず毒はないという可能性が高くなったといえばそう。まぁこっちのカップだけに毒を塗ってる可能性はあるけど、それを考えたらきりがない。
それにこの紅茶。なかなか美味しそうだし。
「じゃあ、いただきます」
くいっと口に含む。同じく3分の1ほど。
紅茶を口内でテイスト、吟味しながら楽しむ。痛みや変な匂いはしない。紅茶に混ぜればすぐに匂いは変化する。つまりこれは普通の紅茶だ。
そう考えるとごくりと飲み干し、うん、やっぱり美味しい。というわけでもう半分をくっと飲み下す。
「美味しいわね」
「よ、よかったです」
明らかにホッとした様子のソフィー。もてなしが成功したことによる安堵だろう。
ふっ。なかなかやるわね。それでこそ敵(候補)にふさわしい。
「あ、あの。そ、それでお話、というのは……なんでしょう、エリさ…………ん」
エリさ…………ん、ね。ま、いいでしょう。
「は、はぅ! そ、それとも、ま、また、私! 何かしましたか!? ご、ごごご、ごめんなさい!」
「いや、そういうわけじゃないから」
てか一体どんな関係だったのよ、この2人は。
てかてか。よくこんな子をあのガーヒルが選んだわね。見た目は美男美女で麗しいけど、この子の性格からしてガーヒルの気にいるところなのか、というのが不思議だ。
あんな偉そうにして自信満々でオラオラ系(第一印象)の男に、こうもビビりで大人しくて愛らしい感じのソフィーがというのが全く合わないのだ。
あるいは。
そう思ってのこともあるけど、そこについては徐々に聞き出しましょうか。
「別にそれほど大した話じゃないのよ」
そう前置きして、相手の警戒を緩める。
さてさて、鬼が出るか蛇が出るか。
いえ、ちょっと違うわね。
――“復讐”すべき相手かどうか。
高鳴る鼓動を胸に、私は彼女にこう聞いた。
「あなた、ガーヒルのことどこまで知っている?」




