10話 令嬢様の巡察・イン・パブ
下町というのはどういうものか、とちょっと期待していたわけだけど……。
「想像以上ね」
なんというか、さっきまでの世界と同じ世界かと思うレベル。
それまでは石造りとはいえ、様々な色に塗られた屋根や一風変わった建築方式、時には小さいながらも庭があったりして中世的な素敵な都会という風に見えた。
それが1キロといかないうちに、なんというか……そう、色がなくなったというのかしら。
石造りの家屋はかなり古びてボロボロになっており、一部が崩れて中が見える家がある。
それはまだマシな方で、場所によっては屋根が半分ないところ、あるいは完全に崩れているところもあり、石組みどころか木材を組み合わせてできた掘っ立て小屋みたいなところもあった。
植物はあるものの、そこらに生えている雑草レベルで、それも緑が青々とという感じでもなく、町の空気に影響されているのかしなびたグレーの色合いを出している。
もうこれ末期でしょ。
そう思えるほどに終わり切った場所が下町と呼ばれる区画だった。
「エリ様ー、かえりましょうよ~」
情けない声を出すアーニィ。
本当に護衛でいいのかしら、この子?
「酒場はどこかしら?」
「な、なんで酒場です?」
「情報収集と言えば酒場だからよ」
小学生のころ、そんなことを男子たちが話していたのが印象的で覚えていた。なんで酒場なんだろうとは思うけど、何かあるんだろうと思う。
「し、し、知りませんよ? 私だって、こっちにはほとんど来ないですから。だから知ってても教えません!」
「あ、大丈夫アーニィには何も期待してないから」
「さっき褒められたのに!?」
「褒めたことと期待したことは何もイコールにならないわよ。大丈夫、私は褒めて伸ばすタイプだから。期待はしないってだけで」
「全然褒められてる気がしません!?」
「ふぅん。たぶんこっちね」
「違います! 酒場はこっちなんで……って、はぅあ! またやっちゃいました!」
「その点についてはとても期待してたわ。さすがアーニィ。頼りになるわね」
「エ、エリ様に褒められた……頼りになるって言われたぁ…………って、エリ様! お待ちを!!」
アーニィに付き合ってられないので、ずんずんと下町を奥へ。
そこらに人影が見えるけど、本当に影みたいに見えて気味が悪い。というか根本的に活気がない。生きていることに何ら希望も見いだせていない目。
子供もいたけど目を輝かせて走り回っていた上町の子たちとは違う。じっとこちらを見つめて、何かを訴えかけるような視線を向けてくるのだった。
これが前パパの言ってた、“切羽詰まってどうしようもなくなった人間”ってことなのかしら。
ただ、気の毒に、とは思うけど助けようとは思わない。
『食べ物に困っている人を見つけたら、恵んであげるかい? それはやめなさい。無駄だから。もし今救ったとしても明日は? 明後日は? 1週間後は、1か月後は、1年後は? 家族でもないのにずっと面倒見ろと? しかも困っているのはその人だけじゃない。何千、何万という困った人を助けるのであれば、その時のパンは分け与えるのではなく自分で食べなさい。そしてそのパンで得た力で、彼らの生活を改善する根本改善をしたほうが多くを救うんだよ』
そう。だから今はこの人たちは救わない。
後々に、しかるべき時まで頑張ってもらおう。
というわけで私は彼らには構わずにずいずいと奥へ。
そして見つけた“PUB”という看板。古ぼけた木造の大きな家屋で、穴はあいてなく、ちゃんと扉も取り付けてあった。
たぶんここが酒場でしょう。中から人の話す声が聞こえるし。
ガチャリ。
ためらいもなしにドアを開ける。
同時、中から聞こえた喧騒が止まった。
視線を感じる。
外で見るより狭い室内にいたのはどれも男性。10人くらいか。
酒とたばこ、そして焼いた肉の臭いが鼻をついて不快だったけど、それ以上に不快だったのが脂ぎった男たちの赤ら顔が一斉にこちらを向いたこと。
酔っぱらってすわった目によるうろんな視線。それが数十も私を貫くんだから不快以外の何物でもない。
「よぅ、嬢ちゃん。入る店を間違えてねぇか? お前さんの求めてる最高級のドレスは隣のイラ婆さんが持ってるぜー」
「ばぁさんの樽みたいなボディのドレスだろ! ぎゃははは!」
どっ、と店内の男たちが沸く。何も面白くないのに、何を笑っているのだろうか。
「いえ、合ってます。私はここに用事があったんですから」
「あぁん?」
何がまずかったのか、苛立つ声をあげるのは、最初に声を放った男。
それは他の連中も同意見なようで、眉間を険しくしてこちらを睨んでくる。
その中で幾分か若い兄ちゃん――完全にうぇーい系のチャラそうな男が2人立ち上がってこっちに来た。
「YO、YO、お嬢ちゃん。そりゃいけねぇなぁ。ここはお嬢ちゃんみたいな子が来る場所じゃねぇんだぜ?」
「そうだぜ、ここらはこわぁい奴らがいっぱいいるからな。ま、俺みたいな善良な人間もいるけどよ」
あ、本当にこういう馬鹿はいるのね。
しかも男の言葉に「お前が一番危険だろうが!」とツッコミが入り、下卑た笑いが木霊するのがたまらなく不快だった。
「で? 何しに来たんだ? もしや俺たち全員に抱かれたいってのかぁ? ギャハハハ!」
「下種ね」
「あん? 今、なんつった?」
笑いが一瞬にして冷め、重たい空気が酒場の中を包み込む。
「下種と言ったんだけど。もしかして通じていない? おかしいわね、私はちゃんとこの国の言葉を話しているんだけど。ああ、そう。家畜に人間の言葉は通じないものね。それは残念。ここは家畜小屋だったのね」
「か、家畜だとぉ!?」
全員が怒り狂った視線で私を睨みつけてくる。
さて、とりあえずここまでは予定通り。
怒らせた相手は間違いなく本音を言う。つまりここでガーヒルを追い詰めるための何かを……。
「あれ?」
そういえば何しに来たんでしたっけ?
私はただ一般市民の暮らしを知りたかっただけ。それがガーヒルに対するカウンターになると思ったから。
それは今までで十分知れた。上流階級はまだしも、下町はそれ以上に酷い有様だった。だからこそ、前のパーティでこぼした政策をやろうものなら大ヒンシュクは間違いなし。
そこを私が颯爽と治めるという脚本を書こうと思ったんだけど……。
うん、もうできちゃってるじゃない。
これ以上、何を知る必要があるのか。とりあえず酒場に行けば色々聞けると思ったけど。そもそもなんのために、というのが抜けてたみたい。
…………うん、無意味ね。
「あ、じゃあ私はこれで」
「おいおいおいおい、お嬢ちゃん。なに勝手に俺たちの憩いの場に乱入してきて調子くれて、それじゃバイバイってか? 舐めてんのか、コラ?」
「舐めるわけないじゃない。汚らわしい」
「け、汚らわしいだと! このアマ!」
「きゃ!」
チャラ男に突き飛ばされ、床にしりもちをついた。痛い。
それ以上に大変だったのが、その衝撃でフードが落ちてしまったこと。
「こ、こいつ、この髪。貴族だ!」
ああ、バレてしまった。
やっぱりこの私、もといエリの美しさと気品は隠してもバレちゃうものなのね。
「もしや、俺たちのことを探りに……」
「いや、そんなはずはない。秘密は完璧なはずだ!」
おや、なにかざわざわし始めた。
ま、どうでもいいことでしょう。
「おい、どうする」
「こうなったら……」
男たちの不穏な視線が向けられる。
あちゃー……ちょっと調子に乗りすぎたみたい。
逃げるか。
けど体力に自信はないし、この男たちのムキムキさからすると結構鍛えてそうだから、逃げ切れるか。
「てめぇがいけねーんだぜ。俺たちを……俺たちをこんな目に……!」
「ちょっと話し合わない? 私は別にあなたたちと喧嘩するために来たんじゃなくて――」
「うるせぇ、もう俺たちは後には引けねぇんだ!」
男たちが飛びかかってくる。
咄嗟に体をひるがえし、床に手を突いて起き上がりながら走り出す。けど遅い。そもそものスタートが遅い。
だからフードを引っ張られ、つんのめったところを腕を取られた。
そのまま体を回転させられ、男たちの鬼気迫る表情を前に、恐怖で体が動かなくなる。
そんな私は男たちに乱暴をされてしまった――




